夏の虫

よく使うことわざに

飛んで火にいる夏の虫

というのがありますが,
明かりにつられて飛んで来た夏の夜の虫が火に触れて焼け死ぬことから,それと気づかずに,また,自ら進んで危険に飛び込むことのたとえ,として使います。

このことわざのように,
高電圧を用いた電撃タイプの捕虫器があり,虫が自ら光に吸い寄せられて,バリバリと焼けこげるという無残な姿を目にしたものでした。

ところが最近,
新しいタイプの捕虫器がつくられ,上部の「捕虫ランプ」,中部の「ファン」,下部の「捕虫袋」の3つの部位で成立っており,吸込まれた虫は袋の中に溜まるため,袋ごと捨てれば,虫に触れることなく衛生的に処理できるというものです。

家庭用には,
「電気蚊取り器」よりも渦巻き型の昔ながらの「蚊取り線香」が好みです。

家には蚊など一匹もいそうもないようなタレントが,団扇片手に「日本の夏,〇鳥の夏」なんて言うCMがありましたね。

スプレー式の蚊取りを,コメディアンが「ルーチョンキ」などとのたまわりながら,スプレーしまくるようなCMも懐かしいです。

蚊の刺したようにも感じない
というのは少しの痛痒も感じないということですが,実際には,刺されると痒いし,うるさいものです。

世の中に か(蚊)ほどうるさき ものはなし
ブンブ(文武)といひて 夜も寝られず

これは太田南畝(蜀山人,1749-1823)が作った狂歌で,白川藩主であった老中・松平定信(1759-1829)が行った寛政の改革を批判したものとして有名ですね。

ものはついでに,こういうのもありました。

白河の 清きに魚も 住みかねて
もとの濁りの 田沼恋しき

もちろん,
田沼とは,そのまえの老中・田沼意次(1719-88)のことで,重商主義政策を採りました。
ちなみに,
江戸時代には三大幕政改革が行われていますが

享保の改革(1716-45) 徳川吉宗・主導
寛政の改革(1787-93) 松平定信・主導
天保の改革(1841-43) 水野忠邦・主導

いずれも質素倹約・緊縮財政を推し進めたので,経済はよけいに沈滞することになったのです。

さて
金儲けをもくろんだある芸人が,オオクワガタが高額で売買されて儲かると聞き込んで,自宅で飼いだしたのはよかったのですが,クワガタにつられて虫が湧くようになり,それを気にかけた女房がバルサン(燻煙式の殺虫剤)を焚いて,すべてを殺してしまった,という笑い話のような事実があります。

夏の虫というより,いまや年中いますが
ゴキブリは嫌われていますね。
むかしはアブラムシと言っていました。
あのねのね『赤とんぼの唄』(清水國明・詞 原田伸郎・曲)でも
「赤とんぼ 赤とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ」
と歌っています。

殺虫スプレーをかけても即死に至りませんから,追い回すことになり,連中が元気な夏は取り逃がすことも少なくありません。

以前はどこの家でもハエタタキがありましたから,現れても,あれで一撃すればたちどころに取り押さえられました。
ただし,虫の内臓が付着するのが嫌ですね。

話は突然それるようですが,
自動販売機で,紙コップが出てきて,濃縮されたものがその場で適切な熱さ(冷たさ)で混合されて注がれるタイプのものは気を付けてください。
注ぎ口周辺は甘くて暖かくて年中,ゴキブリにとって絶好の住みかです。
内容物を交換にくるお兄さんに「ゴキブリの死骸が挟まっていることがよくあります」と聞いて以来,そのようなタイプを選んだことはありません。

夏の虫は,秋の虫と比べて,風情がありませんね。
ホタルが例外でしょうか。

もうすぐ本格的な夏になると,セミがうるさいですね。
わが家のゴンタな猫は,庭に出ると,セミを捕まえて来ます。
近くに田んぼがあったころには,カエルやヘビをお土産に持って帰ってきて往生しましたが,最近は部屋でわれわれが気づかないような小さな虫を追っかけています。

虫をムシできるくらい大らかな生活ができればよいのでしょうけれど・・・。

初夏の風景

初夏の風物詩として,いろいろあるなかで,最近見かけることが少なくなったのが蛍(ホタル)です。

少しむかし,清流の小川の草むらに,ホタルを見つけることはそれほど難しいことではありませんでした。

日本でホタルと言えば大型のゲンジボタルを指すことが多いです。
名前の由来は諸説ありますが,紫式部の源氏物語の主人公「光源氏」からとられたという説が優雅でいいですね。

小型のヘイケボタルというのもいますが,これは源氏の対比として平家と名付けられました。

(蛍の光,窓の雪)というのは,苦学することの代名詞として使われてきましたが,とくにホタルの光は,電気による光源と比べると,熱効率が良く,熱をあまり出さないので「冷光」と呼ばれてきました。

ホタルの歌はスバリ
井上赳・作詞 下総皖一・作曲(1932)

蛍のやどは 川ばた楊(やなぎ)
楊おぼろに 夕やみ寄せて
川の目高が 夢みる頃は
ほ ほ ほたるが灯をともす

川風そよぐ 楊もそよぐ
そよぐ楊に 蛍がゆれて
山の三日月 隠れる頃は
ほ ほ ほたるが飛んで出る

瓦のおもは 五月の闇夜
かなたこなたに 友よび集い
むれて蛍の 大まり小まり
ほ ほ 蛍が飛んで行く

蛍狩」という言葉もありましたが,蛍を見て歩いたり,捕まえたりすることで,そんなことはとてもできなくなりました。

自然保護の象徴のように,河川の浄化と,ホタルの保護と放流がされてきていますが,自然を回復させるには相当な時間がかかることでしょうね。

 

うれる小説とは

人気作家の渡辺淳一(1933.10.24-2014.4.30)が亡くなりましたが,北海道の出身,札幌医科大学卒,医学博士,代表作は「光と影」「遠き落日」「失楽園」など,一般には恋愛小説家の印象がありました。

「あなたはうんと詩を読んだらいいですね」。ある女性記者にデスクはこう勧めた。戦後間もない小紙の大阪本社学芸部,デスクは後の作家・井上靖,女性記者とは同じく山崎豊子さんだった。
ー 中略 -
「あなたはおそらく生涯,原稿用紙と万年筆だけがあればいい人なんだ。臆せず書くことですよ」。こちらは新聞社を離れた山崎さんへの週刊新潮の名編集者の斎藤十一の助言である。

毎日新聞2013.10.1「余禄」

すごい時代があったんですね。

井上靖(1907.5.6-1991.1.29)は静岡県伊豆市で育ち,京都大学文学部卒,文化勲章受章,代表作は「闘牛」「氷壁」「天平の甍」「敦煌」など,しばしばノーベル文学賞の候補にあがったようです。

山崎豊子(1924.11.3-2013.9.29)は大阪市船場の出身,実家は老舗の昆布屋「小倉屋山本」で,相愛女学校卒,京都女子専門学校(現・京都女子大学)国文学科卒です。

山崎さんの作品は,事実に基づいた社会性のあるものが多く,ほとんどが映像化・ドラマ化された話題作と言っても過言ではありません。

デビュー作
暖簾」  生家の昆布屋をモデルに親子二代の商人の物語

2作目
花のれん」 吉本興業を創設した吉本せいをモデルにした作品で,直木賞受賞

ぼんち」  足袋問屋の息子の放蕩・成長を描いて,市川雷蔵主演で映画化・ドラマ化

白い巨塔」  大阪大学医学部をモデルに現実を鋭く描いて話題を呼び,田宮次郎主演で映画化され,そのご何度もTVドラマ化された

華麗なる一族」  神戸銀行(現・三井住友銀行)をモデルにした経済小説で,佐分利信主演で映画化,そのご2度にわたりTVドラマ化された

不毛地帯」  商社を舞台にした不毛な商戦を描き,映画化・ドラマ化

大地の子」  中国残留孤児をモデルに2つの祖国のもとで逞しく生きる青年を描き,上川隆也主演でNHKでTVドラマ化された

沈まぬ太陽」  日本航空社内の腐敗と航空機事故を扱い,渡辺謙主演で映画化

運命の人」  沖縄返還にまつわる密約を巡って毎日新聞社の西山記者をモデルに描き,本木雅弘主演でTVドラマ化

約束の海」  旧海軍将校の父と海上自衛隊員の息子を主人公に戦争と平和を問う大河小説で,未完の絶筆作品となった

多くの話題作を提供した山崎さんですが,多量の取材に基づいて執筆するのですが,その取材原稿をそのまま引用したりするために,何度も盗用疑惑を指摘されてきました。

しかし,亡くなる直前まで精力的に執筆活動にいそしまれ,その作品がことごとく世間に評価され,幸せな作家生活であったと思います。

気になる音楽と音楽家

ある開発途上国に赴任していたとき,口に合うレストランもない中,比較的まし,と聞いたイタリアン・レストランに友人と二人で行ったときのことです。

そこでギターの調べが聞こえてきたのですが,明らかに聞き覚えのある曲でした。

それはインスピレーションジプシーキングス演奏)という曲で時代劇「鬼平犯科帳」のエンド・ロールで江戸の四季の美しい映像がうつされるバックに流れる音楽でした。

思わず演奏するギター・デュオに片言のロシア語で「それは日本の音楽だ!」と言うと,
「ミヤガワ,ミヤガワ」と言って,つぎの曲を弾きだしました。

それは
恋のバカンス』岩谷時子・作詞 宮川泰・作曲 ザ・ピーナッツ・歌(1963)

ため息の出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる 乙女ごころよ
金色に輝く 熱い砂の上で
裸で恋をしよう 人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた 約束は
二人だけの 秘めごと
ためいきが 出ちゃう
ああ 恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめて あなたを見た
恋のバカンス

あとで聞いたところによると,ロシアでかなり流行った歌だそうで,ロシア語の歌詞もありましたが,「裸で恋をしよう」などという過激(?)な言葉はありません。

じつは宮川さん,このわずか4か月後の春分の日にお亡くなりになったのです。

宮川泰(ひろし,1931.3.18-2006.3.21)さんは,大阪府富田林市で育たれ,大阪学芸大学(現・大阪教育大学)音楽科を中退,そのご和製ポップスの開拓者として活躍,ザ・ピーナッツを育てられたことでも有名です。
代表作は「ウナ・セラ・ディ東京」「銀色の道」「宇宙戦艦ヤマド」など多数の作曲をしました。

クレージーキャッツにピアニストとして入団を誘われたりするほどのお笑い好きで,楽しく音楽する人でした。

岩谷時子(1916.3.18-2013.10.25)さんは,幼少から兵庫県西宮市で育たれ,神戸女学院大学部英文科を卒業後,宝塚歌劇団出版部に就職され,雑誌「歌劇」の編集長として活躍,8歳年下の
越路吹雪(1924.2.18-1980.11.7)と知合い,越路が退団するときに一緒に退職し,以後越路の無給のマネージャーとなります。
生活費を稼ぐため作詞家・訳詞家となり,越路のすべての歌と多くの作詞をしました。
代表作は「夜明けのうた」「君といつまでも」「恋の季節」「愛の賛歌」など多数の作詞・訳詞をしました。

生涯独身で,作詞から想像するような艶やかさはなく,むしろ質素な感じのする人で,97歳の長寿をまっとうされました。

ザ・ピーナッツ(活動期間59-75)は名古屋出身の双子女性デュオ,姉エミさんが沢田研二と結婚することで解散,エミさんは2012.6.15に亡くなっています。

当時からそして今も彼女らを上回るような世界的に活躍する女性デュオは出ていません。
ピンク・レディー(活動期間76-81)は,ピーナッツを目指したようですが,志し半ばで解散,挫折しました。
そのご何度も再結成しましたが,やはりうまくいきません。
歌い続けることも大切なんですね。

梅雨ニモマケズ

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテイル

これはご存知のように,宮澤賢治(1896.8.27-1933.9.21)の没後に発見された手帳(1931)に記されていたメモの一節です。

われわれも梅雨ぐらいに負けてはいられません。
この時期の花といえば,紫陽花(あじさい)ですね。

ajisai

雨に濡れている紫陽花は本当にみずみずしくてきれいですね。

紫陽花の花言葉は
移り気,高慢,辛抱強い愛情,元気な女性,無情,浮気,自慢家,変節
などイッパイありますが,あまり良い意味は少ないです。

こんないい歌があるんですが
あじさい武鹿悦子・作詞 大中恩・作曲

あじさい あじさいあめのよに
まいまいつぶろは きましたか

まいまいつぶろは チチンプイ
まほうがじょうずと ききました

それとも それとも けさのにじ
うっとり うっとり みましたか

あじさい あじさい いつのまに
しずくをはらって にじのいろ

「まいまいつぶろ」とは蝸牛(かたつむり)のことです。
きれいな歌なんですが,残念ながら,なかなか聴くことができません。

ぼやき漫才のように

「ぼやき」とは
「ぶつぶつと不平を言う」「ぐずぐす言う」「泣き言をいう」など,あまり良い印象の言葉ではありませんが,
野村克也(1935.6-)元監督のように,それを売り物にしている人もいます。

それどころか
ぼやき漫才で一世を風靡(?)したのが人生幸朗(1907-1982)ですが,おもに歌謡曲の歌詞の些細な矛盾にイチャモンをつけて
「何ぬかしとんねん,馬鹿にすなぁ!」
「どついたろか,馬鹿モノ!」
「責任者ででこい!」
などの定番のセリフで笑いをとっていました。
ぼやき漫才は彼の特許ではなくて師匠の都家文雄(1893-1971)を引き継いだものですが,師匠の芸は「陰」でしたが,人生さんは極め付きの「陽」でした。

正確には,ぼやきではありませんが,以前からしっくりとこない曲がありました。

それは
高校三年生』丘灯至夫・作詞 遠藤実・作曲 舟木一夫・歌(1963)

赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木蔭に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも

泣いた日もある 怨んだことも
思い出すだろ 懐かしく
ああ 高校三年生 ぼくら
フォークダンスの 手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が

残り少ない 日数を胸に
夢がはばたく 遠い空
ああ 高校三年生 ぼくら
道はそれぞれ 別れても
越えて歌おう この歌を

小説家・演芸評論家の安藤鶴夫(1908-1969)は,デビュー前に舟木のこの歌を聴いて,そのさわやかさに感動した,と言っていました。

しかし,私は初めて聴いたときから,かなり違和感を覚えました。
それは自分の高校生活と比べて「実感がない」という一言です。
「クラス仲間はいつまでも」なんて思ったこともないし,
「甘く匂うよ黒髪が」はフォークダンスのときも全く経験ありませんでした。
まして「夢がはばたく」ような思いとは反対の,なにか重ぐるしいような雰囲気でしたね。
それは大学受験という関門のまえで,高校が予備校化していることを肌で感じていたからでしょう。

遠藤実(1932-2008)は,17歳で上京して,さまざまな職業を経て,流しの演歌師になり,苦労して作曲家にまでなりました。
代表曲は「お月さん今晩は」「からたち日記」「北国の春」等。
彼は高校に行きたくても行けなかったアコガレから,この歌を作ったようです。
それを聞けば,納得がいきました。
こちらは大学に行ける状況での贅沢な悩みだったでしょうから。

さらに
知床旅情』森繁久弥・作詞作曲 加藤登紀子・歌(1960)
歌いだし

知床の岬に

森繁久彌(1913-2009)は大阪府枚方市の出身で,俳優・歌手・コメディアン,文化勲章・国民栄誉賞受賞。

誰でも知っているこの名曲と比べてください。
早春賦』吉丸一昌・作詞 中田章・作曲(1913)
歌いだし

春は名のみの

メロディーが全く同じでしょう?
ですから初めて「知床旅情」を聴いたとき,非常に違和感を持ちました。
作曲家の高木東六(1904-2006)は「作者がこのことに気づいたとき,すぐに作品を引っ込めるべきだった」と言いました。

すなわち,名作の「盗作」といわれても仕方のないほど酷似しています。

森繁という人,まぁ本職の作曲家でもないし,稀代のエンターテイナーですから,名作の盗作と言われても,そんなに硬いこと言わないでも,座興で作ったんだから,ぐらいの感じだったのかもしれません。

話しは飛びますが
万葉集で,額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な歌

あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
野守は見ずや 君が袖振る

この歌,宴席での戯れ歌として作られたことが明らかになっています。
当時,額田さんはすでに相当に高齢で,歌のウキウキ感を,実感として表現するという状況ではなかったということです。

しかし,知床旅情の歌詞にある「白夜は明ける」は,知床ぐらいの緯度(44度20分)では白夜現象は現れません。
白夜はおおむね緯度が66.6度以上でないと起こりません。

ちなみに,札幌(43度4分)と南仏のマルセイユ(43度17分)がほぼ同じくらいの緯度で,ヨーロッパに比べて日本はかなり南に位置することがわかります。

さらに
森繁が歌っているときにはそれほど流行らなかったのに,加藤登紀子が歌いだしてからヒットしたのですが,「白いカモメ」とあるのに「白いカモメ」と,勝手に変えて歌っていたのを森繁自身が加藤に注意しています。
いい加減な歌詞に,いい加減な曲でも,作者としてはヤッパリ気になるのですね。

つゆの季節

いよいよ梅雨入りですね。
夏至(6月21日ころ)の前後2週間づつが標準的な期間ですから,今年は少々早めでした。

梅雨になるとじめじめして湿度が高くなり,かびが発生したり,ものが腐りやすくなって食あたりの危険性が増し,洗濯物が乾きにくくなり,だいいち,気分的に嫌ですよね。

日本人は天日干しが好みで,冬でも洗濯物を外に干す習慣が普通ですが,逆にカナダでは,夏でも乾燥機で乾かします。

洗濯物に限らず,ふとんでも天日干しをしますね。
最近は天日に干すより,紫外線を当てダニを殺し,たたき出して吸込む方が効果的というふとん専用の掃除機も好評なようです。

洗濯物の乾燥には,乾燥機のほかに,ユニットバスなどで浴室を乾燥室にするもの,エアコンの除湿モードを利用して部屋干しで乾燥させるもの,などがあります。

梅雨の良いところはないのでしょうか?
いえいえ
農作物を育てるという大切な役目があります。
この時期に多くの降水がないとコメの収穫に大きく影響します。
冬の積雪も農業には大切な水源とされています。

私が2年間も生活した,ある開発途上国では,夏は50℃にもなろうかというのに,6月から9月の4か月間で一滴の降水もありませんでした。
水源は自国ではまったく確保できずに,中国の高山の雪解け水に頼っています。
乾燥したところでは気象が急変して,突然寒くなったりもします。
日較差(1日の最高と最低気温の差)は平気で20℃以上ありました。
まあ熱帯夜がなくて夜は涼しい,という良い点もありますが。
なしにろ湿度が低くくて夏でも静電気が発生します。
ウガイすべくガラスコップに水を注ごうとして,水栓をひねったとき静電気が発生して思わずコップを落として割ったことが何度かありました。
そういうところで生活すると,肌がガサガサになります。
日本女性の肌がいつまでも美しいのは,この湿潤した気候の影響もあると思います。

アメリカの,最近ではインドでも,大規模農業地域では,地下水をくみ上げて農業用水に利用しているのです。
降水という供給源がないと,枯渇するのは必至です。

むかし日本でも,工業用水として地下水を利用して地盤沈下を引き起こしたことは記憶に新しいことです。
取水規制により,地盤の隆起が起こりましが,これは元に戻っただけの話です。

日本では降水量が多いために,このような回復が容易でした。
しかし,降水量の少ない地域では,容易に砂漠化します。

大気汚染の影響で酸性雨が降り,森林が壊滅した地域が世界には多くあります。
しかし,わが国では降水量が多いため,それほどの被害は出ていません。

中国からの黄砂もPM2.5(Particulate Matterの略,直径2.5μm以下の超微粒子)も十分な降水があれば洗い落とされます。

ただし,降りはじめの雨には気を付けてください。
長く晴天が続いた後の雨には大気中の有害物質が多く含まれているため,かからない方が安全です。

充分な降雨が人間の生活には必要なことがお分かりになったでしょう。
そして日本がいかに住みよい国であるかということもお分かりでしょう。

さて
雨の歌です。

『雨』 北原白秋・作詞 弘田龍太郎・作曲

雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒のかっこも 緒が切れた

雨がふります 雨がふる
いやでもお家で 遊びましょう
千代紙折りましょう たたみましょう

ここではマニアックに同じ雨でも
『雨』 八木重吉・作詞 多田武彦・作曲

雨のおとが きこえる
雨がふっていたのだ

あのおとのように そっと世のために
はたらいていよう

雨があがるように しずかに死んでいこう

多田武彦(1930.11-)さんは大阪市のお生まれ,京都大法学部卒後,富士銀行に入社,在学中,男声合唱団に所属し指揮者として活躍,就職後は,作曲家・清水脩氏に師事し,日曜作曲家としておもに男声合唱曲をたくさん作曲されました。
代表曲「柳川風俗詩」(北原白秋),「富士山」(草野心平),「雨」など,重厚な和声を大切にした「多田節」として,その筋では有名です。
この曲は組曲「雨」の最終Ⅵの曲で,
多田さん自身が「私の臨終における鎮魂曲」と言われています。

 

まどさんを偲ぶ

詩人のまど・みちお(1909.11.16-2014.2.28)さんが亡くなりました。
享年104歳というのは天寿をまっとうされたと言えるのかもしれませんが,限りなく透明で優しい作品を作り続けてこられただけに,とても残念な気がします。

今回は数あるまどさんの作品から,作曲されているモノを中心に,いくつか紹介します。

まどさんのご本名は石田道雄とおっしゃり,山口県の徳山のご出身です。
お父さんの仕事の関係で,幼いころに台湾に渡り,そこで成長されています。
台北工業学校土木科に在学中,同人誌『あゆみ』を創刊し,そこに詩を発表されていました。

小説家・詩人の阪田寛夫(1925-2005)は
(大阪の人で『サッちゃん』の作詞でも有名),評伝小説『まどさん』新潮社(1985)〔ちくま文庫1993復刻〕で,まどさんの人間像と作品の原点を掘り下げています。
一部を紹介すると

横断歩道を渡りかけていた雑踏の中にまどさんのかがんだ背中をみつけて,うしろから「まどさん」と呼んだら,振返ったまどさんは,一寸恐縮した表情で眼を伏せて,わざわざあと戻りをした。
 ― 中略 ー
「おかわりありませんか」
そう言って七十何歳のまどさんの方から先に,先生に出逢った子供のように古いピケ帽をとって急いで頭を下げた。むかし初めて会った時と,態度も服装も変っていない。
 ― 中略 ー
まどさんの童謡だけを知っている人がこの場に立ち会ったとすれば,その言葉づかいが,ずいぶん年下の者に対しても,隅々まで丁寧であることになるほどとうなずくと共に,その声が意外に甲高いのに驚くかも知れない。

すごい観察力ですね。愛情に裏打ちされているからでしょう。

ぞうさん團伊久磨・作曲

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ

ぞうさん
ぞうさん
だあれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ

やぎさんゆうびん團伊久磨・作曲

しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに

くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに

びわ磯部 俶・作曲

びわは やさしい
木の実だから
だっこ しあって
うれている
うすい 虹ある
ろばさんの
お耳 みたいな
葉のかげで

さくらのはなさん磯部 俶・作曲

さくらのはなさん
さいたけど
きだから
あるいて こられない
みんなで みんなで
みにいって あげよう

ドロップスのうた大中 恩・作曲

むかし なきむしかみさまが
あさやけみて ないて
ゆうやけみて ないて
まっかななみだが ぽろんぽろん
きいろいなみだが ぽろんぽろん
それがせかいじゅうに ちらばって
いまではドロップス
こどもがなめます ぺろんぺろん
おとながなめます ぺろんぺろん

ネコ」 こんな楽しい詩もあります。

あくびを するとき
ネコのかおは花のようになります

だれも 見ていなくても
じぶんにも 見えなくても

でも るすばんの ざしきで
ネコが かおを
クレオメの 花にしたとき
それを 見ていました

たたみのイグサの 一ぽん一ぽんが
しょうじの さんの 一ぽん一ぽんが
てんじょうの木目の 一ぽん一ぽんが
かおを すりよせるようにして

猫もまどさんも,いっそう好きになったでしょう?
わが家にも7kgになろうかというゴンタなのがいますが,彼が大きなあくびをするとき,いつもこの詩を思い出します。

画家の安野光雅(1926.3.20-)が,サトウ・ハチロー『ちいさい秋みつけた』と対比して
「小さい秋」というような表現は作為的で自然には出てこない
そこが,まどさんと違うところである,というような発言をしていました。
これは,なにもサトウ・ハチローをおとしめて言っているのではなくて,作風や好みのことだと理解してください。

合掌

やむにやまれぬこと

よのなかには
やむにやまれぬ」ということが存在します。
今回は,私にとって,どうしても言っておきたい,言っておかねばならないと思うことを書きます。

環境」という大きなテーマの下で研究をしてきました。

明確に「環境」という言葉を意識したのは,学会主催の講習会で,大阪大学名誉教授・新津靖博士の話を聞いてからです。
新津先生(1905-2005)は長野県佐久のご出身で,長身・痩躯の大音声の持ち主で,話がまことにおもしろく,引き込まれます。
大阪大学に日本で初めて環境という名を付した「環境工学科」(1968)を創設されました。

大阪万博(1970)のころ,公害がすさまじく,企業も防止の努力をすべく,学習会が義務付けられ,そこで「エコロジー(生態学)」という言葉を初めて,大阪市立大学教授・吉良竜夫博士から聞きました。
吉良先生(1919-2011)は大阪市の生まれですが,穏やかな語り口で,「自然界の生態系を乱すのは,神をも冒涜するしわざ」という主旨の鮮烈な言葉を伺いました。

建築の分野に,建築環境工学という論理的な分野を確立されたのは,京都大学総長で名誉教授・前田敏男博士でした。
前田先生(1908-1991)は高知県のご出身で,古武士を思わせる風貌と体格で,まわりを圧倒する存在でした。
先生の「徹底的に考える」という風習は弟子の先生方にも連綿として受け継がれており,じつは私も孫弟子の末席を汚すものの一人ですが,その洗礼は充分に受けました。

ところで,これからが本題ですが
関西電力大飯原発3,4号機(福井県おおい町)に,再稼働は危険だ,として福井県の住民ら189人が関西電力を相手取って運転差し止めを求めた訴訟の判決が5月21日,福井地裁でありました。
樋口英明裁判長は「大飯原発の技術や設備は冷却や放射性物質の閉じ込めに欠陥がある脆弱なもの。運転により人格権が侵害される危険がある」と厳しく指摘しました。
原発の運転差し止めを命じた司法判断は福島事故後初のことです。

ここで
原子力発電の問題点を整理しておきましょう。

原発の利点
・安定した電力供給の可能性
・発電時に二酸化炭素を排出しない(地球温暖化の防止)
・燃料が少なくてすむ
・経済性が高い(重大事故を考慮しなければ)

問題点
・重大事故による周辺の被害
・放射性廃棄物を作り出す
・ウラン資源の枯渇問題
・施設建設にコストがかかる(火力発電とくらべて)
・軍事転用による核拡散の可能性(国際的に)
・立地場所が限定される(地質学的に)
・発電施設および廃棄物へのテロの危険性

もともとそんなにすぐれた発電方法ではない,むしろとても危険性をはらんでいるもの,という認識を,当初から私は持っていました。
初期に開発に携わった関係者からも,問題が多すぎて,欠陥が多すぎて,とても商業ベースに乗るような代物ではない,という意見を聞きました。
それらを覆い隠すようにしてこんにちまで来たのではありませんか。

この判決結果に対する各新聞社の社説の見出しは

朝日
判決「無視」は許されぬ
毎日
なし崩し再稼働に警告
読売
不合理な推論が導く否定的判決

と,大新聞といわれる3社で,こうも意見が分かれるのか,という実感です。
よく読んで何が正しいのか,自分自身で判断することが必要です。

ものはついでに
放送マスメディア(大量伝達手段)のNHK籾井勝人会長の問題発言について,商社時代の先輩OBが彼のことを語っています。

「『政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない』という就任会見での発言は籾井君の商社マン人生そのもの。彼は上司から『右向け右』と命じられたら忠実に一晩中でも右を向いているような男だった。上司は絶対。自分の部下にも服従を求めた。彼の辞書に『不偏不党』はない。こういう人物を公共放送のトップに任命した人たちの常識を疑う」

常識を疑われているのは任命した安倍首相です。

「集団的自衛権」の問題も,こじつけのような論理展開で,勝手に決めてしまおう,という姿勢が見えます。
国境線が長大な日本で,外からの攻撃に,軍事力で防衛することは本来,不可能なことを理解すべきです。
海岸線に設置した原発を攻撃されたら,日本はたちまち沈没してします。

だからこそ
少々の摩擦があっても,近隣の国々とは,友好的な外交関係を維持する努力を怠ってはならないのです。
それが最大の安全保障の方法です。

最近はやりの
近隣国へのヘイト・スピーチ(憎悪表現)によって,不安をあおるような言動は避けなければなりません。

いまわが国は,独裁化・軍国化へのノー・リターン・ポイント(帰還不能点)にいる,と本気で心配している人たちが大勢います。

祖父・岸信介を敬愛する安倍晋三首相ですが,なにぶん三代目ともなると

売り家と唐様で書く三代目

と故川柳にもあるように,家どころか,国まで,国民まで,売ってしまいかねない危うさを感じているのは,私だけでしょうか?

旬な歌と歌手

いま
ディズニー映画「アナと雪の女王」が大ヒットらしいのです。
原案はアンデルセンの童話「雪の女王」らしいのですが,内容は全く原作とは異なっています。

その主題歌「Let It Go」のサウンドトラック盤(映画上映で同時に流れる音楽)が,最近のオリコン(オリジナルコンフィデンスの略,社名)週間アルバムランキングで1位を獲得しました。

さらに
日本版主題歌「レット・イット・ゴー~ありのままで~」も評判で,松たか子とMay J. が競っていて,どちらがいいかとか,今年のNHK紅白歌合戦(略称・紅白)に出演が当確だとか,いろいろとかまびすしいのです。

なぜ同じ歌を同時に2人が歌うのか,ですが
松たか子はアナの姉エルサ役の吹替えで,劇中でこれを歌い,May J. は,エンドロール(終了時に出演者・スタッフ名などが長々と流れるシーン)で歌っています。
原版のアメリカでも,同じように2人の歌手が競っています。

ご存知のように
松たか子(36)は歌舞伎役者・松本幸四郎の娘ですが,その歌は小田和正も認める実力派で,親父さんとは比較になりません。
彼女の歌う「ありのままで」を聴きましたが,とても素直に歌っています。
好感が待てました。

いっぽう
May J. (本名:橋本 芽生,25)はハーフですが,当初なかなか売れず,テレビ朝日「関ジャニ仕分けエイト」に出演し,カラオケ対決で,2年間無敗の26連勝を続けて名をあげました。
ところが最近,オーストラリア出身のサラ・オレイン(この人もハーフ)と,この歌「Let It Go」で対決して初めて敗れる,という皮肉な結果になりました。

このサラ・オレイン(27)という人,正式な音楽教育を受けており,ヴァイオリン奏者・作曲家でもあり,このようなポピュラーな番組に出るのはいささか畑違いな感がしました。

歌手も
クラシック畑の人は声楽家と呼ばれます。
歌の基本は,まず声を低温から高音まで美しく発声することを主眼とし,音程・リズムは楽譜に従うことが前提で,その先にどう表現するかが来ます。
ポピュラー歌手は,発声が少々変わっていてもそれは個性ととらえ,音程やリズムが少々ずれていても,それ以上に感情が先にくる感があって,そのへんが声楽家と呼ばれる人たちと違うところです。
よく 「気持ちを前面にだして一生懸命歌いました」という人がいますが,あとさきが逆のような気がします。

しかし
声楽家の人でも,音程の悪い人はいます。
「お墓のまえで,たくさん風が吹いて,泣かないでー」とか歌う声楽家,名前は失念しましたが,はっきり言って音程が良くないです。
2006年,私が海外に赴任していたとき,暮れの紅白で,はじめてこの歌を聞いたとき,これでは流行らないであろう,と予測したのですが,その後の展開は意外でしたね。
この歌は,作曲者自身が歌っているものの方が,私はよっぽど良いと思っています。

ところで
昭和の歌姫と呼ばれた美空ひばり(1937-1989)ですが,「悲しい酒」(作詞:石本美由紀,作曲:古賀政男)の歌唱では,速度を限界まで遅くし,しかも最後は泣きながら歌うという曲芸じみたことをやりました。
元夫の小林旭は,泣きながらも音程を外さずに歌うのがすごい,とおかしなほめ方をしておりました。

とうとつですが
能(当時は「猿楽」,明治以降に「能」と呼ぶ)を父・観阿弥とともに大成した世阿弥(1363?-1443?)ですが,多くの著作を残しております。
その一つ『花鏡』のなかに,とても興味深い言葉があります。
それは「離見(りけん)の見」です。
「自分が演じている舞台を,観客の目でみること」の必要性を言っています。
決して独りよがりになってはいけない,熱くなりすぎてもいけない,頭の中にいつも冷静な自分を存在させて,観客からどう見えているか,を感じながら演じることが大切だ,ということでしょうか。
これは舞台に立つ全てのプレイヤーに共通する心構えではないでしょうか。

最後に
私のもっとも好きな歌手の一人,20世紀最高のバリトンと呼ばれたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925.5.25-2012.5.18)が歌う「冬の旅」(シューベルト作曲)の最後の歌「ライエルマン(辻音楽師)」を紹介します。

道ばたに立てる ライエルマン
凍えし指もて 弾けり
素足もて よろめきつつ
小さき皿に なにもなし

そおば きく者だになく
ただ犬のみ ほえかかる
されど 彼はうち捨て
たて琴おば 弾き続く

おお 不思議なる
かの人よ
われも行かん
ともどもに

この歌を確かに生で聴きました。
ピアノ伴奏は指揮者のヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)でした。
2,700席の大ホールでたった二人で演奏しました。
感動しました。

季節・気候と衣・食・住と歌にかかわって発信します