詩人のまど・みちお(1909.11.16-2014.2.28)さんが亡くなりました。
享年104歳というのは天寿をまっとうされたと言えるのかもしれませんが,限りなく透明で優しい作品を作り続けてこられただけに,とても残念な気がします。
今回は数あるまどさんの作品から,作曲されているモノを中心に,いくつか紹介します。
まどさんのご本名は石田道雄とおっしゃり,山口県の徳山のご出身です。
お父さんの仕事の関係で,幼いころに台湾に渡り,そこで成長されています。
台北工業学校土木科に在学中,同人誌『あゆみ』を創刊し,そこに詩を発表されていました。
小説家・詩人の阪田寛夫(1925-2005)は
(大阪の人で『サッちゃん』の作詞でも有名),評伝小説『まどさん』新潮社(1985)〔ちくま文庫1993復刻〕で,まどさんの人間像と作品の原点を掘り下げています。
一部を紹介すると
横断歩道を渡りかけていた雑踏の中にまどさんのかがんだ背中をみつけて,うしろから「まどさん」と呼んだら,振返ったまどさんは,一寸恐縮した表情で眼を伏せて,わざわざあと戻りをした。
― 中略 ー
「おかわりありませんか」
そう言って七十何歳のまどさんの方から先に,先生に出逢った子供のように古いピケ帽をとって急いで頭を下げた。むかし初めて会った時と,態度も服装も変っていない。
― 中略 ー
まどさんの童謡だけを知っている人がこの場に立ち会ったとすれば,その言葉づかいが,ずいぶん年下の者に対しても,隅々まで丁寧であることになるほどとうなずくと共に,その声が意外に甲高いのに驚くかも知れない。
すごい観察力ですね。愛情に裏打ちされているからでしょう。
「ぞうさん」團伊久磨・作曲
ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ
ぞうさん
ぞうさん
だあれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ
「やぎさんゆうびん」團伊久磨・作曲
しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに
くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに
「びわ」磯部 俶・作曲
びわは やさしい
木の実だから
だっこ しあって
うれている
うすい 虹ある
ろばさんの
お耳 みたいな
葉のかげで
「さくらのはなさん」磯部 俶・作曲
さくらのはなさん
さいたけど
きだから
あるいて こられない
みんなで みんなで
みにいって あげよう
「ドロップスのうた」大中 恩・作曲
むかし なきむしかみさまが
あさやけみて ないて
ゆうやけみて ないて
まっかななみだが ぽろんぽろん
きいろいなみだが ぽろんぽろん
それがせかいじゅうに ちらばって
いまではドロップス
こどもがなめます ぺろんぺろん
おとながなめます ぺろんぺろん
「ネコ」 こんな楽しい詩もあります。
あくびを するとき
ネコのかおは花のようになります
だれも 見ていなくても
じぶんにも 見えなくても
でも るすばんの ざしきで
ネコが かおを
クレオメの 花にしたとき
それを 見ていました
たたみのイグサの 一ぽん一ぽんが
しょうじの さんの 一ぽん一ぽんが
てんじょうの木目の 一ぽん一ぽんが
かおを すりよせるようにして
猫もまどさんも,いっそう好きになったでしょう?
わが家にも7kgになろうかというゴンタなのがいますが,彼が大きなあくびをするとき,いつもこの詩を思い出します。
画家の安野光雅(1926.3.20-)が,サトウ・ハチローの『ちいさい秋みつけた』と対比して
「小さい秋」というような表現は作為的で自然には出てこない
そこが,まどさんと違うところである,というような発言をしていました。
これは,なにもサトウ・ハチローをおとしめて言っているのではなくて,作風や好みのことだと理解してください。
合掌