灯火親しむの候

秋の夜は涼しく長く,灯火の下で読書するのに適している,そういう時候になりました。
「読書の秋」ともいいますね。

まず古典的な日本文化研究の本を紹介しましょうか。

ルース・ベネディクト著『菊と刀』(原題:The Chrysanthemun and the Sword: Patterns of Japanese Culture)は1946年に出版されました。

ルース・ベネディクト(1887-1948)は米国の女性文化人類学者で,戦時中に,日本へは一度も訪れることなく,日本関連の文献の熟読や日系移民との交流,そして日本映画を見ることのみで,日本文化の研究調査をしたとされています。

もちろん「」は皇室を象徴する花であり,「」は武士の魂として日本人=侍の精神的な支柱とみなされます。

義理などといった日本文化固有の価値を分析し,日本文化を外的な批判を意識する「恥の文化」と決めつけました。

彼女の研究は,戦後の日本に対する占領政策に大いに利用されたと言われています。

先日亡くなった元長崎市長の本島等(92)さんが市長のとき「天皇の戦争責任はあると私は思います」と,自身の軍隊体験なども踏まえ,市議会の答弁で発言されて,賛否の議論をよび,発言に反発した右翼団体幹部に長崎市役所前で銃撃され,重傷を負いましたが,命は取りとめました。

とうぜん,天皇は陸海軍の大元帥として形の上からは日本の最高指導者でしたから,責任がないはずはないのですが,日本国民を統治するために,処分の対象としなかったのは,ベネディクトの研究結果が重要な判断基準になった,と言われています。

しかし,なにをおいても自由な発言を否定するのは,民主主義の基本原理を否定することになります。

つぎは逆に最新の,シンシアリー著『韓国人による沈韓論』扶桑社新書,2014.9.1発行はどうでしょうか。

著者のシンシアリー(SincereLEE,以後「リー氏」)はもちろんペンネームですが,韓国生まれ韓国育ちの生粋の韓国人で,観光以外に外国に行ったことがなく,1970年代の生まれ,というので,40歳前後で,歯科医院をやっているとのことです。
母から日韓併合時代に学んだ日本語を教えられ,子どものころから日本の雑誌やアニメで日本語に親しんで,日本のテレビの録画や雑誌や書籍から,韓国で敵視している日本はどこにも存在しないことを知った,といいます。

英語の ”sincerely” は「誠実に」という意味で,手紙の結びで “Sincerely Yours” あるいは略して “Sincerely” は「敬具」に相当する正式な表現です。

2014年4月16日,韓国フェリー「セウォル(世越)号」が沈没事故を起こしました。
船には,修学旅行の高校生325名,乗組員30人など合計476人が乗っており,事故で,行方不明者を含めて死者が305名という惨事でした。

リー氏は,この事故と韓国社会の構造的問題が酷似している,と言います。
責任感のなさ,法律の機能不全,集団的利己主義などが共通しているそうです。

これは「人災」ではなく「国災」である,と言い切りました。
フェリーには最大積載量の4倍もの貨物が積まれ,過多積載が事故の大きな原因の一つと考えられています。

沈没するセウォル号から真っ先に逃げたのは,船長や航海士など,責任を取るべきに人たちでした。
海運会社の関係者たち,とくにオーナー一族は,召喚に応じず,逃げ出し,姿をくらましまた。

海洋警察や海軍が来ましたが,遅れましたし,対応も下手でした。
もともと韓国では専門家や匠に対する認識が低く,現場には専門知識のある人たち,また現場を指揮できる人がいなかったのです。

すぐに日本の海上保安庁と海上自衛隊が救助を申し入れましたが,韓国は拒否しました。理由は「集団的自衛権の拡大と関連している」と勝手な解釈をしました。

韓国に「責任」という文字がない,誰も責任を取らない社会であるといいます。

セウォル号の違法項目を列挙すると,百貨店サイズになる,といいます。

韓国では,地縁・学縁・血縁が何より大切で,「ウリ(私たち)」と「ナリ(他人)」を鮮明に分けて,区別します。
ウリだけで団結します。

反日」は歴史に根差す問題ではなくて,「反日教」ともいうべき,議論できない感情の人たちで凝り固まっています。

「集団的被害妄想」が蔓延し,「客観性」を受け入れる土壌は培われない,と言います。

リー氏が最も惨憺たる気持ちにおちいったのは,2011年3月11日,日本で東日本大震災が発生したとき,韓国で「韓国バンザイ!」という喜びの叫び声を聞いたのです。
この国は狂っている,と認めざるとえなかった,と述懐しています。

リー氏の「沈韓論」はセウォル号のように韓国は沈没しかけているのにそれを助けるべき船長(指導者)がいないことに,絶望しています。
しかし,彼は逃げ出さずに,沈みゆく船に乗り続けることを選択し,自分のできることを模索しています。

われわれも感情だけのヘイトスピーチ(hate speech,憎悪発言)はやめて,中韓とは主張が異なっても,末永く付き合ってゆかねばなりません。

さて,ここで,松尾芭蕉(1644-1694)の有名な俳句を2句。

物言えば唇寒し秋の風
秋深き隣は何をする人ぞ

つぎは,フランスのヴェルレーヌ(1844-1896)の詩です。
ポール・ヴェルレーヌ落葉上田敏(1874-1916)・訳

秋の日の ヴィオロンの
ためいきの 身にしみて
ひたぶるに うら悲し。

鐘のおとに 胸ふたぎ
色かえて 涙ぐむ
過ぎし日の おもひでや。

げにわれは うらぶれて
こゝかしこ さだめなく
とび散らふ 落葉かな。

日仏の秋の詩を並べてみました。

歌はこの歌にしましょうか。

もずが枯れ木でサトウハチロー・作詞 徳富繁・作曲(1938)

もずが枯れ木で 鳴いている
おいらは藁を たたいてる
綿引き車は おばあさん
コットン 水車も廻ってる

みんな去年と 同じだよ
けんども足んねえ ものがある
あんさの薪割る おとがねえ
バッサリ 薪割るおとがねえ

あんさは満洲へ 行っただよ
鉄砲が涙で 光ってた
もずよ寒いと 泣くがよい
あんさは もっと寒いだろ

とても寂しい歌ですが,戦前につくられました。
このような悲しみは決して今後ないようにしなければなりません。

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