懐かしい思い出

今年2020年は,2度目の東京オリンピックの年です。

昨2019年,NHKの大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺(ばなし)~』は今年を盛り上げるために制作されたようですが,案に反して視聴率は史上最低ということで,一般には不評だったようですが,私は面白く見ました。

1912年ストックホルム(スウェーデン)大会には,短距離の三島弥彦(1886-1954)とマラソンの金栗四三(1891-1983)が,選手団長の加納治五郎(1860-1938)と共に初参加しました。

1920年アントワープ(ベルギー)大会ではテニスのシングルスで熊谷一弥(1890-1968)が日本初の銀メダル,ダブルスでも柏尾誠一郎(1892-1962)とのペアで銀メダルを取っていますが,前記のドラマでは全くこのことに触れませんでした。

1928年アムステルダム(オランダ)大会では三段跳びで織田幹雄(1905-98)が日本初の金メダルを取りましたが,これも全く説明なしで,銀メダルの陸上400mの人見絹江(1907-31)だけは念入りに登場しました。
三段跳びは,1932年ロサンジェルス(アメリカ)大会の南部忠平(1904-97),1936年ベルリン(ドイツ)大会の田島直人(1912-90)と3回連続で日本人が金メダルを取り,日本のお家芸とまで言われたのに,一言の説明もなしで,この偏向が嫌われたのかもしれません。ガンバレ・マエハタの応援で有名な200m平泳ぎの前畑秀子(1914-95)だけはロサンゼルスの銀からベルリンのまで,長々と語りました。

1940年の東京大会は返上,ヘルシンキ(フィンランド)は中止,1944年のロンドン大会も戦争の影響で中止でした。

戦後すぐの1948年ロンドン(イギリス)大会は,日本は占領下で参加できず,その水泳の開催日に合わせて日本選手権を開催し,後にフジマヤマのトビウオと称された古橋廣之進(1928-2009)は400mと1500m自由形で,金メダル記録と世界記録を上回りました。

1956年コルチナ・ダンペッツオ(イタリア)冬季大会では,回転で猪谷千春(1931-)が冬季では日本初の銀メダルを獲得,はアルペン三冠(回転・大回転・滑降)トニー・ザイラー(1935-2009)で映画俳優になりますが,ここから日本の空前のスキー・ブームが始まったのです。

そして,いよいよ1964年に東京大会が開催されました。しかし,戦前の1940年の返上から,たったの24年後ですから,今回の第2回目の2020年までの56年間と比べれば,短いものです。

このとき,東京まで出かけてバレーボールとバスケットボールを観戦しました。出来たばかりの新幹線は高いので使わずに,夜行急行の「銀河」で,父親と二人で最初で最後の,つまり人生一度きりの旅行でした。

そして,妙な類似は,1964年の東京五輪から6年後の1970年は大阪万博,2020年の5年後の2025年にはまた大阪万博で,東京は五輪,大阪は万博,という決まりがあるかのような変な一致です。

今年2020年は ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,1770.12.16-1827.3.26)の生誕250年で,いろんな催しがありそうです。
50年前の1970年の大阪万博の年は,ベートーヴェンの生誕200年でもありましたので,特別な催しが種々ありました。
なかでも,彼の唯一のオペラ『フィデリオ』の大阪・神戸での上演は特別でした。外山雄三(1931-)さん指揮の大阪フィルで,外山さんは現在も元気に活躍中です。実は私も囚人役の男声合唱で参加していたのです。
また,カラヤン指揮のベルリン・フィルがベートーヴェンの全9交響曲を5夜連続で演奏するベートーヴェン・チクルスもありました。

今年はオリンピック観戦には行きません。TVで見る方が楽でしょう。

今回は懐かしいこの歌にしましょう。
大阪のABC朝日放送がラジオ開局の翌年1952年9月から20年間にわたって放送された番組「ABCホームソング」で,毎月2曲のオリジナル曲を製作し放送していました。
有名になったものとして,
フランク永井「公園の手品師」1956.11
・三浦洸一「踊子」1957.2
フランク永井「こいさんのラブコール」1958.4
・中曽根美樹「川は流れる」1961.9
北原謙二「ふるさとの話をしよう」キダ・タロー曲1964.8

1956年5月放送の『お母さんおぼえていますか』は名曲だと思うのに,それほど評判にはなりませんでした。

ちなみにNHKの「みんなのうた」はABCに遅れること9年の1961年4月から,第1回目は「おお牧場はみどり」と「誰も知らない谷川俊太郎・詞,中田義直・曲,楠トシエ・歌,和田誠・アニメでした。ここでも,楠トシエさんです。

お母さんおぼえていますか
北原節子・作詞 高田信一・作曲 楠トシエ・歌(1956.5)

お母さん おぼえていますか
お母さん
まだアパートの ひと部屋のころ
とおい高原に 行きましたね
つめたい水と あまい空気を
いっぱい 飲みましたね
峠で お父さん て呼びましたね
お母さん 
黄色い お帽子 でしたね

お母さん おぼえていますか
お母さん
やっぱり こんなに 雨がふると
屋根から ぽたぽた もりましたね
そしたら しずくの音に あわせて
歌って くれましたね
わたしは 窓辺で ハモニカ吹いて
お母さん
いつも お仕事 でしたね

お母さん おぼえていますか
お母さん
あさひが にっこり 窓にさすと
カナリアたちが さえずりましたね
三毛猫ミーヤに 子犬のコロに
つばめも 季節に来て
思い出は たのしい メリーゴーランド
お母さん
とおい 昔の ことですね

北原節子(1925-)情報がありません

高田信一(1920-60)元広島大学教授,作曲家・指揮者。

楠トシエ(1928.1.11- )東京生まれ,1949年ムーランルージュ新宿座に歌手として入団,1951年三木鶏郎(1914-94)の誘いでNHK『日曜娯楽版』に出演,1953年NHK専属タレント第1号となる,NHK『お笑い三人組』出演(ラジオ1955-60,テレビ1957-66)。愛称は「ビンちゃん」。
NHK紅白歌合戦には7回連続で出場(1957-63)。
元祖コマソン(コマーシャルソング)の女王と称され800~1000曲のCMソングを吹込んだと言われる。「かっぱの歌(黄桜)」「仁丹の歌(森下仁丹)」「京阪特急の歌(京阪電鉄)」「ブリヂストンオートバイの歌(ブリヂストン)」など多数。
シングル「僕は特急の機関士で」(作詞作曲:三木鶏郎)など。

今冬は正しく特別な暖冬です。そしてオーストラリアの山火事もまだ収束しません。中国の新型肺炎はますます拡大の様相です。
これほど異常が続くと,それが異常ではなくなってくる感覚が怖いですね。
冬は寒くて雪が降り積り,夏は日照時間が長くて降水量も多ければ,農作物は豊作になりますが,今年はそれは見込めないでしょう。
せめて体調だけは整えて,これらの異常に立ち向かう覚悟が必要です。新年は始まったばかり,自分なりに良い年にしたいものです。みなさんもどうそお健やかにお過ごしください。