岩谷時子の世界

3年余り前,作詞家の岩谷時子さんが亡くなりました。享年97歳でしたから,天寿を全うした大往生といえるのかもしれません。われわれにたくさんの歌を残してくれました。

たとえば,( )内は,その発売年,歌手,作曲家の順

恋のバカンス(63,ザ・ピーナッツ,宮川泰
ウナ・セラ,ディ東京(64,ザ・ピーナッツ,宮川泰
逢いたくて逢いたくて(66,園まり,宮川泰

夜明けの歌(64,岸洋子,いずみたく
これが青春だ(66,布施明,いずみたく
ベッドで煙草を吸わないで(66,沢たまき,いずみたく
恋の季節(68,ピンキーとキラーズ,いずみたく
いいじゃないの幸せならば(69,相良直美,いずみたく

君といつまでも(65,加山雄三,弾厚作
旅人よ(66,加山雄三,弾厚作

ほんきかしら(66,島倉千代子,土田啓四郎
サインはV(69,麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ,三沢郷
おまえに(72,フランク永井,吉田正
男の子女の子(72,郷ひろみ,筒美京平

しかし,いろんな範囲に広く詞を提供していて,驚くほどの量です。

岩谷時子(1916-2013)さんは,京城府(現在のソウル別市)に生まれ,5歳のときに兵庫県西宮市に移住,1939年に神戸女学院大学部英文科を卒業後,宝塚歌劇団出版部に就職,『宝塚』の編集長を務めました。

岩谷さんといえば,越路吹雪(1924-80)との関係を言わない訳にはいかないですが,彼女は東京・麹町に生まれ,父の転勤で新潟に,長野県飯山高等女学校(現・飯山高校)を中退して,1937年に宝塚音楽歌劇学校に入学,同期に月丘夢路・音羽信子らがいます。
1939年2月に初舞台,岩谷さんとの出会いは「サインの見本を書いてほしい」とやって来たといいます。15歳と23歳,8歳年下でしたが,最初から意気投合したようです。
清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚で,越路は煙草は吸うし,門限破りはするしの異色の存在で,「不良少女」のあだ名を付けられたといいます。

1951年に越路が宝塚を退団するとき,懇願されて専属の無給のマネージャーとなり東京に行きます。
1952年に越路が出演したシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として越路が「愛の讃歌」を歌うことになり,岩谷さんが自身初の訳詞・作詞をしました。それから越路の楽曲の訳詞や,作詞家として数々のヒット曲を手がけることになりました。

しかし,この「愛の賛歌」の訳詞というか作詞には,原作とは違い過ぎるとの批判が多いのも事実です。
エディット・ピアフの歌はとても激しい恋の歌ですが,岩谷さんのはもっと優しい恋の歌です。やっぱり穏やかな日本人にはこっちの方が合うのではと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=5PHECvAW1Bk

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて    
ただふたりだけで 生きていたいの    
ただいのちのかぎり あたしは愛したい    
いのちのかぎりに あなたを愛したい    

頬と頬よせて 燃えるくちづけを 
かわす喜び かわす喜び    
あなたとふたりで 暮らせるものなら 
なんにもいらない    
なんにもいらない 
あなたとふたりで 生きていくのよ    
あたしの願いは ただそれだけよ 
あなたとふたり

かたくいだき合い 
燃える指に髪を    
からませながら いとしみながら    
口づけを交わすの 
愛こそ燃える火よ    
あたしを燃やす火 
心とかす恋よ

いっぽう激しいピアフの原曲も聴いてみましょうか。後半は英語です。

  空が落ちてこようと
  大地が裂けようと
  わたしは平気よ
  あなたの愛があれば

  あなたの腕に抱かれて
  わたしが震えるとき
  なにもかも かすむわ
  愛される幸せに

  たとえ地の果てまでも
  わたしはついていくわ
  愛されるならば
  月をももぎ取り
  運命も変えてみせる
  求められるならば

  故郷も棄てる
  友達だって
  あなたのためなら 
  笑われようと
  気にはしない
  あなたのためなら

  もしもわたしたちを
  死が引き離すとも
  わたしは恐れない
  あなたに愛されてれば

  ともに歩みましょう
  青い空の彼方を
  何も恐れはしない
  ともに愛し合えば

  いつまでもともに

Hymne a L’Amour

  Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer,
  Et la terre peut bien s’ecrouler,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Je me fous du monde entier.

  Tant qu’ l’amour innondera mes matins,
  Tant qu’mon corps fremira sous tes mains,
  Peu m’importent les problemes,
  Mon amour, puisque tu m’aimes.

  J’irais jusqu’au bout du monde,
  Je me ferais teindre en blonde,
  Si tu me le demandais.
  J’irais decrocher la lune,
  J’irais voler la fortune,
  Si tu me le demandais.

  Je renierais ma patrie,
  Je renierais mes amis,
  Si tu me le demandais.
  On peut bien rire de moi,
  Je ferais n’importe quoi,
  Si tu me le demandais.

  Si un jour, la vie t’arrache a moi,
  Si tu meurs, que tu sois loin de moi,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Car moi je mourrais aussi.

  Nous aurons pour nous l’eternite,
  Dans le bleu de toute l’immensite,
  Dans le ciel, plus de probleme,
  Mon amour, crois-tu qu’on s’aime?

  Dieu reunit ceux qui s’aiment.

じっさい,1953年にパリで,越路はピアフのステージを見て聴いて,非常な衝撃を受けた,と日記に書き残しています。

しかし,有名な歌手たちはかなり短命ですね。

エディット・ピアフ(1915-63,47歳で没)
ナット・キング・コール(1919-65,45歳)
エルビス・プレスリー(1935-77,42歳)
カレン・カーペンター(1950-83,32歳)

越路吹雪(1924-80,56歳)
美空ひばり(1937-89,52歳)

こうなると長生きしているのはダメな歌手,ということにもなりかねないですね。
でも,明らかに声が出ないのに人前で歌う老年歌手をみると,とても切ない気持ちになります。

音源が残っているので,後世の人たちも聴くことができますが,それにしてもみんな早過ぎます。
しかし,もともと歌手は演奏寿命(歌える期間)が短いので,劣化する前に亡くなるのは,良い状態の歌唱や姿だけ残せるので,早逝する方が良い,という見方もあります。

ところで,岩谷さんは越路吹雪から「恋泥棒」というあだ名をつけられていて,越路の恋の話を自分の作詞にしてしまう,と。
じっさい,『恋の季節』で有名な「夜明けのコーヒー」は,外国人から越路が「夜明けのコーヒー」を誘われて,本人はコーヒーを早朝に飲むだけの約束だと思っていた,という実話があります。

岩谷さんは,自分はあくまで清楚に生き,友達の奔放な恋の歌を沢山かいて,一生を二人分,楽しんで生きた,というような稀に見る女性でした。

しかしやっぱり,普通の人間は健康で長生きしたいものです。
これからは季節の移り変わるシーズンです。季節に合わせた生活をして,憧れの春を迎えましょう。