おおさか弁

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)はこの10月からは大阪編で,『まんぷく』が始まります。

いわずとしれた日清食品の創業者・安藤百福(ももふく,1910-2007)がモデルです。「ラーメンは健康食」というが安藤の口癖で,「毎日ラーメンを食べているから健康長寿を保っている」と言い,96年の生涯でした。もとは台湾人(呉百福)ですが,1966年に日本国籍を取得しています。
1958年,池田市の自宅敷地内で,妻・仁子(まさこ)とともに,1年あまり失敗を繰返し苦労を重ねて,ついにインスタントラーメン(即席めん)「チキンラーメン」を開発しました。
今もその地に「発明記念館」が建っていて,来場者が自らチキンラーメンを製作して,それを食べることができるようになっています。

チキンラーメンの初体験については,明瞭な記憶があります。恐らく発売して直ぐのころだと思いますが,母が買って来たのを,今のように「丼に入れて湯を注いで3分間待つ」のではなくて,鍋で沸かした湯に乾燥した麺を投入し,ほぐしてもらったおかげで,麺が縮れなく上手に戻って,非常においしく感じ,追加をお願いした経験がありました。
しかし,いま食べてもそれほどおいしいとは思いません。なぜでしょうかね。

朝ドラですが,主人公は3女の今井福子安藤サクラ),長姉は内田有紀)ですが,内田はいま同時期に大河ドラマ『西郷どん』で大久保一蔵の愛人・芸妓「ゆう」役で出ています。大阪ことば(大阪弁)と京ことば(京都弁と言ってはなりません)を同時期に使い分けるのは,至難の業でしょうね。

愛人といえば,貧しさのため薩摩から売られてきた「ふき」(高梨臨)が「およし」と名のり,一橋(徳川)慶喜の側室になりました。
じつはこの「」は実在の人です。薩摩出身ではありませんが慶喜の妾でした。新門辰五郎(1800?-1875)の娘です。辰五郎は江戸の町火消し「を組」の頭で侠客でもあり,慶喜が上洛すると,彼から呼ばれ,子分を連れて二条城の警備にあたり,大政奉還後は,慶喜が謹慎する上野寛永寺の警護,慶喜が水戸・駿府と移り謹慎すると,それぞれ警護を務め,清水次郎長とも知縁があったと伝えられています。

ここで幕末・維新に有名な愛人系の女性を並べてみましょうか。

まず芸妓「幾松」(1843-86)が有名ですね。桂小五郎の恋人です。維新後に桂と結婚,木戸松子となりました。

つぎに「唐人お吉」(1841-90)。初代アメリカ総領事ハリスが体調を崩し,看護婦の派遣を要請したが,日本には看護婦はおらず,なぜか妾と混同して,芸者のお吉に白羽の矢があたり,3ヵ月後にハリスは回復してお吉は返されたが,外人に身を許した女ということで,世間の対応は冷たく,結局,耐え切れず自殺しました。

そして芸妓「うの」(1843-1909)。下関で芸者をしているとき,高杉晋作に出会い妾となり,高杉が長州から逃避行する際,ずっと同行し,高杉の死後は,高杉の名を汚すことのないように,半ば強制的に出家させられ,梅処尼と称し,生涯,高杉の菩提を弔いました。

話はかわりますが,いまテニスの大坂なおみの話題で沸騰しています。
全米オープンで優勝したあくる朝,大新聞の第1面に「100年の夢 大坂V」の大きな見出しがでました。
1916(大正5)年, 熊谷一弥・三神八四郎が全米オープンの前身である全米選手権に出場してから102年後の快挙です。

優勝後,各局からのインタビューに引きまわされ,同じような質問を繰り返され,それでもつたない日本語で本音で答えている姿がけなげでした。これを「大坂弁」と称します。
つまり,どこかの首相のように「謙虚丁寧な取組みを行って参りたい」などと,現実とはかい離した中身のない紋切り型の慇懃無礼な答弁で,論語にある「巧言令色少なし仁」の見本のような態度とは対極にある,正直な受け答えなので,なおみ大坂弁にみんながはまるのです。

サッカーの「大迫半端ない」という有名なシーンがありましたが,そのパロディがあるのを,ご存知ですか?
外国人の女性が泣きながら「大坂半端ない」と言うんです。もちろん日本語しかもベタベタの大阪弁の吹替えですが,場面は同じように進行し,最後に監督が笑いながら「大坂を応援しよう」で終わる,日清食品のCMです。大坂は錦織同様に日清食品の所属ですからね。

日本の秋は「十五夜」にお月見を楽しむことことでした。旧暦の秋(7・8・9月)の最中(もなか)に当るから中秋といいます。また月に芋を供えるので芋名月とも呼ばれます。旧暦8月15日が中秋の名月,今年は9月24日になります。
十五夜の後,だんだん月の出が遅くなるので,月の出を待って呼び名が変って行きます。

16日 十六夜(いざよい)ためらうように出てくる意
17日 立待月(たちまちづき)
18日 居待月(いまちづき)
19日 寝待月,臥待月(ふしまちづき)
20日 更待月(ふけまちづき)

今回の歌は「十五夜お月さん
野口雨情・作詞 本居長世・作曲 『金の船』(1920)

十五夜お月さん
ご機嫌さん
婆やは お暇 とりました

十五夜お月さん
妹は
田舎へ 貰られて ゆきました

十五夜お月さん
母 (かか) さんに
も一度 わたしは 逢いたいな

今年は猛暑の影響で,台風がひっきりなしに日本列島を直撃して,被害も相当です。
久しぶりに停電の経験をしました。現代社会では,電気がないと何もできないことに改めて気づきました。
天災は忘れた頃にやってくる」は寺田寅彦(1878-1935)の言葉と言われていますが,いまは「忘れぬうちにやってくる」状態です。
備えあれば憂いなし」ですので,「自分は大丈夫」的な根拠のない思い込みは止めて,出来る範囲の準備をしましょう。