君の名は

いま,チマタでは長編アニメ映画『君の名は。』が大ブレイク(予期せずに流行すること)しているようです。監督は新海誠(1973-)43歳,長野県出身,中央大学卒。

あらすじは,

東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧(たちばな たき)は,ある朝,目を覚ますと飛騨の山奥にある糸守町〔架空の町〕の女子高生・宮水三葉(みやみず みつは)になっていました。そして,三葉は瀧の身体に。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら,知らない誰かの一日を過ごすのです。
その後もたびたび「入れ替り」が起きたことによって,ただの夢ではなく実在の誰かと入れ替っていることに気づきます。2人はスマホのメモを通してやりとりをし,入れ替っている間のルールを決め,元の身体に戻った後に困らないよう日記を残すことにしたました。
お互い束の間の入れ替りを楽しみつつ次第に打ち解けていきます。しかし,その入れ替りは突然途絶えてしまいます。瀧は風景のスケッチだけを頼りに飛騨に向かいますが,たどり着いた糸守町は,3年前に隕石(ティアマト彗星〔これも架空の彗星〕の破片)の衝突により消滅しており,三葉やその家族,友人も含め住民500人以上が死亡していたことが分るのです。

じつは,これ以前に,三葉も瀧をさがしに東京へ来ていて,実際は3歳年下の瀧を電車の中で見つけ,自分の髪を束ねていた組紐を瀧に渡していたのです。

これ以上の詳細な記述は,映画を観てのお楽しみ,ということで止めておきます。

この映画は,2つの日本の古典,
小野小町の和歌「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(古今和歌集)と,
男児を「姫君」として女児を「若君」として育てる『とりかえばや物語』(作者不詳)を設定に取り込んでいます。
また,男女入れ替りをモチーフとする大林宣彦監督の映画『転校生』なども参考にしています。

声優陣も多彩で,

立花 瀧 神木隆之介
宮水三葉 上白石萌音
奥寺ミキ 長澤まさみ(瀧のバイト先の先輩,美人女子大生)
宮水一葉 市原悦子(三葉の祖母,宮水神社の神主,82歳)

奥寺先輩役の長澤まさみは色気があっていいですね。
市原悦子のお婆ちゃんは,もちろん絶品です。
ワキがしっかりしていると,物語がしまりますね。

三葉の声を担当した上白石萌音(かみしらいし もね,1998-)は鹿児島出身の18歳の俳優・歌手,あるテレビ番組で,自分の好きな映画の主題歌を発表する場で,『ティファニーで朝食を』(1961)でオードリー・ヘプバーン(1929-93)がアパートの窓枠に腰かけて,ギターをつま弾きながら,かすれ声で歌う「ムーン・リバー」が好き,と言っていました。こういうところがこの人の魅力なのかもしれませんね。
この歌,のちにアンディ・ウイリアムス(1927-2012)の持ち歌のようになりましたが,映画ではコーラスでした。

かつて,一世を風靡(ふうび)した同名のドラマがありました。
菊田一夫・作『君の名は』(1952)で,ラジオの連続放送劇でした。そのご映画化(1953)されて(3部作),それも大ヒットしました。

あらすじは,

第二次世界大戦の末期,東京大空襲の夜,たまたま一緒になった見知らぬ男女,氏家真知子(うじいえ まちこ)と後宮春樹(あとみや はるき)は助け合って戦火の中を逃げまどい数寄屋橋にたどり着き,一夜が明けて,二人はここでようやくお互いの無事を確認します。お互いに生きていたら,半年後,それがだめならまた半年後に,この橋で会おうと約束し,お互いの名も知らぬままに別れます。やがて,2人は戦後の渦に巻き込まれ,お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず,1年半後の3度目にやっと会えた時には,真知子はすでに明日嫁に行くという身でした。しかし,夫との生活に悩む真知子,そんな彼女を気にかける春樹,2人をめぐるさまざまな人々の間で,運命はさらなる展開を迎えていきます。

番組の冒頭,「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションも有名になりました。
当時のラジオドラマは生放送だったため,劇中のBGMは音楽担当の古関祐而がハモンドオルガンを毎回,即興演奏していました。

毎週木曜8時からの30分放送でしたが,「番組が始まると,銭湯の女湯がカラになる」といわれるほどの人気ドラマになりました。

配役は,

・     ラジオ    映画
氏家真知子  阿里道子   岸 恵子
後宮 春樹  北沢 彪   佐田啓二

なにしろ,「真知子巻き」というストールの巻き方が大流行するほどの人気でした。

同名の主題歌が映画やレコードで歌われました。もちろん
菊田一夫・作詞 古関祐而・作曲 織井茂子・歌(1953)

くしくも,64年の時を経て,似たような話題となる映画が再び登場するというのも興味深いものです。時間と空間が隔たれば,現代でも会いたい人に会えないのです。

12月8日は太平洋戦争の日米開戦日です。先に真珠湾を攻撃しておいて,後で宣戦布告をするというのは,やり方として非常にまずかったです。
始め方が良くなかったせいで,終わり方が最悪となりました。
その復興に何十年かかったことでしょう。

この時期,そんなことも少しは考えてみるのも必要です。

冬本番となりました。あと2カ月余りは我慢の日々が続きます。風邪など引かないよう,万全の対策をして,この厳しい季節を乗り切りましょう。