身過ぎ世過ぎ

作家の曽野綾子(1931-)氏が,
産経新聞(1月24日付)のコラム記事で,90代の病人がドクターヘリに救助を要請した話を持ち出し,「利己的とも思える行為」と批判し,「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ,という教育を,日本では改めてすべき」と主張しました。さらに,ドクターヘリなどの高度な医療サービスについても「法的に利用者の年齢制限を設けたらいい」と踏み込んで発言しました。

この人,これまでも,「アパルトヘイト容認」などの顰蹙(ひんしゅく)を買うような自説を展開し,たびたび批判の的となって来ました。

本人も84歳という年齢なので,自分の生き方として,そのように覚悟しているというのなら,なんの問題もありませんが,他人にまで押し付けるのは,まったくの不遜極まりない行為で,役に立たなくなった者に費用を使うな,という「姥捨て山」に近い発想で,とても嫌な感じがしました。

また,川崎市の有料老人ホームで,1人の容疑者によって3人の入居者が転落死させられていた事件がありました。この施設,この殺人事件以外にも虐待や窃盗が常習化していたという,なんとも恐ろしい所なのです。

一般論として,介護施設における介護士の仕事が,業務の大変さに比べて,報酬が低すぎる問題がありました。
日本のように高齢社会まっただ中の世で,高齢者の面倒を見るという大切な仕事に,人が集まらないという現象が常態化しているのは残念なことです。

老人を配偶者の老人が介護する,いわゆる「老老介護」や,高齢者を高齢の子供が介護する場合,面倒を見切れずに行き詰って被介護者を殺して介護者も自殺を図る,というような何ともやり切れない事件が後を絶ちません。

これは明らかに政治の貧困で, 早急に,何とかしなければいけない問題です。

世の中,誠にせち辛く,生きにくくなってきました。

身過ぎ」とは,生活をして行くこと,なりわい,生計。
世過ぎ」とは,世渡りをして行くこと,くちすぎ,生活。

身過ぎ世過ぎの是非もなく」,わずかばかりの生活費のために働かなくてはならない人たちもたくさんいるのです。

是非に及ばず」とは,本能寺で明智光秀勢に囲まれて,織田信長が最後に言ったとされている言葉です。
死が迫っていて,良いとか悪いとか言ってる場合じゃない,ですものね。

堀口大學処女詩集月光とピエロ』(1919)でフランスの詩人・アポリネールの死を悼み,その一節を清水脩は『秋のピエロ』として作曲,第1回全日本合唱コンクール(1948)の課題曲となりました。翌年,男声合唱組曲月光とピエロ』として発表され,男声合唱曲の原点となっています。

秋のピエロ』堀口大学・作詞 清水脩・作曲(1948)

泣き笑いして 我がピエロ
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり
O(オー)の形の口をして
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり

月のようなる おしろいの
顔が涙を ながすなり
身過ぎ世過ぎの ぜひもなく
おどけたれども 我がピエロ

秋はしみじみ 身にしみて
真実 涙を 流すなり

 堀口大学(1892-1981)東京市本郷区に生まれ,新潟県長岡町で育つ,慶應義塾大学中退,詩人・歌人・フランス文学者。代表作は,『月光とピエロ』,『パンの笛』(歌集),『月下の一群』(訳詩集)など。

清水脩(1911-1986)大阪市天王寺区出身,大阪外国語学校(大阪外国語大学の前身,現大阪大学外国語学部)フランス語科卒,東京音楽学校(現東京藝術大学)選科に入学,橋本國彦に作曲を学ぶ,日本の作曲家,日本合唱連盟の設立,元カワイ楽譜社長。代表作は,オペラ『修善寺物語』,男声合唱組曲『月光とピエロ』など多数。

もちろん,イタリア・オペラにも似た題材があります。
それは,レオンカヴァッロ道化師』(原題:I Pagliacci,イ・パリアッチ)(1892)です。
判事だった父が裁判を担当した実在の事件をヒントに作曲したといわれています。

あらすじは,祭日に待ち焦がれた旅回りの一座がやってきます。
座長のトニオの若い妻ネッダは,村の青年シルヴィオと相思相愛の仲になっており,それを知ったトニオは道化師役の舞台で,芝居と現実との見境が分らなくなって,ネッダを刺殺し,情夫シルヴィオも殺し,「芝居は終った」とつぶやいて、幕となります。

最後にトニオが『衣装をつけろ』を切々と歌います。

芝居をするか!逆上しているこの最中に
俺は何を言っているのか
何をしているのか自分でもわからない!
それでもやらにゃあいかんのか 我慢してやるんだ!
ああ、それでもお前は人間か?
お前は道化師なんだ!

衣装をつけろ
白粉をぬれ。
お客様はここに金を払って笑いに来るんだ。
もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても
笑うんだ道化師よ それでお客様は拍手喝采さ!
苦悩と涙をおどけに変えて
苦しみと嗚咽を作り笑いに変えてしまうんだ。

ああ! 笑うんだ道化師よ
お前の愛の終焉に!
笑え お前の心に毒を注ぎ込むその苦悩を!

 どちらも,胸のなかを秋風が吹き抜けるような,切ない内容で,この初春の季節にはふさわしくなかったかもしれませんが,現在の世の中を冷静に眺めていると,悲観的にならざるを得ません。

せめていろいろな問題点を忘れないようにして,少しでもよい方に向かうように地道に生きて行くしかありません。

この季節,三寒四温を持ち出すまでもなく,今年の気温変動は誠に激しく,少しでも気候にふさわしくない衣装を選択すると,ひどい目にあいます。直前の天気予報を注意深く聴いて,健やかにお過ごしください。