清潔であること

清潔とは,ひびきの良い言葉ですね。
汚れがなくきれいなこと,衛生的なこと,
また,人格や品行が清くいさぎよいこと,を指します。

関連して,
清廉潔白(心が清くて私欲がなく,後ろ暗いことのまったくないさま)や
品行方正(心や行いが正しく立派なさま)とかの熟語が思い出されます。

しかし,
潔癖は行き過ぎ,潔癖症となればもう立派(?)な病気です。

清潔感のある人,と言えば,衛生的にきれいな服装をしているだけではなく,精神的にすがすがしい人のことを言っているのです。

日本人は世界で最も清潔好きな民族と言われてています。
これは自慢してもよいことで,感染症を減らして,世界最高の長寿国に押し上げた要因の一つかもしれません。

その代表的なものが,シャワートイレ(洗浄便座)でしょうか。
インクで汚れた手を紙で拭いて「お尻だって洗ってほしい」という名キャッチコピーで一世を風靡(?)しました。
たしかに,大便をするのがとても快適になりました。

それどころか,私の通うスポーツジムでは,トイレの入口にオーバーシューズが置いてあり,靴(下足でも上履きでも)のままそれを履いて用を足すことになっています。
さらに大便器の横には,クリーナーが設置されていて,ペーパーに消毒液を吹きかけて便座を拭いてから用を足すことになっています。

ここまでくると,少々やりすぎの感があります。

世の中は抗菌グッズであふれています。
マスクどころか靴下やパンツまで抗菌です。

ある漫才師の一人が,入浴後,全身をマキロン(殺菌消毒液)で拭く,と聞いて,余りの無知さにビックリしました。
皮膚を正常な状態に保つには,皮膚ダニ・細菌・ウイルスなどの微生物と共存する必要があるのです。
あきらかに,清潔であることの意味を取り違えています。

毎日,石鹸やボディソープなどの洗剤で身体を洗うことさえ,体表面の細菌を殺してしまうので,肌を美しく保つには,やりすぎであると皮膚科の医師は言っています。

フランスに行っていたとき,
パン屋で,われわれ外国人がバゲット(長い棒状のフランスパン)を買うと紙袋に入れてくれますが,フランス人は素手で待ちかえります。

その裸のバゲットを床に転がしたまま本屋で本を立ち読みしていた人がいて驚きました。

場末のレストランで,
犬を連れて入ってきた父と子の二人づれ,犬をテーブルの下に横臥させた状態で食事を始め,幼い子がホークをチャリンと床に落としました。
ウエイトレスが急いで代りを持ってゆくと,父親が子供を指さし,拾って使っているので,もう必要ない,という合図をしました。

フランス人の清潔に対する意識はわれわれ日本人とかなり違いますね。

回虫博士として有名な東京医科歯科大学名誉教授・藤田紘一郎さんは,日本で,花粉症・アトピー・喘息などのアレルギー疾患が極端に多くなったのは,体内から寄生虫を排除したせいである,と長年の研究結果から断言されています。

これは,藤田博士の見解だけではなく,
環境が清潔すぎると,アレルギー疾患が増えるという衛生仮説は2004年にドイツを中心とする医科学チームの研究により裏付けられました。

日本人は清潔であり過ぎる結果,アレルギー疾患が多い民族の代表となってしまいました。

パンダコアラの赤ちゃんは,母親の雲古をなめて,を消化したり,ユーカリを無毒化するために,腸内に必要な細菌を取り込んでいます。

最近,こんなニュースがありました。
川で大量の魚が死んで浮き上がりました。
原因をさぐると,近くのプールで殺菌のために投与した塩素のため,オーバーフローした排水が川に流れ込んで,魚を死滅させました。
魚が死ぬような水で泳いで清潔と言えますか,安全と言えますか。
むしろ,雑菌のウヨウヨいるような水で泳いで,お腹をこわす方がよっぼど安全です。

2500年ほど前,孔子は,

過ぎたるは猶及ばざるが如し

と言いましたが,
現代では,

過ぎたるは及ばざるに如(し)かず

と言い替えた方が良いと思っています。
なにごとも過ぎるより,足らない目の方が良いことが多いからです。

過食より小食粗食の方が健康的なのは,周知のとおりですし,過保護で育つより,放任で育てる方がまともな子供になるようです。

今年は10月になってからも大きな台風が毎週のようにやってきて大変でした。
南の島から何かが流れてきても不思議はありません。

ところで,
民俗学者・柳田國男(1875-1962)が学生の1898年の夏,1カ月半ほど伊良湖岬(愛知県渥美半島)に滞在したとき,浜に流れ着いたヤシの実の話を友人の島崎藤村(1872-1943)に語り,藤村がその話を元に1901年,詩を創りました。

1936年7月,NHK大阪中央放送局(JOBK)で放送中だった『国民歌謡』の担当者がその詩をもって作曲家・大中寅二に作曲を依頼しました。
7月13日から東海林太郎の歌唱で1週間放送されました。

椰子の実』島崎藤村・作詞 大中寅二・作曲

名も知らぬ遠き島より
流れ寄る椰子の実一つ

故郷の岸を離れて
汝(なれ)はそも波に幾月

旧(もと)の樹は生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる

われもまた渚を枕
孤身(ひとりみ)の浮寝の旅ぞ

実をとりて胸にあつれば
新たなり流離の憂

海の日の沈むを見れば
激(たぎ)り落つ異郷の涙

思いやる八重の潮々
いずれの日にか国に帰らん

大中寅二(1896-1982)は日本の作曲家・オルガにスト,同志社大卒,作曲を山田耕筰に師事,ドイツ・ベルリンに留学,東京英和女子短大教授,大中恩(作曲家)の父。

日本の代表的な叙情歌です。
東海林太郎の歌ではないと思います。

まったくの蛇足ですが,
NHK大阪放送局JOBKはどこにあるんですか,と尋ねられたら,
ジャパン(J)大阪(O)ばんば町(B)かど(K)にあります,
と答えてください。

我々ももう少し原始社会に回帰して,雑菌たちともうまく共存して,生物としての自然な生活するようにした方が,真の健康的な生き方ができるのではないでしょうか。

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