肉のはなし

毎月29日は「肉の日」だそうです。
語呂合せで,29をニクと読んで肉の日になったということです。

ご存知のように,といえば,西牛東豚が,もう常識になっていますね。
肉ジャガにもカレーライスにも,関西では当然牛肉なのに,関東では豚肉を使うそうです。

関西では551蓬莱の「豚まん」なのに,関東では井村屋の「肉まん」で,〇〇家の「牛どん」がでたときに,関西では「肉どん」というのに,と違和感を持ちました。

そういえば,最後の将軍・第15代徳川慶喜(1837-1913)は薩摩の豚肉が好みで,「豚一(ぶたいち)様」と呼ばれたそうです。「一」は一橋家の出の意味です。
この人,維新の志士たちや幕臣たちのほとんどが早逝しているのに,76歳,大正期まで生きてのびています。

ちなみに,徳川御三家とは尾張・紀州・水戸であり,8代将軍吉宗(紀州家の出)以降に御三卿すなわち,田安・一橋・清水ができました。
慶喜水戸藩主・徳川斉昭の子ですが,一橋家に養子に入り,将軍家を継承しました。

先日,TV番組で,夫が「今夜,肉が食べたい」と連絡すると,妻はどんな料理を出すか,というような他愛のないことをやっていました。

結果,豚肉のしょうが炒め,トリのから揚げ,トンカツなど,ほとんど牛肉料理以外で,1軒だけすき焼きで,その夫は大喜びしていました。
これは妻の確信犯的行動で,健康のため,経済のため,分っていて作ったようです。現代の妻たちも頭が良いですね。

ここで,牛肉豚肉鶏肉の特徴を比較してみましょうか。

牛肉タンパク質脂質,ビタミンB2を多く含んでいます。赤身には鉄や亜鉛,リンなどのミネラルが豊富です。タンパク質は筋肉や血液をつくったり,体内の組織を再生したりするはたらきを持っていますが,体内に摂り入れるだけではなかなかエネルギーに変わりません。そこで活躍するのがビタミンBとミネラルで,代謝を促し,効率良くエネルギーに変えてくれます。太りやすくなるのは動物性脂肪が体内で固まりやすいことが原因です。

豚肉ビタミンB群牛肉の約5倍も含まれています。特に多く含まれるビタミンB1は,脳や中枢神経の働きを活性化させるはたらきがあるため,集中力や記憶力を高め,イライラを抑える効果があります。必須アミノ酸をバランス良く含んでいることも大きな特徴です。そのほか血管を拡張するはたらきもあり,動脈硬化や高血圧の予防に効果的とされるコリンも多く含まれていたりと,何かと健康効果が期待できるのが豚肉です。

鶏肉脂肪が少なく,消化が良いことが利点です。脂肪分が皮の部分だけなので,皮を取り除けば,脂質やコレステロールを抑えられるため,肥満防止に効果があります。必須アミノ酸のひとつであるメチオニンも多く,肝機能の強化や肝臓に脂肪が溜まる脂肪肝の予防効果があります。ビタミンA,ビタミンB6,ナイアシンを多く含んでおり,眼精疲労の緩和,精神安定などの効果が期待されます。また,皮や骨まわりの部位はコラーゲンが豊富で,肌の新陳代謝を促進します。

相撲取りは牛肉豚肉は食べず,鶏肉を食べます。
それは四足は負けを意味するので,二足で立つ鶏を好むのです。

また,かつての陸上競技短距離の王者カール・ルイスは鶏肉しか食べないことで有名でしたが,それはダイエットのためだったようです。

欧米人は肉食中心で進化してきており,腸の長さは肉食動物並みの4mになってきています。大腸ガン潰瘍性大腸炎になりやすく,肉食大国アメリカでは大腸ガンは死亡率の第2位です。

日本人も戦後の欧米化によって肉食中心の生活になりましたが,もともとは野菜や穀類で進化してきたため,欧米人に比べ長めの腸(7m)ですので,日本人が肉食すると,腸が長い分だけ腐敗便を作りやすく,悪玉菌増殖の危険性,増加した動物性脂肪の影響などで大腸ガン潰瘍性大腸炎その他の成人病を引き起こす可能性は他の民族に比べて大きいことになります。

日本は農耕民族で穀物を主食とし,300年前まで玄米菜食でした。675年天武天皇により肉食禁止令が出されて以来,7世紀から19世紀(江戸末期)までの間,原則として肉食は禁止されていました。しかし体が温まるなど薬膳として,あるいは猟師などが密かに食べてはいました。

人間の歯は動物を取ってしとめるキバはなく,草食に適した臼歯があります。

人類が進化する過程で,肉食するようになって,脳細胞が飛躍的に増大して,絶大な思考力を得るようになったという説があります。
しかし,現在,肉食を増やしても,残念ながら脳が増大することはありません。

必要なたんぱく質を摂取するために,肉食は必要ですが,控えめにして,牛肉よりも豚肉や鶏肉を中心にする方が健康維持には良いでしょう。

さて,
寒い冬の歌はこの曲にしましょうか。

ペチカ北原白秋・詞 山田耕筰・曲(1925)「子供の村」

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
むかしむかしよ 燃えろよペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ おもては寒い
栗や栗やと 呼びますペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
いまにやなぎも 萌えましょペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ 誰だか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ 

ペチカпечка,pechka)はロシアの暖炉調理装置です。
煙道がめぐらしてあるレンガなどで造った壁面の輻射熱で部屋を暖めます。

ここで,熱の伝わり方を簡単に説明しますと,伝導・対流・輻射の3つの移動方法があります。

熱伝導とは,物質の移動を伴わずに高温側から低温側へ熱が伝わる移動現象です。鍋の取っ手が熱くなるのは,その一例です。

熱対流とは,流体(液体,気体)内の加熱された部分は膨張し密度が小さくなって上昇し,そこへ周囲の低温の流体が流入して行われる熱移動です。鍋で湯を沸かすと,液体の熱移動が見られます。

熱輻射(ふくしゃ,放射)とは,高温の固体表面から低温の固体表面に,その間の気体の存在に関係なく,直接に電磁波の形で伝わる熱移動をいいます。太陽からの熱の伝わり方がその例です。

輻射型の暖房装置には,中国にかん),朝鮮はオンドル(温突)という伝統的な床暖房がありました。
これは台所のかまどで煮炊きしたときに発生する煙を居住空間の床下に通し,床を暖めることによって部屋全体をも暖める設備です。

日本でこのような本格的な暖房システムが普及しなかったのは,比較的温暖な気候のせいでしょう。

田舎ではいろり(囲炉裏)という調理・暖房器がありました。

温暖地ではせいぜい火鉢という局所暖房器でしょうか。
しかし,火鉢に入れた炭火五徳(ごとく)の上で鉄瓶がチンチンと鳴っている様には風情がありました。
また,五徳に金網をのせて,餅ないしオカキをじっくり焼きあげるのは,味わい深いものがありました。

春までもう少し,インフルエンザなどに罹らず,元気にお過ごしください。

加湿の効果と問題点

先日テレビで加湿器を紹介する番組がありました。
食事中に居間から聞こえてきた音声だけの内容なので詳しくは分りませんが,冬季の加湿の必要性にも言及していたと思います。

一般の聴取者のみなさんが,なるほど冬の加湿は必要なのか,という考慮を欠いた考え方に警告を与えるために,この記事を書いています。

たしかに,乾燥状態が続くと,のどや気管支は防御機能が低下するため,インフルエンザ・ウイルスによる感染が起こりやすくなります。

また,「ゴホン10万,ハクション100万」という言葉があるそうで,風邪をひくと1回の咳(せき)で10万個,1回のくしゃみで100万個のウイルスが空気中にばらまかれるといわれています。このウイルスは,乾燥状態では空気中に漂う時間が長くなりますが,湿度の高い状況では,すぐに地面に落下してしまい,感染の危険性が減るというのです。

しかし,一般の人たちはあまり気づいていないのですが,とても重大な建物側からの問題点があります。

それは「結露」の問題です。

結露といえば,窓につく水滴,ぐらいに思っている方々がいますが,窓ガラスだけで収まってくれれば,それほど大きな問題にはならないのですが,空気中の水分はいろんな場所に流れ込んで,見えないところで害を及ぼすので問題が大きいのです。

空気中や材料の内部に含まれる水分のことを「湿気(しっき,しっけ)」と呼び,液体(水)と気体(水蒸気)の両方の状態をいいます。

湿気の性質は,拡散性が高く防湿がむずかしいことです。
また,空気中に含み得る水分の量は,温度に関係し,高温では多く,低温になるにしたがって少なくなります。
ですから,低温になると,気体の状態でおれなくて,液体にもどり結露を引き起こすのです。

寒い地方では,建物内部で起こった結露のために氷結して,建物が破壊するような重大被害も起こりました。

ですから,寒冷地では壁の断熱を十分にして冷えないように,そして防湿を完全にして建材内部に水分が行かないように,という断熱防湿工法が建物を守るために一般化しました。

北海道などの寒冷地では,室内を常に暖房しておくのが常識で,学生時代,北海道から京都に出てきた学生が,京都は寒いといってパッチ(ズボン下,タイツ)を2枚重ねで着ておりました。

つまり,われわれの住む比較的温暖な地方では,必要な部屋に,必要な時間帯だけ暖房するという,部屋別暖房間欠暖房が,経済的な観点から,ふつうの住み方です。

まず,知っておいていただきたいのは,暖房している部屋では加湿しなくても,湿度はある程度高くなっているのが普通だということです。
それは厨房の調理による水蒸気の流入,風呂場からユゲの流入,観葉植物の水やり,洗濯物ほし,金魚鉢などの水槽,人間の呼気からの水分(静座50g/h)発生,床壁天井・家具からの水分の放湿などがあるからです。

また,ガス・ファンヒータや石油ファンヒータなどの燃焼型の暖房機器を使っている場合は,排気ガスの問題に加えて,多量の水分を発生します。
まさか,ストーブの上にヤカンをのせるという,前時代的な過剰加湿をする家庭は,少ないと思いますが・・・。

暖房しているとき,暖房していない部屋(非暖房室)で結露が起こることがあります。
それは,暖房室からの湿気非暖房室に流れ込み(拡散性が良いため),床壁天井が冷えているため,そこで結露が起こることがあります。
これは,暖房室に接している押入れ防湿がむずかしい)内部で結露が起こるのも同じ原理です。

間欠暖房の部屋で加湿をしたとすると,暖房を停止しているときに室内の床壁天井の温度が下がり,かならず結露が発生します。

室内表面の結露も,窓ガラス面だけなら処理は容易なのですが,家具の裏の壁に発生した結露などは見過ごされて,黴(かび)の発生につながったりします。

このように,建築技術に携わる専門技術者たちは,建物を安全・清潔に保つために種々努力を重ねて来ました。

部屋を加湿すると風邪を引きにくくするというのは,事実でしょうが,加湿することでの問題点も大きいので,よく考えてご利用ください。

暖房加湿を切るときに,部屋の窓を開けて換気すると結露の被害は減少されますが,「ガスファンヒータをご使用のみなさんは,30分に1度,窓を開けて換気してください」というガス会社のテレビ広告と同様に,実行するのがむずかしいことです。

さて,
この時期にふさわしい歌はこの曲にしましょうか。

とうだいもり勝 承夫・作詞 アメリカ民謡(1889)明治唱歌(三)旅泊

こおれる月かげ 空にさえて
ま冬のあら波 よする小島
思えよ とうだいまもる人の
とうときやさしき 愛の心

はげしき雨風 北の海に
山なすあら波 たけりくるう
その夜も とうだいまもる人の
とうとき誠よ 海をてらす

灯台守といえば,
映画『喜びも悲しみも幾年月木下恵介・監督 佐田啓二・高峰秀子・主演(1957)では,海の安全を守るため,日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら,厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の,戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマの名作でした。
映画では男声合唱でしたが,のちに若山彰の歌唱による同名の主題歌が大ヒットしました。
作曲家の木下忠司さんは監督の木下恵介さんの弟さんで,いまもご健在です。

喜びも悲しみも幾年月木下忠司・作詞作曲(1957)

おいら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖ゆく舟の
無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす

冬がきたぞと 海鳥鳴けば
北は雪国 吹雪の夜の
沖に霧笛が 呼び掛ける よびかける

離れ小島に 南の風が
吹けば春くる 花の香だより
遠い故郷 思い出す 思い出す

あしたに夕べに 入船出船
妻よ頑張れ 涙をぬぐえ
燃えてきらめく 夏の海 夏の海

星をかぞえて 波の音きいて
ともにすごした 幾年月の
喜び悲しみ 目にうかぶ 目にうかぶ

しかし,2006年に灯台は無人化され,国内の灯台守は消滅しました。

年の始めの

年の始めのためしとて」は,唱歌「一月一日」の歌い出しで,「ためし」は「」で,決して「試し」ではありません。
年始の先例のように」というような意味です。

元旦(元日の朝)には,お屠蘇(とそ)を飲み,それぞれのお国柄の雑煮おせち料理をたべて,新年の祝儀をおこないます。

厚い新聞が届きますが,正月の新聞は読みごたえがないですね。

ほどなくとどく年賀状は,いっとき,虚礼廃止だとか,メールで済ます,などですたれた感がありましたが,年に一度の安否確認の意味もあって,なくならずに続いています。

正月が困るのは,スポーツジムも休館だし,テニスコートも開いてないし,初詣に出かけるにも混んでいるし,TV番組も似たようなものばかりで飽きるし,身体を持て余すことです。

唯一といっていいTVの楽しみは,オーストリアのウィーンから生でとどけられる,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の「ニュー・イヤー・コンサート」でしょうか。
現在では世界の40ヵ国以上に生中継されています。
ちなみに,オーストリアと日本の時差は8時間,日本が進んでいます。

会場はウィーン楽友教会(Wiener Musikverein,ヴィーナー・ムジークフェライン)の大ホールで,ホール内部の絢爛豪華な装飾とともに,その音響の素晴らしさから通称「黄金のホール」と呼ばれています。

演奏会は,マチネ(昼間の興行)のため,演奏者は燕尾服やタキシードではなく,フロックコートかモーニング,略式でもズボンはグレーの縞物です。

演目はおもにワルツポルカです。
このウィンナ・ワルツと呼ばれるクイック・ワルツは独特で,3拍子が均等間隔ではなく,2拍目がひっかかり気味に演奏され,ウィーン生まれでなければこのリズム感がとれない,などと言われたりしています。

この伝統あるコンサートでは,アンコールとして,ヨハン・シュトラウスⅡの「美しく青きドナウ」,そして最後にヨハン・シュトラウスⅠの「ラデツキー行進曲」を演奏するのがならわしとなっています。

美しく青きドナウ」の冒頭が演奏されると一旦拍手が起こり演奏を中断,指揮者およびウィーン・フィルからの新年のあいさつがあり,再び最初から演奏を始めるのもならわしです。

新年の挨拶はその年の指揮者により色々な趣向で行なわれます。
たとえば,2002年のコンサートではウィーン・フィルの楽員に縁のある国の言葉で新年の挨拶を述べるという形で行なわれ,日本語のあいさつはコンサート・マスターが日本語で(妻が日本人),指揮者の小澤征爾が中国語(満洲生まれ)であいさつしました。

最後の最後の「ラデツキー行進曲」では,小太鼓が高らかに打ち鳴らされると,観客はもう待ってましたとノリノリで手拍子で参加します。

指揮者が誰になるのかも,注目ですが,今年2015年はズービンメータが5回目の登場でした。

ズービン・メータ(1936-)さんは,インドの出身,われわれの記憶に新しいのは,
2011年3月,フィレンツェ歌劇団を率いて来日しましたが,東日本大震災に遭遇,福島原発事故の影響を危惧するフィレンツェ市長の帰国命令によって日程半ばで中止となりました。
「日本の友人たちのために何も演奏できずに去るのは悲しい」と涙しました。
2011年4月10日,多くの外国人演奏家の来日キャンセルが続くなか,東京のオペラの森公演でベートーヴェンの「第九」(管弦楽はNHK交響楽団)を渾身の演奏し,観客は熱狂的に迎え,収益は全額寄付されるチャリティコンサートでした。

2002年の指揮者は小澤征爾(1935-)さんでした。
観客席には元モデルの妻,俳優の息子たちの顔が見えました。

観客といえば,以前,久米宏「ニュース・ステーション」で夜桜中継をしていた元銀行員の姿を何度も目にしました。

一度は生で見てみたい聴いてみたいという願望はありますが,なにせ,日本からの観劇ツアーがありますが,なんと,お一人様120万円(!)からの費用では,おいそれとは行けません。
ネットから自分で座席を確保できますから,ホテルも自分で予約して,格安航空券を利用すれば,何分の一かの費用で可能なはずです。

美しく青きドナウ」(An der schönen blauen Donau)は,1866年の普墺戦争(プロイセン王国とオーストリア帝国との戦争)で大敗し,失望の底に沈んだウィーン市民を慰めるために,ヨハン・シュトラウスⅡ(1825-1899)が1867年に最初,男声合唱曲として作曲しましたが,不評のため,管弦楽曲に書き直されて,人気が出ました。オーストリアの第2の国歌といわれています。

やはり年頭は,2012年ニューイヤーコンサートでのマリス・ヤンソンス指揮の「美しく青きドナウ」にしましょう。
ヤンソンス(1943-,ラトビア)は来年2016年の指揮者にも予定されています(3回目)。

実際の観劇では見られない(と思います)バレエがTVでは見られるのが良いところですね。
この2012年は特にバレエに趣向が凝らされており,上記の踊りの舞台もベルヴェデーレ宮殿ですが,そこの絵画館に所蔵されているクリムトの「接吻」のまえで,絵から抜け出たように踊るバレエ・シーンもありました。(バレエはウィーン国立バレエ団)

さて,
松の内」とは,正月の松飾がある間の称ですが,関西では昔ながらに15日までですが,関東では7日までと短縮されています。

また,
1月7日には,正月のごちそうに疲れ気味の胃を休めるために,春の七草を入れて炊いた七草粥(ななくさがゆ)を食べる習慣があります。
ところで春の七草は,つぎの和歌で覚えます。

せり・なずな ごぎょう・はこべら
ほとけのざ すずな・すずしろ
これぞ七草

ここに,
「なずな」はペンペン草
「ごぎょう」はハハコグザ
「はこべら」はハコベ
「ほとけのざ」はコオニタビラコ
「すずな」は蕪(かぶ)
「すずしろ」は大根

さらに,
1月8日は初薬師
1月10日は十日恵比寿(えべっさん)
1月14日は四天王寺どやどや
1月18日は初観音
1月21日は初弘法(初大師)
1月24日は初地蔵若草山山焼き
1月25日は初天神
1月28日は初不動

と「初」の付く行事がめじろ押し,1月は寒いのに,何かと心急き(こころぜき)な時節なのです。
風邪など引かないよう,元気にお過ごしください。