追悼

我が家の愛猫が亡くなりました。享年14歳でした。

思い起こせば出会いのときから少し不思議な猫でした。
秋も深まった風の強い夜,勝手口から猫の声がしました。戸口で子猫が鳴いています。どこから来たのか,勝手口には外戸があり,下からは潜り込む余地がなく,成猫なら外壁を乗り越えて入ってくることは可能ですが,まだそれほど大きくない子猫です。そしてまだ我が家の飼い猫でもないのに,中へ入れてくれと鳴くのはおかしいです。そのとき我が家には既に飼い猫が2匹いました。でも鳴き続け,網戸をよじ登ってきました。風の強い寒い夜だったので,外で死なれても困ると思い,仕方なく中へ入れました。
それがこの猫との不思議な出会いです。大きな雄の先住猫がいたので,襲われてもいけないと思い,私のベッドの端で一夜を共にしました。

ところが次の日から,ずっと前からいるように1脚の椅子を占領してくつろいでいました。大風に乗ってやってきた,風の又三郎のような猫でした。

 

写真は来た当時のものです.(2008.10.21撮影)

その後,先輩の大きな雄猫を追い回すようになりました。本人はただジャレて遊びたいだけだったのでしょうが,先輩猫は嫌がってフーと吹いていました。

犬のようなところがある猫でした。
エサをガツガツと犬のように残さずに食べました。おかげですくすくと大きく成長し,ついに肥満猫になってしまいました。
医者から,元気な猫なので20歳くらいは生きられるから体重だけは減らしてください,と言われ,医者の指導通りのダイエット・レシピを与え,エサくれの鳴き声も心を鬼にして無視し,最大8.7kgから6.2kgくらいまで2.5kgの減量に成功しました。人間でいえば,87kgが62kgまで減らしたことになります。元のスマートな猫に戻りました。しかし,大きな猫ではありました。

2階から階段をドシドシと音を立てて犬のように勢いよく降りてきて,ついでに体ごとこちらにぶつかってきました。

帰宅したとき,玄関で出迎えてくれました。でも犬と違うところはベタベタせず,頭をなでると,そのままスッと部屋に戻りました。

とても腕力のある猫でした。我が家で一か所だけある,人でも開けるのが大変な重い木製のガラスの引き戸を,独りで開けました。

雄猫なので外に出たがりました。
外に出ると,ケンカしてケガして帰ってくることがあるし,以前飼っていた雄猫も戻ってこなかったりしたり,医者からも家中で育てることを勧められたので,外に出さないようにしていました。
本人は出たくて出たくて仕方がなくて,網戸を破っても外へ出ました。丈夫なステンレス製に代えたときも,その日のうちに破られました。

冬,椅子に座って足台に脚を伸ばしていると,その上に載ってきて,お尻をこちらに頭を向うに,前足と後ろ脚をこれでもかという位に伸ばし,ナガーくなって,ズッシリとかなり重かったです。
その足台が空いているときはその上に載ってきて丸くなりました。両手で顔の横を撫でてやると,グルグルグルと喉を鳴らし,本人も満足している様子で,こちらも同時に癒されました。

猫のトイレは1階の人間のトイレの便器の横に置いていました。こちらが用を足していると入ってきて,男同士,ツレションでした。むこうは終わると砂を何度も何度もかけて,臭って,かけて臭って,臭気が無くなったことを十分に確認していました。その様子を観察しているだけで楽しかったです。

歩き方が上品でした。こちらが立っていたり,椅子に座っていたりすると,音もなくやってきて,しっぽで触れるか触れないかほどに繊細に脚の内側をスッと撫でて,「来たよ」と通り過ぎました。

深夜に台所で皿洗いをしていると,終るまで後ろで黙って座って待っていました。それも洗い終わるころに合わせてやってきました。
終わってから,少しだけエサをやって頭を少し撫でてやると,そのまま玄関に行って,夏はドマに寝そべって,冬はゲタ箱の上に載って,ズッーと外を見つめ続けていました。
何を見ていたのでしょうか。広い外の世界を自由に飛び回りたかったのでしょうか,風の又三郎のように。

「ねむいねむいうた」 ABCホームソング 1965年3月 放送 
    作詞:サトウハチロー
    作曲:桜井 順
    歌唱:ボニージャックス

数か月前に首の横にデキモノが出来ているのを発見しました。医者に連れてゆくと,ガンの宣告 ‼ しかも,手術ができない箇所だと告げられました。
一時,抗がん剤が効いたのか,デキモノが小さくなって来たと少し希望が見えたように思っていたのに,数日前から,エサを食べずに動かなくなってきました。どこにおいても勝手に移動し,風呂場の片隅に横たわるようになりました。
以前同居していた先住猫達は数年前の暑い夏の日に相次いで眠るように亡くなりました。
この猫は,元気で体力があったせいでしょう,食べなくなって動かなくなってから数日間耐え,ついに亡くなりました。

部屋の戸を開け放すと,空間が広がり涼風が通り抜けましたが,寂寥感も広がりました。
トイレの猫の砂を片付けると,さほど広くもないトイレが広く感じました。

先日,いつものように深夜に皿洗いをしていると,後に気配を感じ,振り返りましたが,誰もおらず,錯覚か,とも思いましたが,いや気持ちだけはここに残っていて,あいさつに来てくれていたのかもしれません。

2008年10月20日ころから2022年7月19日21時ころまで,13年と9か月,一緒に暮らしてくれて,たくさん思い出をくれてありがとう。面白いヤツでした。安らかに眠ってください。
合掌。

晴耕雨読

 新型コロナウイルスによる感染症が,ついにWHOによってパンデミックと認定されました。
 感染者のクラスターが幾つも指摘され,治療のトリアージュも混乱を極めています。

さて,これらの略語やカタカナ語は理解できますか?

WHO(Wealth Health Organization)「世界保健機関」,国連の専門機関の一つ

パンデミック(pandemic)「世界的大流行」,分類上の最高基準の流行

クラスター(cluster)「感染者の集団」,集会・催し物など人の集合場所での集団感染

トリアージ,トリアージュ(triage,仏語)「識別救急
 患者の重要度に基づいて,治療の優先度を決定して選別を行うこと。救急事故現場において,患者の治療順位,救急搬送の順位,搬送先施設の決定などにおいて用いられる。

元々はフランス軍の野戦病院で始めました。
当初は,身分に関係なく,医学的必要性のみによる治療の選別でしたが,軍事的必要性で識別する方式へ変質していきました。

つまり,重傷者は見捨てられ,兵士として戦線復帰が可能なものに医療資源を投入して,早期の戦力回復を図るようになって行きました。これは戦争状態では当然なのかもしれませんが,人間の尊厳を無視した恐ろしい選別方式です。

いまや前代未聞の,過度な催し物の自粛によって,世の中はどえらいことになってきています。

個人的には,まずスポーツジムで,人の集まるスタジオレッスンは2週間程度,中止となり,さらに中止期間が1週間延長されました。
25台並んでいるランニングマシンの使用が,隔離のため1台おきになり,13台しか使えません。
今はただ,ジム自体が閉鎖になることを恐れています。

テニスコートの使用が2週間余り,中止になりました。
比較的安全な屋外なのに,市立のため,小役人たちがお上の意向を忖度した感じです。

晴耕雨読という言葉があります。
自然と共に生きるという,いかにも悠々自適な生活態度がいいですね。

私の場合は,晴テニス,雨ジム・PCというところでしょうか。 
なにしろ,健康の源は,適度の運動とバランスの良い食事ですから。

今回は,ほのぼのとした,この曲にしましょう。
この『バラ色の街で』は,ABCホームソングで S.33.3 に放送されました。

バラ色の街で』作詞:宮澤章二,作曲:中田喜直,歌:武井義明(1958年3月)

街を 娘が 歩いてる
娘は のぞく 飾り窓
そうだ 病気の父さんに
今日は おみやげ 買って帰ろ
もらったばかりの月給を
娘は そっと なでてみる
ああ バラ色の バラ色の街で

街を 男が 歩いてる
男は あおぐ 遠い空
そうだ 故郷の母さんに
珍しいもの 買って送ろ
もらったばかりの月給を
男は そっと 出してみる
ああ バラ色の バラ色の街で

若い 二人が すれ違う
並木の 道の 曲り角
そうだ どこかの あの人も
何かいいもの 買ったんだな
たがいに知らない者同士
それでも そっと 笑いあう
ああ バラ色の バラ色の街で

宮澤章二(1919-2005) 埼玉県出身,東京大学文学部卒,高校教師から詩人・作詞家。校歌の作詞多数,『ジングルベル』の訳詞家として有名。

中田喜直(1923-2000) 東京出身,東京音楽学校(現・東京芸術大学)ピアノ科卒,作曲家,嫌煙運動家。
『夏の思い出』江間章子・作詞
『雪の降る街を』内村直哉・作詞
『めだかの学校』茶木滋・作詞
『小さい秋みつけた』サトウハチロー・作詞 など多数。
 校歌の作曲も多数。
本人談:
「春の歌を色々作ったのだが,どうもヒットしない。『早春賦』という歌は私の父(中田章)の作曲した唯一知られている歌曲で,歌われている曲がたった一つで,それが春の歌であるから,私はなるべく邪魔をしないで,敬意を表することにした。」

武井義明(1934-1994)高知県出身,中央大学卒,ジャズ歌手。

なにしろ,いまは非常事態です。
東京オリンピックでさえも延期の可能性があります。
みなさんも免疫力をつけて,みんなで耐え忍びましょう。
お元気で。

英雄伝説

本来,重みのあった言葉が,最近特に安易に使われる傾向にありますね。

たとえば,カリスマ,レジェンド,シュールなど,いろいろ耳にします。

カリスマΧάρισμα; ギリシャ語,Charisma; ドイツ語):予言者・呪術師・英雄などに見られ超自然的・または常人を超える資質のことを指す。もとは,キリスト教用語として,『新約聖書』において,神からの天与の賜物の意味で用いられた言葉である

レジェンド(legend):伝説,言い伝え,または伝説上の人物

シュール(シュールレアリスムの略,surréalisme,フランス語):一般的には芸術の形態・主張の一つとして,日本語では超現実主義と訳されている

みんなが使うと,本来の意味が薄れ,ますます軽い言葉になって行きます。

携帯会社が自社のブランドauにかけて「英雄」を登場させるCMが目につきます。三太郎とか言って,桃太郎・金太郎・浦島太郎が登場しますが,浦島は決して英雄ではありませんね。

日本の伝統的な英雄として有名なのは

スサノオ(須佐之男命):イザナギとイザナミの子で,天照大神(アマテラスオオミカミ)は姉

ヤマトタケルノミコト(日本武尊):第12代景行天皇の皇子で,第14代仲哀天皇の父にあたる。熊襲(くまそ)征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄

坂田金時:幼名は金太郎,源頼光の家来・四天王の一人

 ・牛若丸:源義経の幼名
 
弁慶:源義経の郎党の一人
 
桃太郎:お伽噺(おとぎばなし)の一つ
 

かずあるお伽噺のなかで特に不思議なものは,竹取物語,またはかぐや姫です。

あらすじは

昔,竹を取り様々な用途に使い暮らしていた翁とその妻の嫗がいた。ある日,翁が竹林にでかけると,光り輝く竹があった。不思議に思って近寄ってみると中から三寸(約 9 cm)程の可愛らしい女の子が出て来たので,自分たちの子供として育てることにした。

翁が見つけた子供はどんどん大きくなり,三ヶ月ほどで妙齢の娘になって,この世のものとは思えない程の美しさであった。 

世間の男は,その貴賤を問わず皆どうにかしてかぐや姫と結婚したいと,恋い慕い思い悩んだが,その内に,志の無い者は来なくなって,最後に残ったのは色好みといわれる五人の公達で,石作皇子(いしつくりのみこ),車持皇子(くらもちのみこ),右大臣阿倍御主人(あべのみうし),大納言大伴御行(おおとものみゆき),中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)といった。

かぐや姫は,「深い志を知らないままに結婚できません。私の言う物を持って来ることが出来た人にお仕えいたしましょう」と言った。

その意思とは
石作皇子には「仏の御石の鉢」,
車持皇子には「蓬莱の玉の枝(根が銀,茎が金,実が真珠の木の枝)」,
右大臣阿倍御主人には「火鼠の裘(かわごろも,焼いても燃えない布)」,
大納言大伴御行には「龍の首の珠」,
中納言石上麻呂には「燕の産んだ子安貝」を持って来させるというものだった。どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで,手に入れるのは困難だった。

結局,かぐや姫が出した難題をこなした者は誰一人としていなかった。そして,帝の制止もかなわず,かぐや姫は月に帰るのであった。

これは日本最初のSF(siencie fiction,空想科学小説)と言ってもいいでしょう。インドへ行ったり,中国へ行ったりでスケールも大きいです。出来そうもない難題を出すのも面白いです。

これらをかなり忠実に,そして面白おかしく,シャレた歌にしたのが,今回の曲です。

かぐや姫』作詞作曲:三木鶏郎 歌:河井坊茶(1955.9)

最初の男は インドに渡る
仏陀の石鉢 天然記念物
ぴかぴか光らず 真黒なので
よくよく見たらば メイドインジャパン
※泣く泣く かぐや姫 月の出を見て 泣きじゃくる

お次の男は 蓬莱山へ
行きと帰りで 千夜一夜
玉の小枝と 思ったら
話も土産も みんなイミテーション
※くりかえし

第三の男が 中国船に
頼んだ衣は 火ねずみ 防火服
そこで火をつけ 焼いてみたら
みるみる めらめら 灰と消えた
※くりかえし

四度目の男は 竜の玉を
探して来ようと のこのこ出かけ
のりだす荒海 台風 ハリケー
命からがら 逃げかえる
※くりかえし

最後の男は つばめをさがす
今なら さだめし 望遠レンズ
子安の貝を つかんだら
モッコの綱切れ どしんと落ちた
※くりかえし

三木鶏郎(みきトリロー)1914-94
本名は繁田裕司(ひろし),東大・経済学部卒(2浪2留),1940年,日産化学工業に入社半年で召集を受け,千葉県の教育隊の経理部に勤務,軍務のかたわら諸井三郎に作曲を師事,終戦後は復職せず,好きな音楽の道に進むことを決意。
1946年,河井坊茶らと「ミッキートリオ」を結成し,自らは三木鶏郎(みきとりお)を名のる。
1947年,NHKラジオ『日曜娯楽版』での「冗談音楽」で人気を博す。
1951年に永六輔・野坂昭如らと「トリローグループ」を結成,また神津善行・いずみたく・ジョージ川口・小野満・鈴木章治などを集めて「三木鶏郎楽団」を結成し,門下から歌手の楠トシエ・中村メイコや俳優コメディアンの逗子とんぼ・なべおさみ・左とん平などを世に送り出した。

主なヒット曲
・毒消しゃいらんかね(歌:宮城まり子)
・田舎のバス(歌:中村メイコ)
・僕は特急の機関士で(各種レコードが発売)
・鉄人28号・主題歌(歌:デューク・エイセス)

主なCMソング
・僕はアマチュアカメラマン(小西六写真)歌:灰田勝彦
・明るいナショナル(松下電器)ナショナル劇場オープニング
・ジンジン仁丹(森下仁丹)歌:ダーク・ダックス
・くしゃみ三回ルル三錠(三共)歌:伴久美子
・京阪特急(京阪電鉄)歌:楠トシエ

河井坊茶(かわいぼっちゃ)1920-71
本名は秋元喜雄,早大・理工学部卒,暁星中学で数学教師,東京空襲で被災し,復員した三木鶏郎の自宅跡に小屋を建て夫婦で居候,三木らと「ミッキートリオ」を結成し,のち「三木鶏郎グループ」となった。

歌詞に出てくる「メイド・イン・ジャパン」は当時,日本製品が「安かろう悪かろう」と言われて,粗悪品の代名詞であったのが分かります。
いまや「made in Japan」はクール・ジャパン(cool Japan,かっこいい日本)とともに,大人気です。65年の歳月は,無駄ではなかったのです。

その後,三木鶏郎の楽しい音楽を受け継ぐような作曲家は表れていません。

クレージー・キャッツの植木等(1926-2007)が歌う「スーダラ節」からの一連の歌は,ほとんど作詞・青島幸男(元・東京都知事),作曲・萩原哲昌のコンビでした。

宮川泰(ひろし,1931-2006)はクレージー・キャッツへの参加も考えたほどのコメディ志向でしたが,実際の活動はザ・ピーナッツを育てるなど,割合まじめでした。例外は「宇宙戦艦ヤマト」ぐらいでしょうか。

CMでは小林亜星(1932-)がいます。レナウンの「ワンサカ娘」は広田三枝子,シルヴィ・バルタンなどの歌で,出色の長期ヒットです。

さて,新型コロナ・ウイルスが世界中に猛威をふるっています。もはや,感染経路を推定できないほどです。
感染した人の致死率は高くないとはいえ,感染して発症するまでの時間が長く,また感染しても発症しない人でも,感染源になり得る点が,まことに厄介なことです。
免疫力の弱い高齢者の致死率がの高いので気をつけないといけません。

人が集まる催し物・行事などの自粛が呼びかけられています。

東京マラソンの一般参加が中止になりました。
参加料,日本人16,200円,外国人18,200円は戻らないそうです。常連さんに聞くと,戻らないことが普通らしいのですが,参加者38,000人分,しめて6億円余りが消えました!
運営費は20億円くらいかかるので,参加費はその一部だそうです。もし私なら,納得できません。いや,もともと参加する気など全くありませんが・・・

東京オリンピックに影響が出ないと良いのですが。
思い切って秋に順延というのが,競技者・観客にとっても良いのかもしれません。

それこそ,くれぐれも健康に留意して,生き抜かれることを期待します。

懐かしい思い出

今年2020年は,2度目の東京オリンピックの年です。

昨2019年,NHKの大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』は今年を盛り上げるために制作されたようですが,案に反して視聴率は史上最低ということで,一般には不評だったようですが,私は面白く見ました。

1912年ストックホルム(スウェーデン)大会には,短距離の三島弥彦(1886-1954)とマラソンの金栗四三(1891-1983)が,選手団長の加納治五郎(1860-1938)と共に初参加しました。

1920年アントワープ(ベルギー)大会ではテニスのシングルスで熊谷一弥(1890-1968)が日本初の銀メダル,ダブルスでも柏尾誠一郎(1892-1962)とのペアで銀メダルを取っていますが,前記のドラマでは全くこのことに触れませんでした。

1928年アムステルダム(オランダ)大会では三段跳びで織田幹雄(1905-98)が日本初の金メダルを取りましたが,これも全く説明なしで,銀メダルの陸上400mの人見絹江(1907-31)だけは念入りに登場しました。
三段跳びは,1932年ロサンジェルス(アメリカ)大会の南部忠平(1904-97),1936年ベルリン(ドイツ)大会の田島直人(1912-90)と3回連続で日本人が金メダルを取り,日本のお家芸とまで言われたのに,一言の説明もなしで,この偏向が嫌われたのかもしれません。ガンバレ・マエハタの応援で有名な200m平泳ぎの前畑秀子(1914-95)だけはロサンゼルスの銀からベルリンのまで,長々と語りました。

1940年の東京大会は返上,ヘルシンキ(フィンランド)は中止,1944年のロンドン大会も戦争の影響で中止でした。

戦後すぐの1948年ロンドン(イギリス)大会は,日本は占領下で参加できず,その水泳の開催日に合わせて日本選手権を開催し,後にフジマヤマのトビウオと称された古橋廣之進(1928-2009)は400mと1500m自由形で,金メダル記録と世界記録を上回りました。

1956年コルチナ・ダンペッツオ(イタリア)冬季大会では,回転で猪谷千春(1931-)が冬季では日本初の銀メダルを獲得,はアルペン三冠(回転・大回転・滑降)トニー・ザイラー(1935-2009)で映画俳優になりますが,ここから日本の空前のスキー・ブームが始まったのです。

そして,いよいよ1964年に東京大会が開催されました。しかし,戦前の1940年の返上から,たったの24年後ですから,今回の第2回目の2020年までの56年間と比べれば,短いものです。

このとき,東京まで出かけてバレーボールとバスケットボールを観戦しました。出来たばかりの新幹線は高いので使わずに,夜行急行の「銀河」で,父親と二人で最初で最後の,つまり人生一度きりの旅行でした。

そして,妙な類似は,1964年の東京五輪から6年後の1970年は大阪万博,2020年の5年後の2025年にはまた大阪万博で,東京は五輪,大阪は万博,という決まりがあるかのような変な一致です。

今年2020年は ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,1770.12.16-1827.3.26)の生誕250年で,いろんな催しがありそうです。
50年前の1970年の大阪万博の年は,ベートーヴェンの生誕200年でもありましたので,特別な催しが種々ありました。
なかでも,彼の唯一のオペラ『フィデリオ』の大阪・神戸での上演は特別でした。外山雄三(1931-)さん指揮の大阪フィルで,外山さんは現在も元気に活躍中です。実は私も囚人役の男声合唱で参加していたのです。
また,カラヤン指揮のベルリン・フィルがベートーヴェンの全9交響曲を5夜連続で演奏するベートーヴェン・チクルスもありました。

今年はオリンピック観戦には行きません。TVで見る方が楽でしょう。

今回は懐かしいこの歌にしましょう。
大阪のABC朝日放送がラジオ開局の翌年1952年9月から20年間にわたって放送された番組「ABCホームソング」で,毎月2曲のオリジナル曲を製作し放送していました。
有名になったものとして,
フランク永井「公園の手品師」1956.11
・三浦洸一「踊子」1957.2
フランク永井「こいさんのラブコール」1958.4
・中曽根美樹「川は流れる」1961.9
北原謙二「ふるさとの話をしよう」キダ・タロー曲1964.8

1956年5月放送の『お母さんおぼえていますか』は名曲だと思うのに,それほど評判にはなりませんでした。

ちなみにNHKの「みんなのうた」はABCに遅れること9年の1961年4月から,第1回目は「おお牧場はみどり」と「誰も知らない谷川俊太郎・詞,中田義直・曲,楠トシエ・歌,和田誠・アニメでした。ここでも,楠トシエさんです。

お母さんおぼえていますか
北原節子・作詞 高田信一・作曲 楠トシエ・歌(1956.5)

お母さん おぼえていますか
お母さん
まだアパートの ひと部屋のころ
とおい高原に 行きましたね
つめたい水と あまい空気を
いっぱい 飲みましたね
峠で お父さん て呼びましたね
お母さん 
黄色い お帽子 でしたね

お母さん おぼえていますか
お母さん
やっぱり こんなに 雨がふると
屋根から ぽたぽた もりましたね
そしたら しずくの音に あわせて
歌って くれましたね
わたしは 窓辺で ハモニカ吹いて
お母さん
いつも お仕事 でしたね

お母さん おぼえていますか
お母さん
あさひが にっこり 窓にさすと
カナリアたちが さえずりましたね
三毛猫ミーヤに 子犬のコロに
つばめも 季節に来て
思い出は たのしい メリーゴーランド
お母さん
とおい 昔の ことですね

北原節子(1925-)情報がありません

高田信一(1920-60)元広島大学教授,作曲家・指揮者。

楠トシエ(1928.1.11- )東京生まれ,1949年ムーランルージュ新宿座に歌手として入団,1951年三木鶏郎(1914-94)の誘いでNHK『日曜娯楽版』に出演,1953年NHK専属タレント第1号となる,NHK『お笑い三人組』出演(ラジオ1955-60,テレビ1957-66)。愛称は「ビンちゃん」。
NHK紅白歌合戦には7回連続で出場(1957-63)。
元祖コマソン(コマーシャルソング)の女王と称され800~1000曲のCMソングを吹込んだと言われる。「かっぱの歌(黄桜)」「仁丹の歌(森下仁丹)」「京阪特急の歌(京阪電鉄)」「ブリヂストンオートバイの歌(ブリヂストン)」など多数。
シングル「僕は特急の機関士で」(作詞作曲:三木鶏郎)など。

今冬は正しく特別な暖冬です。そしてオーストラリアの山火事もまだ収束しません。中国の新型肺炎はますます拡大の様相です。
これほど異常が続くと,それが異常ではなくなってくる感覚が怖いですね。
冬は寒くて雪が降り積り,夏は日照時間が長くて降水量も多ければ,農作物は豊作になりますが,今年はそれは見込めないでしょう。
せめて体調だけは整えて,これらの異常に立ち向かう覚悟が必要です。新年は始まったばかり,自分なりに良い年にしたいものです。みなさんもどうそお健やかにお過ごしください。

英語の略語

年が明け,平成最後の年となりました。今上天皇は4月に退位,5月には新天皇が即位することに決まっているのに,新元号はまだ決まらず,4月1日に発表するということです。1か月間ではすべての準備は間に合いません。自民党の保守派は,国民の利便さより皇室の神秘化を優先して極秘主義を主張した結果らしいのですが,これでは少なくても今年は余り元号が使われず,年号を西暦で使う所が,先の人たちの思惑と逆に,増えてゆくでしょうね。

それにしても,英語のアルファベットで書かれた略語は分りにくいですね。日本の企業でさえ,民営化で日本国有鉄道がJR(Japan Railways)になり,日本電信電話公社が株式会社になりNTT(Nippon Telegraph and Telephone Corporation)と称するようになったころからでしょうか,ますます分りにくくなったのは。

学校で,おもに国際組織の名前を覚えましたね。

・APEC(Asia Pacific Economic Cooperaion)
アジア太平洋経済機構

・ASEAN(Association of South-East Asian Nations)
東南アジア諸国連合

・CIA (Central Intelligence Agency)
中央情報局〈米国〉

・CTBT(Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty)
包括的核実験禁止条約

・FBI(Federal Bureau of Investigation)
連邦捜査局〈米国〉

・FTA(Free Trade Agreement)
自由貿易協定

・GATT(General Agreement on Tariffs and Trade)
関税及び貿易に関する一般協定

・IAEA(International Atomic Energy Agency)
国際原子力機関

・IEA(Internationl Energy Agency)
国際エネルギー機関

・ILO(Internationl Labor Organization)
国際労働機関

・IMF(Internationl Monetary Fund)
国際通貨基金

・JICA(Japan International Cooperation Agency)
国際協力事業団〈日本〉

・NATO(North Atlantic Treaty Organization)
北大西洋条約機構

・NGO(Non-Govermental Organization)
非政府組織

・ODA(Official Development Assistance)
政府開発援助

・OECD(Organization for Economic Cooperation and Development) 経済協力開発機構

・OPEC(Organization of the Petroleum Exporting Countries)石油輸出国機構

・PLO(Palestine Liberation Organization)
パレスチナ解放機構

・WHO(World Health Organization)
世界保健機関

これらは一般常識として知っておいた方がいいものですが,主にEメールなどで使われる略語はもっと分りにくいです。

4    for   ~のために
・This is 4 u. (u=you)  これはあなたへのです。

AMA  Ask me anything.  何でも聞いていいよ。

asap  as soon as possible  できるだけ早く
・Call me asap!  できるだけ早く電話して!

ASL  Age, Sex, Location  年齢・性別・住所

B4   before    ~のまえに

b/c   because   なぜなら
・b/c  it is my favorite  私の好みだから

bf   boy friend   彼氏

BFN  Bye for now  またね

btw  by the way   ところで
・BTW, how’s your day?  ところで,今日はどうだった?

BS   bullshit  たわごと,でたらめ
・That’s BS!    それは嘘だ!

cya   See you.   またね
・OK. cya   じゃあ,またね

DIY   Do it yourself!  自分でやって!

FAQ  frequently asked questions  よくある質問

FYI   for your information   参考までに

gd    good    いい
・It’s gd.   それいいね!

gf    girl friend   彼女

gtg  get to go  もう行かなきゃ(g2gと同様)
・Sorry, gtg.  ごめん,行くね

gz  congratulations  おめでとう(gratsと同様)

Ic    I see.    分りました

IDK   I don’t know.  知りません

IMO   in my opinion  私の考えでは

J/K   just kidding   冗談です

K    OK     いいよ

lil    little   小さい(少ない)

lmk  let me know   私に教えて

LOL  laughing out loud  大笑い

a   and     そして

n/m   never mind  気にしないで

OMG  Oh, my God  まあ大変,おお困った

OTT   over the top  やりすぎ

pls   please   ~をお願い
・Pls, mail me.  メールください

R    are    ~です

thux  thanks   ありがとう

thru  through  ~を通って

ttyl  talk to you later  またね

ttys  talk to you soon  またね

TY   thank you  ありがとう

u    you   あなた

w/   with  一緒に

w/o  without  ~なしに

yr   your   あなたの

これらは自分で使う必要はありませんが,書いてきた人がいれば,理解してあげましょう。

昨年12月,作曲家の大中恩さんが亡くなりました。享年94歳でした(1924.7.24-2018.12.3)。お父さんは『椰子の実』の作曲者の大中寅二(1896-1982),作家の阪田寛夫(1925-2005)は従弟でした。

楽しい歌をたくさん作ってくれました。

1.サッちゃん     阪田寛夫・作詞(1960.10)
2.犬のおまわりさん  佐藤義美・作詞(1960.10)
3.おなかのへるうた  阪田寛夫・作詞(1960.10)
4.ドロップスのうた  まど・みちお・作詞(1963.10)

今回は,上記の2つです。

 

 

 

これからは冬本番です。寒さに負けず,お元気にお過ごしください。

健康寿命

日本はいまや世界最高の長生きの国になっています。
しかし,平均寿命より健康寿命,とは最近よく聞く言葉です。

健康寿命とは「日常的・継続的な医療・介護に依存しないで,自分の心身で生命維持し,自立した生活ができる生存期間」のことです。
WHO(World Health Organization,世界保健機関)が2000年にこの概念を提唱しました。

現在の日本のデータは

平均寿命  男 81.09歳  女 87.26
健康寿命    72.14     74.79
・  差       8.95     12.47

健康寿命と平均寿命の差は,男で9年,女で12年半もあります。すなわち,それだけの期間,世の中の医療や介護のお世話にならなくてなならないということで,この差はできるだけ縮めたいものです。それが,健康で長生き,という理想でしょう。

最近(2018.10.13),NHKで健康寿命に関する興味深い番組を放送していました。

日本全国の65歳以上,のべ41万人の生活習慣や行動に関するアンケートを,10年以上にわたって追跡調査を行った膨大なデータをもとに,AI(Artificial Intelligence,人工知能)に分析させました。

それによると,「健康には運動より食事より読書」という画期的な分析結果がでました。

たとえば,山梨県は健康寿命が長く,男性は全国1位,女性は3位。ところが運動やスポーツの実施率では,なんと全国最下位。にもかかわらずなぜ健康寿命が長いのでしょうか?
じつは人口に対する図書館の数がダントツの全国1位なのです。

山梨県では学校司書制度が昭和20年代から広がり,公立小学校での学校司書の配置率が98.3%と,高い普及率を誇ります。そんな環境で育った県民全体に読書の習慣が根付いたのではないか,と分析しています。

2017年に,「初等教育をしっかり受けると認知症を減らす効果がありそうだ」という論文が国際的な医学雑誌で発表されました。(Livingston, G. et al.(2017) “Dementia prevention, intervention, and care.”)

また,アメリカ・イェール大学が発表した「読書と寿命」に関する論文によると,50歳以上の約3600人を「本を読む人」と「まったく読まない人」のグループに分け12年に渡って追跡調査したところ,「本を読む人」の方が2年近く寿命が長かったというのです。しかも,性別・健康状態・財産・学歴には関係なく,本を読むことが長寿につながっていたと結論づけています。

さらに,医学や高齢者福祉などのエキスパートが集まるJAGES(日本老年学的評価研究機構)が現在調査中の研究では,「図書館が近くにある人は要介護リスクが低い」というデータもあるとしています。

千葉大学教授の近藤克則さんは,「“心が動くと体が動く”という言葉があるが,何かやってみたいことを見つけると,旅行に行こうとか,行動を起こそうとなる。読書は心を動かし,行動を起こすきっかけを与えてくれるのでは」と言います。

AIの分析では,「本や雑誌を読む人」は多くの健康要素とつながっている一方,「読まない人」は不健康要素(「人生に嫌気がさすことがある」「社会に関心がなくなってきた」など)と数多くつながっていることが判明。はっきりと差が出ました。

東京大学の坂田一郎さんは,「病院を建てたり,医療を充実させることに比べ,学校司書を増やしたり図書館を充実させる方が,コストがかからない」利点があると指摘しています。

以前見たテレビで,脳の断層写真を見ると,広範囲に委縮がみられる,いわゆるアルツハイマー病の重度の状態にあるはずの男性が,認知症テストをすると,まったく問題なしという結果で,会話をしてもまったく普通以上にに応対できていました。その人は,毎日,新聞を隅から隅まで読み,生き生きと外交的に過ごしておられました。恐らく,委縮した部分の働きを,まだ正常な部分の能細胞で,補完しているのではないか,という結論だったように記憶します。

そうすると,認知症も恐くないですよね。新聞・雑誌・本などをしっかり読書して,読みっぱなしにせずに,その話題でほかの人たちと会話すればいいだけのことですから,いたって簡単なことです。

今回の歌はアイルランド民謡『ダニー・ボーイ(Danny Boy)』にしましょう。『ロンドンデリーの歌(Londonnderry Air)』として知られている曲にイングランドの法律家のフレデリック・ウェザリー(Frederic Weatherley)が1913年に歌詞をつけました。ロジェ―・ワーグナー合唱団(米)の演奏です。

 

 

Oh Danny boy, the pipes, the pipes are calling
From glen to glen and down the mountainside
The summer’s gone and all the roses falling
‘Tis you, ‘tis you must go and I must bide.

ああ私のダニーよ バグパイプの音が呼んでいるよ
谷から谷へ 山の斜面を駆け下りるように
夏は過ぎ去り バラもみんな枯れ落ちる中
あなたは あなたは行ってしまう

But come ye back when summer’s in the meadow
Or when the valley’s hushed and white with snow
‘Tis I’ll be here in sunshine or in shadow
Oh Danny boy, Oh Danny boy, I love you so.

戻ってきて 夏の草原の中
谷が雪で静かに白く染まるときでもいい
日の光の中,日陰の中,私は居ます
ああ私のダニーよ,あなたを心から愛しています

But if ye come and all the flowers are dying
If I am dead, as dead I well may be,
You’ll come and find the place where I am lying
And kneel and say an Ave there for me.

すべての花が枯れ落ちる中,あなたが帰ってきて
もし私が既に亡くなっていても
あなたは私が眠る場所を探して
ひざまづき,お別れの言葉をかけるのです

And I shall hear, though soft, your tread above me
And all my grave shall warmer, sweeter be
For you will bend and tell me that you love me
And I shall sleep in peace until you come to me.

私の上を静かにそっと歩いても私には聞こえる
あなたが愛してるといってくれたとき
私は暖かく心地よい空気に包まれるでしょう
私は安らかに眠り続けます
あなたが私の元に来るその時まで

この歌はアイルランド本国よりも,移民でアメリカなどの外地に出た人たちの間で広まりました。故郷を思う心が,この母の思いと重なったのでしょう。

「健康には運動より食事より読書」といっても,やっぱり適度な運動と,バランスのとれた食事は,健康には欠かせません。

食事をするときに,いきなりガツガツ食べ始めないで,その料理を見つめて,少し考えてみる,「この食事はいま必要なのか」と。そうするだけで,不必要な食物摂取は控えられるそうです。

頭で食べる,と言う言葉もありますね。ちょっと考えるだけで大きく違ってきます。やっぱり人間は脳を中心に生きているのです。

これから寒さの冬に向かいますが,準備は十分ですか?
インフルエンザの予防接種は済みましたか?
抗体ができるまで一ヵ月ほどかかるので,11月中には終わっておきたいですね。
季節と気候にあった生活をするのが重要です。今から過剰に厚着をする必要はありません。少しは我慢することで鍛えられることもあります。気温変化を見て,自分に合った生活をしましょう。

競うこと

「人生は競争だ」という台詞(せりふ)はよく聞きますね。そうではない,と否定する人もいますが,競争にさらされているのは事実です。
競うことで成長するということも確かにあるでしょう。

そのせいか,テレビでも,競い合いを見せる番組が大流行です。
プレバト!!」(これはプレッシャー・バトルの略?,精神的な圧迫の中で競争させる,意か),いろいろの競争対象がある中,「俳句の才能査定ランキング」というのが面白いんです。選者というか批評家というか,夏井いつき(1957-)という先生が,名前を伏せた人たちの作った俳句を査定してランキングするんですが,その辛口というか,毒舌というか,辛辣というか,なにしろその表現が半端ないんです。よくぞあれだけボロクソに言えるな,というくらい上手にケナスんです。まあ,それが売り物で,番組も好調で,著作本も売れ,「俳句の普及に貢献した」ということで表彰もされているそうです。

THEカラオケ☆バトル」というカラオケマシンで歌唱を採点する番組も人気です。この機械は第一興商(DAM)の製品ですが,音程正確率・表現力・リズムなど多項目で評価しているようです。
このマシンのだす評価がけっこう的確で,私個人の思う評価と近いので,採点結果に納得してしまうのです。 

人間が評価するとき,客観は無理で,主観的にならざるを得ません。つまり好き嫌いが必ず結果に反映されるということです。
コンクールなどで,審査員達の評価が併記されていたりしますが,個々で評価が全く違ったりしています。これでは採点される方はたまったものではありません。参加者の皆さんは納得されているんでしょうかね。
これがコンクールに対する基本的な不信感です。芸術に簡単に優劣がつけられるのか,という本質的な疑問です。

同じような番組ですが「関ジャニの仕分け∞」の中で,ピアノ演奏を競うものがあります。これは,ミスタッチの数を数えて少ない方が勝ち,という単純なものです。
しかし,これは明らかに邪道です。

もちろん,ミスタッチはないに越したことはありませんが,実際のピアノ演奏会では,奏者のミスタッチは必ずといっていいほど発生しますが,それだけで演奏の出来を評価できません。少々のミスがあっても,感動を与える良い演奏というものはあるわけで,それが生の魅力でもあるのです。
ミスのない演奏を聴きたいなら,CDを聴けばよいのです。

さらに,「芸能人格付けチェック」という,番組名からして変なのもあります。味覚・視覚・聴覚などの判断を求めるもので,結果によって,一流・二流・三流などと勝手に格付けされるというおかしな内容です。
面白くもない似たような番組が並ぶ正月に,よく放映されていて,しかたなく見ていましたが,この秋に,音楽に特化してやっていました。

楽器演奏をして,楽器の値段が高い方を当てる,というものがあり,市場価格18億円のストラディバリウスと20万円のバイオリンでは,さすがに音色に差がでました。

しかし,プロフェッショナルとアマチュアとの演奏比べには,大いに疑問が残りました。
ニューヨークの名門音楽大学などで学び,数々の賞を受賞している世界的なソプラノ歌手と称する人と,アマチュアの歌手がオペラのアリアを歌い比べました。
すると,全員(6人でしたか)がこれこそプロと判断した人が,実はアマチュア歌手の方だったのです。私も聴いていて,プロという人は,あきらかに音程がぶら下がり(その音に達してない,低い)聴きづらかったのです。
アマの人の方が上手いと全員が判断したので,その結果は正しいのです。
司会者は,みなさん全員,耳鼻科に行ってください,と笑ってごまかしましたが,これは明らかに制作側のミスです。その程度の歌手を,肩書だけで連れてきたのが失敗でした。

スポーツの世界で,時間や距離で結果を判定する競技には,誰もが納得して,勝者を称賛します。
しかし,技術点と芸術点で審判員が採点する競技は,いつも疑問が残ります。

フィギュアスケート,体操,シンクロナイズドスイミングなど,いやこれは最近アーティスティックスイミングと名称を変えました。これは芸術的な面を強調することで,余計に判定評価を難しくしたのではありませんかね。

フィギュアスケートの伊藤みどり(1969-)は1992年のアルベールビルオリンピックで,トリプルアクセル(3回軒半)を世界で初めて飛びましたが,銀メダルに終わりました。身長が145cmしかなく,脚もO脚ぎみという,典型的な昔ながらの日本人体型で,技術点が高くても芸術点が低いという,損な対応を受けました。

また,空手組手という種目があり,では審判が採点します。見ていると選手の気合に圧倒されますが,空手という実践的な武道が,点数化して評価することには違和感があります。

かつて,嘉納治五郎(1860-1938)が明治期に柔道を創設し,それまでの柔術が型を重視していたのを,実践的な乱捕りで練習することで競技力を高め,柔術を駆逐した経緯があります。

たとえば,美人コンテスト(beauty contest)などは,生まれつきの容姿だけで判定されるきらいがあるので,批判の対象となっていましたが,今は逆に,表面的な美醜をことさら言いたてる情けない世の中になってきているようです。

今回の歌は『七つの子』にしましょう。

七つの子
・野口雨情・作詞 本居長世・作曲(1912)「金の船」

烏 なぜ啼くの 烏は山に
可愛い七つの 子があるからよ

可愛可愛と 烏は啼くの
可愛可愛と 啼くんだよ

山の古巣に いって見てご覧
丸い目をした いい子だよ

野口雨情(1882-1945)茨城出身,詩人,童謡・民謡作詞家,北原白秋・西条八十とともに三大詩人と言われ,代表作は十五夜お月さん,赤い靴,青い目の人形,シャボン玉,雨降りお月さん,波浮の港,船頭小唄など。

本居長世(1885-1945)東京出身,国学者・本居宣長の6代目,東京音楽学校卒,同期に山田耕筰がいる,代表作は青い目の人形,赤い靴,十五夜お月さん,めえめえ児山羊,汽車ぽっぽなど。

これからは秋本番。ということは冬に向かう寒い日と,「小春日和(こはるびより)」といわれるような暖かい日があったりしますから,気象予報には注意して,風邪など引かないように,元気にお過ごしください。

おおさか弁

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)はこの10月からは大阪編で,『まんぷく』が始まります。

いわずとしれた日清食品の創業者・安藤百福(ももふく,1910-2007)がモデルです。「ラーメンは健康食」というが安藤の口癖で,「毎日ラーメンを食べているから健康長寿を保っている」と言い,96年の生涯でした。もとは台湾人(呉百福)ですが,1966年に日本国籍を取得しています。
1958年,池田市の自宅敷地内で,妻・仁子(まさこ)とともに,1年あまり失敗を繰返し苦労を重ねて,ついにインスタントラーメン(即席めん)「チキンラーメン」を開発しました。
今もその地に「発明記念館」が建っていて,来場者が自らチキンラーメンを製作して,それを食べることができるようになっています。

チキンラーメンの初体験については,明瞭な記憶があります。恐らく発売して直ぐのころだと思いますが,母が買って来たのを,今のように「丼に入れて湯を注いで3分間待つ」のではなくて,鍋で沸かした湯に乾燥した麺を投入し,ほぐしてもらったおかげで,麺が縮れなく上手に戻って,非常においしく感じ,追加をお願いした経験がありました。
しかし,いま食べてもそれほどおいしいとは思いません。なぜでしょうかね。

朝ドラですが,主人公は3女の今井福子安藤サクラ),長姉は内田有紀)ですが,内田はいま同時期に大河ドラマ『西郷どん』で大久保一蔵の愛人・芸妓「ゆう」役で出ています。大阪ことば(大阪弁)と京ことば(京都弁と言ってはなりません)を同時期に使い分けるのは,至難の業でしょうね。

愛人といえば,貧しさのため薩摩から売られてきた「ふき」(高梨臨)が「およし」と名のり,一橋(徳川)慶喜の側室になりました。
じつはこの「」は実在の人です。薩摩出身ではありませんが慶喜の妾でした。新門辰五郎(1800?-1875)の娘です。辰五郎は江戸の町火消し「を組」の頭で侠客でもあり,慶喜が上洛すると,彼から呼ばれ,子分を連れて二条城の警備にあたり,大政奉還後は,慶喜が謹慎する上野寛永寺の警護,慶喜が水戸・駿府と移り謹慎すると,それぞれ警護を務め,清水次郎長とも知縁があったと伝えられています。

ここで幕末・維新に有名な愛人系の女性を並べてみましょうか。

まず芸妓「幾松」(1843-86)が有名ですね。桂小五郎の恋人です。維新後に桂と結婚,木戸松子となりました。

つぎに「唐人お吉」(1841-90)。初代アメリカ総領事ハリスが体調を崩し,看護婦の派遣を要請したが,日本には看護婦はおらず,なぜか妾と混同して,芸者のお吉に白羽の矢があたり,3ヵ月後にハリスは回復してお吉は返されたが,外人に身を許した女ということで,世間の対応は冷たく,結局,耐え切れず自殺しました。

そして芸妓「うの」(1843-1909)。下関で芸者をしているとき,高杉晋作に出会い妾となり,高杉が長州から逃避行する際,ずっと同行し,高杉の死後は,高杉の名を汚すことのないように,半ば強制的に出家させられ,梅処尼と称し,生涯,高杉の菩提を弔いました。

話はかわりますが,いまテニスの大坂なおみの話題で沸騰しています。
全米オープンで優勝したあくる朝,大新聞の第1面に「100年の夢 大坂V」の大きな見出しがでました。
1916(大正5)年, 熊谷一弥・三神八四郎が全米オープンの前身である全米選手権に出場してから102年後の快挙です。

優勝後,各局からのインタビューに引きまわされ,同じような質問を繰り返され,それでもつたない日本語で本音で答えている姿がけなげでした。これを「大坂弁」と称します。
つまり,どこかの首相のように「謙虚丁寧な取組みを行って参りたい」などと,現実とはかい離した中身のない紋切り型の慇懃無礼な答弁で,論語にある「巧言令色少なし仁」の見本のような態度とは対極にある,正直な受け答えなので,なおみ大坂弁にみんながはまるのです。

サッカーの「大迫半端ない」という有名なシーンがありましたが,そのパロディがあるのを,ご存知ですか?
外国人の女性が泣きながら「大坂半端ない」と言うんです。もちろん日本語しかもベタベタの大阪弁の吹替えですが,場面は同じように進行し,最後に監督が笑いながら「大坂を応援しよう」で終わる,日清食品のCMです。大坂は錦織同様に日清食品の所属ですからね。

日本の秋は「十五夜」にお月見を楽しむことことでした。旧暦の秋(7・8・9月)の最中(もなか)に当るから中秋といいます。また月に芋を供えるので芋名月とも呼ばれます。旧暦8月15日が中秋の名月,今年は9月24日になります。
十五夜の後,だんだん月の出が遅くなるので,月の出を待って呼び名が変って行きます。

16日 十六夜(いざよい)ためらうように出てくる意
17日 立待月(たちまちづき)
18日 居待月(いまちづき)
19日 寝待月,臥待月(ふしまちづき)
20日 更待月(ふけまちづき)

今回の歌は「十五夜お月さん
野口雨情・作詞 本居長世・作曲 『金の船』(1920)

十五夜お月さん
ご機嫌さん
婆やは お暇 とりました

十五夜お月さん
妹は
田舎へ 貰られて ゆきました

十五夜お月さん
母 (かか) さんに
も一度 わたしは 逢いたいな

今年は猛暑の影響で,台風がひっきりなしに日本列島を直撃して,被害も相当です。
久しぶりに停電の経験をしました。現代社会では,電気がないと何もできないことに改めて気づきました。
天災は忘れた頃にやってくる」は寺田寅彦(1878-1935)の言葉と言われていますが,いまは「忘れぬうちにやってくる」状態です。
備えあれば憂いなし」ですので,「自分は大丈夫」的な根拠のない思い込みは止めて,出来る範囲の準備をしましょう。

話せる英語

いまや話せる英語,使える英語への要求が半端ないですね。学校教育でも英会話に力を入れていて,基礎となる文法は大丈夫?とつい思ってしまいます。

話せる英語の極端は,車夫英語でしょうか。
明治の文明開化の世になって,いきなり外国人に接する機会が増え,人力車の車夫たちはお客の英語を耳で聞いて,そのまま発音しました。

たとえば,

魬(ハマチ)       How much?   いくら?
赤飯(セキハン)     Shake hand.   握手して
知らんぷり(シランプリ) Sit down, please. 座って下さい
掘った芋(ホッタイモ)  What time?   何時?
揚げ豆腐(アゲトウフ)  I’ll get off.    降ります 
お仕舞いか(オシマイカ) Wash may car.  車を洗って

これが意外に通じるのです。
本を読んで綴り字から学んだのが書生,これを書生英語といってあまり通じなかったのです。

たとえば,
人名で ”Hepburn” では,「ヘボン」といえばヘボン式ローマ字,「ヘップバーン」と発音すると女優のオードリ-・ヘップバーンを指し,前者を車夫英語,後者を書生英語と言ってもいいと思いますが,もちろん,前者の方が通じます。

幕末から明治維新にかけて活躍したジョン万次郎中浜万次郎,1827-98)は,土佐の漁師で,14歳のとき,出漁中に難破して漂流,米国の捕鯨船に助けられ,本土に渡り,船長ホイットフィールドの養子となり,米国で学び,10年後に帰国,薩摩藩や土佐藩,さらに幕府に仕え,のち開成学校(現東京大学)教授となりました。
口語の通訳としては有能でしたが,日本語の学習経験がなかったため,英語の文章を日本語(文語)に訳すのは不得意だったそうです。

万次郎の編纂した英語辞書の発音にも,

こーる   cool
わら    water
さんれぃ  Sunday
にゅうよぅ  New York

などがあるのですが,不思議なことにこれがまたチャンと通じるのです。

さらに,グッとくだけて,深夜番組『タモリ倶楽部』(テレビ朝日系)で,タモリの「誰が言ったか知らないが、言われてみれば確かに聞こえる〈空耳アワー〉のお時間がやってまいりました。」で始まる,まことにふざけたコーナーがあります。
2018.5.12(00:20-00:50)放送,レイ・チャールズの「愛さずにはいられない(I can’t stop loving you)」を流して,映像は
バスタオルをまとって,お風呂から出てきた女性,そのバスタオルをとって,Tシャツを着ると,スマホに非通知の着信が,「拝見したわ,美乳」,ハイケンシタワビニュウ(アイキャンストップラビングユー),だと!
こじつけにも程がある,というものです。

今回の歌は,そのレイ・チャールズに敬意を表して,「わが心のジョージア(Georgia On My Mind)1960」にしましょうか。

Georgia, Georgia
The whole day through
Just an old sweet song
Keeps Georgia on my mind
I’m say Georgia, Georgia
A song of you
Comes as sweet and clear
As moonlight through the pines
Other arms reach out to me
Other eyes smile tenderly
Still in peaceful dreams I see
The road leads back to you
I said Georgia
Oh Georgia, no peace I find
Just an old sweet song
Keeps Georgia on my mind
Other arms reach out to me
Other eyes smile tenderly
Still in
 
レイ・チャールズ(Ray Charles Robinson,1930-2004)は,アメリカ・ジョージア州出身の盲目の黒人歌手・ピアニスト,バック・コーラスを背にピアノを弾きながら熱唱するのがスタイルでした。
20年近く麻薬を常用していましたが,1965年に更生施設に入所し,ヘロインを断つことに成功しました。
1979年にその「わが心のジョージア」が洲歌に定められました。2004年に伝記映画「レイ(Ray)」が公開されましたが,それを見ることなく,その年に肝臓癌で死去しました。
 
長い猛暑の夏もようやく終わりを告げ,
 
 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる
                  藤原敏行(古今和歌集)
 
というような季節になってきました。
こういうとき,夏の疲れが出やすいものです。しっかり食事して,しっかり休養をとって,夏バテした体力を回復させるときでもあります。
気温の急変には気をつけて,元気にお過ごしください。
 

新聞を読んで

新聞の発行部数が激減しているそうです。PCやスマホで無料かつ素早く見られるということで,やむをえない面もあります。
以前は,朝刊に目を通しながら朝食を食べる,夕刊に目を通しながら夕食を食べる,というのが一般的な家庭の光景のように思っていました。
通勤電車で新聞を広げている光景も見なくなりましたね。ほとんどスマホをですね。しかし彼らはニュースを見ているのではなさそうです。ゲームでしょうか,LINEのチェックでしょうか。

新聞を定期購読しないような家庭では,TVやスマホのニュースもあまり見てないようです。そのような人たちはどうやって社会の動きをとらえているのでしょうか。そういうことにまったく関心なく過ごしていては恐ろしいことになりかねません。

ここで,一つの新聞記事を紹介します。毎日新聞2018年7月10日夕刊の小国綾子あした元気になあれ』というコラムの「星野君の二塁打」という記事です。

 小学6年の「道徳」の教科書に載っている教材「星野君の二塁打」が議論を呼んでいる。野球チームで監督から犠打を命じられた星野君,それに背いて二塁打を放つ。その結果,チームは勝利するが,星野君は監督から「チームの約束を破り,輪を乱した」ことを理由に,次の大会で出場停止を言い渡されてしまう,という話。
 でも,星野君のしたことは本当に悪いこと? ふと,約10年前に米国で体験した少年野球を思い出した。現地のチームで野球をしていた息子が,毎打席のようにバントサインを出されたことがある。「自分の打撃がダメだから」と落ち込む息子を見かねて,家族で監督に理由を聞きに行った。ところが,監督は「えーっ! 君はバントが好きと勘違いしてたよ。だって,バントサインに『ノー!』と言わなかったじゃないか」。
 日本では監督の指示に黙々と従うのが美徳なんです,と説明したら,監督は息子にこう諭したのだった。「この国では,打ちたいなら打ちたいと意思表示しなきゃ。言わなきゃ何も伝わらないよ」
   ―― 後略 ――

この記事を読んで,こんなことが道徳の教材になっているのか,と驚きました。これで何を教えたいんですか。これを題材にしてディベートで議論させるなら,それはそれなりに教育効果はあるでしょう。しかし出場停止にするなんて,明らかにパワハラです。昨今の日大アメフトのやり方と何の変わりもありません。

これで思い出したのが,1992年の甲子園の夏の高校野球で,星稜高校(石川)の松井秀喜が,明徳義塾(高知)から5打席連続の敬遠を受けた事件です。なんと無走者の状態でも敬遠しました。前夜,明徳の馬淵監督は,故意に四球を与えているように思われないように,捕手は座ったまま,投手はストライクが入らないと首をかしげる,外野はフェンス際までさがる,など「演技」することさえ指示しました。
勝つためには何でもする,というのはフェアプレー(よく選手宣誓で言います)の精神から逸脱しているのではありませんか。
なにより,やっている選手たちが面白くなかった,と思います。
投手は強打者と勝負したかったのに違いありません。打たれても負けても良い思い出になったことでしょう。

今年は100回の記念大会とかで盛り上がっています。いや盛り上げ過ぎています。真夏の異常な暑さの中で,一堂に会して連日野球をすることに,なにより健康管理の面で,問題があるとは思いませんか。

もう一つの記事があります。
毎日新聞2018年7月13日夕刊の近藤勝重昨今 ことば事情』というコラムの「非常時/国防」です。

 非常時という言葉に人は何を連想するか。国家の重大な危機と,戦争が迫っていることを語釈としている辞書が一般的だ。
 それでは国防という言葉はどうだろうと引いてみたが,外敵から国を守るともっぱら戦争を想定した解釈が多い。
 しかし寺田寅彦は1934(昭和9)年,雑誌で「天災と国防」と題して災害も国を脅かす天然の敵とみて,国防の必要性を訴えた。かつ戦争は避けられるが,天災は「その襲来を中止するわけにはいかない」と書いている。
   ―― 中略 ――
 寅彦は文明の進歩で「日本全体が一つの高等な有機体」になるので,「その影響はたちまち全体に波及する」とも訴え,「文明が進めば進むほど天然の暴威による被害がその激烈の度を増す」と警告している。
   ―― 中略 ――
 増大する一方の防衛費のどのくらいを割けば,堤防の決壊といった事態を防ぎ得るのか。異常気象にも対応した議論がもっとなされなければならないのではないか。

今まさに寺田寅彦の警告が的中しています。地震・大雨の天災によって右往左往しています。起こる前の対策,起ってからの迅速な対応,毎年のように起こっているのに,そのたびに,不手際が目立ちます。本当の意味での国防意識に欠けています。政治家も,この非常時に宴会をしている場合ではない,もっと真剣に取組まねばなりません。

今回は,真夏に真冬の音楽です。
ヨハン・シュトラウスⅡのオペレッタ『こうもり』です。
ウィーン国立歌劇場では,年末に『こうもり』を,年始に『ニューイヤー・コンサート』を,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を各70人前後の二手に分けて上演するのが恒例です。

『こうもり』のあらすじは,役人を殴った罪で,刑務所に入ることになったアイゼンシュタインは明朝6時に収監されるのに,その前夜,仮面舞踏会に出かけるのです。そこで,ハンガリーの伯爵夫人に変装した妻ロザリンデに会い,口説きだすのです。
本当にハンガリー人?,と疑われるので,民族舞踏「チャルダッシュ」を歌うのです。

この曲には個人的な思い出があります。
今から6年前の夏,指揮法の勉強会で,ある新人のソプラノ歌手が,私の稚拙な指揮に付き合って歌ってくれたのです。
その後,どうされているのか,と気にかけていましたが,奨学金を受けてドイツに留学していて,スカラシップのコンサートが,来週,京都で開催されることを新聞で知って,聴きに行くことにしているのです。どんな様子なのか,今から楽しみです。

今夏は,まさしく異常な暑さです。大雨もあったし,逆進行の台風もあったり,異常気象を認めない訳にはいきません。
報道でも,熱中症予防を呼びかけていて,室内では躊躇なくエアコンを使うように,強く勧めています。
私も昨年までは,寝る前にエアコンを数時間つけて,寝るときに止めていましたが,今年はさすがに付けています。ただし,除湿モードで,起床時間の1時間前にタイマーで切れるようにしています。

秋が待ち遠しいですが,ご心配なく,もう数週間後には,間違いなく秋が訪れますから。それまで,給水を怠らず,無事に乗り切りましょう。

季節・気候と衣・食・住と歌にかかわって発信します