夏の花

夏はよる。
月の頃はさらなり,
やみもなほ,
ほたるの多く飛びちがひたる。
また,ただひとつふたつなど,
ほのかにうちひかりて行くもをかし。
雨など降るもをかし。

清少納言枕草子』の「〔一〕春はあけぼの…」につづく余りにも有名な一節です。

ここに何度もでてくる「をかし」は「趣がある,風情がある,風流だ」という意味です。

しかし,現代は,夜も熱帯夜(最低気温が25℃以上の夜)になって,過ごしよいわけでもありません。

ついでに
都心部ではヒートアイランド(heat island)と呼ばれる現象がおきています。
これは,地図上に各地の温度分布を等温線で示し,それを等高線のようにみなすと,都心部を頂点とするような島の形状を表す現象です。
原因は,都市化に伴う環境の変化ですが
1.地表の被覆の人工物化(雨水が土壌に浸透しない)
2.人工排熱の増加(エアコン排熱など)
3.都市の高密度化
が主なものです。

この季節は,二十四節気のうちで「大暑」(7月23日~8月6日)と呼ばれて,文字通り,最も暑い期間です。
8月7日は「立秋」で暦の上では秋ですが,このあたりが一番暑くなる頃です。
しかし,手紙では,大暑のときは「暑中お見舞い」で,立秋になれば「残暑お見舞い」になりますので,その区別はお間違いのないように願います。

ところで
夏の花の代表はやっぱり向日葵(ひまわり)でしょうか。
茎に剛毛を生じ,高さは2mに達し,直径20cmもの大型の黄色い花を開きます。

ひまわりの種はペットの食用として用いられていますが,もちろん人間が食しても,有用な食糧です。
ヒマワリの種のもつ不飽和脂肪酸には,血中のコレステロールを減らす作用があり,血管を浄化して血行を良くします。
また一緒に含まれるビタミンEにも同様の効果があるため,しなやかな血管を保つにはおすすめの食材といえるでしょう。
生活習慣病の予防にも効果的です。

ひまわりといえば,この映画を思い出します。
映画『ひまわり』(イタリア,1970年9月日本公開)
ヴィットリオ・デ・シーカ・監督
ヘンリー・マンシーニ・音楽
第2次大戦中,洋裁師のジョバンナ(ソフィア・ローレン)と兵士アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は海岸で知合い,愛し合い,すぐに結婚。しかし,戦場に行きたくないアントニオは仮病を装うが,すぐにバレて,過酷なソ連戦線に追いやられます。アントニオは極寒の地で倒れますが,少女マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)に助けられます。
待ち続けるジョバンナは,戦後,ソ連戦線からの帰還兵に彼の消息を尋ねます。わずかな手がかりを頼りにソ連に向かうジョバンナ。ようやく探し当てますが,そこに暮らすマーシャと幼な子に会い,事情を察します。仕事から帰るアントニオの姿を見て,逃げるように立ち去り列車に飛び乗り号泣するジョバンナ。

美しい映像と美しい音楽,みごとな反戦映画です。
印象的なのは,一面のひまわり畑とともに,一面のヘルメットが並んでいる墓地の光景です。
ひまわりの数と同じほどの人々がこの戦争で亡くなったことを象徴的に表しています。

この映画を見たときなぜか,この歌を思い出しました。
岸壁の母藤田まさと・詞 平川浪竜・曲 菊池章子・歌(1954)二葉百合子・歌(1972)
実在の母親が舞鶴で,出征した息子の帰りを待ち続けた話を歌にして長年にわたり流行しました。

イタリア人の妻は積極的に戦地まで探しに行き,日本人の母はただ岸壁で待ち続ける,その対比でした。

しかし,岸壁の母の息子さんは生存されており,実情を知りながら,日本には帰られませんでした。

いずれにせよ,
間違いなく戦争は悲惨なものであり,二度とやってはならないことだけは確かです。

海の季節

は地球上の陸地以外の部分で,塩水をたたえたところで,地球表面積の70.8%を占めています。

日本はご存知のように,オホーツク海,日本海,太平洋,東シナ海の4つの海に囲まれています。

したがって,日本語で単に「りょうし」といえば「漁師」をさすことが多く,山でカリをする人を「山りょうし」「猟師」と区別します。

7月21日は「海の日」です。
当初は,7月20日でしたが,いわゆる「ハッピーマンディ制度」により,7月の第3月曜日になりました。

ちなみに
その他のハッピーマンディは
成人の日(1月第3月曜日)1999年までは1月15日
敬老の日(9月第3月曜日)2003年までは9月15日
体育の日(10月第2月曜日)2000年までは10月10日(1964年東京オリンピックの開会式の日)

NHKの北出清五郎アナウンサの名セリフ
世界中の秋晴れを,全部東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」のような快晴の日でした。

ちなみに
成人の日」は本来,前年の成人の日の翌日から,その年の成人の日までに誕生日を迎えた人を祝う日でしたが,最近では,前年の4月2日から,その年の4月1日に成人になる人を式典参加する学齢方式が多くなってきています。

また
文化の日」11月3日は,元来,明治天皇の誕生日であり,かつては「天長節」「明治節」と称されてきました。
1946年(昭和21年)日本国憲法が発布されたのはこの日であり(半年後の5月3日に施行),日本国憲法が「平和」と「文化」を重視していることから「文化の日」と命名されました。

日本の祝日は年間15日に及びます。
これは世界各国と比べて最右翼といってよいほど多いのですが,有給休暇の消費率が低いため,年間の実際の休日日数では世界で20位とあまり高くありません。

そのせいか
政府はさらに「山の日」8月10日を制定し,2016年から実施します。

海の歌といえば,勇壮なこの歌でしょうか。
歌詞が難しいので,教科書から外されたといういわくつきの歌でもあります。
しかし難しくても日本語ですから,ていねいに説明すればわかりますし,言葉の文化も継承されていきます。
われは海の子』作詞・作曲者不詳 尋常小学読本唱歌(1910)

我は海の子白浪(しらなみ)の さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家(すみか)なれ

生まれてしほに浴(ゆあみ)して 浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を 吸ひてわらべとなりにけり

高く鼻つくいその香に 不斷の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を いみじき樂(がく)と我は聞く

とまや(苫屋とは,苫(とま)で屋根をふいた粗末な小屋,のことです。

歌詞は7番までありますが,7番の
「いで軍艦に乗組みて我は護らん海の国」という歌詞が平和の国の歌としてふさわしくないとして,戦後,GHQ(general head-quarters,総司令部)の指摘により削られました。

そんなことではへこたれない強さがこの歌にはあります。

気のつかない差別

カナダにいるとき,ある求人案内に目をとめました。

その内容は,結構重要な求人にも関わらず極めて簡単で,職種条件(バイリンガル)・年俸の3種でした。
バイリンガル(bilingual,2言語使用者)といっても,日本語と英語ではダメで,カナダでは当然,英・仏2か国語を指します。
ちなみに
勤務していた研究所の秘書さんは,私と話すときはきれいな英語でしたが,ホテルの予約をお願いするとき,フランス語で話していて,彼女の母語がフランス語であることが分りました。

そこで
北米(アメリカ,カナダ)では,求人のときに,「性別」と「年齢」を明記することが禁じられていることを知りました。

性差別(gender discrimination)表現の禁止は,日本でも
看護婦→看護師,助産婦→助産師
と呼び替えたりしていますが,英語ではもっと神経を使います。

もちろん女性のみに使うウエイトレス(wait-ress)やスチワーデス(steward-ess)はwait-person,flight attendantと言い替えるし,未婚・既婚を表すミス(Miss)ミセス(Mrs.)はミズ(Ms)に統一しています。

日本では,差別用語として,めくら,つんぼ,おし,とかの身体障害者に対する昔からの言葉を使うことが禁止されています。
ですから
めくら滅法」(少しも見当を定めないさま)
つんぼ桟敷」(いろいろな事情を知らされない状態)
片手おち」(配慮が一方だけにかたよること)
は使ってはいけないことになっています。

戦後のリズム感あふれる快歌『買物ブギ』(村雨まさを・詞 服部良一・曲 笠置シヅ子・歌 1950)の最後で
わてツンボで聞こえまへん
これまたメクラで読めません
が放送で流れるとき,かならず音がありません。
つぎのYouTubeではハッキリ,明瞭に発音しています。

はたして,言葉を言い替えたら,差別意識はなくなるのでしょうか?

服部良一(1907-1993)は大阪市出身の作曲家,和製ポップスの創始者といってもよい存在。
なお,「村雨まさを」は服部良一のペンネームです。
代表作は,『買物ブギ』のほか
別れのブルース』 藤浦洸・詞 淡谷のり子・歌(1937)
蘇州夜曲』 西条八十・詞 渡辺はま子・霧島昇・歌(1940)
東京ブギウギ』 鈴木勝・詞 笠置シヅ子・歌(1947)
青い山脈』 西条八十・詞 藤山一郎・奈良光枝・歌(1949)
銀座カンカン娘』 佐伯孝夫・詞 高峰秀子・歌(1949)
ほか多数。

笠置シズ子(1914-1985)は香川県で誕生し,大阪市で育った歌手・女優で,戦後「ブギの女王」として一世を風靡しました。
OSK日本歌劇団の前身で活躍,服部良一と出会ってから,一躍,全国区となりました。
私生活では,8歳年下の吉本穎右(吉本興業の創業者・吉本せいの子)と知合い,交際・妊娠に至るもせいは断固認めず,私生児を生み,穎右は24歳で病没,生涯独身を通しました。
最初,三笠静子を名乗っていましたが,崇仁親王三笠宮を名乗ることになったので,恐れ多いと笠置シズ子と改名しました。
美空ひばりが登場するまで(最初ひばり笠置の物真似をしていました)歌って踊れるスーパースターとして芸能界に君臨しました。
晩年,「家族そろって歌合戦」(1966-1980)では審査員をつとめ,大阪の優しいおばちゃんの感じが前面に出ていました。

この『買物ブギ』は大阪弁の独特な抑揚と音楽がピッタリと融合して,リズミカルな歌唱とあいまって,これほど大阪弁を上手に扱った曲は他に見当たりません。

つぎは年齢のことです。
日本では人に年齢を気軽に尋ねたりしますね。
新聞でもかならずカッコつきでその人の年齢が表記されています。
長幼の序」(年長者と年少者との間にある秩序)を明確にして,適切な対応をするため,ですか?
それは違うでしょう。

むしろ,今の日本は若者に迎合する社会ではないか,と思っています。
この世の中,若者向きが多すぎる,と感じています。

私の経験ですが
ある高級(とされている)ホテルのメインダイニングで食事をしていたときのこと,係員がお客と一緒に騒いでいるので,責任者を呼び注意を喚起したことろ,「私どもはお客様と一緒にワッと盛り上げる方向でやっています」のような珍(?)回答だったので,ここは大人がゆっくり楽しむ場所ではないと判断して,それ以降いっさい行きません。

それに最近の流行といってもよいような,歳の差婚があります。

1.48差 鈴木清順(88)  一般女性(40)
2.45差 加藤茶 (68)  綾菜(23)
3.40差 角川春樹(69)  友美(29)
4.38差 上原謙 (65)  雅美(27)
5.33差 中村富十郎(66) 正恵(33)
6.32差 ラサール石井(56)桃圭(24)
7.30差 山本文郎(73)  由美子(43)

ここまで来るとご立派(!)としか言いようがありませんが,必ずしもお金が目当てとも思えませんが。

むかし林髞(はやしたかし,1897-1969)という医師で作家の人がいて,「人生2度結婚説」というものを提唱しました。
若い男性/女性はまず熟年女性/男性と結婚,自分が熟年になり伴侶が他界すると,今度は若い女性/男性と結婚という考え方で,こうすれば世の中,少なくとも庶民の暮らす世の中に経済力や思慮分別が万遍なく行き渡るのではないか,ということのようです。

もちろん制度化するのは難しいですが,自由な社会ですから,個人的に実現するのは差し支えないものと思われます。

そんなことより
日本は国際的に最悪の女性差別国家であると思われていることをご存知ですか?

労働している男女間の給与格差が大きく,40歳以上では40%以上になり,ほとんど世界最悪なのです。
上場企業で役員になる女性の割合は,わずか5%と極めて低いのです。
同じように大学を出ても,男女間で給料でも出世でも大きな差別がされている,というのが日本の実態なのです。

表面的には一見,女性が優位に扱われているように見える日本の社会ですが,根本のところで,大きな差別が厳然として存在するのです。

それを自覚して打破するのは,結局,女性自身です。

健康に過ごすということ

いきなりですが
日本の2013年の死因順位
1.悪性新生物(がん)365,000 人(昨年より4,000人増)
2.心疾患      197,000 人(昨年より1,000人増)
3.肺炎       124,000 人(昨年より1,000人増)
4.脳血管疾患    119,000 人(昨年より2,000人減)

ちなみに,1980年では
1.脳血管疾患    162,317人
2.悪性新生物(がん)161,764人
3.心疾患      123,505人

つまり,「がん」で亡くなる人が2倍以上,大幅に増えています。
現代は,2人に1人が「がん」にかかると言われますが,近年の医療技術の発展で,早期発見でのがん治療の場合は,その後の生存率が大きく改善し,治る病気となりつつあります。

脳血管疾患とは,脳梗塞・脳出血・クモ膜下出血の総称ですが,減少してきているのはうれしいことです。

また
日本人の2012年の平均寿命は    1989年では
女性 86.41歳(世界1位)       81.77歳
男性 79.94歳(世界5位)       75.91歳

さらに
100歳以上の人数は(2013年)    1989年では
女性 47,606人            2,448人
男性    6,791人                630人
*計 54,397人            3,078人

この24年間で男性は10倍ですが,女性は20倍という恐ろしいほどの伸び率です。

最高齢者は女性が,大阪市住吉区の大川ミサヲ(115)さんで
男性は,さいたま市中央区の百井盛(110)さんです。

そして
誰もが願うことは,健康で長生きすることですね。
人のお世話にならないと生活ができないというのは苦痛なことです。

さいきん
糖尿病の人が,インスリン注射後に食事を取らなかったため,低血糖症状になり,意識が混濁した中で車を運転し,多くのケガ人をだすという事故がありました。

糖尿病は生活習慣病の一つですから,注意して生活すればかからなくて済む病気です。

生活習慣病とは
食習慣,運動習慣,休養,喫煙,飲酒等の生活習慣が,その発症・進行に関与する疾患群のことです。

スウェーデンにおける長年の追跡調査によれば,
生活習慣による死亡リスク
1.喫煙          1.92倍
2.糖尿病         1.64倍
3.高血圧         1.55倍
4.メタボリック症候群   1.36倍
5.高コレステロール血症  1.10倍

これらはそんなに難しいことではなくて,喫煙をやめて
適正な運動とバランスの良い食事をすることでほとんどが改善されます。

ちなみに
チンパンジーバナナはつきものですが,最近,動物園ではバナナをやらないようにしたそうです。
それは,市販のバナナは人間用に甘く作りすぎているので,チンパンジーには害になるそうです。
チンパンジー用には野生の青臭いものが良いのです。

そのように
いまや人間の生活では不自然に甘いものであふれています。
甘くないスイーツといっても自然の甘さを超えているのは明らかです。

よく
好きに生活させてくれ,健康のために我慢するなんて,まっぴら,好きなものを気にせずに食べたいだけ食べて,自由に生きたい,そのために短命でも良い,という人がいます。

まあ
そんな人にはどうぞご自由に,とは言いますが,しかし,少し気を付けるだけで,ずいぶん違ってきて,健康保険を使う確率を下げて,健全な社会となるのですが・・・。

若いころから,健康には気をつけて来ました。
喫煙も飲酒もしませんし,甘いものは一切食べません。
運動習慣も,ずーと続けて来ました。
いろいろ趣味があるようですが,本当の趣味は健康でしょう
とか
健康のためには,死んでもいいと思っているでしょう
というような冗談か揶揄かわからないようなことを言われ続けて来ましたが,それこそ気にせずに健康に過ごしてきました。

やっぱり元気で長生きできることが一番です。
元気でいれば,好きなこと,楽しいこともたくさんできます。
キーワードは「食事」と「運動」ですよ。

夏がくれば

梅雨が明ければ,本格的な夏です。
この季節を代表するような和歌は,持統天皇(万葉集)のものが有名ですね。

春過ぎて 夏来るらし 白たえへの
衣干したり 天の香具山

また,7月2日は72候(24節気を3分割したもの)一つ,半夏生(はんげしょう)です。

karasubishaku

これは半夏,つまり烏柄杓(カラスビシャク,さといも科の多年草)という薬草が生える頃です。

この季節の歌はなんといってもこの歌です。
夏の思い出江間章子・作詞 中田喜直・作曲 石井好子・歌(1949)

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) とおい空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小路(こみち)
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている 水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢見て匂っている 水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

江間章子(1913-2005)さんは新潟県に生まれ,岩手県八幡平市に移住,静岡県に転居,静岡高等女学校,駿河台女学院卒,作詞家,詩人。
代表作は,夏の思い出のほか,花の街團伊久磨・曲),花のまわりで大津三郎・曲)など。

江間さんの歌は,歌詞がみんな美しく上品で,どれも楽しめる曲ばかりです。

じつは,ミズバショウは尾瀬沼では5月末くらいに咲きます。

mizubasho

実際の夏に訪れて,ミズバショウが見られない,という事態が発生しています。
ですから夏の思い出としては少し季節感はずれていますね。
以前にも述べましたように歳時記など,文学的表現では夏の季語ではあります。
しかしこの歌のおかげで尾瀬沼は全国的に知れわたり,大人気の観光スポットとなって,地元の人たちは大喜びしています。

また,この歌は詞と曲の融合性がよくて,とても耳障りが良いのです。

バリトン歌手の畑中良輔(1922-2012)がリサイタルでこの歌を歌っていたときのこと,「しゃくなげ色に たそがれる」と歌うべきところを,先に「たそがれ」と出てしまったのです。
それで仕方なく「たそがれ色に しゃくなげる」と歌ってのけたのです。
それでも聴衆者たちはほとんど気が付かなかったといいます。

中田喜直(1923.8.1-2000.5.3)さんは東京の出身,東京音楽学校ピアノ科卒で,20世紀を代表する日本の作曲家です。
父は「早春賦」を作曲した中田章,兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次
代表曲は「夏の思い出」のほか
雪のふるまちを内村直也・詩 高英夫・歌(1951)
めだかの学校茶木滋・詩 安西愛子・歌(1951)
ちいさい秋みつけたサトウハチロー・詩 伴久美子・歌(1955)
心のまどに灯を横井弘・詩 ピーナッツ・歌(1959)
君よ八月に熱くなれ阿久悠・詩 高岡健二・歌(1977)
など多数。

とくに
夏の思い出」と「雪のふるまちを」は夏・冬を代表する曲となっています。

これは
名曲「朧月夜」「紅葉」(高野辰之・詩,岡野貞一・曲)の春・秋に匹敵する快挙といえます。

さわやかな歌でも聴いて,厳しい夏を乗り切りましょう。