タダの値段

むかし,無賃乗車(ただ乗り)を薩摩守といいいました。
これは狂言『薩摩守』で,渡し船に乗り,「平家の公達,薩摩守忠度(ただのり)」と言って,船賃を踏み倒そうとする話から来ていますので,由来は相当に古いです。

先月,大阪府寝屋川市のホームセンターで詰め替え用シャンプー3個(約2,000円相当)を万引したとして,府警高槻署の警部補(56)が逮捕されました。「金は持っていたが,払うのがもったいなかった」と容疑を認めています。逮捕時には数万円を所持していたそうです。

以前,定年間近の郵便局員が切手1枚を流用して,懲戒免職となりました。当然,退職金は支払われません。

上記の警察官も,同様に懲戒免職で退職金はもらえなくなるでしょう。

手に入れようとした(得しようとした)微少な金額に比べて,失った(損した)金額はなんと膨大なことでしょう。
まったく割に合いませんね。

私の通っているスポーツジムのパウダー・ルーム(化粧室)にはティッシュペーパーが常備されているのですが,すぐに無くなるのです。
観察していると,1度に多量引き出して,タオル代りに使っている人がいるのです。自分の家庭では決してそんな使い方はしないだろうに,と思うのですが,どうも無料で使えるとなると,無駄な使い方をする人が明らかに存在するのです。

いやしい心根が見え透いていて,私は好きではありません。

そもそも費用がかからないものなんてありません。
当然のこと,ジム側が経費を負担しているのです。
安いものでも積み重なれば大きな費用となります。

それより,有限な資源をできるだけ有効に利用するという観点からも,全てにおいて不必要な無駄使いは避けるべきなのです。
(必要な無駄使いは存在しないので,おかしな表現ですが…)

また,市などの公共の団体が,無料のパソコンやスマホ教室を開催していることがあります。
これも受講者は無料でも,当然,そのための経費は必要で,市民の血税でまかなわれているのです。

だいたい,タダで習いに来るような人たちは,一般的に学習能力が低く,結局,ものにならない,という場合が多いのも事実です。

実際,このようなことのせいで,高度な技術を提供していた良心的なパソコン教室がつぶれました。

公平な社会では,受益者負担の原則というものがあり,そのことによって利益を得る人は,そのための経費を負担するというのが,社会の原則だと思います。

言い換えれば,自分に必要なことには,身銭を切って,学ぼうとする気概がないと,ものにはなりませんよ。

やっぱり,良いものには,正当な対価を支払うべきです。

こんな話もあります。
ある専門的な情報を得たくて,高名 (?) な大学教授のところに,菓子折り1つを携えて,相談に訪れた人がいました。
訪問者が質問をすると,先生はその回答の提供に対する料金を説明したといいます。
訪問者は,大学の研究者が商売をするのか,と腹を立てて帰ったそうです。

この場合,国公立大学であれば,公務員が副収入を得ることは原則禁止されていますから,別の問題が発生しますが,無料で情報を得ようとする側も,なんと虫のいい話ではないでしょうか。

専門的な知識を持つためには,長期間にわたる学習と思考と経費がかかっている場合が多いのです。
具体的な物ではない,形のない情報に,価値を認めない傾向は,まだまだ存在しています。

タダより高いものはない」という格言もあります。
必要なものには相応しい対価を払って,公平で無駄のない生活をしようではありませんか。

こん回の曲は,季節がら,パット・ブーンの『4月の恋』(57)にしましょうか。

パット・ブーン(Pat Boone,1934-)は,フロリダ州ジャクソンビル出身,西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーン(1734-1820)の子孫,清潔で折り目正しい唱法で人気を誇りました。代表曲は 『砂に書いたラブレター』(57)など。

彼と対極をなす同世代の歌手は,エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley,1935-77)で,貧困の幼少時代から一気にスーパースターまで登りつめ,ロックンロールの誕生と普及に大きく貢献しました。

最後に,この季節にふさわしい詩を,
ロバート・ブラウニング(1812-89,英)上田敏・訳

春の朝

時は春,
日は朝 (あした) ,
朝 (あした) は七時,
片岡に露みちて,
揚雲雀 (あげひばり) なのりいで,
蝸牛 (かたつむり) 枝に這ひ,
神,そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

なんと平和な,春らしい,すがすがしい詩でしょうか。やっぱり上田敏(1874-1916)の訳詞はいいですね。海潮音に所蔵されています。

春は寒くもなく,暑くもなく,何をするにも絶好の季節です。
好きなことをして,この良き季節を満喫してください。