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ささやかな気配り

世の中には,大したことではないけれど,ちょっとした気配りをすることで,みんなが快く過ごせることって,ありますよね。

前にも述べた私の通っているスポーツジムで,男子トイレに大便器1つしかない(小便器がない)箇所があります。もともとそのフロアになかった所に,後付けしたので,十分な面積が取れなかったのでしょう。
(これだけで,いかに高級でない施設か分るでしょう)

そこが,常時といっていいほど,ほとんどいつも,床が汚れているのです。
家庭では,汚れるので座ってするように,と同居人からきびしく指導されているお宅も少なくないでしょう。

粗相をしたら,(犬ではないんだから),自分で掃除して出ればよいのに,気づかないのか,いつも汚れたままになっています。

掃除係の人も,トイレ掃除だけに構っていられませんから,ほっておくと,いつまでも不潔な状態のままになります。
ですので,私が入った時には必ず掃除することにしています。
ひとつには,そのままにしておくと,私の直後に入った人が,私がやったと思われても癪だからです。

2010年,兵庫県川西市出身の植村花菜(1983-)が『トイレの神様』という曲を作って

トイレには
それはそれはキレイな女神様がいるんやで
だから毎日キレイにしたら
女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで

という歌詞が一世を風靡 (?) しました。
もちろん,毎日のように(週に6回はジムへ行くので),ほとんど入った回数分だけ,トイレ掃除をしている勘定ですが,いまのところまだその華々しい効果は出ていないようです。

また,
電車は一般的に横長の座席ですが,荷物を置いたり,余分な空間を空けたりして,詰めれば,もう一人二が掛けられるのに,と思うことがあります。
座り方にも,問題がありますよね。浅くかけて脚を前に伸ばしたり,脚を組んだりして,前に立っている人の邪魔になっているのが分らないのか,と思うことがよくあります。

日本の電車には,ほとんどシルバー・シート(優先座席)というものが設置されています。
しかし現状では,座るべき人が優先的に座っているとは,とても思われません。

これは人から聞いた話ですが,
優先座席に,茶髪の若い男性が,年配の人が乗って来たのに,譲らずに座っているのを見て,サラリーマン風の人が注意をして,若者は素直に従ったのですが,脚を引きずっていたといいます。

その若者が脚に障害を持っていたのか,怪我をしていたのかは分りませんが,外見からでは判断できないこともあるので,注意するのも難しいのです。

イスラム教の国に赴任していたことがありますが,そこではもちろん,優先座席などはありませんが,高齢(と思われる)者が乗ってくると,若者は黙って席を立ちます。
席を,これ見よがしに譲る,という感じではなく,出入口に老人風の姿が見えたとたんに,席を立ってどこかへ行きます。

40歳代の日本人男性が,電車で席を譲られて,そんなに自分は年寄りに見えるのか,とショックを受けていました。

しかしもともと,「初老」とは「40歳の異称」ですから,おかしいことではないのです。

今回はご当地ソングの特集です。

まずは,有名な民謡『秋田音頭』。

ヤートセー コラ 秋田音頭です 
ハイ キタカサッサ コイサッサ コイナー 
コラ いずれこれより御免こうむり 
音頭の無駄を言う アーソレソレ 
 お気に障りもあろうけれども サッサと出しかける 
ハイ キタカサッサ コイサッサ コイナー 

秋田名物 八森鰰々 (ハタハタ) 男鹿で男鹿ブリコ 
能代春慶 桧山納豆 大館曲わっぱ

ここで,曲わっぱ (まげわっぱ) とは,スギやヒノキなどの薄板を曲げて作られる円筒形の木製の箱のことで,本体とふたで一組にして,米びつや,弁当箱として使われることが多いです。

最古のラップで,リズミカルに,歌詞もいろいろ自由に作って歌いますが,最初の所だけは定番です。むかし,秋田美人に教わりました。

つぎは,県民なら誰もが知っているけれど,県外では余り知られていない長野県の歌です。

県歌『信濃の国』浅井冽 (きよし)・作詞 北村季晴・作曲

  一.信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
    聳 (そび) ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
    松本・伊那・佐久・善光寺 四つの平は肥沃の地
    海こそなけれ物さわに 万 (よろ) ず足らわぬ事ぞなき

  二.四方 (よも)に聳ゆる山々は 御嶽・乗鞍・駒ヶ岳
    浅間は殊 (こと) に活火山 いずれも国の鎮めなり
    流れ淀まずゆく水は 北に犀川 (さいがわ) 千曲川
    南に木曽川・天竜川 これまた国の固めなり

  三.木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖 (うみ) には魚多し
    民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
    しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ
    細きよすがも軽 (かろ) からぬ 国の命を繋ぐなり

ここで,信濃に境連ぬる十州とは,越後・越中・飛騨・美濃・三河・遠江・駿河・甲斐・武蔵・上野です。

ちなみに,大坂(摂河泉,摂津・河内・和泉)は,紀伊・大和・山城・丹波・播磨の五州ですから,ちょうど半分ですね。

頻繁にスキーに行っていたころ,この歌を知りました。長い歌(6番まであります)ですが,長野県人のお国自慢の歌ですね。山も川も人も,信濃の人たちの誇りなんでしょう。
ちょうど,大阪や神戸の人たちの『六甲おろし』のようなもの(?)でしょうか。

いまは新緑の季節,なにをするにも絶好のころです。紫外線だけには気をつけて,外に出かけましょうか。

タダの値段

むかし,無賃乗車(ただ乗り)を薩摩守といいいました。
これは狂言『薩摩守』で,渡し船に乗り,「平家の公達,薩摩守忠度(ただのり)」と言って,船賃を踏み倒そうとする話から来ていますので,由来は相当に古いです。

先月,大阪府寝屋川市のホームセンターで詰め替え用シャンプー3個(約2,000円相当)を万引したとして,府警高槻署の警部補(56)が逮捕されました。「金は持っていたが,払うのがもったいなかった」と容疑を認めています。逮捕時には数万円を所持していたそうです。

以前,定年間近の郵便局員が切手1枚を流用して,懲戒免職となりました。当然,退職金は支払われません。

上記の警察官も,同様に懲戒免職で退職金はもらえなくなるでしょう。

手に入れようとした(得しようとした)微少な金額に比べて,失った(損した)金額はなんと膨大なことでしょう。
まったく割に合いませんね。

私の通っているスポーツジムのパウダー・ルーム(化粧室)にはティッシュペーパーが常備されているのですが,すぐに無くなるのです。
観察していると,1度に多量引き出して,タオル代りに使っている人がいるのです。自分の家庭では決してそんな使い方はしないだろうに,と思うのですが,どうも無料で使えるとなると,無駄な使い方をする人が明らかに存在するのです。

いやしい心根が見え透いていて,私は好きではありません。

そもそも費用がかからないものなんてありません。
当然のこと,ジム側が経費を負担しているのです。
安いものでも積み重なれば大きな費用となります。

それより,有限な資源をできるだけ有効に利用するという観点からも,全てにおいて不必要な無駄使いは避けるべきなのです。
(必要な無駄使いは存在しないので,おかしな表現ですが…)

また,市などの公共の団体が,無料のパソコンやスマホ教室を開催していることがあります。
これも受講者は無料でも,当然,そのための経費は必要で,市民の血税でまかなわれているのです。

だいたい,タダで習いに来るような人たちは,一般的に学習能力が低く,結局,ものにならない,という場合が多いのも事実です。

実際,このようなことのせいで,高度な技術を提供していた良心的なパソコン教室がつぶれました。

公平な社会では,受益者負担の原則というものがあり,そのことによって利益を得る人は,そのための経費を負担するというのが,社会の原則だと思います。

言い換えれば,自分に必要なことには,身銭を切って,学ぼうとする気概がないと,ものにはなりませんよ。

やっぱり,良いものには,正当な対価を支払うべきです。

こんな話もあります。
ある専門的な情報を得たくて,高名 (?) な大学教授のところに,菓子折り1つを携えて,相談に訪れた人がいました。
訪問者が質問をすると,先生はその回答の提供に対する料金を説明したといいます。
訪問者は,大学の研究者が商売をするのか,と腹を立てて帰ったそうです。

この場合,国公立大学であれば,公務員が副収入を得ることは原則禁止されていますから,別の問題が発生しますが,無料で情報を得ようとする側も,なんと虫のいい話ではないでしょうか。

専門的な知識を持つためには,長期間にわたる学習と思考と経費がかかっている場合が多いのです。
具体的な物ではない,形のない情報に,価値を認めない傾向は,まだまだ存在しています。

タダより高いものはない」という格言もあります。
必要なものには相応しい対価を払って,公平で無駄のない生活をしようではありませんか。

こん回の曲は,季節がら,パット・ブーンの『4月の恋』(57)にしましょうか。

パット・ブーン(Pat Boone,1934-)は,フロリダ州ジャクソンビル出身,西部開拓史上の英雄ダニエル・ブーン(1734-1820)の子孫,清潔で折り目正しい唱法で人気を誇りました。代表曲は 『砂に書いたラブレター』(57)など。

彼と対極をなす同世代の歌手は,エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley,1935-77)で,貧困の幼少時代から一気にスーパースターまで登りつめ,ロックンロールの誕生と普及に大きく貢献しました。

最後に,この季節にふさわしい詩を,
ロバート・ブラウニング(1812-89,英)上田敏・訳

春の朝

時は春,
日は朝 (あした) ,
朝 (あした) は七時,
片岡に露みちて,
揚雲雀 (あげひばり) なのりいで,
蝸牛 (かたつむり) 枝に這ひ,
神,そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

なんと平和な,春らしい,すがすがしい詩でしょうか。やっぱり上田敏(1874-1916)の訳詞はいいですね。海潮音に所蔵されています。

春は寒くもなく,暑くもなく,何をするにも絶好の季節です。
好きなことをして,この良き季節を満喫してください。

冬季オリンピックの思い出

いま韓国の平昌(ピョンチャン)で第23回の冬のオリンピックが2/9~25まで開催されています。

第1回大会は1924年にシャモニー(フランス)で行われました。

日本の初参加は第2回(1928)サンモリッツ(スイス)大会で,ノルディック6選手に監督1人,計7人でした。

第5回(1940)札幌,第6回(1944)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)は第二次世界大戦のために中止されました。

夏季大会でも,第12回(1940)東京,13回(1944)ロンドンが同様に中止になりました。

戦争がなければ,札幌,東京でもっと早くにオリンピックが開催できたのに,残念なことでした。
冬季大会は中止しても開催回数として数えていますが,夏季は飛ばしてカウントしています。

第16回1992年アルベールビル(フランス)までは夏季と同年開催
第17回1994年リレハンメル(ノルウェー)からは夏季の中間年に開催されています。

冬季オリンピックはやはり特別で,まだ南半球では開催されていません。

何といっても,強烈な印象を残したのが,初めての日本人メダルが銀で,しかも人気のアルペンスキーであったのです。

それは,第7回(1956)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)のアルペンの回転種目で,猪谷千春(1931-)が銀メダルを取りました。

千春さんは3歳から,父・六合雄(くにお,1890-1986)から英才教育を受け,といってもお父さん自身24歳でスキーに出会い,指導するための知識や技術がなかったのに,なにしろ結果を残しました。

この時代の人はすごくて,80歳でエベレストに登った三浦雄一郎(1932-)の父・敬三(1904-2006)は山岳写真家でしたが,100歳を過ぎてもスキーを滑りました。

猪谷が銀メダルをとったとき,アルペンスキー三冠(回転・大回転・滑降)を独占したのが,トニー・ザイラー(オーストリア,1935-2009)でした。

さわやかなイケメン(美男子)で映画に出演し,その影響でアマチュア資格に抵触するとされ,次のスコ―バレー五輪(1960)には出場できなくなり,本格的に俳優に転身しました。

白銀は招くよ』(59)で主題歌も歌って大ヒットしました。
銀嶺の王者』(60)では鰐淵晴子(わにぶち,1945-)と共演しました。
白銀に踊る』(61)でイナ・バウアー(独)と共演しました。トリノ(2006)の荒川静香の演技で有名になりましたが,美人選手でしたが,それほどの結果は残していません。

じつは,私は1961年からスキーを始めましたが,当時のゲレンデでは,『黒い稲妻』(58)というザイラー映画の影響か,全身が黒ずくめのウエアの人ばかりでした。

つぎの印象は,第11回(1972)札幌で70m級ジャンプで笠谷幸生(金),金野昭次(銀),青地清二(銅)はメダルを独占し,「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

第16回(1992)アルベールビル(フランス)で,ノルディック複合団体(荻原健司・河野孝典・三ヶ田礼二)で金メダルを取りました。

この大会,複合の個人で,世界選手権では優勝を重ね,金メダルを期待された荻原でしたが,ジャンプでの風の影響で,メダルは取れませんでした。
この当時,日本はジャンプで先行し,距離で逃げきるパターンでしたが,日本人のジャンプが他国を圧倒していたため,以後ジャンプの点数が低く押さえられるルール改正につながりました。

複合では,前半のジャンプで瞬発力,後半の距離で持久力を必要とされ,総合的な運動能力が必要な競技なので,この種目の勝者には,ヨーロッパでは King of Ski の称号が与えられるそうです。

この大会,フィギュアスケート女子で伊藤みどり(69-)が,はじめてトリプル・アクセル(3回転半)を飛んで,銀メダルを取りました。
彼女のジャンプは高くて,4回転でも飛べそうでした。

第17回(1994)リレハンメル(ノルウェー)ではノルディック複合の団体(荻原健司・河野孝典・安倍雅司)で連覇しました。
ここでも,荻原は個人でメダルを逃しました。

第18回(1998)長野では,金メダルをとったのは5種目:
スキージャンプ個人ラージヒル 船木和喜
スキージャンプ団体 安倍孝信,斎藤浩哉,原田雅彦,船木和喜
スピードスケート男子500m 清水宏保
ショートトラック男子500m 西谷岳文
フリースタイルスキー女子モーグル 里谷多英

地元開催ということで,日本人も頑張ったんですね。

ちなみに,長野はオリンピック開催地としては最も南に位置する都市(北緯36°39.6′)ですが,大陸からの季節風と日本海と列島中央の高い山脈の影響で,豪雪地帯となっています。
南にあっても,雪を楽しめる(雪に苦しめられる?)土地柄なんです。

今回はやはり懐かしいこの歌『白銀は招くよ』にしましょう。映画の原題は ”12 Mädchen und 1 Mann “(12人の娘と1人の男),歌の原題は ”Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt”  (僕は世界一の幸せ者)です。

トニーザイラーの歌です。

日本語の歌詞は2種類あって

処女雪光る光る 冬山呼ぶよ呼ぶよ

子供向けの

雪の山はともだち 招くよ若い夢を

前者は,最近あまり聴かれなくなりました。NHKの子供番組の影響でしょうか。

この歌を聴いていると,猛烈にスキーに行きたくなってきます。昔は長いスキーをはいていましたが,今はカービング・スキーといって,短くて幅広のスキー板が一般的になりました。
道具一式を揃え替えるとなると,これまた大層ですね。

この季節,二十四節気では,
2月19日は雨水(うすい),冬の氷水が陽気にとけ雨水となって降る,の意。
3月6日は啓蟄(けいちつ),地中で冬眠した虫類が,陽気で地上に這いだす頃,で
いずれにしても,今年は久しぶりに寒い冬でしたが,もう春はそこまで来ています。
気候の変動が大きいこの季節,寒暖の変化に気をつけて,健やかにお過ごしください。

吉本とは

現在,NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『わろてんか』は言わずと知れた吉本興業(2007年からよしもとクリエイティブ・エージェンシーというハイカラな名前に変っていますが)の創業者・吉本せいの一代記です。ドラマですから実際と異なるのは当然ですが,どこが違うか,見てみましょうか。

創業は1912年(明治45年),吉本吉兵衛(本名:吉次郎,通称:泰三)・せい夫婦が大阪市天神橋の「第二文芸館」を買収し,寄席経営を始めました。
1915年(大正4年)には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか,月と陰るか,全てを賭けて」との思いから『花月』 と改名しました。
夫・吉兵衛(1886-1924)は,山崎豊子の小説『花のれん』などでは経営を妻に任せっきりの道楽亭主のように扱われていますが,実際は実質的な経営の指揮をとっていたようです。しかし1924年に急性心筋梗塞により37歳で亡くなっています。

吉本せい(1889-1950)は明石の生まれ,1910年の20歳の時に,大阪市内本町の「箸吉(はしよし)」の息子吉本吉兵衛と結婚(実際には1907年の18歳のころから事実婚状態でした)。
2男6女をもうけますが,そのほとんどが早逝し,次男・泰典(後に改名し頴右)は歌手・笠置シヅ子と恋仲となりますが,猛反対を受け,1947年23歳で没後,実子・亀井エイ子が生まれています。

1917年,せいの実弟・林正之助(1899-1991)が入社し,亡くなるまで吉本を支えます。ドラマの従兄の風太ではなく,実弟の林正之助が大番頭でした。ちなみに吉本家の家業は荒物問屋であり,林家は米穀商です。吉本・林両家の確執が相当あったようです。

1932年,吉本興業合名会社が発足し,せいが社長,2人の弟,林正之助が大阪吉本,林弘高が東京吉本を率いる体制が確立します。
林弘高は欧州を視察し,その影響で,東京ではモダン・ハイカラ路線をとり,レビューやショウを上演して,演芸の大阪に対抗します。ドラマでは息子・隼也の役どころです。

演芸だけでなく,戦前は,巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え,戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにしました。
元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり,戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称されました。

ドラマの伊能は小林一三(1973-1957),阪急電鉄,宝塚歌劇団,阪急百貨店,東宝の創業者で関西の大物ですが,残念ながら吉本せいとの恋愛的な接触はありません。しかし,吉本と東宝が提携し,それを松竹が不快に思って芸人を引き抜く,という事件がありましたから,仕事の話はしたははずです。

月の井団吾は明らかに爆笑王といわれた初代桂春団治(1878-1934),無断のラジオ出演で,謹慎処分を受けた事実があります。

ドラマのキースは横山エンタツ(1896-1971)らしいのですが,エンタツが吉本に入ったのは1930年,ですから既に吉兵衛は亡くなっており,花菱アチャコ(1897-1974)と組んで「しゃべくり漫才」をやり,「早慶戦」などで人気をはくしました。

ドラマのリリコはミスワカナ(1910-46),女義太夫師でも映画女優でもなく,根っからの漫才師です。
シローは玉松一郎(1906-63),舞台でアコーディオンを弾きましたが,それほどの腕ではありませんでした。

所属する芸人は,桂春団治,横山エンタツ・花菱アチャコをはじめ,兵隊落語の柳家金語楼,三味線漫談の柳家三亀松,「あきれたぼういず」の川田義雄,ミスワカナ・玉松一郎など東西に多数いました。

戦後の吉本は,1959年(昭和34年),うめだ花月を開場,花菱アチャコ主演の吉本ヴァラエティ「迷月赤城山」を,同時にテレビ放送を開始した毎日放送と提携し,同社に舞台中継させました。1962年に京都花月,1963年になんば花月を開場,吉本ヴァラエティは,1962年に吉本新喜劇と名前を変え,白木みのる,平三平,ルーキー新一,花紀京,岡八郎,原哲夫,桑原和男,財津一郎らを続々と生み出しました。

この時期,じつは私個人は,吉本よりも松竹新喜劇を見ていました。吉本のワンパターンのドタバタよりも,松竹の人情喜劇の方が面白かったのです。
松竹新喜劇の発足は,1948年の中座で,当初は曾我廼家十吾浪花千栄子も参加していましたが,私の見ていたころは,渋谷天外,曾我廼家明蝶,曾我廼家五郎八,酒井光子,藤山寛美,小島秀哉,小島慶四郎,四条栄美など,役者がそろっていました。1965年,天外が倒れてからは,寛美が一枚看板となり徐々に衰退していき,1990年の寛美死去によって急激に衰退しました。

しかし,吉本の花菱アチャコが松竹出の浪花千栄子と夫婦役で組んでラジオで大活躍するのは皮肉なものです。

もっと皮肉なのは,花菱アチャコが戦後も大活躍するのに,横山エンタツはほとんど活躍せずに消えてゆきます。

さて,冬の寒い夜は懐かしいこの歌にしましょうか。

冬の夜』作詞・作曲者不詳「尋常小学唱歌(三)」(1912)

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

囲炉裏のはたに縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

今年の冬は久しぶりに寒い冬となりました。
私個人としては,海外で冬に‐15℃を体験しているのですが,暖房が不十分なせいでしょうか,年齢のせいでしょうか,今年はとても寒く感じます。
あちこちで積雪による大変な事態も起きています。
寒さ対策は十分ですか?風邪などは引いていませんか?
この時期,体調を崩すと更に大変になりますので,十二分に気をつけましょう。
こんな時こそ,家にこもってないで,運動をするのが良いのです。胸を張って散歩も良し,スローランニングも良し,もう少しで間違いなく春がやってきますので,頑張りましょう!

日本人のわざ

日本では,手先で物を作る仕事を極める職人を匠(たくみ)と称し,とくに大工の頭を棟梁と呼び,昔から皆から信頼され尊敬されてきました。

ドイツではマイスター(Meister),イタリアではマエストロ(maestro),米英ではマスター(master)と呼ばれていますが,国によって表現の感じが異なっています。

マイスターと言えば,社会的にも確立した親方で,ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグのマイスタージンガー(職匠歌人)』で有名です。
マエストロと言えば,本来は巨匠という意味ですが,世界中で,敬意をこめて指揮者に対して用います。
それに比べて,マスターは喫茶店の店主みたいに,軽く使われているようです。

さて,いまTVドラマ『陸王』が話題です。
池井戸潤(1963-)の原作で,半沢直樹,下町ロケット,ルーズベルト・ゲームにつづく人気ドラマになっています。
あらすじは,老舗の足袋製造業者がランニングシューズの開発に挑戦する奮闘を描きますが,じつはこれには有名な実在の人物たちがいます。

日本人が初めてオリンピックに参加したのは1912年の第5回ストックホルム(スウェーデン)大会でした。参加者は選手は三島弥彦(短距離)と金栗四三(マラソン),役員は加納治五郎(団長)と大森兵蔵の計4名でした。

金栗四三(かなぐり  しぞう,1891-1983,92歳没)はその前年,マラソン足袋をはいて世界最高記録を樹立して本番に臨みましたが,レース途中で日射病で意識を失ない,近くの農家で介抱されて,ゴールできませんでした。

1967年,金栗選手はスウェーデンのオリンピック委員会から,ストックホルム五輪55周年の記念式典に招待され,関係者から促され,競技場でゆっくり走って用意されたゴールテープを切りました。そのとき,場内アナウンスがあり,「日本の金栗,ただいまゴールしました。時間は54年8ヶ月6日32分20秒3,これをもって第5回ストックホルム・オリンピックの全日程を終了します」。
まことに,なんと粋な計らいでしょうか。

このマラソン足袋を開発したのが播磨屋(はりまや)足袋店(後のハリマヤ)の黒坂辛作(しんさく,1880-)でした。金栗と共同して改良をかさね進化させました。

1936年,ベルリン五輪で,このマラソン足袋(金栗足袋)をはいて日本代表の孫基禎(そんきてい,朝鮮籍,1912-2002)がマラソンで金メダルをとりました。

敗戦後の1951年,米・ボストンマラソンで田中茂樹(当時19歳)がマラソン足袋で優勝しました。これは,2年前に設立した鬼塚(オニヅカタイガー,現アシックス)の製品でした。

ドラマでは100年つづく老舗足袋店となっていますが,創業当時すでに実際はマラソン足袋は作られていたのです。

金栗さんは,箱根駅伝の開催に尽力し,日本に高地トレーニングを導入したり,日本のマラソン界の発展に大きく寄与し,「マラソンの父」と呼ばれています。
グリコの1粒300mのモデルとも言われています。

東京オリンピック前年の2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』は金栗さんをモデルにした物語だそうです。

今回の歌は,さわやかなこの曲にしましょう。

いずみのほとり
・深尾須磨子 作詞
・橋本國彦 作曲

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や すすきのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

むかしむかし いずみのほとり
天使たちが 子羊たちと 遊びました
むかしむかし 今は むかし

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や とんぼのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

深尾須磨子(1888-1974) 兵庫県生れ,詩人・作家・翻訳家。

橋本國彦(1904-1949) 東京生れ,作曲家・ヴァイオリニスト指揮者。

秋も深まってきました。今年は夏から秋もそうでしたが,秋から冬への季節の変わり方が,余りに急なようです。

気候の変化には十分に気をつけて,風邪など引かないように,元気にお過ごしください。

北斎の世界

いま,TVでも葛飾北斎の話題でもちきりです。その原因の一つは,大英博物館  国際プロジェクト  展覧会「北斎  ―  富士を超えて」が大阪のあべのハルカス美術館で開催(10/6-11/19)されています。
つまり,大英博物館の所蔵する北斎の作品展です。
行ってきましたが,すごい人出でした。

1999年に,アメリカ合衆国の『ライフ』誌の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で日本人で唯一,86位にランクインしました。北斎は世界に認知された大芸術家なのです。

たとえば,印象派のゴッホ(蘭,1853-90)やモネ(仏,1840-1926)に影響を与え,作曲家ドビュッシー(仏,1862-1918)は『神奈川沖浪裏』に誘発されて交響詩「海」を作曲しました。

大物らしく,奇妙なエピソードにこと欠かず,
改号すること30回,転居すること93回,飲酒も喫煙もしない,耳が大きく,身長180cmの大柄,六尺の天秤棒を杖代わりに,食事・衣装・金銭に無頓着,不作法で,気位が高く,富や権力でも動かない,数え90歳(卒寿)没と長命でした。

同時代同業の37歳年下の安藤(歌川)広重の来訪を受けた時も,そっけない応対で立腹させ帰らせてしまいました。これは,弟子にしてほしいという申し出に,既に一人前である,と認めていたから,といいます。
実際,『富嶽三十六景』の出版の2年後に,広重の『東海道五十三次』が大評判となったのでした。

葛飾北斎(1760.10.31-1849.5.10)は武蔵国葛飾文書割下水(現東京都墨田区)に貧しい百姓の子として生まれました。
勝川春草の門下となりますが,狩野派や唐絵・西洋画なのどの画法を学び,そのため勝川派を破門されます。

三女お栄(葛飾応為)は絵師に嫁ぐも,その絵を批判し離縁され,その後生涯北斎と起居を共にし,助手を務めました。色彩感覚に優れており,北斎晩年の作は,応為の代筆によるものと考えられています。

主な作品
・『北斎漫画』初編(1814,53歳)

・『富嶽三十六景』(1923-33,62-72歳)10年かけて完結
そのなかでも,有名なのは

・『神奈川沖浪裏』通称:大浪,大波(the Great Wave)
普通の肉眼では波頭はこの絵のようには見えません。1/5000でシャッタを切るとこのように見えました。これまでの機械式のシャッタでは最大でも1/2000までしか撮れませんでした。
北斎の目は電子シャッタの領域の,まさに神の目だったのです。

・『凱風快晴』通称:赤富士(the Red Fuji)
・『山下白雨』通称:黒富士(the Black Fuji)

信濃国高井郡小布施の高井鴻山の招きで晩年の4年間(1844-48)小布施に住み,
・祭屋台の天井絵『怒涛図』などを描きました。

北斎の臨終のときの様子は次のように書き残されています。

翁 死に臨み大息し
天我をして十年の命を長らわしめば 」といい
暫くして更に言いて曰く
天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」と言吃りて死す

これは,「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間,命長らえることを私に許されたなら』と言い,しばらくしてさらに,『天があと5年の間,命保つことを私に許されたなら,必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだ」との意味です。

日常の生活を健康的に過ごしたとはとても言い難い北斎が,当時としては異例の90歳まで,なぜそんなに長生きできたのか,不思議に思われていますが,絵に対する飽くことのない探求心・向上心という意欲が長生きの大きな源泉だったのでは,と思います。

辞世の句は,

人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原

その意,「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」というものでした。

今回は富嶽三十六景にちなんで,この歌,唱歌『ふじの山』にしましょう。

ふじの山』巖谷小波・作詞 作曲者不詳 尋常小学読本唱歌(1910)

あたまを雲の上に出し 四方の山を見下ろして
かみなりさまを下にきく ふじは日本一の山

青ぞら高くそびえたち からだに雪のきものきて
かすみのすそをとおくひく ふじは日本一の山

巖谷小波(いわや  さざなみ,1870-1933)東京出身,明治・大正の作家・児童文学者・俳人。『一寸法師』の作詞も。

今年のノーベル平和賞はICANに決まりました。
ICANとは,核兵器廃絶国際キャンペーン(International Campain to Abolish Nuclear Weapons)の略称で,スイスのジュネーブに本部をおく国際NGO(非政府組織)で,60ヵ国以上の団体が参加しています。
核戦争防止国際医師会議(1985年ノーベル平和賞受賞)のオーストラリアの運動から派生したNGOで,2007年に正式に発足しました。
今年7月に国連で「核兵器禁止条約」が採択されたのですが,常任理事国(米・英・露・仏・中)など核を保有する国々は批准していません。唯一の被爆国である日本も批准していません。アメリカの核の傘に依存する日米安保条約のもとでは賛成できないのでしょうが,国民感情としてはおかしな話です。

世界の軍事力ランキング(Global Power:2017)

1.アメリカ
2.ロシア
3.中国
4.インド
5.フランス
6.イギリス
7.日本
8.トルコ
9.ドイツ
10.イタリア
11.韓国

23.北朝鮮

1位から6位までは核保有国です。非核保有国では日本が最大の軍事力を保持していることになります。

ただし日本憲法9条は以下のとおりです。

第9条  日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。

2   前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

衆議院選挙が終わりました。自民党の圧勝でした。
安倍政権は,争点として,北朝鮮の脅威,をあげました。この機会に,自衛隊を国軍に昇格させて,軍事力を増強して「普通の国」になりたい思いが頑強にあります。
しかし,軍事費を増大させて,軍事力を強化しても,緊張を増幅させるだけで何の解決にもなりません。

トランプ政権は,安倍政権以上に無茶苦茶な政権ですから,何をやりだすか分りませんが,もし戦争を勃発させても,簡単には問題は解決しません。それはこれまでの幾つも過去の戦争を見てきて分ることです。大勢の人が死に,混乱を増大させて,紛争が泥沼化し,経済は疲弊し,良いことは何一つ起こりません。

衆院選の投票率は全体で53.51%でした。18,19歳では41.51%,19歳に限ると,なんと32.34%しかありませんでした。
大型台風直撃の影響はあったにせよ,非常に残念な結果でした。もっと自分たちのこと,そして社会のことを真剣に考えないと,知らない間に,おかしな方向に進められてしまう,危険性があります。

選挙に行った若者のなかに,「選挙に行かないで国政を批判するのは無責任だ」と発言した人がいました。そのとおりです。世の中が良くなって行かないのは,国民が良くなりたいという意見を発信しないからです。

今年の秋は,台風の影響もあって,長雨が続きましたが,体調はいかがですか。気候が変動すると体調もおかしくなることが多いので,くれぐれも気温変動には気をつけて,元気にお過ごしください。

役に立つ

役に立つ」とは,その事のために十分適している,用をなすに足る,という意味で使われています。「この機械は古いがまだ役に立つ」と物にも使われますが,「世の中の役に立つ」とか「人の役に立つ」などと人に対して使われることが多いです。

 現在放映中のTVドラマ『ごめん,愛してる』は,韓流ドラマの焼き直しらしいのですが,親に捨てられて孤児院で育てられ,韓国ヤクザの世界に身を置いた主人公が,余命3ヶ月の宣告を受け,最後に母に会いたいと,日本に戻ってきます。
子を捨てるぐらいだから,母は経済的に困っているはずと,大金を手に戻るのですが,弟がいて,アイドルピアニストとして売り出し中で,豊かな暮らしをしているのでした。
このあたりは,長谷川伸(1884-1963)の『瞼の母』に設定が似てますね。
主人公の思いは一つ,人の「役に立つ」ことでした。

人間たるもの,生れて来たからには,何かの役に立ちたい,せめて少しでも人の役に立ってから死にたいと思うのは自然です。
特に,先が見えてきたら,そういう思いが強くなるのはよく分ります。

人類が進化してきたのは,二足歩行して,手が自由になり高度な動作が可能となった反面,逆に起立したことによって骨盤に圧迫され産道が狭くなり,出産すら独りではできず,仲間の手助けを必要としました。この共同作業を必要とする生き方が人類を発展させた大きな要素だったのです。
そういう意味では,陸上競技の100m×4リレーで,日本選手が,個々の力では劣るのに,先の世界大会では銀メダル,ユニバーシアード大会ではアメリカを抑えて堂々の金メダルを獲得する快挙をなしとげたのは,まさにこの助け合いの精神が生かされたからでしょう。
共同作業や連帯が得意な日本人が,これからも活躍できる場面は多くありそうですね。

「役に立つ」の反対語は,「役立たず」でしょうか。
これは相当に強い言葉で,もし,こう言われたら,人間としての能力を,全否定されたようで,衝撃です。

以前,カナダで,厳しい語学教育をすることで有名なクィーンズ大学キングストン校で英語教育を受けたことがあります。
ディベート(debate,討論)の時間に,高齢者問題を取り上げたとき,メキシコから来た若い女子が「老人は役立たず(useless)」と発言し,「彼らの経験と知識は役に立つ」などと厳しく反論されておりました。こんなことを高齢社会の日本で発言したら,とんでもないことになりますね。
しかし,若い人の本音なんでしょうか。近い将来,自分もそうなるのにね。

今回の歌は『浜辺の歌』です。

 林古渓(こけい)作詞 成田為三・作曲(1916)

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

林古渓(1875-1947)は林羅山に連なる学者の家系で,本名は竹次郎,東京・神田出身の歌人・作詞家・漢文学者。

成田為三(1893-1945)は秋田出身の作曲家。秋田師範を卒業後,1年間小学校で教鞭をとった後,東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学,山田耕筰に師事,在学中に『はまべ(浜辺の歌)』を作曲,ドイツに4年間留学,多くの管弦楽曲,ピアノ曲を作曲しました。初期に作った童謡が代表作のように扱われて,本格的な作曲技法を見につけたご本人としては不本意だったと思いますが,日本人に広く親しまれていつまでも愛唱される『浜辺の歌』は名曲で,それは名誉なことでしょう。

秋は変化の季節,9月は台風もあり,気象変化には繊細に対応する必要があります。毎日の気温変化には気を付けて,ふさわしい衣服の選択をしましょう。秋雨前線が発達してきて,そこに台風が重なったりすると,大きな災害を引き起こす危険があります。9月は防災の月でもあります。大雨がふったら車や自転車は控え,不急の外出も控えた方が安全でしょう。

この季節は,おいしい食べ物が豊富な食欲の秋,秋空のもとスポーツの秋のシーズンです。
食事と運動は健康のみなもと,食べ過ぎには注意して,適度な運動をして,元気にお過ごしください。

わからん言葉

世の中にはよくわからない言葉がたくさんあります。

伝統的な言葉なら,勉強不足です,しっかり理解しましょう,という気にもなりますが,新しい造語だと,説明されても訳がよく分からなくて,覚える気にもならないことが多々あります。

その代表的なのが,コンピュータ関連の用語でしょうか。

たとえば,
ホテルやお店で,「Wi-Fi 使えます」のどの表示を見かけることがあります。
Wi-Fi(ワイ・ファイ)とは,国際標準規格 IEEE802.11 を使用したデバイス間の相互接続が認められたことを示す名称。無線LAN のひとつ。

IEEE(アイ・トリプルイー)とは,The Institute of Electrical and Electronics Engineers,米国の電気電子工学会のこと。

LAN(ラン)とは,Local Area Network,家庭内や企業内などの比較的狭い地域に限定されたコンピュータネットワークのこと。

数字による規格では分りにくいとして,音楽で既に用いられていた Hi-Fi(High Fidelity,高忠実度)から Wi-Fi としました。
「Wireless Fidelity」という由来は,後付けされたものです。

そういえば,ハイ・ファイ・セット(74-94)という音楽グループがありましたね。赤い鳥(69-74)が解散して,山本潤子らの3人のグループでした。「卒業写真」「フィーリング」などをヒットさせました。

家庭内のスマートフォン,パソコン,テレビ,ゲーム機などをWi-Fi でつなげば,家族のみんなが,それぞれのスマホなどから,パソコンやビデオのデータを共有して,画像・動画や音楽を楽しめたりします。便利ですね。しかし,面倒ですね。

もうひとつ,IoT(アイ・オー・ティ)があります。
Internet of Things の略で,「物のインターネット」と言ったりします。
様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され,情報交換することにより,相互に制御する仕組みです。それによる社会の実現も指す,としています。

ややこしいですよね。
それに比べれば,昔の言葉は良いですね。分りよいし,音の響きもいいです。
代表的な四文字熟語を並べますと,

品行方正  行ないが正しくきちんとしているさま

清廉潔白  心が清くて私欲がなく,いさぎよくてけがれていないこと

謹厳実直  慎み深くて厳格で,誠実で正直なこと

質実剛健  飾り気なくまじめで,逞しく健やかなこと

頭脳明晰  思考力が明らかではっきりしていること

容姿端麗  顔だちと体つきが整ってうるわしいこと

眉目秀麗  みめ(まゆと目)が優れてうるわしいこと

明眸皓歯  澄んだひとみと白い歯。美人の形容にいう 

これだけ揃っていると,言うことなしの人物ですね。

今年の夏は東日本と西日本では季節が全く異なりました。
東日本は不順な気候で,雨がよく降って,気温も低く,冷夏でした。農作物の出来が心配されます。

それに反して,西日本では,酷暑でした。真夏日熱帯夜は何日つづいたのでしょう。
しかし,夏は暑いのが当たり前,寒ければ,宮沢賢治のように「寒さの夏はおろおろ歩き・・・」と山背(やませ)が心配されます。

山背とは,夏,北海道・東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの冷湿な風のこと,稲作に悪影響を与えます。凶作風です。

この大阪でも,朝晩は秋めいてきました。
夜には虫の声が聞こえるようになってきました。

今回はこの季節にふさわしいこの歌にしましょう。

虫のこえ』 尋常小学読本唱歌(1910.7)
 作詞・作曲者不詳

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

いわゆる「オノマトペ(onomatopoeia)擬声語」のオンパレード(総出演)です。こういう音に聞こえたんでしょうね。

これからが季節の変り目,体調を崩しやすいシーズンです。
夏の疲れを残さず,温度変化に気を付けて,元気に過ごしましょう。

しあわせと平和

学生時代,先生たちと飲食・雑談をしたとき,「しあわせとはどんなときに思うか」という話題で,加山雄三が歌う『君といつまでも(65)』のように,鼻をこすりながら(これは羞恥心の表現か)「しあわせだなぁ」などとつぶやくようなことは実際なく,「不幸と思わない今のような状態のときをいうのではないか」というような展開になったと思います。

しかし,程なく,その先生方が相次いで重病となり,そして亡くなり,やはりそのときが実感はせずとも,しあわせのひとときであったのか,と思ったものでした。

しあわせ」よりもっと自覚しにくいのが「平和」でしょう。
平和な状態でもしあわせと感じない人たちがたくさんいるのも現実です。

その一つが,しあわせの訳語に fortune もあり,これは「」をも意味し,お金がなければ幸福とは思えない,ということでもあるわけでしょうか。

しかし「peace(平和)」の対義語は「war(戦争)」です。
戦争の状態で,しあわせと感じるのは,武器を売ってもうける商人ぐらいのものです。

しかし,防衛装備庁という,自衛隊の武器を調達する組織を政府が作りました(2015)。
かつて,言葉だけでも「非核三原則(67)」があり,「持たず,作らず,持ち込ませず」というのがありました。

それどころか,防衛省(2007に庁から省へ昇格,第一次安倍内閣)は2015から軍事研究に対して,大学等の研究機関に,軍学共同研究として助成金を支給する安全保障技術研究推進制度を開始し,2017の予算では前年のなんと18倍の110億円に急増しました。
日本学術会議はこれに強く反対の意を示しています。

以前,『戦争を知らない子供たち(70)』という歌がありましたが,当時,総人口に占める割合が,1/4という試算があり,それが2009年には2/3になったというデータがありました。
現在は,もちろん,それ以上で,現在の内閣では,首相をはじめ 全員,知らない世代ばかりではないですか。

いま話題の朝ドラ『ひよっこ』の主人公「みね子」の伯父「宗男(44歳)」(1966)がいつも笑っている訳を問われ,先の大戦で陸軍でビルマ戦線に送られ,インパール作戦でイギリス軍と対峙し,ある夜,斥侯を命じられ,そこで若いイギリス兵と鉢合せし,相手は笑顔で立ち去ったことで,その時笑えなかった自分を悔しいと思い,以後,笑って暮らすことを信条にしている,と言うのです。
このインパール作戦(1944)というのは,多くの犠牲者を出して歴史的な敗北を喫し,無謀な作戦の代名詞として今も引用されるほどの過酷な戦争で,その生き残りの話は,実に生の反戦へのメッセージでした。
しかし,今の指導者たちはこんなドラマ見ていないだろうな。

しかし,今後,平和が崩れた時に,「あのとき平和しあわせだったんだなぁ」などと思い返すような時が訪れないように,いま真剣に平和を持続させる道を選択しなくてはならないのです。

それにしても,今の安倍内閣の一連の政治行動を見ていると,平和を希求するのではなく,反対に実に好戦的で,危険に過ぎます。

先の東京都議会選挙(17.7.2)で,自民党は歴史的な大敗をし,現有57議席が23議席と半数以下になりました。

都議選は過去何度か,直後にあった国政選挙の「先行指標」となってきました。1993年の都議選直後の総選挙では「日本新党」が躍進して自民党政権が崩壊し,2009年の総選挙では民主党(当時)が政権交代を果たしました。

国民のみなさんの冷静な,平和を望む思いが実現しますように,願うばかりです。

こんな歌をご存知ですか。

しゃれこうべと大砲』といいます。
イタリア映画『越境者』(1950)の主題歌として使われました。

【訳詞】東大音感合唱研究会
【作曲】シシリー島民謡

1.大砲の上にしゃれこうべが
  うつろな目をひらいていた
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  鐘の音も聞かずに死んだ

2.雨に打たれ風にさらされて
  空の果てをにらんでいた
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  お袋にも会わずに死んだ

3.春がきても夏が過ぎても
  誰も花を手向けてくれぬ
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  人の愛も知らずに死んだ

くらい歌ですが,反戦歌です。ダークダックスが歌っているのを聞いたことがあります。

しあわせって何だっけ何だっけ」というCMソングがありましたね。明石家さんまが歌って話題になりました。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

という有名な言葉は,ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」にあり,ラテン語で書かれています。

しかし,健康体でなくても,健全な精神は持てる,とおっしゃるお医者さんがいました。言われれば確かにそうです。

でも,健康は大切です。
健康を損なってから,あのときは健康で良かった,と思うようなことがないようにだけはしたいものです。

これから厳しい季節がしばらく続きますが,賢く過ごしたいものですね。

岩谷時子の世界

3年余り前,作詞家の岩谷時子さんが亡くなりました。享年97歳でしたから,天寿を全うした大往生といえるのかもしれません。われわれにたくさんの歌を残してくれました。

たとえば,( )内は,その発売年,歌手,作曲家の順

恋のバカンス(63,ザ・ピーナッツ,宮川泰
ウナ・セラ,ディ東京(64,ザ・ピーナッツ,宮川泰
逢いたくて逢いたくて(66,園まり,宮川泰

夜明けの歌(64,岸洋子,いずみたく
これが青春だ(66,布施明,いずみたく
ベッドで煙草を吸わないで(66,沢たまき,いずみたく
恋の季節(68,ピンキーとキラーズ,いずみたく
いいじゃないの幸せならば(69,相良直美,いずみたく

君といつまでも(65,加山雄三,弾厚作
旅人よ(66,加山雄三,弾厚作

ほんきかしら(66,島倉千代子,土田啓四郎
サインはV(69,麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ,三沢郷
おまえに(72,フランク永井,吉田正
男の子女の子(72,郷ひろみ,筒美京平

しかし,いろんな範囲に広く詞を提供していて,驚くほどの量です。

岩谷時子(1916-2013)さんは,京城府(現在のソウル別市)に生まれ,5歳のときに兵庫県西宮市に移住,1939年に神戸女学院大学部英文科を卒業後,宝塚歌劇団出版部に就職,『宝塚』の編集長を務めました。

岩谷さんといえば,越路吹雪(1924-80)との関係を言わない訳にはいかないですが,彼女は東京・麹町に生まれ,父の転勤で新潟に,長野県飯山高等女学校(現・飯山高校)を中退して,1937年に宝塚音楽歌劇学校に入学,同期に月丘夢路・音羽信子らがいます。
1939年2月に初舞台,岩谷さんとの出会いは「サインの見本を書いてほしい」とやって来たといいます。15歳と23歳,8歳年下でしたが,最初から意気投合したようです。
清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚で,越路は煙草は吸うし,門限破りはするしの異色の存在で,「不良少女」のあだ名を付けられたといいます。

1951年に越路が宝塚を退団するとき,懇願されて専属の無給のマネージャーとなり東京に行きます。
1952年に越路が出演したシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として越路が「愛の讃歌」を歌うことになり,岩谷さんが自身初の訳詞・作詞をしました。それから越路の楽曲の訳詞や,作詞家として数々のヒット曲を手がけることになりました。

しかし,この「愛の賛歌」の訳詞というか作詞には,原作とは違い過ぎるとの批判が多いのも事実です。
エディット・ピアフの歌はとても激しい恋の歌ですが,岩谷さんのはもっと優しい恋の歌です。やっぱり穏やかな日本人にはこっちの方が合うのではと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=5PHECvAW1Bk

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて    
ただふたりだけで 生きていたいの    
ただいのちのかぎり あたしは愛したい    
いのちのかぎりに あなたを愛したい    

頬と頬よせて 燃えるくちづけを 
かわす喜び かわす喜び    
あなたとふたりで 暮らせるものなら 
なんにもいらない    
なんにもいらない 
あなたとふたりで 生きていくのよ    
あたしの願いは ただそれだけよ 
あなたとふたり

かたくいだき合い 
燃える指に髪を    
からませながら いとしみながら    
口づけを交わすの 
愛こそ燃える火よ    
あたしを燃やす火 
心とかす恋よ

いっぽう激しいピアフの原曲も聴いてみましょうか。後半は英語です。

  空が落ちてこようと
  大地が裂けようと
  わたしは平気よ
  あなたの愛があれば

  あなたの腕に抱かれて
  わたしが震えるとき
  なにもかも かすむわ
  愛される幸せに

  たとえ地の果てまでも
  わたしはついていくわ
  愛されるならば
  月をももぎ取り
  運命も変えてみせる
  求められるならば

  故郷も棄てる
  友達だって
  あなたのためなら 
  笑われようと
  気にはしない
  あなたのためなら

  もしもわたしたちを
  死が引き離すとも
  わたしは恐れない
  あなたに愛されてれば

  ともに歩みましょう
  青い空の彼方を
  何も恐れはしない
  ともに愛し合えば

  いつまでもともに

Hymne a L’Amour

  Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer,
  Et la terre peut bien s’ecrouler,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Je me fous du monde entier.

  Tant qu’ l’amour innondera mes matins,
  Tant qu’mon corps fremira sous tes mains,
  Peu m’importent les problemes,
  Mon amour, puisque tu m’aimes.

  J’irais jusqu’au bout du monde,
  Je me ferais teindre en blonde,
  Si tu me le demandais.
  J’irais decrocher la lune,
  J’irais voler la fortune,
  Si tu me le demandais.

  Je renierais ma patrie,
  Je renierais mes amis,
  Si tu me le demandais.
  On peut bien rire de moi,
  Je ferais n’importe quoi,
  Si tu me le demandais.

  Si un jour, la vie t’arrache a moi,
  Si tu meurs, que tu sois loin de moi,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Car moi je mourrais aussi.

  Nous aurons pour nous l’eternite,
  Dans le bleu de toute l’immensite,
  Dans le ciel, plus de probleme,
  Mon amour, crois-tu qu’on s’aime?

  Dieu reunit ceux qui s’aiment.

じっさい,1953年にパリで,越路はピアフのステージを見て聴いて,非常な衝撃を受けた,と日記に書き残しています。

しかし,有名な歌手たちはかなり短命ですね。

エディット・ピアフ(1915-63,47歳で没)
ナット・キング・コール(1919-65,45歳)
エルビス・プレスリー(1935-77,42歳)
カレン・カーペンター(1950-83,32歳)

越路吹雪(1924-80,56歳)
美空ひばり(1937-89,52歳)

こうなると長生きしているのはダメな歌手,ということにもなりかねないですね。
でも,明らかに声が出ないのに人前で歌う老年歌手をみると,とても切ない気持ちになります。

音源が残っているので,後世の人たちも聴くことができますが,それにしてもみんな早過ぎます。
しかし,もともと歌手は演奏寿命(歌える期間)が短いので,劣化する前に亡くなるのは,良い状態の歌唱や姿だけ残せるので,早逝する方が良い,という見方もあります。

ところで,岩谷さんは越路吹雪から「恋泥棒」というあだ名をつけられていて,越路の恋の話を自分の作詞にしてしまう,と。
じっさい,『恋の季節』で有名な「夜明けのコーヒー」は,外国人から越路が「夜明けのコーヒー」を誘われて,本人はコーヒーを早朝に飲むだけの約束だと思っていた,という実話があります。

岩谷さんは,自分はあくまで清楚に生き,友達の奔放な恋の歌を沢山かいて,一生を二人分,楽しんで生きた,というような稀に見る女性でした。

しかしやっぱり,普通の人間は健康で長生きしたいものです。
これからは季節の移り変わるシーズンです。季節に合わせた生活をして,憧れの春を迎えましょう。