「月がきれいですね」と言われたら,どう反応しますか?
夏目漱石が英語教師をしていたとき, “ I love you ” を生徒が「我君を愛す」と直訳したのを聞き,「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね,とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話から,遠回しな告白の言葉として使われているそうなんです。
現在の朝ドラ『とと姉ちゃん』でも,使われていました。
そうすると,「そうですね」,「本当に」などと答えたのでは,意思が伝わらないことになります。
二葉亭四迷はロシア文学を翻訳した際,腕にキスして抱き寄せるというロマンチックなアプローチに対して,女性が
“ Ваша… (ヴァーシャ)” =「yours(あなたに委ねます)」とささやいたシーンを,
「死んでもいいわ」と訳しており,しばしばこの「月が綺麗ですね」への返答として
「死んでもいいわ」はセットで使われることが多いそうなんです。
しかし,それでは急に生々しくなりますね。
また漱石の小説『三四郎』のなかで,
Pity’s akin to love.(憐憫は恋に類似する)
「可哀想だた惚れたって事よ」と与次郎が俗っぽく訳したのを,広田先生は「下劣の極だ」と苦い顔をする,という有名なシーンがありました。
夏目漱石(1867-1916)は今年,没後100年ということで,朝日新聞では『吾輩は猫である』を再連載しています。
漱石は,小説の出だしを味のある名文で読者を引き込むのが上手です。落語の枕のつかみ,に似ていますね。
『草枕』
山路を登りながら,こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生れて,絵が出来る。
『坊っちゃん』
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
『吾輩は猫である』
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。
月の美しい季節になりました。
「中秋の名月」という言葉がありますが,陰暦の7・8・9月を秋としましたから,真ん中の8月が中秋で,旧暦の8月15日を指します。現在に置き換えると,9月15日になります。
十五夜が満月で,月の出る時刻が,毎晩約50分づつ遅くなるので,月の出を待つ様子が名前になっています。
15日 十五夜,満月
16日 十六夜(いざよい)
17日 立待(たちまち)月
18日 居待(いまち)月
19日 寝待(ねまち)月,臥待(ふしまち)月
20日 更待(ふけまち)月
「月がとっても青いから 遠回りして帰ろう」(清水みのる:詞,陸奥明:曲,菅原都々子:歌)という曲がありました。
「月が鏡であったなら恋しあなたの面影を夜毎うつして見ようもの(題:忘れちゃいやヨ)」(最上洋:詞,細田義勝:曲,渡辺はま子:歌)というものありました。
短歌には,
月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (よみ人知らず)
月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど (大江千里〈百人一首〉)
俳句にも名句があります。
名月や池をめぐりて夜もすがら (松尾芭蕉)
名月をとってくれろと泣く子かな (小林一茶)
今回の歌は月つながりで, この曲にしましょう。
『月の砂漠』加藤まさを:作詞 佐々木すぐる:作曲 『少女倶楽部』(1923) 小鳩くるみ:歌
月の砂漠を はるばると
旅のらくだが 行きました
金と銀との くら置いて
二つならんで 行きました
金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに
ひもで結んで ありました
先のくらには 王子さま
あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの
白い上着を 着てました
ひろい砂漠を ひとすじに
二人はどこへ いくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだは とぼとぼと
砂丘を越えて 行きました
だまって越えて 行きました
この「砂漠」は何をイメージしていたのか,は長く論議されてきました。明らかに,本当の過酷な砂漠ではなく,日本のどこかの穏やかな「砂丘」だったと思われます。
夕方から夜の虫の音が騒がしいほどになってきました。
秋は夏と冬との間の大きな季節の変り目です。
夏から秋への季節も変化が思いのほか激しいので,気を付けてお過ごしください。
この季節は台風の季節でもありますので,気象予報には,できるだけ新しい情報を,スマホなどで確認して,安全な対応をしてください。