映像芸術の世界

芸術の秋」といいますが,そもそも,芸術とはなんですか?

表現者あるいは表現物と,鑑賞者が相互に作用しあうことなどで,精神的・感覚的な変動をえようとする活動です。

文芸(言語芸術),美術(造形芸術),音楽(音響芸術),演劇・映画(総合芸術)などを指します。

そのなかでも,もっとも大衆的な芸術は,映画といってもいいのではないでしょうか。

古来からの芸術である絵画・彫刻・音楽・文学・舞踏・建築・演劇に肩をならべる新たな芸術として「第八芸術」ないし,舞踏と演劇を区別せずに「第七芸術」とも呼ばれます。
そういえば第七藝術劇場(大阪市淀川区十三)という映画館がありました。

映画は古くは活動写真,戦前はキネマとも呼ばれており,シネマ(cinémaはフランス語で映画の意味ですが,アメリカではアート作品は「シネマ」,娯楽作品は「ムービー」と区別することがあります。

先日,アニメの宮崎駿(はやお,1941-)監督がアカデミー賞名誉賞を受賞しました。

日本人の最初は,1990年の黒澤明(1910-1998)監督でした。
外国でも多くの監督に影響を与え,とくにフランシス・フォード・コッポラ,ジョージ・ルーカス,スティーブン・スピルバーグなどは大いに刺激を受け,映画作りの参考にしました。

黒澤作品はいろいろありますが,代表作はなんといっても『七人の侍』1954年ではないでしょうか。

戦国時代末期(具体的には1586年),野武士の略奪により困窮した百姓に雇われる形で集まった七人の侍が,身分差による不和を乗り越えながら協力して野武士の一団と戦う物語です。

配役は,
智将・勘兵衛         (志村 喬
腕はたつが素性の良くない菊千代三船敏郎
勘兵衛の相棒で補佐役・七郎次 (加東大介
剣の達人・久蔵        (宮口精二
剽軽な薪割り名人・平八    (千秋 実
勘兵衛に惹かれた五郎兵衛   (稲葉義男
村娘とできてしまう若侍・勝四郎木村 功

それぞれの役どころに個性があって魅力的でした。
後に大きな影響力を残すだけあって,西部劇のようなダイナミックなシーンも多く,しかし,それだけではなく,味方同士の武士と農民との葛藤など,心理的な交錯もある,見ごたえのある作品です。
しかし,なにしろ上映時間が3時間半という超大作です。こころして劇場で見ることをお勧めします。

この「七人の侍」をアメリカでリメイクしたのが『荒野の七人』(原題:The Magnificent Seven)1960年です。

舞台を西部開拓時代のメキシコに移して描きました。

配役は,
リーダー格のクリス   ユル・ブリンナー(勘兵衛)
サブリーダー格のヴィン スティーブ・マックイーン(五郎兵衛と七郎次)
最年少のチコ   ホルスト・ブッフホルツ(菊千代と勝四郎)
子供に慕われるベルナルド チャールズ・ブロンソン(平八)
ナイフ投げ達人のブリット ジェームズ・コバーン(久蔵)
山師のハリー     ブラッド・デクスター(一部は七郎次)
凄腕の賞金稼ぎのリー ロバート・ヴォーン(菊千代に近いか)

ユル・ブリンナー(1920-1985)だけは『王様と私』で既に有名な俳優でしたが,ほかの出演者はテレビ俳優といってもよい,まだ売れていない若手の人たちでした。この映画をきっかけに,ほとんどの出演者たちが大スターになっていきました。

スティーブ・マックイーン(1930-1980)はTVドラマ『拳銃無宿』で改造ショットガンをつかう愛嬌のある賞金稼ぎ役でした。
その後,『大脱走』,『ブリット』,『タワーリング・インフェルノ』などに主演しましたが,若くして亡くなりました。

チャールズ・ブロンソン(1921-2003)はTVドラマ『カメラマン・コバック』で肉体派として主演しました。
その後,『レッド・サン』,『さらば友よ』などに男臭い役で主演し,日本の男性化粧品マンダムのCMでも有名になりました。

ロバート・ヴォーン(1932-)はTVドラマ『0011ナポレオン・ソロ』のソロ役で活躍しました。

ジェームズ・コバーン(1928-2002)は長身で痩身でしたが,悪役や個性的なアクション俳優として出演しました。
その後,『電撃フリントGO!GO作戦』などにタフガイ役で主演しました。

ホルスト・ブッフホルツ(1933-2003)はドイツ生まれの国際派俳優でした。

この『荒野の七人』はじつに第4作まで作られました。
しかし,しょせんリメイク作品は,本家の作品には及びませんでした。

秋も深まってきましたが,外国の歌に日本の訳詞で有名なこの曲にしましょうか。

旅愁犬童球渓(いんどう・きゅうけい)・訳詞 オードウェイ(アメリカ)・作曲 「中等教育唱歌集」1907.8
(原曲:Dreaming of Home and Mother)

更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ
恋しやふるさと なつかし父母
夢路にたどるは 故郷(さと)の家路
更け行く秋の夜 旅の空の
わびしき思いに ひとりなやむ

窓うつ嵐に 夢もやぶれ
遥(はる)けき彼方(かなた)に 心まよう
恋しやふるさと なつかし父母
思いに浮ぶは 杜(もり)のこずえ
窓うつ嵐に 夢もやぶれ
遥けき彼方に 心まよう

 日本語の訳詞で有名な曲はいろいろありますが,昔の詩なので言葉がむずかしいきらいはありますが,歌い続けて残しておきたい名曲です。

閑話休題,
ここにきて安倍内閣は唐突に衆議院を解散しました。
投票日は12月14日,赤穂浪士の討ち入りの日です。

大義名分のない解散といわれています。
支持率の落ちないうちに解散して長期政権への足場固めをしようとする狙いらしいのです。

約束違反は,
国民に消費税を上げるという痛みを与えるのなら,政治家も痛みを分かち合って,国民の権利を平等にする定数是正と,ずさんな使用の多い政治資金の減額を,やると断言しながら,やりませんでした。

忘れてはならないのは,
集団的自衛権の行使」,「特定秘密保護法」,「原発再稼動」の問題は,国として大きな政治的な争点です。

総理当人は,「アベノミクス解散」などと問題点をそらしていますが,選挙で勝ちさえすれば,すべてがチャラになるという,都合のよい「総理救済リセット解散」とでも呼んだ方がピッタリときます。

みなさんも,ごま化されることなく,年末ですが,投票場に足を運んで,しっかりとした判断を示しましょう。
300年余り前,赤穂浪士が決死の覚悟で吉良邸に討ち入ったように,総理官邸に討ち入る覚悟で,投票場に向かいましょう。

灯火親しむの候

秋の夜は涼しく長く,灯火の下で読書するのに適している,そういう時候になりました。
「読書の秋」ともいいますね。

まず古典的な日本文化研究の本を紹介しましょうか。

ルース・ベネディクト著『菊と刀』(原題:The Chrysanthemun and the Sword: Patterns of Japanese Culture)は1946年に出版されました。

ルース・ベネディクト(1887-1948)は米国の女性文化人類学者で,戦時中に,日本へは一度も訪れることなく,日本関連の文献の熟読や日系移民との交流,そして日本映画を見ることのみで,日本文化の研究調査をしたとされています。

もちろん「」は皇室を象徴する花であり,「」は武士の魂として日本人=侍の精神的な支柱とみなされます。

義理などといった日本文化固有の価値を分析し,日本文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決めつけました。

彼女の研究は,戦後の日本に対する占領政策に大いに利用されたと言われています。

先日亡くなった元長崎市長の本島等(92)さんが市長のとき「天皇の戦争責任はあると私は思います」と,自身の軍隊体験なども踏まえ,市議会の答弁で発言されて,賛否の議論をよび,発言に反発した右翼団体幹部に長崎市役所前で銃撃され,重傷を負いましたが,命は取りとめました。

とうぜん,天皇は陸海軍の大元帥として形の上からは日本の最高指導者でしたから,責任がないはずはないのですが,日本国民を統治するために,処分の対象としなかったのは,ベネディクトの研究結果が重要な判断基準になった,と言われています。

しかし,なにをおいても自由な発言を否定するのは,民主主義の基本原理を否定することになります。

つぎは逆に最新の,シンシアリー著『韓国人による沈韓論』扶桑社新書,2014.9.1発行はどうでしょうか。

著者のシンシアリー(SincereLEE,以後「リー氏」)はもちろんペンネームですが,韓国生まれ韓国育ちの生粋の韓国人で,観光以外に外国に行ったことがなく,1970年代の生まれ,というので,40歳前後で,歯科医院をやっているとのことです。
母から日韓併合時代に学んだ日本語を教えられ,子どものころから日本の雑誌やアニメで日本語に親しんで,日本のテレビの録画や雑誌や書籍から,韓国で敵視している日本はどこにも存在しないことを知った,といいます。

英語の ”sincerely” は「誠実に」という意味で,手紙の結びで “Sincerely Yours” あるいは略して “Sincerely” は「敬具」に相当する正式な表現です。

2014年4月16日,韓国フェリー「セウォル(世越)号」が沈没事故を起こしました。
船には,修学旅行の高校生325名,乗組員30人など合計476人が乗っており,事故で,行方不明者を含めて死者が305名という惨事でした。

リー氏は,この事故と韓国社会の構造的問題が酷似している,と言います。
責任感のなさ,法律の機能不全,集団的利己主義などが共通しているそうです。

これは「人災」ではなく「国災」である,と言い切りました。
フェリーには最大積載量の4倍もの貨物が積まれ,過多積載が事故の大きな原因の一つと考えられています。

沈没するセウォル号から真っ先に逃げたのは,船長や航海士など,責任を取るべきに人たちでした。
海運会社の関係者たち,とくにオーナー一族は,召喚に応じず,逃げ出し,姿をくらましまた。

海洋警察や海軍が来ましたが,遅れましたし,対応も下手でした。
もともと韓国では専門家や匠に対する認識が低く,現場には専門知識のある人たち,また現場を指揮できる人がいなかったのです。

すぐに日本の海上保安庁と海上自衛隊が救助を申し入れましたが,韓国は拒否しました。理由は「集団的自衛権の拡大と関連している」と勝手な解釈をしました。

韓国に「責任」という文字がない,誰も責任を取らない社会であるといいます。

セウォル号の違法項目を列挙すると,百貨店サイズになる,といいます。

韓国では,地縁・学縁・血縁が何より大切で,「ウリ(私たち)」と「ナリ(他人)」を鮮明に分けて,区別します。
ウリだけで団結します。

反日」は歴史に根差す問題ではなくて,「反日教」ともいうべき,議論できない感情の人たちで凝り固まっています。

「集団的被害妄想」が蔓延し,「客観性」を受け入れる土壌は培われない,と言います。

リー氏が最も惨憺たる気持ちにおちいったのは,2011年3月11日,日本で東日本大震災が発生したとき,韓国で「韓国バンザイ!」という喜びの叫び声を聞いたのです。
この国は狂っている,と認めざるとえなかった,と述懐しています。

リー氏の「沈韓論」はセウォル号のように韓国は沈没しかけているのにそれを助けるべき船長(指導者)がいないことに,絶望しています。
しかし,彼は逃げ出さずに,沈みゆく船に乗り続けることを選択し,自分のできることを模索しています。

われわれも感情だけのヘイトスピーチ(hate speech,憎悪発言)はやめて,中韓とは主張が異なっても,末永く付き合ってゆかねばなりません。

さて,ここで,松尾芭蕉(1644-1694)の有名な俳句を2句。

物言えば唇寒し秋の風
秋深き隣は何をする人ぞ

つぎは,フランスのヴェルレーヌ(1844-1896)の詩です。
ポール・ヴェルレーヌ落葉上田敏(1874-1916)・訳

秋の日の ヴィオロンの
ためいきの 身にしみて
ひたぶるに うら悲し。

鐘のおとに 胸ふたぎ
色かえて 涙ぐむ
過ぎし日の おもひでや。

げにわれは うらぶれて
こゝかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな。

日仏の秋の詩を並べてみました。

歌はこの歌にしましょうか。

もずが枯れ木でサトウハチロー・作詞 徳富繁・作曲(1938)

もずが枯れ木で 鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿引き車は おばあさん
コットン 水車も廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けんども足んねえ ものがある
あんさの薪割る おとがねえ
バッサリ 薪割るおとがねえ

あんさは満洲へ 行っただよ
鉄砲が涙で 光ってた
もずよ寒いと 泣くがよい
あんさは もっと寒いだろ

とても寂しい歌ですが,戦前につくられました。
このような悲しみは決して今後ないようにしなければなりません。

スポーツの秋です

この時期は秋本番,なにをするにも良い季節です。
秋といえば,スポーツの秋読書の秋芸術の秋食欲の秋などたくさんあります。

まず,スポーツの話題は,
テニス錦織圭(24)選手が,世界ランキングを5位にあげ,ロンドンで11月9日に開幕する年間成績上位8人が争う最終戦,ATPワールドツアー・ファイナルで今季を締めくくります。
1次リーグはB組で,フェデラー(スイス,2位),マリー(英,6位),ラオニッチ(カナダ,8位)と対戦しますが,一抹の不安は,全7選手との対戦成績が17勝14敗と勝ち越しているのに,初戦で対戦するマリーとは0勝3敗で,1度も勝ってないことです。
これも試練ですから,期待して見守りましょう。

ファイナルだけあって,賞金額も破格です。
出場するだけで15万5,000ドル(約1,780万円)が手に入ります。予選リーグは1勝につき同額が稼げます。5戦無敗で優勝すれば207万5,000ドル(2億3,800万円)が手に入る勘定です。

つぎは,フィギュアスケートのGPシリーズの第1戦,スケートアメリカは,米イリノイ州シカゴで10月24日に開幕,男子は町田樹(たつき,24,162cm)が優勝しました。

第2戦のスケートカナダは,ブリティッシュコロンビア州ケロワナで10月31日に開催され,男子は無良崇人(むらたかひと,23,170cm)が優勝,女子は宮原知子(16,145cm)が3位になりました。

第3戦は中国の上海で11月7日から開催され,羽生結弦(ゆづる,19,171cm)が出場します。
第1戦,第2戦と順調に来ているので,良い結果を期待しましょう。

高橋大輔(28)は引退しましたが,男子は後継者がぞくぞく出現してきて頼もしい限りです。
それにひきかえ,女子は村上佳菜子(20,162cm)が伸び悩み,今井遥(21,159cm)や本郷理華(18,166cm)もまだ完成度が低いですから,東京五輪を宮原知子一人に期待するのは荷が重いでしょう。

さて,プロ野球の日本シリーズは,守備妨害で決着するという盛り上がりに欠ける結果となりました。

ドラフト会議(新人選手選択会議)は今年も有力選手をパ・リーグのチームが交渉権を獲得するという皮肉な結果となりました。
ドラフト制度というのは,本来,チームの戦力を均衡化して面白い試合を増やす狙いがあるのに,東京にある1チームだけはドラフト指名を拒否した選手を次年度に獲得するという,野蛮な振る舞いしつづけてチーム力を強化しています。
それをいつまでも許しているという野球機構の組織力のなさが,野球の発展を阻害しています。

セ・パの交流戦も当初,ホーム(地元)3,アウェイ(敵地)3ゲームの6チームで36試合あったのを,ホーム2アウェイ2の24試合に減らし,来年は1チーム3(ホームかアウェイのどちらか)の18試合に減らすそうです。
いつも人気のセ・リーグが大敗するので,ゼロにしますか18にしますか,というような強圧的な二者択一を迫った結果なのです。

嫌になるほどの球団やリーグのエゴ(egoism,利己主義)むき出しに,そうすることで,自分で自分の首を絞めていることに気が付かないのか,と思います。

これは日本だけに限ったことではなくて,本家アメリカのMLBでもよく似た自分勝手をやっていて,これで野球がオリンピックから外されて,世界スポーツになれない大きな理由の一つだと思います。

そして,日本バスケットボール協会も情けないですね。
現在,国内にNBL(12チーム)とbjリーグ(22チーム)の2つのリーグが存在しており,FIBA(国際バスケットボール連盟)から,1国1リーグ制にするように勧告が出されていたのに,期限までに実現できず,ブラジルのリオデジャネイロ・オリンピック予選への出場が危ぶまれています。

情けない残念なことです。

もともと企業チームを中心とするJBL(8チーム)が古くからあり,統一するためにNBLというトップリーグを立ち上げましたが,企業名を残したいJBLからの参加者に対して,bjリーグが反発して,統一が実現できなかった,という経緯があります。

企業名を前面に出したいプロ野球チームと似た古い体質を残していますね。

そういう意味では,サッカーに後れを取っています。

日本のバスケットボール界から,全米のNBAに巣立とうとする若者が出てきているというのに。

それは富樫勇樹(21,167cm)選手ですが,新潟の出身で,中卒後,米国モントロス・クリスチャン高校に進学,帰国してbjリーグの秋田ノーザンハピネッツに入団,来季からダラス・マーベリックス傘下のDリーグのテキサス・レジェンズでプレイすることになっています。

これまでは田臥勇太(34,173cm)選手が2004年にNBAフェニックス・サンズと契約し,日本人として初めてのNBA選手となりましたが,4試合に出場したのみでした。

富樫選手に期待できるところは,高校時代からアメリカのバスケットボールに慣れており,ポイントガードながら,シュート力があることでしょう。

さらに,面白くないのは,女子ゴルフ大相撲ですね。

日本の女子プロゴルフの賞金ランキングは1位から3位までを韓国勢が独占しています。
それほど韓国の人たちに外貨を稼がせてあげる必要はないと思いますが,日本選手が勝てないですね。
せると弱いですね,日本選手は。逆に,とくに日本人相手にせると強いです,韓国は。

もっと面白くないのは大相撲です。
3人のモンゴル横綱に加えて,さらに逸ノ城という怪物が出現しました。
彼を見ると,50年前の東京オリンピックの柔道・無差別級のヘーシング(オランダ)対神永の試合を思い出します。
圧倒的な体力差で,技が通じずに完敗しました。

相撲は日本古来の神事から来ています。その象徴は,横綱のしめるつなは,紙垂(しで)を付けたしめなわが使われます。

神事祭りの催しであったのが,格闘技に成り下がった感があります。
たとえば,勝負がついた後に行なう,一礼が,負けた悔しさのためか,今やほとんどおざなりになってしまっています。

一度,陥ってしまった状況を改善するのは,並大抵のことではないです。
しかし,これでいいんですか,というのは多くの人たちの気持ちで,関係者は猛反省し,地道な対策を考えなければなければならないのです。

この季節の歌は,外国の曲に日本語の訳詞でなつかしい,この歌にしましょうか。

故郷の空大和田建樹・訳詞 スコットランド民謡

夕空晴れて あきかぜふき
つきかげ落ちて 鈴虫なく
おもえば遠し 故郷の空
ああわが父母(ちちはは) いかにおわす

すみゆく水に 秋萩(はぎ)たれ
玉なす露は すすきにみつ
おもえば似たり 故郷の野辺
ああわが兄弟(はらから) たれと遊ぶ

原曲はいわずとしれた “Comin Through the Rye” です。

「読書の秋」以降はつぎの機会にしましょう。

今は正しく季節の変り目,天気予報をよく聞いて,気温に合った服装をして,風邪などかからないようにしましょう。

新聞を読んで

最近,新聞でこんな囲み記事がありました。少々長いですが,採録します。

ー 前略 -
あるショッピングセンターで,
ぼくはリンゴや卵などを買い求めてレジに並んだ。すぐ前に少し腰をかがめたおじいさんが立っている。80歳前後のお年か。両手に小さないなりずしが入ったパックを一つ持っている。夕食用なのだろうか。
何気なく目を向けていると,おじいさんは小銭をレジ台に一個一個並べて支払っている。つつましい年金生活者かな,とはこちらの勝手な想像ながら,消費税が10%になったら困るだろうな,と思ったりもした。
番がきてレジ前にいる間,今度は後ろのおじいさんに目がいった。やはり年のころは80前後だろうか,足を運ぶ動作にやや衰えが感じられた。手にしているのは,少々黒ずんだバナナひと房である。レジでは,やはり小さな財布から取り出した小銭を店員に渡している。
「レジ袋はいりますか?」「いりません」「2円お引きします」
そんなやり取りの後,おじいさんはバナナを両手に抱え込むようにして,ぼくの横をゆっくりと通り過ぎていった。
おじいさんはバナナが好きだからとか,おやつに買ったというのではなく,夕食や朝食のために買ったのではなかろうか。
ー 中略 -
たくさんの買物をしている人に文句などあろうはずはない。ないが,おじいさんのささやかな買物との対比からくる感情は,何か理不尽な格差社会を見る思いと絡んで胸の奥にわだかまった。
当然,その感情の向かう先は政治だ。しかし弱者より強者に傾きがちな政治家には,ぼくが目にしたおじいさんの姿など,目の端にも留まらないのではなかろうか。
ー 後略 -

これは毎日新聞2014年10月27日夕刊,客員編集委員・近藤勝重しあわせのトンボ」の一節です。

消費税の増税年金の減額後期高齢者の健康保険料の軽減措置の廃止など,老後の不安はますます募ります。

同じ紙面に,ミステリー作家の森村誠一・編著「迷子の日本国憲法」(徳間書店)を緊急出版したことへの取材記事があります。

森村さん(1933-)は,子供のころ戦争を体験されています。

戦争は生命だけでなく,国土や自然を破壊し,そのうえ基本的人権をことごとく奪います

戦争から学べば,軍事力や軍事同盟の強化は,平和を維持できないどころか,平和と自由と人権を破壊してしまうとわかるはずです

軍隊は国を守るという建前ながら,じっさいは国民を守りません。それは中国での関東軍しかり,沖縄の日本軍もそうでした。

自衛隊は憲法9条を背負う国民を守る用心棒です
自衛隊は,御嶽山噴火災害でも救助活動を担ったように,強制的な徴兵ではなく,自由意思にもとづく戦闘集団で,国民を守る使命感を持った用心棒,だと森村さんは言うのです。

政府が,「特定機密保護法」「国家安全保障会議」「集団的自衛権行使容認」の開戦に向かう3点セットを用意してしまいました。戦争に対する構えは,必ず戦争を誘発する,と警告しています。

だから今こそ,森村さんは声を大にして,人類の天敵である戦争に対して,「ノー!」を突き付けなければならない,と強調しています。

おじいさんと戦争のはなし,まったく違うように思うかもしれませんが,わたしたちにとって,どちらが切実で優先的な問題と捉えるのか,が問われています。

まったく話は変わりますが,
10月31日はハロウィーン(Halloween)と,いつのころからか言うようになりました。
もともとは秋の収穫を祝い,悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事でしたが,とくにアメリカで民間行事として定着しました。
カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オ・ランタン(Jack-o’-lantern)」を作って飾ったり,子供たちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れて,「トリック・オア・トリート(Trick or treat.   お菓子をくれないといたずらするぞ)」と唱えてお菓子をもらったりする風習があります。

ハロウィーンの語源は,カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日(万聖節)」の前夜(イブ,eve)にあたることから,”All Hallows eve” から “Hallows eve” が訛って “Halloween” となったといわれています。

そのむかし,日本は神道と仏教の国なのに,クリスマスだのクリスマス・イブなどキリスト教の行事を祝うのはおかしい,との意見もありましたが,いつのまにか,宗教とは関係なく,一般的なお祭り日のようになりました。

しかし,ハロウィーンが定着するにはもう少し時間がかかることでしょうね。

さて今回は,この時期にふさわしい,まことに日本的なこの歌にしましょうか。

紅葉高野辰之・作詞 岡野貞一・作曲(1911)

秋の夕日に 照る山紅葉
濃いも薄いも 数ある中に
松をいろどる 楓や蔦は
山のふもとの 裾(すそ)模様

渓(たに)の流れに 散り浮く紅葉
波にゆられて 離れて寄って
赤や黄色の 色様々に
水の上にも 織る錦

この歌を聴くと,美しい秋の情景が目に浮かびますね。
ことしはキュッと寒くなりましたから,美しい紅葉が見られそうです。

清潔であること

清潔とは,ひびきの良い言葉ですね。
汚れがなくきれいなこと,衛生的なこと,
また,人格や品行が清くいさぎよいこと,を指します。

関連して,
清廉潔白(心が清くて私欲がなく,後ろ暗いことのまったくないさま)や
品行方正(心や行いが正しく立派なさま)とかの熟語が思い出されます。

しかし,
潔癖は行き過ぎ,潔癖症となればもう立派(?)な病気です。

清潔感のある人,と言えば,衛生的にきれいな服装をしているだけではなく,精神的にすがすがしい人のことを言っているのです。

日本人は世界で最も清潔好きな民族と言われてています。
これは自慢してもよいことで,感染症を減らして,世界最高の長寿国に押し上げた要因の一つかもしれません。

その代表的なものが,シャワートイレ(洗浄便座)でしょうか。
インクで汚れた手を紙で拭いて「お尻だって洗ってほしい」という名キャッチコピーで一世を風靡(?)しました。
たしかに,大便をするのがとても快適になりました。

それどころか,私の通うスポーツジムでは,トイレの入口にオーバーシューズが置いてあり,靴(下足でも上履きでも)のままそれを履いて用を足すことになっています。
さらに大便器の横には,クリーナーが設置されていて,ペーパーに消毒液を吹きかけて便座を拭いてから用を足すことになっています。

ここまでくると,少々やりすぎの感があります。

世の中は抗菌グッズであふれています。
マスクどころか靴下やパンツまで抗菌です。

ある漫才師の一人が,入浴後,全身をマキロン(殺菌消毒液)で拭く,と聞いて,余りの無知さにビックリしました。
皮膚を正常な状態に保つには,皮膚ダニ・細菌・ウイルスなどの微生物と共存する必要があるのです。
あきらかに,清潔であることの意味を取り違えています。

毎日,石鹸やボディソープなどの洗剤で身体を洗うことさえ,体表面の細菌を殺してしまうので,肌を美しく保つには,やりすぎであると皮膚科の医師は言っています。

フランスに行っていたとき,
パン屋で,われわれ外国人がバゲット(長い棒状のフランスパン)を買うと紙袋に入れてくれますが,フランス人は素手で待ちかえります。

その裸のバゲットを床に転がしたまま本屋で本を立ち読みしていた人がいて驚きました。

場末のレストランで,
犬を連れて入ってきた父と子の二人づれ,犬をテーブルの下に横臥させた状態で食事を始め,幼い子がホークをチャリンと床に落としました。
ウエイトレスが急いで代りを持ってゆくと,父親が子供を指さし,拾って使っているので,もう必要ない,という合図をしました。

フランス人の清潔に対する意識はわれわれ日本人とかなり違いますね。

回虫博士として有名な東京医科歯科大学名誉教授・藤田紘一郎さんは,日本で,花粉症・アトピー・喘息などのアレルギー疾患が極端に多くなったのは,体内から寄生虫を排除したせいである,と長年の研究結果から断言されています。

これは,藤田博士の見解だけではなく,
環境が清潔すぎると,アレルギー疾患が増えるという衛生仮説は2004年にドイツを中心とする医科学チームの研究により裏付けられました。

日本人は清潔であり過ぎる結果,アレルギー疾患が多い民族の代表となってしまいました。

パンダコアラの赤ちゃんは,母親の雲古をなめて,を消化したり,ユーカリを無毒化するために,腸内に必要な細菌を取り込んでいます。

最近,こんなニュースがありました。
川で大量の魚が死んで浮き上がりました。
原因をさぐると,近くのプールで殺菌のために投与した塩素のため,オーバーフローした排水が川に流れ込んで,魚を死滅させました。
魚が死ぬような水で泳いで清潔と言えますか,安全と言えますか。
むしろ,雑菌のウヨウヨいるような水で泳いで,お腹をこわす方がよっぼど安全です。

2500年ほど前,孔子は,

過ぎたるは猶及ばざるが如し

と言いましたが,
現代では,

過ぎたるは及ばざるに如(し)かず

と言い替えた方が良いと思っています。
なにごとも過ぎるより,足らない目の方が良いことが多いからです。

過食より小食粗食の方が健康的なのは,周知のとおりですし,過保護で育つより,放任で育てる方がまともな子供になるようです。

今年は10月になってからも大きな台風が毎週のようにやってきて大変でした。
南の島から何かが流れてきても不思議はありません。

ところで,
民俗学者・柳田國男(1875-1962)が学生の1898年の夏,1カ月半ほど伊良湖岬(愛知県渥美半島)に滞在したとき,浜に流れ着いたヤシの実の話を友人の島崎藤村(1872-1943)に語り,藤村がその話を元に1901年,詩を創りました。

1936年7月,NHK大阪中央放送局(JOBK)で放送中だった『国民歌謡』の担当者がその詩をもって作曲家・大中寅二に作曲を依頼しました。
7月13日から東海林太郎の歌唱で1週間放送されました。

椰子の実』島崎藤村・作詞 大中寅二・作曲

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ

故郷の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月

旧(もと)の樹は生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新たなり流離の憂

海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の潮々
いずれの日にか国に帰らん

大中寅二(1896-1982)は日本の作曲家・オルガにスト,同志社大卒,作曲を山田耕筰に師事,ドイツ・ベルリンに留学,東京英和女子短大教授,大中恩(作曲家)の父。

日本の代表的な叙情歌です。
東海林太郎の歌ではないと思います。

まったくの蛇足ですが,
NHK大阪放送局JOBKはどこにあるんですか,と尋ねられたら,
ジャパン(J)大阪(O)ばんば町(B)かど(K)にあります,
と答えてください。

我々ももう少し原始社会に回帰して,雑菌たちともうまく共存して,生物としての自然な生活するようにした方が,真の健康的な生き方ができるのではないでしょうか。

50年前のできごと

坂井義則さんが,9月10日にお亡くなりになりました。
1945年8月6日のお生まれでしたから,まだ69歳の若さでした。
広島に原爆が投下された日に広島県三次(みよし)市で出生,400mの陸上選手でした。

1964年10月10日に開催された東京オリンピックの開会式で,若干19歳の坂井さんが聖火リレー最終ランナーとして,国立競技場の聖火台にさっそうと駆け上がっていった雄姿は,いまでも目に浮かびます。

その日のことは,NHKの北出清五郎アナウンサーの名セリフにあります。
世界中の青空を,全部東京に持ってきてしまったような,すばらしい秋日和でございます

そして,ファンファーレとオリンピックマーチで入場行進が始まりました。

ファンファーレ今井光也・作曲
オリンピックマーチ古関祐而・作曲

もう50年,半世紀も前の出来事だったんですね。

1940年に東京で開催予定だったオリンピックが,第2次世界大戦勃発のために中止,24年ぶりに,アジアで初めて,東京で開催されました。

なにしろ戦後最大のイベントでしたから,国を挙げて取り組みました。

1964年10月1日(開会式の9日前)には,東海道新幹線が開通しました。もちろんオリンピックにあわせて建設したのです。

しかし,新幹線建設の現場で210名もの殉職者を出したことはあまり知られていません。
これは,「世紀の難工事」と評された黒部ダムの殉職者数171人と比べれば,その多さを実感できるでしょう。
「1959年着工で5年余で完成したということになっているが,実は用地の買収が難航して2年近くをそのために費やしたので,実際の工事期間は3年半くらいに過ぎない」と当時の技師長は語っています。

つまり,開業9日後に始まる東京五輪に間に合わせるための突貫工事だったのです。
「全職員が夜を日に継いでの捨身の努力の結果,かろうじて所定の期日に間に合わすことができた」と『工事誌』に記されています。

東京五輪という「世紀の祭典」のために,なりふり構わず無茶をしたんですね。おおいに反省すべきところでしょう。

前年の1963年7月16日には,名神高速道路が日本初の都市間高速道路として開通しました。ただし,栗東IC~尼崎IC(71.1km)。

プロ野球もオリンピックを考慮して,前倒しで試合を消化,日本シリーズは阪神タイガース南海ホークスの関西勢の対決となりましたが,10月1日に開始,雨での順延もあり,第7戦は開会式10月10日の夜になってしまい,まったく盛上りませんでした。

このオリンピックで日本選手の獲得した金メダル数は16個,アメリカ,ソ連についで3番目でした。

最も関心を呼んだ種目は,なんといっても女子バレーボールではなかったでしょうか。

東洋の魔女」と呼ばれた女子チームは,決勝戦で宿敵ソ連を3対0のストレートで下し,金メダルを獲得しました。
なにしろそのときのTVの視聴率は66.8%を記録しました。

NHKの鈴木文弥アナウンサーがTV中継で最後のポイントのとき,
金メダルポイント!」と絶叫したことも記憶に残っています。

じつはオリンピック前年に東洋の魔女の主体「日紡貝塚」の練習を見ています。
1963年12月に池田市立体育館の竣工を記念して,練習を公開しました。
というのも,チームの一員である谷田絹子選手が池田市の出身という縁で,実現しました。
彼女は左の宮本,右の谷田といわれたエース・スパイカーでした。

しかし,えげつない練習でしたね。
鬼の大松といわれた大松博文監督のもと,回転レシーブに代表されるように守備の練習が主体で,一人の選手に長時間,何度も何度も取れそうもないようなボールを投げつけて,また逆にお仕置きのように体めがけて何回もボールをぶつけて,まるでいじめか虐待にしか見えないような練習風景でした。
これほどのことをしないと勝てないのか,と愕然としました。
現代では,人前でこんなことをやったら,監督は即刻クビで大きな社会問題になっていたことでしょう。
むかしは勝つためと言って,メチャクチャなことをやっても許されていたんですね。

じつはその谷田選手,1962年11月3日に,なんと池田市の第1回文化功労者に選ばれています。
そのとき同時に,童謡作詞家の東くめさんも文化功労者に選ばれています。こちらの方が文化の香りがしますね。

東くめ(1877-1969)さんは,和歌山県新宮出身,東京音楽学校卒,東京府立高等女学校の音楽教師を8年間務め,日本ではじめて口語による童謡を作詞,東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授・東基吉と結婚,夫が大阪府池田師範学校(現大阪教育大学)校長に就任したため池田市に転居,新宮市名誉市民,池田市にて没。
夫の提案により「子供の言葉による,子供が喜ぶ童謡」の作詞を2年後輩の滝廉太郎と組んで創作,滝さんは23歳で早逝しましたが,東くめさんは91歳の長寿をまっとうされました。
代表作は,
鳩ぽっぽ滝廉太郎・作曲(1901.7)幼稚園唱歌

鳩ぽっぽ 鳩ぽっぽ
ポッポ ポッポととんでこい
お寺のやねからおりてこい
豆をやるからみなたべよ
たべてもすぐにかえらずに
ポッポ ポッポとないてあそべ

 ちなみに「ぽっぽっぽ 鳩ぽっぽ」と歌うのは『』です,念のため,童謡の題名はむずかしいのです。

じつは,この年にオリンピックを実際に観戦しているのです。
まず,観戦チケットを手に入れるのが大変でした。何時間も行列しなけれが手に入りません。人気の種目を入手するのは,ほとんど不可能にちかいことでした。
父親と生まれて初めて二人で東京まで出かけました。その後もありませんでしたから,一生一度きりの旅行でした。
もちろんできたばかりの新幹線には乗らず,夜行急行『銀河』で行きました。
横浜の親戚の家に宿泊させてもらい,2つの競技,バレーボールとバスケットボールを観戦しました。もちろんどちらも男子です。
そのどちらかを観戦中に円谷がマラソンで銅をとった,という風の便りを耳にしました。
むかしの思い出です。

2020年に,ふたたび東京でオリンピックが開催されます。

1964年の東京オリンピックでは,敗戦後19年,第2次大戦からの復興と国際社会への参加を旗印に,高速道路や新幹線がつくられ,都市のインフラ(infrastructure,下部構造の意,道路・鉄道など産業基盤の社会資本のこと)が整備され,それなりの成果がありました。

しかし,このつぎに何を期待しますか?
競技用の巨大施設の建設は,必要な経費とその後の利用価値を考えると,否定的になります。
一時的な利用のために巨費を費やす時代ではありません。
競技専用ではなく,むしろ国民の健康のために利用可能な施設に転用できることが条件となるでしょう。

なにより,福島原発事故について,状況はコントロールされている,というオリンピック招致のプレゼン(presentation,口頭発表)での首相の発言で,外向けにはウソでごまかせても,国民はだれも信用していません。
国の政策としての優先順位は,何を置いても,まず事故処理を,住民補償もふくめて,国民の納得のいくような結果を出すことが第一です。オリンピックはその次です。

ところで,第17回アジア大会(仁川)が終了(9.19-10.4)し,日本の金メダル数は47個で,中国151,韓国79,についで3位の定席でした。

第1回(1951)から第8回(1978)までは日本が1位を独占,第9回(1982)に中国に抜かれ,第10回(1986)から韓国にも抜かれ,その後ずっと3位が定位置になってしまっています。

人口13.57億の中国は致し方ないとしても,人口1.27億の日本が,人口5千万に過ぎない韓国の後塵を拝するのは納得がいきません。

つぎのオリンピックではキッチリ,結果を出してもらいましょう。

メイドインジャパンの値うち

かつて,大阪の朝日放送で「ABCホームソング」という人気番組がありました。
開局翌年の1952年9月から1972年7月までつづきました。
月に2曲のオリジナルで20年間に作られた作品は全440曲,そのなかで,フランク永井こいさんのラブコール』,三浦洸一踊子』,中曽根美樹川は流れる』などのヒット曲も生まれました。

こんなユニークな作品もありました。
かぐや姫』三木鶏郎・作詞作曲 河井坊茶・歌(1955.9)

最初の男は 印度に渡る
仏陀の石鉢 天然記念物
ぴかぴか光らず 真黒なので
よくよく見たらば メイドインジャパン
泣く泣く かぐや姫
月の出を見て 泣きじゃくる

三木鶏郎(1914-1994)東京出身の作詞家・作曲家・放送作家・演出家,本名は繁田裕司,東大卒,陸軍で大尉まで昇進,作曲を諸井三郎に師事,
芸名は,好きなミッキーマウスとデビュー当初3人で活動していたことから「トリオ」をかけて命名,アナウンサーが「とりお」を「とりろー」と誤読したことから,トリローが定着する。
戦後,「冗談音楽」で人気を博す,初めてCMソングを作る,女性門下に楠トシエ中村メイコがいる。「三木トリロー」とも表記する。ジャズ評論家・司会者の三木鮎郎は実弟。
主な作品は,
僕は特急の機関士で
田舎のバス中村メイコ・
ミツワ石鹸「ワ,ワ,ワ 輪が三つ
松下電器(現パナソニック)「明るいナショナル
森下仁丹「ジンジン仁丹,ジンタカタッタタ~
三共「くしゃみ三回,ルル三錠
牛乳石鹸「牛乳石鹸,良い石鹸
京阪電鉄「天満橋から三条へ」『京阪特急楠トシエ・
など多数。

河井坊茶(1920-1971)東京出身の俳優・歌手,本名は秋元善雄,早稲田大学卒,中学で数学教師,戦後,三木らと「トリオ」を結成し芸能活動。

最近は少なくなりましたが,以前はアメリカのコメディー番組がよくTVで放映されていました。
笑いどころで,笑い声が入るのが特徴でした。

あるコメディーで,
男が「良いヴァイオリンを買ったんだ」と嬉しそうに言う,
裏を見て「メイドインジャパン!」と読んでガッカリする,
爆笑の音が入る。

単純なものでしたが,アメリカで「メイドインジャパン」が安物の常識であることに,こちらの方がもっとガッカリしました。

当時,学校で,戦後の日本経済は輸出に頼るしかなく,安く売って外貨を稼ぎたいが,品質の良いものを作れず,「安かろう,悪かろう」と言われていると,学んでいましたが,現実を知らされると情けないものがありました。

しかし,いつの頃からなんでしょうか,「メイドインジャパン」が高品質で高級品の代名詞になってきたのは。
一度張られた悪いレッテルを逆の良いイメージに変える過程は,簡単なことではなかったはずです。

私の個人的経験からは,
1989年にフランスへ行ったときには,すでに日本車の優秀さが定着しており,「日本車がほしいのだけど,高いから」というフランス人の生の声を聞きました。

フランスのスキー場で親しくなったイタリアの二人連れ(歯医者と建築士,ともにスキーインストラクタ)は三菱パジェロに乗ってやって来ました。

スキー場からの帰りのタクシーはベンツのワゴン車でしたが,後部にスキー板を載せて,助手席に乗って,話しながら帰りましたが,誇り高いフランス人運転手が「フランスの車は全然だめ,プジョーシトロエンも,ルノーはまし,日本車は良い,メルセデス(ベンツ)はなお良い」と自国の車を批判し,他国のものを評価しました。

1996年にカナダに行ったとき,空港まで迎えに来てくれたカナダ人の助教授は,見つけやすいようにと,トヨタのスープラに乗って来ました。

彼はまた,私の持ってきたノートPCのカラー液晶画面の解像度が高く鮮明なことに「さすがメイドインジャパン!」と感心しました。

職場のNRC(National Reseach Council of Canada)で一緒になった日本からの国費留学の助教授は,帰国時にホンダのアメリカ製を買って帰りました(いわゆる逆輸入車)。

カナダ人の英語教師は「ステレオタイプ」(stereotype,定型概念)を説明するために,たとえば「日本人は勤勉」と言いました。

こんなことでも日本人がほめられたようで,うれしいものです。

2005年に,とある開発途上国に行ったとき,外国人向けの ”高級” アパート(現地の1か月分の生活費の2倍以上の家賃)のオーナーは,電化製品が冷蔵庫も電子レンジも炊飯器も韓国製なのに,TVはパナソニックであることを胸を張って自慢しました。

日本から持ち込んだ20台の測定器の全てに,”高級” な東芝製の乾電池が使われていることに現地の大学教員は驚き,そのことに,こちらが驚きました。

一般的に,技術の進歩は経済の成長に応じて進みます。

1960年,池田勇人首相は「国民所得倍増計画」を打ち上げ,7年で達成します。

1968年,GNP(Gross Nationa Product,国民総生産)がアメリカに次いで世界第2位となります。

1986年,国民一人当たりGNPがアメリカを抜きます(~97年)。これはバブル経済(1986~91)の時期とちょうど重なります。

このころ,E. F. ヴォーゲルジャパン・アズ・ナンバーワン:アメリカへの教訓』弘中・本木: 訳(Japan as Number One:  Lessons for America,1979)では,戦後の日本経済の高度成長の要因を分析し,日本的経営を高く評価しています。

それまで,欧米に追い付け追い越せで来た日本は,目標が分らなくなり,当惑しました。
それどころか,現在のリストラと称する首切りによって,日本的経営を崩壊させました。

おなじころ,石原慎太郎・森田昭夫・共著『「NO」と言える日本』(1989)では,アメリカのビジネスの方法に批判的な目を向け,日本が多くのこと,ビジネスから国際問題にまでに関して他国に依存しない態度を取るべきだ,と主張しています。

現在でも,日本は他国(ドイツでも,まして韓国でも)の追随を許さない技術大国であることは間違いのない事実でして,「メイドインジャパン」に誇りと自信を持つことは大切ですが,それが過信に陥らないようにだけは注意すべきでしょう。

この時期はこの歌,
里の秋』斎藤信夫・作詞 海沼・作曲 川田正子・歌(1945)

静かな静かな 里の秋
お背戸に木の実の 落ちる夜は
ああ 母さんとただ二人
栗の実 煮てます いろりばた

明るい明るい 星の空
鳴き鳴き夜鴨(よがも)の 渡る夜は
ああ 父さんのあの笑顔
栗の実 食べては 思い出す

さよならさよなら 椰子(やし)の島
お舟にゆられて 帰られる
ああ 父さんよ御無事(ごぶじ)でと
今夜も 母さんと 祈ります

ここで,背戸とは,家の裏門・裏口のことです。

作詞は,最初『星月夜』という題で,1941年12月に作られています。齊藤信夫が太平洋戦争開戦の臨時ニュースをきき,そのときの高揚感で書いたといわれています。

終戦の年の12月,海沼實から突然の電報があり,斎藤が送っていた『星月夜』を示して海沼は,1番,2番はこれでいいが3番,4番を作り直してもらいたい,と告げたのです。3番,4番は戦意高揚の内容だったのです。
3番を改作し題も『里の秋』として,1945年12月24日,NHKのラジオ番組「外地引揚同胞激励の午后」の中で川田正子の新曲として全国に向けて放送されました。
放送直後から多くの反響があり,翌年に始まったラジオ番組「復員だより」の曲として使われました。

たんなる秋の歌ではなくて,戦争の影響を大きく受けた曲だったのですね。

この曲を悲しく歌わなくて済む平和の時代を継続していかねばなりません。

こどものうた

日本には昔から,わらべうた(童歌)というものがありました。
子供が遊びながら歌う,むかしから伝えられ歌い継がれてきた歌です。

わらべうたは絵描き歌・数え歌・遊び歌の3つに分類されます。

絵描き歌, たとえば「へのへのもへじ

日本人ならだれでも知っている絵ですが,むかしは,この落書きがよくありました。

数え歌, たとえば「京都の通り名数え歌」(北から南へ)

丸竹夷二押御池(まるたけえびすに おしおいけ)
姉三六角蛸錦(あねさんろっかく たこにしき)
四綾仏高松万五条(しあやぶったか まつまんごじょう)
雪駄ちゃらちゃら魚の棚(せったちゃらちゃらうおのたな)
六条三哲通りすぎ(ろくじょうさんてつ とおりすぎ)
七条越えれば八九条(ひっちょうこえれば はっくじょう)
十条東寺でとどめさす(じゅうじょうとうじでとどめさす)

京都の通りの名前を覚えるのに最適で,実用的で役に立ちました。

遊び歌, たとえば「かごめかごめ

かごめかごめ
籠の中の鳥は  いついつ出やる
夜明けの晩に  鶴と亀が滑った
後ろの正面だあれ?

子供のころ,この遊びをした覚えがあります。

童謡(どうよう)とは,広義には子供向けの歌を指しますが,狭義には大正時代後期以降,子供に歌われることを目的に作られた創作歌曲を指します。

また,唱歌(しょうか)は,正式には文部省唱歌といいますが,明治から昭和にかけて文部省が編纂した,尋常小学校,高等小学校,国民学校および学制改革後の小学校の唱歌,芸能科音楽の教科書に掲載された楽曲の総称です。

つまり,教科書に載っていたのが唱歌で,それ以外が童謡と思えば分りよいでしょう。もちろん,わらべうたは別です。

戦後10年を経て,新しい子供の歌を創るグループができました。
その一つが「ろばの会」で,「新しいこどものうた」第1集のあとがきに,グループ最年長者の磯部俶さんの言葉があります。

”ろばの会” は私たち五人のメンバーによる童謡作曲の研究グループです。よい詩によい曲を付すためには,どうしても外部から依頼される仕事のほかに,自主的にこどもの歌の創作に努めるべきだと思ったのです。幸い多くの詩人たちの協力があり,毎月たくさんの詩稿がこの会のために寄せられるので,その中から各人が選んで作曲をします。出来上がったものについてはお互いにきびしく批判し合い,更には詩人たちを招いて演奏し,意見をきくこともしてきました。こうして発足以来一年半の間にたまった作品の中から,作曲者の自薦によって一巻としたのがこの曲集です。
私たちはこの曲集を仕事の第一歩として,意義深いこどもの歌の創作に信念を持って努力をつづけたいと思っています。
ー 後略 -      1956年9月     磯部俶

その五人のメンバーとは,

磯部俶(1917-1998)
さくらのはなさん」(まど・みちお・詞),「びわ」(まど・みちお・詞)など。

宇賀神光利(うかじん,1923-1967)
たなばた」(清水たみ子・詞),「冬の夜」(勝見晃敏・詞)など。

大中恩(1924-)
サッちゃん」(阪田寛夫・詞),「いぬのおまわりさん」(さとう よしみ・詞)など。

中田一次(1921-2001)
おこりっこなしよ」(深尾須磨子・詞),「キリン」(清水たみ子・詞)など。

中田喜直(1923-2000)
もんく」(小林純一・詞),「おんぶとだっこ」(サトウ・ハチロー・詞)など。

中田喜直さんには,この曲集には入っていませんが,「めだかの学校」(茶木滋・詞,1951)など多数あります。

ろばの会編「新しいこどものうた」は,宇賀神さんが早逝されたことによって第5集(1967)で終了します。
ご健在なのは,大中恩さんだけになってしまいました。

紹介したい曲は数々ありますが,季節がら,この曲にしましょうか。


ちいさい秋みつけたサトウ・ハチロー・詞 中田喜直・曲(1955)

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
目隠し 鬼さん 手の鳴る方へ
澄ました お耳に かすかに沁みた
呼んでる口笛 百舌(もず)の声
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
お部屋は 北向き 曇りのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク
わずかな 隙から 秋の風
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが 見つけた
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた
昔の 昔の 風見の鳥の
ぼやけた 鶏冠(とさか)に はぜの葉一つ
はぜの葉 赤くて 入日(いりひ)色
小さい秋 小さい秋
小さい秋 見つけた

この曲も第1集に集録されています。

新しい「こどものうた」の活動のおかげで,たくさんの名曲が生まれました。
しかし,古い童謡・唱歌も日本人の心を慰めますから,歌い続けていきたいものです。
秋の夜長,聴くのもよし,歌うのも更によし,です。

カタカナ語が気になる

こんな川柳をご存知ですか?

ギヨエテとは おれのことかと ゲーテ云ひ

作者の斎藤緑雨(1868-1904)は明治時代の小説家・評論家。
ゲーテGoethe)の発音が日本人にとって難しく,「ギョエテ」「ゲョエテ」「ギョーツ」「グーテ」「ゲエテ」など数十種もの表記が存在したといいます。

とくに外国人の人名はむずかしいですね。
その祖国の発音に従う,というのが原則です。

ヘボン式のローマ字表記を考案したヘボンさんと女優のオードリー・ヘップバーンはおなじ名前 “Hepburn” です。
これは,いわゆる「車夫英語」と「書生英語」の違いと言っていいのでしょう。
前者は,耳から聞いたそのままを発音,後者はつづりを見て発音した違いのように思えます。

童話作家のアンデルセンAndersen)は,デンマーク語ではアナスンとなります。

FとVの発音にこだわる人がいます。
ドイツ語ではそれがVとWになります。
クラシック音楽の世界では保守的な人が多いのか,ワーグナーヴァーグナー(Wagner)とかたくなに表記する人がいます。

おなじ表記にすると,車のフォルクス・ワーゲンはフォルクス・ヴァーゲン(Volks Wagen)と言わねばなりません。

音楽の都ウィーンもおかしいですよね。
ドイツ風にちゃんというならヴィーン(Wien)だし,英語ではヴィエンナ(Vienna)となります。

楽聖ベートーヴェンBeethoven)は,ドイツ風に発音すると,ベートホーフェンになります。

さらに,語尾に着目すると,
コンピュータデータと書くのに,エネルギーには長母音が付きます。
もともとエネルギーEnergie)はドイツ語で,英語ではエナジーenergy)ですが,長母音にはどちらも違和感があります。

というのは,日本の技術語は日本工業規格JIS)に規定され,語尾の長母音はないのが原則です。
たとえば,モーター・カーモータ・カとなります。
カーcar)がでは,かえって分かりづらいような気もしますが,これが日本の技術規格です。

ですから,技術用語としてはエネルギが正しい表記ですが,いまやエネルギーは一般用語になってしまっていますから,立脚点がどこにあるかによって,記述が分れるといっていいでしょう。

ところで,いまや日本は外来語であふれています。
日本語で言った方が分りよいのに,なぜにカタカナ語を使いたがるのでしょうね。
カッコいいとでも思っているのでしょうか。

若いタレントがエム・シーMCmaster of ceremonies)などと言ったりすると,意味を分かって使っているのか,「司会者」と日本語で言う方が万人に分るのに,と思ったりします。

あきらかに間違った使い方もあります(いわゆる和製英語)。

文字盤(キーボード)を見ないで打つことをブラインド・タッチと言ったりしますが,正式には,”touch-typing” と言います。

遊園地の遊具施設で上下左右に走る滑走車をふつう,ジェット・コースターと言っていますが,あれは “roller coaster” です。

レベル・ダウン   → level decrease(名詞に副詞は付かない)
アイドル      → teenage star,pop star
オフィス・レディ  → female office worker
ガソリン・スタンドgas station(米),petrol station(英)
グレイド・アップ  → upgrade
チャッチ・ボール  → play catch(チャッチボールをする)
スキン・シップ   → (close) physical contact
フライング     → false start
シャープ・ペンシル (automatic) mechanical pencil
ホチキス      → stapler

数え上げたらきりがないので,このへんでやめますが,よく使っている英語は和製英語である可能性が高いので,英語として表現するときにはよく調べてからにしてください。

敬老の日の前日の土・日は大阪の岸和田だんじり祭りです。
この日ばかりは岸和田市民は全国から帰郷し,町は祭り一色となります。

村祭』尋常小学唱歌 作詞・作曲者不詳(1912)

村の鎮守の神様の
今日はめでたい御祭日
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
朝から聞こえる笛太鼓

年も豊年満作で
村は総出の大祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
夜までにぎわう宮の森

治まる御代に神様の
めぐみ仰ぐや村祭
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
ドンドンヒャララ ドンヒャララ
聞いても心が勇み立つ

歌詞にある通り,聴いても心が勇み立ちますね。

朝晩は秋らしく涼しくなってきました。
風邪などひかないように,そして蚊はまだ存在しますので,デング熱にかからぬよう,気を付けてお過ごしください。

秋のきざし

9月8日の夜は中秋の名月で,十五夜とも言います。

本来,十五夜は満月のことなので年に12回または13回めぐってきますが,とくに旧暦の8月は1年の中で最も空が澄みわたり月が明るく美しいとされていたため,平安時代から観月の宴が催され,江戸時代から収穫祭として広く親しまれるようになり,十五夜といえば旧暦の8月15日をさすようになりました。

9月8日は二十四節気の一つ,白露で,このころから秋気がようやく加わります。

秋来(き)ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる

藤原敏行『古今和歌集』

敏行さんは「風の音で秋の気配を感じて驚いた」と言っていますが,今年の夏は,雨が多すぎて 驚きました。

8月の降雨量はわが国で気象観測(1875)が始まって以来,各地で最高値を示しました。
大阪では8月の猛暑日(最高気温が35℃を超えた日)がゼロで,日照時間が不足して,おかげで涼しい夏となりました。
しかし,そのせいで野菜の生育に異常をきたし,高値がつづいています。
このぶんでは,コメの収穫も不作が予想されます。

8月20日,広島で同時多発的に大規模の土砂災害が発生し,73名もの人が亡くなりました。

1923年9月1日,関東地域にマグニチュード7.9の大地震が発生して(関東大震災),99,000名の人が亡くなりました。
ちょうどこの日は,立春から数えて210日目の二百十日でした。
以降,9月1日は「防災の日」になっています。

1995年1月17日午前5時46分,阪神・淡路大震災が発生し,6,434名の人が亡くなりました。
地元のオリックス・ブルーウェーブは「がんばろうKOBE」を合言葉に,この年パリーグを制覇しました。

広島カープも頑張っていることだし,早く立ち直っていただきたいと思います。

元来,日本は地震・台風・大雨のような自然災害の多い地域です。
被災しても,すぐに立ち直り,おかげで我慢強い民族性が醸成されたのかもしれません。

錦織圭選手(24,178cm)はニューヨークで行われている全米オープン・テニスで,
4回戦はラオニッチ(カナダ,196cm),
準々決勝はワウリンカ(スイス,183cm),
準決勝はジョコビッチ(セルビア,188cm)に全て粘り勝ち,
決勝はチリッチ(クロアチア,198cm)と対戦します。
大男たちを相手に非常に頑張っているじゃありませんか。

この時期は,夜ともなると,虫の鳴く声に一段と秋を感じるものです。

虫のこえ』尋常小学読本唱歌 作詞・作曲者不詳(1910)

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も鳴きだした
りんりん りんりん りーんりん
秋の夜長を鳴き通す
ああ おもしろい虫のこえ

きりきりきりきり きりぎりす
がちゃ がちゃ がちゃ がちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょん ちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を鳴き通す
ああおもしろい虫のこえ

ここで,「きりぎりす」はコオロギのことです。

聞きかじりですが,外国人には虫の声はあまり届かないそうです。
日本人のみが,繊細な虫の音に,秋を感じることができるのです。

季節・気候と衣・食・住と歌にかかわって発信します