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冬季オリンピックの思い出

いま韓国の平昌(ピョンチャン)で第23回の冬のオリンピックが2/9~25まで開催されています。

第1回大会は1924年にシャモニー(フランス)で行われました。

日本の初参加は第2回(1928)サンモリッツ(スイス)大会で,ノルディック6選手に監督1人,計7人でした。

第5回(1940)札幌,第6回(1944)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)は第二次世界大戦のために中止されました。

夏季大会でも,第12回(1940)東京,13回(1944)ロンドンが同様に中止になりました。

戦争がなければ,札幌,東京でもっと早くにオリンピックが開催できたのに,残念なことでした。
冬季大会は中止しても開催回数として数えていますが,夏季は飛ばしてカウントしています。

第16回1992年アルベールビル(フランス)までは夏季と同年開催
第17回1994年リレハンメル(ノルウェー)からは夏季の中間年に開催されています。

冬季オリンピックはやはり特別で,まだ南半球では開催されていません。

何といっても,強烈な印象を残したのが,初めての日本人メダルが銀で,しかも人気のアルペンスキーであったのです。

それは,第7回(1956)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)のアルペンの回転種目で,猪谷千春(1931-)が銀メダルを取りました。

千春さんは3歳から,父・六合雄(くにお,1890-1986)から英才教育を受け,といってもお父さん自身24歳でスキーに出会い,指導するための知識や技術がなかったのに,なにしろ結果を残しました。

この時代の人はすごくて,80歳でエベレストに登った三浦雄一郎(1932-)の父・敬三(1904-2006)は山岳写真家でしたが,100歳を過ぎてもスキーを滑りました。

猪谷が銀メダルをとったとき,アルペンスキー三冠(回転・大回転・滑降)を独占したのが,トニー・ザイラー(オーストリア,1935-2009)でした。

さわやかなイケメン(美男子)で映画に出演し,その影響でアマチュア資格に抵触するとされ,次のスコ―バレー五輪(1960)には出場できなくなり,本格的に俳優に転身しました。

白銀は招くよ』(59)で主題歌も歌って大ヒットしました。
銀嶺の王者』(60)では鰐淵晴子(わにぶち,1945-)と共演しました。
白銀に踊る』(61)でイナ・バウアー(独)と共演しました。トリノ(2006)の荒川静香の演技で有名になりましたが,美人選手でしたが,それほどの結果は残していません。

じつは,私は1961年からスキーを始めましたが,当時のゲレンデでは,『黒い稲妻』(58)というザイラー映画の影響か,全身が黒ずくめのウエアの人ばかりでした。

つぎの印象は,第11回(1972)札幌で70m級ジャンプで笠谷幸生(金),金野昭次(銀),青地清二(銅)はメダルを独占し,「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

第16回(1992)アルベールビル(フランス)で,ノルディック複合団体(荻原健司・河野孝典・三ヶ田礼二)で金メダルを取りました。

この大会,複合の個人で,世界選手権では優勝を重ね,金メダルを期待された荻原でしたが,ジャンプでの風の影響で,メダルは取れませんでした。
この当時,日本はジャンプで先行し,距離で逃げきるパターンでしたが,日本人のジャンプが他国を圧倒していたため,以後ジャンプの点数が低く押さえられるルール改正につながりました。

複合では,前半のジャンプで瞬発力,後半の距離で持久力を必要とされ,総合的な運動能力が必要な競技なので,この種目の勝者には,ヨーロッパでは King of Ski の称号が与えられるそうです。

この大会,フィギュアスケート女子で伊藤みどり(69-)が,はじめてトリプル・アクセル(3回転半)を飛んで,銀メダルを取りました。
彼女のジャンプは高くて,4回転でも飛べそうでした。

第17回(1994)リレハンメル(ノルウェー)ではノルディック複合の団体(荻原健司・河野孝典・安倍雅司)で連覇しました。
ここでも,荻原は個人でメダルを逃しました。

第18回(1998)長野では,金メダルをとったのは5種目:
スキージャンプ個人ラージヒル 船木和喜
スキージャンプ団体 安倍孝信,斎藤浩哉,原田雅彦,船木和喜
スピードスケート男子500m 清水宏保
ショートトラック男子500m 西谷岳文
フリースタイルスキー女子モーグル 里谷多英

地元開催ということで,日本人も頑張ったんですね。

ちなみに,長野はオリンピック開催地としては最も南に位置する都市(北緯36°39.6′)ですが,大陸からの季節風と日本海と列島中央の高い山脈の影響で,豪雪地帯となっています。
南にあっても,雪を楽しめる(雪に苦しめられる?)土地柄なんです。

今回はやはり懐かしいこの歌『白銀は招くよ』にしましょう。映画の原題は ”12 Mädchen und 1 Mann “(12人の娘と1人の男),歌の原題は ”Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt”  (僕は世界一の幸せ者)です。

トニーザイラーの歌です。

日本語の歌詞は2種類あって

処女雪光る光る 冬山呼ぶよ呼ぶよ

子供向けの

雪の山はともだち 招くよ若い夢を

前者は,最近あまり聴かれなくなりました。NHKの子供番組の影響でしょうか。

この歌を聴いていると,猛烈にスキーに行きたくなってきます。昔は長いスキーをはいていましたが,今はカービング・スキーといって,短くて幅広のスキー板が一般的になりました。
道具一式を揃え替えるとなると,これまた大層ですね。

この季節,二十四節気では,
2月19日は雨水(うすい),冬の氷水が陽気にとけ雨水となって降る,の意。
3月6日は啓蟄(けいちつ),地中で冬眠した虫類が,陽気で地上に這いだす頃,で
いずれにしても,今年は久しぶりに寒い冬でしたが,もう春はそこまで来ています。
気候の変動が大きいこの季節,寒暖の変化に気をつけて,健やかにお過ごしください。

初恋

初恋とは,その人にとって最初の恋,のことです。ですから,年齢は関係ないことになっています。

初恋は,「かなわぬ恋」であったり,「しのぶ恋」であったり,「片思いの恋」であったりして,本物の恋に進展しないことも多いのです。

実際,最近のある調査によると,初恋の相手は「同級生(64.0%)」が断トツで,初恋の相手に思いを告げたかを問う質問では,「告げた」と回答した人は23.6%にとどまり,なんと8割近くの男女がその思いを内に秘めていたままであることがわかりました。

それゆえに昔から,詩や小説,そして映画の題材として格好のテーマで,たくさん作られています。

詩で有名なのは,島崎藤村の詩集『若菜集』(1897)に収められている「初恋」でしょうか。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

小説では,ロシアのイワン・ツルゲーネフの「初恋」(1860)が有名です。

この作品では,40歳代となった主人公ウラジーミルが,自分の16歳の頃の初恋について回想し,友人たちに向けてノートに記した手記という形式となっていて,半自伝的小説とされています。
まだ若い主人公がコケティッシュ(coquetish,なまめかしい)なヒロインのジナイーダに弄ばれるなどの非道徳的な内容を詩的な美しい文章で描いています。
ヒロインは周りに群がる崇拝者達には目もくれず,なんと密かに主人公の父に恋をしていて,その父も冷酷な浮気者で,ヒロインを鞭で打つのでした。

この作品は,洋画や邦画で何度も取り上げられましたから,目にされた方も多いのではないでしょうか。

日本の代表的な青春小説,伊藤佐千夫野菊の墓』,三島由紀夫潮騒』,川端康成伊豆の踊子』など,初恋という名はついていませんが,みんな初恋の物語です。

ここで,日本語の「初恋」と,英語の「first love」はかなり感覚が違うことに気がつきます。やはり,西洋ものは激しいですね。日本のは,淡い,夢みるような初恋です。

日本の比較的新しい歌で有名なのは,村下孝蔵の『初恋』(83)でしょうか。

五月雨は緑色 悲しくさせたよ 一人の午後は
恋をして淋しくて 届かぬ想いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない

夕映えはあんず色 帰り道一人 口笛吹いて
名前さえ呼べなくて とらわれた心 見つめていたよ
好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
風に舞った花びらが 水面を乱すように
愛という字 書いてみては ふるえてたあの頃 
浅い夢だから胸をはなれない

放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない
胸をはなれない 今もはなれない
胸をはなれない

村下孝蔵(53-99)は熊本県水俣市出身のシンガーソングライター,若干46歳で没。

あるテレビ番組で,この歌詞にある初恋相手を登場させ,その前で村下に歌わせるという,いかにもテレビらしいが,残ない企画をやらかしました。

別の番組でも,ペギー葉山の『学生時代』(64)の3番の歌詞にある「美しい横顔」の同級生を登場させ,同じような思いをさせました。

こういう,味気ない,趣のない,視聴者の夢をこわすような,つまらん企画はなんとしても,やめてもらいたいものです。

クラシックの名曲にも『初恋石川啄木・詩 越谷達之助・曲(38)があります。

砂山の砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日

初恋のいたみを 遠く遠く ああおもひ出づる日

砂山の砂に 砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日

テノール歌手の奥田良三(03-93)が80歳を過ぎて,この歌を切々と歌っているのを聞いたことがありますが,なかなか趣のあるシーンでした。

みなさんも秋の夜長,初恋に身を焦がした日々を,あるいは初恋に憧れた頃を,しみじみと思い出してみてはいかがですか。

ただし,これからは冬に向かってますます厳しい時期が続きますので,季節に合った着衣を心がけて,健やかにお過ごしください。

芝居の思い出

最近,また大衆演劇がけっこう流行ってきているようです。いっとき「下町の玉三郎」とか,モデルと結婚した「流し目王子」とかいう人気者がでてきて,盛り上げていました。

子供のころ,そんな大衆演劇をしばしば見に行っていました。
というのも,恐らく映画が全盛のころだったと思いますが,学校から見に行く,文部省推薦の映画は,おしなべて暗く,面白くありませんでした。

もう一つの理由は,ちかくに呉服座(くれはざ)という芝居小屋があったからでしょう。
これは歴史的建造物で,1874(明治7年)に戎座として建設され,1892(明治25年)に猪名川の河川敷に移設され,名前も呉服座と改められました。1971(昭和46年)には愛知県犬山市の明治村に移築されました。重要文化財に指定されています。

小屋には木戸番がいて,履物を預かってもらって,木札をもらい裸足で上がりました。
ただ昔の記憶と違っているのは,色目です。たしか緑色だったと鮮明に記憶しているのですが,現在の写真を見ると,べんがら色なんです。記憶が間違っているのか,塗り替えたのか,真実を知りたいものです。

旅回りの一座が定期的に巡回してくるので,当然,人気のある劇団や人気者がでてきます。「市川おもちゃ」という座長のいる劇団が人気があった,と記憶しています。ここでも,歌舞伎の名門「市川」,「片岡」や「中村」が,どういう経緯か,使われておりました。

大衆演劇の構成は,現代劇(人情劇)と時代劇(剣劇),中間に歌謡ショーが挟まっている三部構成が主流でした。

演目は,歌舞伎や新派・新劇の当り狂言をアレンジしたようなもので,新国劇の剣劇も,よくやられていました。

役者が真剣に演じるのをまじかに観るのは,芝居の上手い下手にかかわらず,感動を呼びます。
チャンバラで,切られた人たちがその場では倒れず,うめきながら舞台から袖にはけるのを,「人手が限られるからな」と納得して観ておりました。

そんな大衆演劇で,よく聞いた唄です。
名月赤城山矢島寵児・作詞 菊池博・作曲 東海林太郎・唄(1937)

この唄に唄われているのは,もちろん国定忠治(1810-51)のことで,本名は長岡ですが,国定は生地の上野国(上州,現・群馬県)国定村に由来します。天保の大飢饉(1833-36)に農民を救済した侠客として知られています。
講談などでは,悪代官を殺め,赤城の山にこもりますが,追手が迫るので,子分たちとも別れて,信州に逃れるが,逃亡生活でさまざまに苦労し,最後にとらわれる,という筋です。

講談,新国劇で有名になった台詞に

赤城の山も今宵限り,生まれ故郷の国定村や,縄張りを捨て国を捨て,可愛い乾分(こぶん )の手前(てめえ) たちとも,別れ別れになる首途(かどで)だ。

歌詞の中にも,「男心に男が惚れて」とか「意地の筋金,度胸の良さも」というのがありますが,人生でそんな人に出会いましたか?
そんな人に限って早死にするんですね。適切な活躍の場を与えられていたら,その男気でもって,もっと社会貢献もできただろうに,と惜しまれる存在が居ました。

もう少し長ずるにしたがって,町に唯一の小さな映画館で映画も観ました。
喜びも悲しみも幾年月」(1957,松竹)木下恵介・監督 高峰秀子・佐田啓二・出演,灯台守夫婦の物語です。挿入歌が有名になりました。

裸の大将」(1958,東宝)堀川弘通・監督 小林桂樹・主演,画家・山下清の放浪記です。
後にTVで,芦屋雁之助・主演で放映されました(1980-1997)。

さらに邦画ばかりでなく,洋画も隣の駅まで行って,3館あるうちの1館で観るようになりました。

ボーイハント(Where the Boys Are)」(1960,米)
吹雪ふきまく中西部の名門女子大学の4人組が,春休みに暖かいフロリダに旅行を計画,あわよくば素敵なBF(boyfriend)を得んと車で出かけるという話です。お金がないので,レストランでお湯だけ注文し,スキムミルクを溶かしてビスケットで済ます,というようなエピソードも入っていて,他愛のない青春コメディです。しかし,後半,仲間の一人がレイプされるという深刻な事態も起こります。主題歌を歌うコニー・フランシスも仲間の一人として出演していました。彼女は日本語でも歌っています。

日本語の題名「ボーイハント」には,違和感がありました。もちろん,これは和製英語で,男子を狩りする,という積極的な感じがするのですが,映画の内容は,素敵な彼氏に巡り合えたら,みたいな柔らかい期待感に満ちているので,適切な言葉とは思えません。

今年の夏はとりわけ厳しい酷暑でした。猛暑日熱帯夜がつづき,日ごろ余りエアコンを使わないようにしている私も,危険を察知して,エアコン三昧の日々でした。おかげで,余計に暑さに弱くなる,という実感でした。
しかし,もう季節は秋に向かっています。朝晩は涼しく,虫の音も聞こえています。
季節の変り目には,とくに注意が必要です。気温に合わせた着衣を心がけて,健やかにお過ごしください。

名前の由来

ふたたび,NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「とと姉ちゃん」で,名前の由来を百人一首から付けられたという話がありました。

長女の常子は,

世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
鎌倉右大臣(源実朝)

〈世は無常,常に変わるというけれど ああ どうか いつも変わらずにあってほしい。渚こぐ海人の小舟が 今日は曳綱で曳かれてゆく 天空と海のあわいに ぽつんと小さな人間の生の営み しぶきに濡れ 張ってはたゆむ曳綱のさま 海人のかけ声 この世は美しい 愛すべきものでみちみちている〉(田辺聖子・訳,以降も同)

母親(かか)の君子は,

君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ
光孝天皇

〈あなたにと思って まだ寒い早春の野に 私は出て やっと生いそめた 緑の若菜を摘みました。その私の袖に 雪がちらちら〉

この歌だと思っていたのですが,じつは次の歌からだったのでした。

君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな
藤原義孝

〈君への思いが実を結んで もし愛し愛される仲になるならば この命を捨ててもいい 死んでも惜しくはない そう思っていたんだ。しかし本当にそうなったら 気持ちは変わった。ぼくは生きたい 長く長く生きて いつまでも君と愛し合いたい そう思うようになったんだ〉

純情な恋の歌です。21歳で夭折(ようせつ)した美青年貴族の歌です。

この由来を聞いて,君子は母(祖母)滝子の自分への深い思いを知ることになるのでした。

百人一首からの命名は,タカラジェンヌ(宝塚歌劇団の女優)には昔からよくありました。たとえば,

天津乙女(1901-80)
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
僧正遍昭(へんじょう)

瀧川末子(初代:1901-没年不明,2代目:生年不明-1993,3代目:1974- )親・子・孫三代
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
崇徳院(すとくいん)

奈良美也子(1907-2000)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
伊勢大輔(いせのたいふ)

有馬稲子(1932- )
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
大弐三位(だいにのさんみ)

崇徳院の歌「せをはやみ~」は有名な落語『崇徳院』にもなっていて,若旦那が一目ぼれした女性(この歌の上の句を書き残す)を熊さんがこの歌を叫びながら必死に探し回るというお話でした。

落語といえば,『千早ふる』というのもあって,
ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

これはこの歌の意味を聞かれ,相撲取りの竜田川が遊女の千早に振られ,豆腐屋になった竜田川が,落ちぶれた千早に仕返しをする,という知ったかぶりの隠居のホラ話です。

今回は宝塚歌劇が登場したので,この曲にしましょう。
「すみれの花咲く頃」作詞:F.Rotter(訳詩:白井鐵造)
作曲:F.Dölle(1930)

阪急電車・宝塚線の宝塚駅から梅田行の電車が発車するときにこのメロディーが流れます。同じ宝塚駅から西宮に向かう電車(今津線)は「鉄腕アトム」の主題歌が流れます。

ここまでは優雅な和歌のはなしで,これからは深刻な話です。

中国の高官の間で「三代目のブタ」と蔑称で呼ばれているのは,言わずと知れた,北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第一書記のことです。中国では,検索禁止ワードになっているそうですが,人の口に戸は立てられません。

お隣の国どころか,ごく身近で「三代目のムチ」と呼ばれている宰相をご存知ですか?「ムチ」は「無知」と「無恥」の両方をかけています。

安倍晋三首相の直系の祖父は父・安倍晋太郎の親である安倍寛(1894-1946)ですが,彼は太平洋戦争中の1942年(昭和17年)の翼賛選挙に,東条英機らの軍閥主義を鋭く批判,無所属・非推薦で出馬するという不利な立場でしたが,最下位ながらも当選を果たしました。議員在職中は東條内閣の退陣要求,戦争反対,戦争終結などを,それこそ命がけで主張しました。
大政党の金権腐敗を糾弾するなど,清廉潔白な人格者として知られ,地元の山口では「大津聖人」,「今松陰(昭和の吉田松陰)」などと呼ばれ人気が高かったといいます。

安倍晋三は,なぜそんな高潔な祖父・安倍寛ではなくて,正反対な外祖父(母方の祖父)のA級戦犯であり,昭和の妖怪とまで称された岸信介(1896-1987)を敬慕するのか,まったく不思議な話です。

そのことは,『週刊ポスト』(小学館)5/22号(野上忠興の記事)に詳しいです。

優秀な父・晋太郎への学歴コンプレックスによる反発から,反骨の政治家だった祖父・寛の存在を拒否し,自分の意識から消し去ってしまったというわけです。晋三は決してコンプレックスを乗り越えたわけではなく,外祖父・岸信介というもっと大きな権威にすがることで,自分のプライドを癒し,肥大化させてきたのです。

そして今,その権威と自己同一化をはかり,「おじいちゃんの悲願達成」という個人的な思い入れのために,集団的自衛権を容認し,安保法制関連法案を閣議決定し,そして憲法改正へと突き進んでいるのです。

もし,反骨の祖父・寛が長命で,岸以上に晋三に影響を与えていたら,まったく違った結果になっていたかもしれない,とあり得ないことを思うのです。

そういえば,源実朝も鎌倉幕府の三代目将軍ですが,実権は母方の北条一族に握られていて,実朝の心は好きな文学の道へ向かうしかなかったのかもしれません。

以前にも紹介した古川柳,

売り家と唐様で書く三代目

現代では世襲は排除されるべきです。特に政治の世界では。

そろそろ梅雨の季節が始まります。
天気予報には注意して,前の予想は変わりますから,できるだけ直前の予報に気を付けて,気候変動に合うように自ら衣服を調整して,健やかにお過ごしください。

使い回し

使い回し」とは

1.工夫してさまざまにつかうこと
2.さんざんに使うこと,酷使すること
3.同じものをくりかえし使うこと

などの意味に使いますが,一般にはあまり良い意味で使わないようです。

しかし,エコロジー(ecology,生態学,環境保護)の観点からは,まだ使えるものを使い回すことは決して間違ってはいません。

でも,最近のNHK連続テレビ小説(通称「朝ドラ」)はちょっと使い回しがひどい状態ですね。

現在放送中の2016前期「とと姉ちゃん」のヒロイン(heroine,女主人公)高畑充希(みつき,1991-)は,2013後期の「ごちそうさん」でヒロイン・の義妹役でした。

ちなみに,現代の欧米では,性差別(gender discrimination)の観点から,女性だけを表す言葉であるヒロインは使わず,男女の区別なくヒーロー(hero)を使うことになっています。

2016後期は「べっぴんさん」に決まりましたが,主人公に抜擢されたのは,民放で「表参道高校合唱部」(2015.7-9)で主演した芳根京子(1997-)です。

2015前期の「まれ」は,2014前期の「花子とアン」で主人公・吉高由里子の妹役・土屋太鳳(たお,1995-)でした。

まあ,適役であればなんでも良いんでしょうが,余りにも短期間に,いまや自社NHKに限らず他局にまで手を伸ばし,評判になった若手女優の使い回しが目立ちます。
このぶんで行くと,好評で終わった前作「あさがきた」で好演した,主人公・波留の娘・千代役の小芝風花(1997-)か,亀助の幼妻になった元女中ふゆ役の清原果耶(2002-)あたりが,次々作あたりで再登場する可能性が高いのではないでしょうか。

さて,現在の放送に戻って,ヒロイン・小橋常子のモデルは,大橋鎭子(しずこ,1920-2013)さんです。
東京の深川で大橋武雄・久子の長女として生まれ,次女・晴子,三女・芳子の三姉妹,父親を早くに亡くし,小学5年生で喪主を努めました。

1948年,雑誌『暮しの手帖』は,花森安治を編集長に,鎭子(社長)さんが創刊しました。広告を一切排除し,衣食住をテーマにした紙面づくりで,独自の商品テストでは,当時めずらしく,実名をあげて結果を公表し,評判をとりました。

花森安治(1911-78)は,神戸市須磨区に生まれ,6人兄弟の長男,旧制松江高校,東大文学部美学美術史学科卒,太平洋戦争に召集され疾病により除隊,その後敗戦まで,大政翼賛会の外郭団体で国策広告に携わり,このことが生涯の反骨精神のもとになっていました。おかっば頭の奇抜な格好も印象的でした。
暮しの手帳』の創刊号から52号(死の直前)まで,表紙画はすべて花森の手によるものです。
朝ドラでは花山伊佐次として唐沢寿明が演じることになっています。

暮しの手帖』の記事の中で今でも鮮明に思い出すのは,まだ日本が貧しく,食料がそれほど潤沢ではなかったころ,「ダイエット(diet)」という言葉があって,アメリカでは重要な社会問題になっているという記事を目にした時でした。アメリカは豊かな国の代名詞で,それが行き過ぎて,国民が過食による肥満で悩んでいるという,なんとも退廃的な記事でした。
メイド・イン・ジャパン」が安物・粗悪品の代名詞だったころの話です。

いまや日本もりっぱ(?)にアメリカの後に続き,ダイエットに狂じる時代となってしまいました。
そして,メイド・イン・ジャパンは  Made in China に後釜を譲り渡しました。

当時の歌にこんなのがありました。

最初(はじめ)の男は 印度に渡る
仏陀の石鉢 天然記念物
ぴかぴか光らず 真黒なので
よくよく見たらば メイド・イン・ジャパン
泣く 泣く かぐや姫
月の出を見て 泣きじゃくる

 

かぐや姫』作詞・作曲:三木鶏郎,歌:河井坊茶(1955.9)「ABCホームソング」の初期の1曲です。
冗談音楽の祖・三木トリローの歌詞も旋律も独特で,河井坊茶の歌も絶妙で,今聴いても新鮮で,決して色褪せていません。

ところで,毎日新聞の夕刊の「憂楽帳」というコラムに,こういう記事(2016.4.26)があったので,再録します。

1936年春の横浜。1人の女が北米航路の船から下り立った。18年ぶりの帰国だ。話を聞こうという記者に,女は逆に尋ねた。1ヵ月余り前の「2・26事件の当時,東京市民はどうしていたか」。
「一旦は驚かされたようだが,平生の通りどこの娯楽場もにぎやか」だったと話す記者に,女は市民の「無関心」の理由を問う。「考えたってしかたがないというあきらめから来ている」という説明に,女は「考えたって仕方がないという時代は暗黒を思わせる」と記す。

大正期の人気作家,田村俊子が帰国後に雑誌へ寄せた随筆の一場面だ。近代最大のクーデター未遂事件への無関心の陰に「暗黒」を見通した俊子は,9年後の敗戦まで予感していたのだろうか。
(後略)

 極めて興味深い記事です。同じような過ちを繰り返さないために,歴史を知ることは大切です。

国境なき記者団」(本部・パリ)による世界の報道の自由度ランキングが発表され,今年2016年,日本はなんと72位でした。
2010,民主党政権下では11位でした。
2015,自民党政権下では61位に落ちました。

この大暴落を黙って見ていてはいけません。それだけ自由度が奪われている,知る権利が侵されている,ということなのです。

4.19,国連人権理事会が任命した特別報告者(表現の自由担当)デビット・ケイ米カリフォルニア大学アーバン校教授が訪日を終え,

「日本の報道機関の独立性が深刻な脅威にされされいる」として放送法特定秘密保護法の改正を求めました。

放送事業者に「政治的公平性」を求めた放送法第4条の規定に,高市早苗総務相が,放送局の電波停止に,繰り返し言及した問題について,「大いに懸念を抱いている,4条を廃止すべきだ」と述べました。
ケイ教授はなんども高市総務相に面会を求めたのに,彼女は拒否し,結局,一度も会いませんでした。

最近,「平和憲法であるワイマール憲法下でなぜナチス独裁が実現したか」という過去に何度も議論された問題をテレビでも放映していました。

それは,第1次大戦後に敗戦国ドイツが賠償問題で大いに苦しんでいた時期に,選挙で国民の不満を吸い上げたナチス党が第1党になり,憲法下で認めていた,危機に際して「緊急命令発布権」を悪用して,絶対権力を掌握したのでした。

安倍政権は憲法改正の争点に,「緊急事態条項」を新設することをもくろんでいます。
これは戦争や内乱,大規模災害などが起こったとき,国家が非常措置を取る権限を定めたものです。国を維持するため,憲法が保障する人権や三権分立を一時的に停止し,「国家緊急権」を条文化するものです。

さきほどのワイマール憲法の「緊急命令発布権」と同様の危険性を感じませんか?

独裁」につながる可能性のある項目を安易に認めては,今後,どのような災難が国民に降りかかってくるか,よくよく考えなければなりません。
取り越し苦労,と安易に構えていては,取り返しのつかないことになりかねません。

80年前,田村俊子さんが危惧したような状況に,再びおちいらないよう,われわれもしっかりと政治の行先を監視して行かなければいけません。

この季節,フランスのことわざに

4月には糸一本も脱いではいけない。
5月になったら好きなように。

というのがあります。確かにヨーヨッパの春は遅いのです。
日本の4月は春本番です。
しかし,天気の良い日と雨の日,あるいは風の強い日では,気温も湿度も体感も違ってきますから,気温変動には十分に気を付けて,それに合った服装で,元気にお過ごしください。

身過ぎ世過ぎ

作家の曽野綾子(1931-)氏が,
産経新聞(1月24日付)のコラム記事で,90代の病人がドクターヘリに救助を要請した話を持ち出し,「利己的とも思える行為」と批判し,「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ,という教育を,日本では改めてすべき」と主張しました。さらに,ドクターヘリなどの高度な医療サービスについても「法的に利用者の年齢制限を設けたらいい」と踏み込んで発言しました。

この人,これまでも,「アパルトヘイト容認」などの顰蹙(ひんしゅく)を買うような自説を展開し,たびたび批判の的となって来ました。

本人も84歳という年齢なので,自分の生き方として,そのように覚悟しているというのなら,なんの問題もありませんが,他人にまで押し付けるのは,まったくの不遜極まりない行為で,役に立たなくなった者に費用を使うな,という「姥捨て山」に近い発想で,とても嫌な感じがしました。

また,川崎市の有料老人ホームで,1人の容疑者によって3人の入居者が転落死させられていた事件がありました。この施設,この殺人事件以外にも虐待や窃盗が常習化していたという,なんとも恐ろしい所なのです。

一般論として,介護施設における介護士の仕事が,業務の大変さに比べて,報酬が低すぎる問題がありました。
日本のように高齢社会まっただ中の世で,高齢者の面倒を見るという大切な仕事に,人が集まらないという現象が常態化しているのは残念なことです。

老人を配偶者の老人が介護する,いわゆる「老老介護」や,高齢者を高齢の子供が介護する場合,面倒を見切れずに行き詰って被介護者を殺して介護者も自殺を図る,というような何ともやり切れない事件が後を絶ちません。

これは明らかに政治の貧困で, 早急に,何とかしなければいけない問題です。

世の中,誠にせち辛く,生きにくくなってきました。

身過ぎ」とは,生活をして行くこと,なりわい,生計。
世過ぎ」とは,世渡りをして行くこと,くちすぎ,生活。

身過ぎ世過ぎの是非もなく」,わずかばかりの生活費のために働かなくてはならない人たちもたくさんいるのです。

是非に及ばず」とは,本能寺で明智光秀勢に囲まれて,織田信長が最後に言ったとされている言葉です。
死が迫っていて,良いとか悪いとか言ってる場合じゃない,ですものね。

堀口大學処女詩集月光とピエロ』(1919)でフランスの詩人・アポリネールの死を悼み,その一節を清水脩は『秋のピエロ』として作曲,第1回全日本合唱コンクール(1948)の課題曲となりました。翌年,男声合唱組曲月光とピエロ』として発表され,男声合唱曲の原点となっています。

秋のピエロ』堀口大学・作詞 清水脩・作曲(1948)

泣き笑いして 我がピエロ
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり
O(オー)の形の口をして
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり

月のようなる おしろいの
顔が涙を ながすなり
身過ぎ世過ぎの ぜひもなく
おどけたれども 我がピエロ

秋はしみじみ 身にしみて
真実 涙を 流すなり

 堀口大学(1892-1981)東京市本郷区に生まれ,新潟県長岡町で育つ,慶應義塾大学中退,詩人・歌人・フランス文学者。代表作は,『月光とピエロ』,『パンの笛』(歌集),『月下の一群』(訳詩集)など。

清水脩(1911-1986)大阪市天王寺区出身,大阪外国語学校(大阪外国語大学の前身,現大阪大学外国語学部)フランス語科卒,東京音楽学校(現東京藝術大学)選科に入学,橋本國彦に作曲を学ぶ,日本の作曲家,日本合唱連盟の設立,元カワイ楽譜社長。代表作は,オペラ『修善寺物語』,男声合唱組曲『月光とピエロ』など多数。

もちろん,イタリア・オペラにも似た題材があります。
それは,レオンカヴァッロ道化師』(原題:I Pagliacci,イ・パリアッチ)(1892)です。
判事だった父が裁判を担当した実在の事件をヒントに作曲したといわれています。

あらすじは,祭日に待ち焦がれた旅回りの一座がやってきます。
座長のトニオの若い妻ネッダは,村の青年シルヴィオと相思相愛の仲になっており,それを知ったトニオは道化師役の舞台で,芝居と現実との見境が分らなくなって,ネッダを刺殺し,情夫シルヴィオも殺し,「芝居は終った」とつぶやいて、幕となります。

最後にトニオが『衣装をつけろ』を切々と歌います。

芝居をするか!逆上しているこの最中に
俺は何を言っているのか
何をしているのか自分でもわからない!
それでもやらにゃあいかんのか 我慢してやるんだ!
ああ、それでもお前は人間か?
お前は道化師なんだ!

衣装をつけろ
白粉をぬれ。
お客様はここに金を払って笑いに来るんだ。
もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても
笑うんだ道化師よ それでお客様は拍手喝采さ!
苦悩と涙をおどけに変えて
苦しみと嗚咽を作り笑いに変えてしまうんだ。

ああ! 笑うんだ道化師よ
お前の愛の終焉に!
笑え お前の心に毒を注ぎ込むその苦悩を!

 どちらも,胸のなかを秋風が吹き抜けるような,切ない内容で,この初春の季節にはふさわしくなかったかもしれませんが,現在の世の中を冷静に眺めていると,悲観的にならざるを得ません。

せめていろいろな問題点を忘れないようにして,少しでもよい方に向かうように地道に生きて行くしかありません。

この季節,三寒四温を持ち出すまでもなく,今年の気温変動は誠に激しく,少しでも気候にふさわしくない衣装を選択すると,ひどい目にあいます。直前の天気予報を注意深く聴いて,健やかにお過ごしください。

たまごの話

たまごは,われわれにとって,昔からとても馴染み深い食べ物です。

西洋では「生命の象徴」とされていて,Easter egg〈復活祭の卵〉と言われ,復活祭の前日にうさぎ(bunny)が卵を持ってくる,という言い伝えから,彩色したたまごを贈り物にしたりします。

ことわざや故事でも,

丸い卵も切りようで四角
(物事はやり方で次第で円満にも行けば,角が立つこともある)

● コロンブスの卵
(誰にも可能なことでも,最初にすることの難しさをいう語)

鶏が先か,卵が先か
(互いに循環する原因と結果の端緒を同定しようとする,因果性のジレンマ)

など,いろいろとたまごが使われています。

また,たまごには「未熟だけれども,これから成長の見込みがある」というイメージがあり,「学者の卵」とか「画家の卵」のように,初心者や駆け出しの者を意味する場合に使われます。

さらに昔から,たまごは滋養強壮で知られており,イタリア映画『ひまわり』でも,新婚のソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニの住む家の窓辺に,毎朝,新郎の母親から籠いっぱいの卵が届けられて,二人は辟易する,というのもありました。

実際,たまごは栄養豊富で,たまご2個分で,( )内は1日の必要量の割合〔%〕

・エネルギー  157kcal (8%)
・たんぱく質  12.8g    (26%)
・脂質     10.7g    (19%)
・ビタミンA  15μg (26%)
・ビタミンB2  0.45mg(38%)
・ビタミンB12  1.0μg     (42%)
・ビタミンD   3.1μg    (62%)
・ビタミンE  1.1μg     (14%)
・リン     187mg  (21%)
・亜鉛     1.4mg    (20%)
・鉄      1.9mg    (18%)

たまごは栄養面だけではなく,その値段でも優等生です。
現在のたまご10個の値段は,地域によっても異なりますが,おおむね150~200円といったところでしょうか。もちろん,100円以下(88円とか98円)の特売もあります。

ところで,茶色いたまごと,白いたまごの違いをご存知ですか?
「茶色の方が栄養価が高い」「茶色の方がおいしい」「茶色の方が上等」などと思っていませんか?

じつは,殻の色を決めるのは,鶏のDNAによるものです。
すなわち,たまごを生む親鳥が白ければ白いたまご,茶色であれば茶色のたまごを産み落とすのです。
中身は,殻の色とまったく関係がありません。

一般に,茶色のたまごが高いのは,茶色の鶏の方が体のサイズが大きめなので,その分よく食べます。その餌代が値段に跳ね返ってきているのです。
栄養価の高いたまご,おいしいたまご,高級なブランドたまごは存在しますが,それは主として,餌の違いによるものです。

たまご料理,いろいろありますね。

子供のころ,なぜかオムライスが好きでした。外食ではいつも注文していた記憶があります。チキンライスが薄皮のたまごで包まれてケチャップがかかっていました。

丼物なら親子丼,スパゲッティならカルボナーラです。
サンドイッチもたまごサンドだけを売りにした店があります。

家庭の厚焼きたまごも,料亭では「だし巻きたまご」になり,究極はウナギを内包した「うまき」が最高です。

月見うどんも,「たまごとじ」になると少し高級感が出て,茶わん蒸しは全くの高級品です。

ゆでたまごは関西では「にぬき」と呼ばれ,最近では半熟の温泉たまごが人気です。

目玉焼き(sunny-side up),スクランブル・エッグ(scrambled eggs,炒り卵),ゆでたまこ(boiled egg),オムレツ(omelette,仏語)は外国語の表現が一般的になっています。

日本的な象徴は,スキ焼にたまごをつけて食べる食べ方,そして,究極のたまご掛けご飯は日本にしかありません。

ところで,
ある女医さんがこんな新聞記事を書いていました。
あるスポーツジムに併設されたレストランが良いと聞いて,出かけました。そこは一般客も入店できるようになっていて,彼女が座った近くに,痩身の若い男女が居て,テーブルにはゆでたまごが6個ものっていました。店頭に「持ち帰り不可」と書かれていたのを不思議に思い出して,不審に思っていると,彼らは黄身を上手に分けて捨て,白身だけを食べた,というのです。
また,べつのときに,アフリカの西海岸にある貧しい島国に立ち寄ったときに,トランクを紛失し,現地の店で買ったTシャツを着て所在なくとぼとぼと歩いていると,小さな薄汚れた少女に肩をたたかれて,少女は持っていたパンを半分に割って差し出した,というのです。
みなさんはこの対比をどう感じましたか?

この記事を見て思い出したのが,70年前の話です。
占領軍のGHQ(General HeadQuarters,総司令部)のマッカーサー(Douglas MacArthur,1880-1964)が,明日の朝食はたまご2個の目玉焼きにしてくれ,と頼のみましたが,朝食には注文した目玉焼きが出ず,昼過ぎになってようやくたまご一つの目玉焼きが出てきた,というエピソードです。
それで,彼は日本の食料事情がいかに逼迫(ひっぱく)しているかを実感し,ララ物資の支援につながるという話です。
ララ物資とは,ララ(LARA,Licensed Agencies for Relief in Asia:アジア救援公認団体)が提供した日本向けの援助物資で,1946.11~1952.6まで続きました。
援助全体の75%は食糧,20%は衣料で,多くの日本国民は,この支援で飢餓から救われました。

たった70年前のことです。そして現在でも飢えている人たちは世界中にたくさんいるのです。
個人的な見せかけの肉体美のために,大切な食糧を捨て去るような不心得な日本人が,どうして出てきたのでしょうか。
歴史を忘れるな,歴史は繰り返すぞ!
この辺で考え方を徹底的に再考しないと,とんでもないしっぺ返しが来そうです。

今回は,季節がら,この曲にしましょうか。

まっかな秋』 薩摩 忠・作詞 小林秀雄・作曲
NHK「みんなのうた」1963.10

まっかだな まっかだな
ツタの葉っぱが まっかだな
もみじの 葉っぱも まっかだな
■沈む 夕日に てらされて
■まっかなほっぺたの 君と僕
■まっかな秋に かこまれている

まっかだな まっかだな
カラス瓜って まっかだな
とんぼのせなかも まっかだな
■夕焼雲(ゆうやけぐも)を ゆびさして
■まっかなほっぺたの 君と僕
■まっかな秋に よびかけている

まっかだな まっかだな
ヒガン花って まっかだな
遠くの たき火も まっかだな
■お宮の 鳥居を くぐりぬけ
■まっかなほっぺたの 君と僕
■まっかな秋を たずねてまわる

薩摩 忠(1931-2003)東京出身の詩人,慶応大学卒,堀口大学・藤浦洸に師事,海外児童文学の翻訳多数。

小林秀雄(1931-)東京出身の作曲家,東京藝大音楽学部作曲科卒,声楽・ピアノ曲の作曲,代表作は「落葉松(からまつ)」(野上彰・詞)。

最近,世の中がおかしな方向に向かっていて,非常に危惧しています。

ドイツでは,今年の8月に,自然エネルギー利用発電量が,需要量の84%を記録しました。
ドイツ議会は2011年の福島原発事故以後,原子力発電所は全て廃炉にする方針を全会一致でいち早く決議し,今回の快挙です。

それにひきかえ,当事国の日本は,福島原発の収拾も全くできていないのに,2015.8.11に九州電力の川内(せんだい)原発の再稼働を認めました。

2015.10.1に政府は防衛装備庁を発足させ,武器輸出を増大する方針を明確にしました。経済界は,もろ手を挙げて賛成しています。
日本は平和を愛し,戦争をしない国だったはずです。
戦争を助長するような「死の商人」に成り下がろうとするのですか!

これはカジノ(casino,イタリア語)建設を推進する考え方に共通します。
賭博(とばく)の寺銭(出来高の幾分を貸元や席主に支払う)で財政を補うやり方は,まったく不健全です。
儲かりさえすれば,何をやっても良いのでしょうか。

かつて,佐藤栄作内閣の1968年,「核を持たず,作らず,持ち込ませず」の非核三原則を打ち出し,国是となり,その後の歴代の内閣でも遵守されてきました。そして,このことで1974年にノーベル平和賞を受賞するに至ります。
もっとも後に,沖縄に核が持ち込まれていたことが明白になり,平和賞委員会は「ノーベル賞委員会が犯した最大の誤り」と表明しました。

しかし,「非核三原則」は,武器を輸出して外貨を稼ごうという,いやしい考え方とは対極にあります。

新聞の投稿欄にこういう記事がありました。
尖閣諸島(東シナ海,石垣島の北方),竹島(島根県),北方領土(択捉,国後,歯舞,色丹)などの領土問題が存在するので,安保法制は必要だ,というのです。

すごい意見ですね,しかし,同様の内容の意見を持つ人は少なからずいます。
いわく「軍事力が弱いから他国から舐められている」と,思っている人が結構いるのです。

しかし,軍事力を増強して,両国間の緊張感を高めても,問題は決して解説しません。
こんなことで戦争に発展したら,元も子もありません。

領土問題で,一方が引き下がることは,先ずないですから,辛抱強く平和的に交渉して,共同利用する,というような方向に持って行くしかないのかもしれません。

先の自民党の総裁選挙で野田聖子氏が立候補しようとしたけれど,できませんでした。党所属の国会議員20人の推薦人が必要でしたが,安倍氏の切り崩しで,集まらず,立候補が出来ませんでした。結果,無投票で安倍氏の続投が決まりました。

対立する意見を完全に封じ込めるというのは,独裁者のやり方です。

NHK報道番組「クローズアップ現代」のやらせ疑惑で,放送倫理・番組向上機構(BPO)は「重大な放送倫理違反があった」とする意見書を公表しました。
その中で,この問題をめぐって放送に介入する政府・与党の動きが見られたことから「放送の自由と自律に対する圧力そのもの」と厳しく批判しました。

マスコミをコントロールしようとするのは独裁者の常とう手段です。

安保法制の反対運動で,シールズ SEALDsが活躍しました。
SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy – s)は,「自由で民主的な日本を守るための,学生による緊急アクションです。担い手は10代から20代前半の若い世代です。私たちは思考し,そして行動します」と掲げています。

若い世代も立ち上がりました。
黙っていては,まずます危うい方向に進んで行きます。
悪い流れを断ち切りましょう。

物言えば唇寒し秋の風   芭蕉

「何事についても余計なことを言うと災いを招く」という意味ですが,言わずにはおれない,言わないといけない,ことも世の中にはたくさんあるのです。

ますます秋風が身に染みる季節になりましたが,健康に注意して,元気にお過ごしください。

季節の節目

今日この頃は,まさしく季節のかわり目,気温も天気も短い周期で大きく変動しています。
伝統的な年中行事を行なう季節の節目となる日を,節句といいます。

年間に様々な節句が存在していましたが,江戸時代に幕府が公的な行事を行なう日として,五節句を定めました。

漢名        日付  和名    料理
人日(じんじつ) 1月7日 七草の節句 七草粥
上巳(じょうし) 3月3日 桃の節句  菱餅,白酒
端午(たんご)  5月5日 菖蒲の節句 柏餅,菖蒲湯
七夕(しちせき) 7月7日 たなばた  そうめん
重陽(ちょうよう)9月9日 菊の節句  菊酒

おせち(御節)はもともと五節句の祝儀料理すべてをいっていましたが,のちに最も重要とされる人日の節句の正月料理を指すようになりました。

五節句のなかでも桃の節句雛祭りが,もっとも華やかで冬から春へ季節の替り目の感じがひとしおです。

もともとは,5月5日の端午の節句とともに男女の別なく行われていましたが,江戸時代ごろから,豪華な雛人形は女の子に属するものとされ,端午の節句(菖蒲の節句)は「尚武(武事を重んずること)」にかけて男の子の節句とされるようになりました。

ひな祭りは,女子のすこやかな成長を祈る節句の年中行事で,ひなあそびとも言いました。
ひな人形を飾り,桃の花を飾って,白酒寿司などの飲食を楽しみ,雛あられ菱餅を供えます。

最初は儀式的なものではなく「雛あそび」の名前の由来がありましたが,川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり,「災厄よけ」に祀られました。
女子の「人形遊び」=「雛あそび」から節句としての「雛祭り」へとかわってゆき,一生の災厄をこの人形に身代わりさせるという祭礼的な意味合いが強くなり,身分の高い女性の嫁入り道具の一つにもなって,自然と華美になり,より贅沢なものになってゆきました。

ひな人形の種類は,

  • 内裏雛(だいりびな)あるいは親王と親王妃(男雛・女雛)。それぞれ天皇・皇后をあらわします。
  • 三人官女(さんにんかんじょ)宮中に仕える女官をあらわします。内1人はお歯黒・眉なしで既婚者(ないし年長者)です。
  • 五人囃子(ごにんばやし)能のお囃子を奏でる5人の楽人をあらわし,向かって右から,謡(うたい),笛(ふえ),小鼓(こつづみ),大鼓(おおつづみ),そして太鼓(たいこ)の順です。
  • 随身(ずいじん,ずいしん)通称右大臣左大臣で,向かって右が左大臣で年配者,向かって左が右大臣で若者で,いずれも武官の姿です。

ここでよく問題になるのが,男雛・女雛の並び方ですが,
現在,男雛を右(向かって左)に配置する家庭が多く,それが一般的になっており,結婚式の新郎新婦もそれに倣っています。

ところが,日本の伝統では「」が上の位でした。
ですから,男雛も左大臣も左側,つまり向かって右に居るのが正式でした。

京雛では伝統的な並びで,関東雛と男雛と女雛の並ぶ位置は逆となっています。
ちなみに飾り物や紫宸殿(ししんでん,儀式が行われる正殿)の植栽でも,「左近の桜」「右近の橘」は,桜が左側(向かって右)にあります。

明治天皇の時代までは左が高位という伝統があったため帝は左に立ちましたが,文明開化により西欧の並びに合わせて,大正天皇以降は右に立たれています。

祭りの日が終った後も雛人形を片付けずにいると結婚が遅れるという話は昭和初期に作られた俗説とされており,旧暦の場合,梅雨が間近なので,早く片付けないと人形や絹製の細工物に虫喰いやカビが生えるから,というのが理由だとされています。

また,地域によっては「おひな様は春の飾りもの,季節の節できちんと片付ける,というけじめを持たずにだらしなくしていると嫁の貰い手も現れない」という,躾の意味から言われています。

この時季の歌としては,なんといっても最もなじみのあるのがこの曲です。

うれしいひな祭り山野三郎・作詞 河村光陽・作曲(1936)

あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花を上げましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓
今日はたのしい ひな祭り

お内裏様と おひな様
二人ならんで すまし顔
お嫁にいらした 姉(ねえ)様に
よく似た官女の 白い顔

金のびょうぶに うつる灯を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒 めされたか
あかいお顔の 右大臣

着物をきかえて 帯しめて
今日はわたしも はれ姿
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り

サトウハチロー(03-73)は東京出身の詩人・童謡作詞家・作家,山野三郎は数ある変名の一つ,作家の佐藤愛子は異母妹。
愛子さんは若いころは美形で遠藤周作などの憧れの存在だったらしいのですが,乱暴者の兄ハチローを嫌っており,その理由として「やっぱり兄妹どこか似ている」といわれるのが我慢できなかったそうです。
代表作は「リンゴの唄」「長崎の鐘」「お山の杉の子」「かわいいかくれんぼ」「おかあさん」など。

河村光陽(97-46)は福岡出身の作曲家,本名は直則,代表作は「グッドバイ」「かもめの水兵さん」など。

この「うれしいひな祭り」には正しくない表現が含まれており,サトウハチロー本人も気にしていたと言います。具体的には,男雛女雛を「お内裏様とお雛様」と呼ぶのはこの歌から広まった誤用で,また右大臣を「赤い顔」としているのも誤りです。

でも,いいじゃありませんか。こんなにみんなに親しまれ歌われて,やっぱり名曲だからです。
間違いは間違いとして正しく説明すれば,認識が深まってより良く後世に伝わるでしょう。

梅の花がかおると

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

これは菅原道真が京を去るときに詠んだ,あまりにも有名な和歌です。
最後は「春を忘るな」(拾遺和歌集)が初出ですが,古典の時間に「な・そ」で禁止の意味を強めると習ったことを思い出してその形で記しました。(これは正式には係り結びとは呼ばないそうです)

は,早春,葉に先だって開く花は,5弁で香気が高く,平安時代以降,とくに香をめで,詩歌に詠まれました。
たんに「」といえば「」を指しましたが,平安後期以降は「」を指すことに変っていきました。

菅原道真(845-903)は,平安時代の学者・漢詩人・政治家で,右大臣まで昇りましたが,左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ,他人をおとしいれるため目上の人にありもしないことを告げること)され,大宰府権師(ごんのそち)として左遷され,現地で亡くなりました。
死後,天変地異が多発し,道真の祟りと怖れられ,その怨霊を鎮めるために,京都の北野に北野天満宮が建てられました。
その後,「天神様」として天神信仰が全国に広まり,もともと学者だったことから,「学問の神」として信仰されることになりました。

その梅が,京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅」伝説も有名です。

道真(菅家)の「古今和歌集」の歌は,小倉百人一首の24番にも選ばれています。

このたびは 幣(ぬさ)も取り敢へず 手向山
紅葉の錦 神の随(まにまに)

この度の旅は,あわただしく発ちましたから,幣(ぬさ)の用意もできませんでした。手向山の神よ,このみごとな美しい紅葉の錦を私のささげる幣として,み心のままにお受けください。

ここで,幣(ぬさ)というのは,神主さんがお祓いのとき手にもつ白い紙ですが,この時代のは,色の絹を小さく切ったものだといいます。旅へ行くときはそれを幣袋に入れて,峠でまき,神に無事を祈るのです。

道真は,6月25日に生まれ,2月25日(いずれも旧暦)に亡くなっているので,25日は特別な「天神さん」の日になっています。

2月25日は,京都の北野天満宮梅花祭です。
しかし実際には,梅が咲くにはまだ少し早い時季です。
とくに今年は,気象庁の暖冬という長期予報がヤッパリはずれ,厳しい寒さがつづきましたから,開花は平年よりも遅くなるはずです。(ほんとに長期予報はよく外れますね)

7月25日大阪天満宮天神祭(日本三大祭の一)です。

この道真の失脚事件は,『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)として,人形浄瑠璃歌舞伎の演目になっています。
江戸時代の1746年,大坂の竹本座で初演,とくに四段目の『寺子屋』は,子供を殺してその首実検でわが子が身代りになっているのを知る,というなんとも恐ろしげな芝居ですが,独立して上演されることも多く,歌舞伎の代表的な狂言の一つになっています。

この季節の歌はこれにしましょうか。

春よこい相馬御風・作詞 弘田龍太郎・作曲

春よ来い 早く来い
あるき始めた みいちゃんが
赤いはなおの ジョジョはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

相馬御風(1883-1950)は新潟県出身の詩人・歌人・評論家,早稲田大学卒業,早稲田大学校歌『都の西北』の作詞。

弘田龍太郎(1892-1952)は高知生まれ,小学校は千葉,中学は三重,東京音楽学校(現・東京藝術大学)ピアノ科卒業,「赤い鳥」運動に参加,北原白秋と組んで多くの童謡を作曲,代表作は『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『靴が鳴る』など。

ところで,
2月26日は玉筋魚(いかなご)シンコ(稚魚)漁の解禁日で,阪神地区の家庭の多くでは大きな鍋で炊いて,いわゆるイカナゴ釘煮(くぎに)にして食べます。
これは佃煮の一種で,醤油・みりん・砂糖・生姜などを入れて水分がなくなるまで煮込みます。
炊きあがったイカナゴは茶色く曲がっており,錆びた釘に見えることから「釘煮」と呼ばれるようになりました。

このころは,三寒四温といって,3日寒くなって後4日暖かくなるというような変動を繰り返して春になってゆく季節です。

少し暖かくなったからといって油断せずに,あしたの天気予報をよく聞いて(あしたの予報は当たります)衣装の選択を間違えないようにして,元気で本格的な春をお迎えください。

年の始めの

年の始めのためしとて」は,唱歌「一月一日」の歌い出しで,「ためし」は「」で,決して「試し」ではありません。
年始の先例のように」というような意味です。

元旦(元日の朝)には,お屠蘇(とそ)を飲み,それぞれのお国柄の雑煮おせち料理をたべて,新年の祝儀をおこないます。

厚い新聞が届きますが,正月の新聞は読みごたえがないですね。

ほどなくとどく年賀状は,いっとき,虚礼廃止だとか,メールで済ます,などですたれた感がありましたが,年に一度の安否確認の意味もあって,なくならずに続いています。

正月が困るのは,スポーツジムも休館だし,テニスコートも開いてないし,初詣に出かけるにも混んでいるし,TV番組も似たようなものばかりで飽きるし,身体を持て余すことです。

唯一といっていいTVの楽しみは,オーストリアのウィーンから生でとどけられる,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニュー・イヤー・コンサート」でしょうか。
現在では世界の40ヵ国以上に生中継されています。
ちなみに,オーストリアと日本の時差は8時間,日本が進んでいます。

会場はウィーン楽友教会(Wiener Musikverein,ヴィーナー・ムジークフェライン)の大ホールで,ホール内部の絢爛豪華な装飾とともに,その音響の素晴らしさから通称「黄金のホール」と呼ばれています。

演奏会は,マチネ(昼間の興行)のため,演奏者は燕尾服やタキシードではなく,フロックコートかモーニング,略式でもズボンはグレーの縞物です。

演目はおもにワルツポルカです。
このウィンナ・ワルツと呼ばれるクイック・ワルツは独特で,3拍子が均等間隔ではなく,2拍目がひっかかり気味に演奏され,ウィーン生まれでなければこのリズム感がとれない,などと言われたりしています。

この伝統あるコンサートでは,アンコールとして,ヨハン・シュトラウスⅡの「美しく青きドナウ」,そして最後にヨハン・シュトラウスⅠの「ラデツキー行進曲」を演奏するのがならわしとなっています。

美しく青きドナウ」の冒頭が演奏されると一旦拍手が起こり演奏を中断,指揮者およびウィーン・フィルからの新年のあいさつがあり,再び最初から演奏を始めるのもならわしです。

新年の挨拶はその年の指揮者により色々な趣向で行なわれます。
たとえば,2002年のコンサートではウィーン・フィルの楽員に縁のある国の言葉で新年の挨拶を述べるという形で行なわれ,日本語のあいさつはコンサート・マスターが日本語で(妻が日本人),指揮者の小澤征爾が中国語(満洲生まれ)であいさつしました。

最後の最後の「ラデツキー行進曲」では,小太鼓が高らかに打ち鳴らされると,観客はもう待ってましたとノリノリで手拍子で参加します。

指揮者が誰になるのかも,注目ですが,今年2015年はズービンメータが5回目の登場でした。

ズービン・メータ(1936-)さんは,インドの出身,われわれの記憶に新しいのは,
2011年3月,フィレンツェ歌劇団を率いて来日しましたが,東日本大震災に遭遇,福島原発事故の影響を危惧するフィレンツェ市長の帰国命令によって日程半ばで中止となりました。
「日本の友人たちのために何も演奏できずに去るのは悲しい」と涙しました。
2011年4月10日,多くの外国人演奏家の来日キャンセルが続くなか,東京のオペラの森公演でベートーヴェンの「第九」(管弦楽はNHK交響楽団)を渾身の演奏し,観客は熱狂的に迎え,収益は全額寄付されるチャリティコンサートでした。

2002年の指揮者は小澤征爾(1935-)さんでした。
観客席には元モデルの妻,俳優の息子たちの顔が見えました。

観客といえば,以前,久米宏「ニュース・ステーション」で夜桜中継をしていた元銀行員の姿を何度も目にしました。

一度は生で見てみたい聴いてみたいという願望はありますが,なにせ,日本からの観劇ツアーがありますが,なんと,お一人様120万円(!)からの費用では,おいそれとは行けません。
ネットから自分で座席を確保できますから,ホテルも自分で予約して,格安航空券を利用すれば,何分の一かの費用で可能なはずです。

美しく青きドナウ」(An der schönen blauen Donau)は,1866年の普墺戦争(プロイセン王国とオーストリア帝国との戦争)で大敗し,失望の底に沈んだウィーン市民を慰めるために,ヨハン・シュトラウスⅡ(1825-1899)が1867年に最初,男声合唱曲として作曲しましたが,不評のため,管弦楽曲に書き直されて,人気が出ました。オーストリアの第2の国歌といわれています。

やはり年頭は,2012年ニューイヤーコンサートでのマリス・ヤンソンス指揮の「美しく青きドナウ」にしましょう。
ヤンソンス(1943-,ラトビア)は来年2016年の指揮者にも予定されています(3回目)。

実際の観劇では見られない(と思います)バレエがTVでは見られるのが良いところですね。
この2012年は特にバレエに趣向が凝らされており,上記の踊りの舞台もベルヴェデーレ宮殿ですが,そこの絵画館に所蔵されているクリムトの「接吻」のまえで,絵から抜け出たように踊るバレエ・シーンもありました。(バレエはウィーン国立バレエ団)

さて,
松の内」とは,正月の松飾がある間の称ですが,関西では昔ながらに15日までですが,関東では7日までと短縮されています。

また,
1月7日には,正月のごちそうに疲れ気味の胃を休めるために,春の七草を入れて炊いた七草粥(ななくさがゆ)を食べる習慣があります。
ところで春の七草は,つぎの和歌で覚えます。

せり・なずな ごぎょう・はこべら
ほとけのざ すずな・すずしろ
これぞ七草

ここに,
「なずな」はペンペン草
「ごぎょう」はハハコグザ
「はこべら」はハコベ
「ほとけのざ」はコオニタビラコ
「すずな」は蕪(かぶ)
「すずしろ」は大根

さらに,
1月8日は初薬師
1月10日は十日恵比寿(えべっさん)
1月14日は四天王寺どやどや
1月18日は初観音
1月21日は初弘法(初大師)
1月24日は初地蔵若草山山焼き
1月25日は初天神
1月28日は初不動

と「初」の付く行事がめじろ押し,1月は寒いのに,何かと心急き(こころぜき)な時節なのです。
風邪など引かないよう,元気にお過ごしください。