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日本人のわざ

日本では,手先で物を作る仕事を極める職人を匠(たくみ)と称し,とくに大工の頭を棟梁と呼び,昔から皆から信頼され尊敬されてきました。

ドイツではマイスター(Meister),イタリアではマエストロ(maestro),米英ではマスター(master)と呼ばれていますが,国によって表現の感じが異なっています。

マイスターと言えば,社会的にも確立した親方で,ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグのマイスタージンガー(職匠歌人)』で有名です。
マエストロと言えば,本来は巨匠という意味ですが,世界中で,敬意をこめて指揮者に対して用います。
それに比べて,マスターは喫茶店の店主みたいに,軽く使われているようです。

さて,いまTVドラマ『陸王』が話題です。
池井戸潤(1963-)の原作で,半沢直樹,下町ロケット,ルーズベルト・ゲームにつづく人気ドラマになっています。
あらすじは,老舗の足袋製造業者がランニングシューズの開発に挑戦する奮闘を描きますが,じつはこれには有名な実在の人物たちがいます。

日本人が初めてオリンピックに参加したのは1912年の第5回ストックホルム(スウェーデン)大会でした。参加者は選手は三島弥彦(短距離)と金栗四三(マラソン),役員は加納治五郎(団長)と大森兵蔵の計4名でした。

金栗四三(かなぐり  しぞう,1891-1983,92歳没)はその前年,マラソン足袋をはいて世界最高記録を樹立して本番に臨みましたが,レース途中で日射病で意識を失ない,近くの農家で介抱されて,ゴールできませんでした。

1967年,金栗選手はスウェーデンのオリンピック委員会から,ストックホルム五輪55周年の記念式典に招待され,関係者から促され,競技場でゆっくり走って用意されたゴールテープを切りました。そのとき,場内アナウンスがあり,「日本の金栗,ただいまゴールしました。時間は54年8ヶ月6日32分20秒3,これをもって第5回ストックホルム・オリンピックの全日程を終了します」。
まことに,なんと粋な計らいでしょうか。

このマラソン足袋を開発したのが播磨屋(はりまや)足袋店(後のハリマヤ)の黒坂辛作(しんさく,1880-)でした。金栗と共同して改良をかさね進化させました。

1936年,ベルリン五輪で,このマラソン足袋(金栗足袋)をはいて日本代表の孫基禎(そんきてい,朝鮮籍,1912-2002)がマラソンで金メダルをとりました。

敗戦後の1951年,米・ボストンマラソンで田中茂樹(当時19歳)がマラソン足袋で優勝しました。これは,2年前に設立した鬼塚(オニヅカタイガー,現アシックス)の製品でした。

ドラマでは100年つづく老舗足袋店となっていますが,創業当時すでに実際はマラソン足袋は作られていたのです。

金栗さんは,箱根駅伝の開催に尽力し,日本に高地トレーニングを導入したり,日本のマラソン界の発展に大きく寄与し,「マラソンの父」と呼ばれています。
グリコの1粒300mのモデルとも言われています。

東京オリンピック前年の2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』は金栗さんをモデルにした物語だそうです。

今回の歌は,さわやかなこの曲にしましょう。

いずみのほとり
・深尾須磨子 作詞
・橋本國彦 作曲

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や すすきのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

むかしむかし いずみのほとり
天使たちが 子羊たちと 遊びました
むかしむかし 今は むかし

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や とんぼのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

深尾須磨子(1888-1974) 兵庫県生れ,詩人・作家・翻訳家。

橋本國彦(1904-1949) 東京生れ,作曲家・ヴァイオリニスト指揮者。

秋も深まってきました。今年は夏から秋もそうでしたが,秋から冬への季節の変わり方が,余りに急なようです。

気候の変化には十分に気をつけて,風邪など引かないように,元気にお過ごしください。

北斎の世界

いま,TVでも葛飾北斎の話題でもちきりです。その原因の一つは,大英博物館  国際プロジェクト  展覧会「北斎  ―  富士を超えて」が大阪のあべのハルカス美術館で開催(10/6-11/19)されています。
つまり,大英博物館の所蔵する北斎の作品展です。
行ってきましたが,すごい人出でした。

1999年に,アメリカ合衆国の『ライフ』誌の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で日本人で唯一,86位にランクインしました。北斎は世界に認知された大芸術家なのです。

たとえば,印象派のゴッホ(蘭,1853-90)やモネ(仏,1840-1926)に影響を与え,作曲家ドビュッシー(仏,1862-1918)は『神奈川沖浪裏』に誘発されて交響詩「海」を作曲しました。

大物らしく,奇妙なエピソードにこと欠かず,
改号すること30回,転居すること93回,飲酒も喫煙もしない,耳が大きく,身長180cmの大柄,六尺の天秤棒を杖代わりに,食事・衣装・金銭に無頓着,不作法で,気位が高く,富や権力でも動かない,数え90歳(卒寿)没と長命でした。

同時代同業の37歳年下の安藤(歌川)広重の来訪を受けた時も,そっけない応対で立腹させ帰らせてしまいました。これは,弟子にしてほしいという申し出に,既に一人前である,と認めていたから,といいます。
実際,『富嶽三十六景』の出版の2年後に,広重の『東海道五十三次』が大評判となったのでした。

葛飾北斎(1760.10.31-1849.5.10)は武蔵国葛飾文書割下水(現東京都墨田区)に貧しい百姓の子として生まれました。
勝川春草の門下となりますが,狩野派や唐絵・西洋画なのどの画法を学び,そのため勝川派を破門されます。

三女お栄(葛飾応為)は絵師に嫁ぐも,その絵を批判し離縁され,その後生涯北斎と起居を共にし,助手を務めました。色彩感覚に優れており,北斎晩年の作は,応為の代筆によるものと考えられています。

主な作品
・『北斎漫画』初編(1814,53歳)

・『富嶽三十六景』(1923-33,62-72歳)10年かけて完結
そのなかでも,有名なのは

・『神奈川沖浪裏』通称:大浪,大波(the Great Wave)
普通の肉眼では波頭はこの絵のようには見えません。1/5000でシャッタを切るとこのように見えました。これまでの機械式のシャッタでは最大でも1/2000までしか撮れませんでした。
北斎の目は電子シャッタの領域の,まさに神の目だったのです。

・『凱風快晴』通称:赤富士(the Red Fuji)
・『山下白雨』通称:黒富士(the Black Fuji)

信濃国高井郡小布施の高井鴻山の招きで晩年の4年間(1844-48)小布施に住み,
・祭屋台の天井絵『怒涛図』などを描きました。

北斎の臨終のときの様子は次のように書き残されています。

翁 死に臨み大息し
天我をして十年の命を長らわしめば 」といい
暫くして更に言いて曰く
天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」と言吃りて死す

これは,「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間,命長らえることを私に許されたなら』と言い,しばらくしてさらに,『天があと5年の間,命保つことを私に許されたなら,必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだ」との意味です。

日常の生活を健康的に過ごしたとはとても言い難い北斎が,当時としては異例の90歳まで,なぜそんなに長生きできたのか,不思議に思われていますが,絵に対する飽くことのない探求心・向上心という意欲が長生きの大きな源泉だったのでは,と思います。

辞世の句は,

人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原

その意,「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」というものでした。

今回は富嶽三十六景にちなんで,この歌,唱歌『ふじの山』にしましょう。

ふじの山』巖谷小波・作詞 作曲者不詳 尋常小学読本唱歌(1910)

あたまを雲の上に出し 四方の山を見下ろして
かみなりさまを下にきく ふじは日本一の山

青ぞら高くそびえたち からだに雪のきものきて
かすみのすそをとおくひく ふじは日本一の山

巖谷小波(いわや  さざなみ,1870-1933)東京出身,明治・大正の作家・児童文学者・俳人。『一寸法師』の作詞も。

今年のノーベル平和賞はICANに決まりました。
ICANとは,核兵器廃絶国際キャンペーン(International Campain to Abolish Nuclear Weapons)の略称で,スイスのジュネーブに本部をおく国際NGO(非政府組織)で,60ヵ国以上の団体が参加しています。
核戦争防止国際医師会議(1985年ノーベル平和賞受賞)のオーストラリアの運動から派生したNGOで,2007年に正式に発足しました。
今年7月に国連で「核兵器禁止条約」が採択されたのですが,常任理事国(米・英・露・仏・中)など核を保有する国々は批准していません。唯一の被爆国である日本も批准していません。アメリカの核の傘に依存する日米安保条約のもとでは賛成できないのでしょうが,国民感情としてはおかしな話です。

世界の軍事力ランキング(Global Power:2017)

1.アメリカ
2.ロシア
3.中国
4.インド
5.フランス
6.イギリス
7.日本
8.トルコ
9.ドイツ
10.イタリア
11.韓国

23.北朝鮮

1位から6位までは核保有国です。非核保有国では日本が最大の軍事力を保持していることになります。

ただし日本憲法9条は以下のとおりです。

第9条  日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。

2   前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

衆議院選挙が終わりました。自民党の圧勝でした。
安倍政権は,争点として,北朝鮮の脅威,をあげました。この機会に,自衛隊を国軍に昇格させて,軍事力を増強して「普通の国」になりたい思いが頑強にあります。
しかし,軍事費を増大させて,軍事力を強化しても,緊張を増幅させるだけで何の解決にもなりません。

トランプ政権は,安倍政権以上に無茶苦茶な政権ですから,何をやりだすか分りませんが,もし戦争を勃発させても,簡単には問題は解決しません。それはこれまでの幾つも過去の戦争を見てきて分ることです。大勢の人が死に,混乱を増大させて,紛争が泥沼化し,経済は疲弊し,良いことは何一つ起こりません。

衆院選の投票率は全体で53.51%でした。18,19歳では41.51%,19歳に限ると,なんと32.34%しかありませんでした。
大型台風直撃の影響はあったにせよ,非常に残念な結果でした。もっと自分たちのこと,そして社会のことを真剣に考えないと,知らない間に,おかしな方向に進められてしまう,危険性があります。

選挙に行った若者のなかに,「選挙に行かないで国政を批判するのは無責任だ」と発言した人がいました。そのとおりです。世の中が良くなって行かないのは,国民が良くなりたいという意見を発信しないからです。

今年の秋は,台風の影響もあって,長雨が続きましたが,体調はいかがですか。気候が変動すると体調もおかしくなることが多いので,くれぐれも気温変動には気をつけて,元気にお過ごしください。

役に立つ

役に立つ」とは,その事のために十分適している,用をなすに足る,という意味で使われています。「この機械は古いがまだ役に立つ」と物にも使われますが,「世の中の役に立つ」とか「人の役に立つ」などと人に対して使われることが多いです。

 現在放映中のTVドラマ『ごめん,愛してる』は,韓流ドラマの焼き直しらしいのですが,親に捨てられて孤児院で育てられ,韓国ヤクザの世界に身を置いた主人公が,余命3ヶ月の宣告を受け,最後に母に会いたいと,日本に戻ってきます。
子を捨てるぐらいだから,母は経済的に困っているはずと,大金を手に戻るのですが,弟がいて,アイドルピアニストとして売り出し中で,豊かな暮らしをしているのでした。
このあたりは,長谷川伸(1884-1963)の『瞼の母』に設定が似てますね。
主人公の思いは一つ,人の「役に立つ」ことでした。

人間たるもの,生れて来たからには,何かの役に立ちたい,せめて少しでも人の役に立ってから死にたいと思うのは自然です。
特に,先が見えてきたら,そういう思いが強くなるのはよく分ります。

人類が進化してきたのは,二足歩行して,手が自由になり高度な動作が可能となった反面,逆に起立したことによって骨盤に圧迫され産道が狭くなり,出産すら独りではできず,仲間の手助けを必要としました。この共同作業を必要とする生き方が人類を発展させた大きな要素だったのです。
そういう意味では,陸上競技の100m×4リレーで,日本選手が,個々の力では劣るのに,先の世界大会では銀メダル,ユニバーシアード大会ではアメリカを抑えて堂々の金メダルを獲得する快挙をなしとげたのは,まさにこの助け合いの精神が生かされたからでしょう。
共同作業や連帯が得意な日本人が,これからも活躍できる場面は多くありそうですね。

「役に立つ」の反対語は,「役立たず」でしょうか。
これは相当に強い言葉で,もし,こう言われたら,人間としての能力を,全否定されたようで,衝撃です。

以前,カナダで,厳しい語学教育をすることで有名なクィーンズ大学キングストン校で英語教育を受けたことがあります。
ディベート(debate,討論)の時間に,高齢者問題を取り上げたとき,メキシコから来た若い女子が「老人は役立たず(useless)」と発言し,「彼らの経験と知識は役に立つ」などと厳しく反論されておりました。こんなことを高齢社会の日本で発言したら,とんでもないことになりますね。
しかし,若い人の本音なんでしょうか。近い将来,自分もそうなるのにね。

今回の歌は『浜辺の歌』です。

 林古渓(こけい)作詞 成田為三・作曲(1916)

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

林古渓(1875-1947)は林羅山に連なる学者の家系で,本名は竹次郎,東京・神田出身の歌人・作詞家・漢文学者。

成田為三(1893-1945)は秋田出身の作曲家。秋田師範を卒業後,1年間小学校で教鞭をとった後,東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学,山田耕筰に師事,在学中に『はまべ(浜辺の歌)』を作曲,ドイツに4年間留学,多くの管弦楽曲,ピアノ曲を作曲しました。初期に作った童謡が代表作のように扱われて,本格的な作曲技法を見につけたご本人としては不本意だったと思いますが,日本人に広く親しまれていつまでも愛唱される『浜辺の歌』は名曲で,それは名誉なことでしょう。

秋は変化の季節,9月は台風もあり,気象変化には繊細に対応する必要があります。毎日の気温変化には気を付けて,ふさわしい衣服の選択をしましょう。秋雨前線が発達してきて,そこに台風が重なったりすると,大きな災害を引き起こす危険があります。9月は防災の月でもあります。大雨がふったら車や自転車は控え,不急の外出も控えた方が安全でしょう。

この季節は,おいしい食べ物が豊富な食欲の秋,秋空のもとスポーツの秋のシーズンです。
食事と運動は健康のみなもと,食べ過ぎには注意して,適度な運動をして,元気にお過ごしください。

わからん言葉

世の中にはよくわからない言葉がたくさんあります。

伝統的な言葉なら,勉強不足です,しっかり理解しましょう,という気にもなりますが,新しい造語だと,説明されても訳がよく分からなくて,覚える気にもならないことが多々あります。

その代表的なのが,コンピュータ関連の用語でしょうか。

たとえば,
ホテルやお店で,「Wi-Fi 使えます」のどの表示を見かけることがあります。
Wi-Fi(ワイ・ファイ)とは,国際標準規格 IEEE802.11 を使用したデバイス間の相互接続が認められたことを示す名称。無線LAN のひとつ。

IEEE(アイ・トリプルイー)とは,The Institute of Electrical and Electronics Engineers,米国の電気電子工学会のこと。

LAN(ラン)とは,Local Area Network,家庭内や企業内などの比較的狭い地域に限定されたコンピュータネットワークのこと。

数字による規格では分りにくいとして,音楽で既に用いられていた Hi-Fi(High Fidelity,高忠実度)から Wi-Fi としました。
「Wireless Fidelity」という由来は,後付けされたものです。

そういえば,ハイ・ファイ・セット(74-94)という音楽グループがありましたね。赤い鳥(69-74)が解散して,山本潤子らの3人のグループでした。「卒業写真」「フィーリング」などをヒットさせました。

家庭内のスマートフォン,パソコン,テレビ,ゲーム機などをWi-Fi でつなげば,家族のみんなが,それぞれのスマホなどから,パソコンやビデオのデータを共有して,画像・動画や音楽を楽しめたりします。便利ですね。しかし,面倒ですね。

もうひとつ,IoT(アイ・オー・ティ)があります。
Internet of Things の略で,「物のインターネット」と言ったりします。
様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され,情報交換することにより,相互に制御する仕組みです。それによる社会の実現も指す,としています。

ややこしいですよね。
それに比べれば,昔の言葉は良いですね。分りよいし,音の響きもいいです。
代表的な四文字熟語を並べますと,

品行方正  行ないが正しくきちんとしているさま

清廉潔白  心が清くて私欲がなく,いさぎよくてけがれていないこと

謹厳実直  慎み深くて厳格で,誠実で正直なこと

質実剛健  飾り気なくまじめで,逞しく健やかなこと

頭脳明晰  思考力が明らかではっきりしていること

容姿端麗  顔だちと体つきが整ってうるわしいこと

眉目秀麗  みめ(まゆと目)が優れてうるわしいこと

明眸皓歯  澄んだひとみと白い歯。美人の形容にいう 

これだけ揃っていると,言うことなしの人物ですね。

今年の夏は東日本と西日本では季節が全く異なりました。
東日本は不順な気候で,雨がよく降って,気温も低く,冷夏でした。農作物の出来が心配されます。

それに反して,西日本では,酷暑でした。真夏日熱帯夜は何日つづいたのでしょう。
しかし,夏は暑いのが当たり前,寒ければ,宮沢賢治のように「寒さの夏はおろおろ歩き・・・」と山背(やませ)が心配されます。

山背とは,夏,北海道・東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの冷湿な風のこと,稲作に悪影響を与えます。凶作風です。

この大阪でも,朝晩は秋めいてきました。
夜には虫の声が聞こえるようになってきました。

今回はこの季節にふさわしいこの歌にしましょう。

虫のこえ』 尋常小学読本唱歌(1910.7)
 作詞・作曲者不詳

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

いわゆる「オノマトペ(onomatopoeia)擬声語」のオンパレード(総出演)です。こういう音に聞こえたんでしょうね。

これからが季節の変り目,体調を崩しやすいシーズンです。
夏の疲れを残さず,温度変化に気を付けて,元気に過ごしましょう。

しあわせと平和

学生時代,先生たちと飲食・雑談をしたとき,「しあわせとはどんなときに思うか」という話題で,加山雄三が歌う『君といつまでも(65)』のように,鼻をこすりながら(これは羞恥心の表現か)「しあわせだなぁ」などとつぶやくようなことは実際なく,「不幸と思わない今のような状態のときをいうのではないか」というような展開になったと思います。

しかし,程なく,その先生方が相次いで重病となり,そして亡くなり,やはりそのときが実感はせずとも,しあわせのひとときであったのか,と思ったものでした。

しあわせ」よりもっと自覚しにくいのが「平和」でしょう。
平和な状態でもしあわせと感じない人たちがたくさんいるのも現実です。

その一つが,しあわせの訳語に fortune もあり,これは「」をも意味し,お金がなければ幸福とは思えない,ということでもあるわけでしょうか。

しかし「peace(平和)」の対義語は「war(戦争)」です。
戦争の状態で,しあわせと感じるのは,武器を売ってもうける商人ぐらいのものです。

しかし,防衛装備庁という,自衛隊の武器を調達する組織を政府が作りました(2015)。
かつて,言葉だけでも「非核三原則(67)」があり,「持たず,作らず,持ち込ませず」というのがありました。

それどころか,防衛省(2007に庁から省へ昇格,第一次安倍内閣)は2015から軍事研究に対して,大学等の研究機関に,軍学共同研究として助成金を支給する安全保障技術研究推進制度を開始し,2017の予算では前年のなんと18倍の110億円に急増しました。
日本学術会議はこれに強く反対の意を示しています。

以前,『戦争を知らない子供たち(70)』という歌がありましたが,当時,総人口に占める割合が,1/4という試算があり,それが2009年には2/3になったというデータがありました。
現在は,もちろん,それ以上で,現在の内閣では,首相をはじめ 全員,知らない世代ばかりではないですか。

いま話題の朝ドラ『ひよっこ』の主人公「みね子」の伯父「宗男(44歳)」(1966)がいつも笑っている訳を問われ,先の大戦で陸軍でビルマ戦線に送られ,インパール作戦でイギリス軍と対峙し,ある夜,斥侯を命じられ,そこで若いイギリス兵と鉢合せし,相手は笑顔で立ち去ったことで,その時笑えなかった自分を悔しいと思い,以後,笑って暮らすことを信条にしている,と言うのです。
このインパール作戦(1944)というのは,多くの犠牲者を出して歴史的な敗北を喫し,無謀な作戦の代名詞として今も引用されるほどの過酷な戦争で,その生き残りの話は,実に生の反戦へのメッセージでした。
しかし,今の指導者たちはこんなドラマ見ていないだろうな。

しかし,今後,平和が崩れた時に,「あのとき平和しあわせだったんだなぁ」などと思い返すような時が訪れないように,いま真剣に平和を持続させる道を選択しなくてはならないのです。

それにしても,今の安倍内閣の一連の政治行動を見ていると,平和を希求するのではなく,反対に実に好戦的で,危険に過ぎます。

先の東京都議会選挙(17.7.2)で,自民党は歴史的な大敗をし,現有57議席が23議席と半数以下になりました。

都議選は過去何度か,直後にあった国政選挙の「先行指標」となってきました。1993年の都議選直後の総選挙では「日本新党」が躍進して自民党政権が崩壊し,2009年の総選挙では民主党(当時)が政権交代を果たしました。

国民のみなさんの冷静な,平和を望む思いが実現しますように,願うばかりです。

こんな歌をご存知ですか。

しゃれこうべと大砲』といいます。
イタリア映画『越境者』(1950)の主題歌として使われました。

【訳詞】東大音感合唱研究会
【作曲】シシリー島民謡

1.大砲の上にしゃれこうべが
  うつろな目をひらいていた
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  鐘の音も聞かずに死んだ

2.雨に打たれ風にさらされて
  空の果てをにらんでいた
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  お袋にも会わずに死んだ

3.春がきても夏が過ぎても
  誰も花を手向けてくれぬ
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  人の愛も知らずに死んだ

くらい歌ですが,反戦歌です。ダークダックスが歌っているのを聞いたことがあります。

しあわせって何だっけ何だっけ」というCMソングがありましたね。明石家さんまが歌って話題になりました。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

という有名な言葉は,ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」にあり,ラテン語で書かれています。

しかし,健康体でなくても,健全な精神は持てる,とおっしゃるお医者さんがいました。言われれば確かにそうです。

でも,健康は大切です。
健康を損なってから,あのときは健康で良かった,と思うようなことがないようにだけはしたいものです。

これから厳しい季節がしばらく続きますが,賢く過ごしたいものですね。

岩谷時子の世界

3年余り前,作詞家の岩谷時子さんが亡くなりました。享年97歳でしたから,天寿を全うした大往生といえるのかもしれません。われわれにたくさんの歌を残してくれました。

たとえば,( )内は,その発売年,歌手,作曲家の順

恋のバカンス(63,ザ・ピーナッツ,宮川泰
ウナ・セラ,ディ東京(64,ザ・ピーナッツ,宮川泰
逢いたくて逢いたくて(66,園まり,宮川泰

夜明けの歌(64,岸洋子,いずみたく
これが青春だ(66,布施明,いずみたく
ベッドで煙草を吸わないで(66,沢たまき,いずみたく
恋の季節(68,ピンキーとキラーズ,いずみたく
いいじゃないの幸せならば(69,相良直美,いずみたく

君といつまでも(65,加山雄三,弾厚作
旅人よ(66,加山雄三,弾厚作

ほんきかしら(66,島倉千代子,土田啓四郎
サインはV(69,麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ,三沢郷
おまえに(72,フランク永井,吉田正
男の子女の子(72,郷ひろみ,筒美京平

しかし,いろんな範囲に広く詞を提供していて,驚くほどの量です。

岩谷時子(1916-2013)さんは,京城府(現在のソウル別市)に生まれ,5歳のときに兵庫県西宮市に移住,1939年に神戸女学院大学部英文科を卒業後,宝塚歌劇団出版部に就職,『宝塚』の編集長を務めました。

岩谷さんといえば,越路吹雪(1924-80)との関係を言わない訳にはいかないですが,彼女は東京・麹町に生まれ,父の転勤で新潟に,長野県飯山高等女学校(現・飯山高校)を中退して,1937年に宝塚音楽歌劇学校に入学,同期に月丘夢路・音羽信子らがいます。
1939年2月に初舞台,岩谷さんとの出会いは「サインの見本を書いてほしい」とやって来たといいます。15歳と23歳,8歳年下でしたが,最初から意気投合したようです。
清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚で,越路は煙草は吸うし,門限破りはするしの異色の存在で,「不良少女」のあだ名を付けられたといいます。

1951年に越路が宝塚を退団するとき,懇願されて専属の無給のマネージャーとなり東京に行きます。
1952年に越路が出演したシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として越路が「愛の讃歌」を歌うことになり,岩谷さんが自身初の訳詞・作詞をしました。それから越路の楽曲の訳詞や,作詞家として数々のヒット曲を手がけることになりました。

しかし,この「愛の賛歌」の訳詞というか作詞には,原作とは違い過ぎるとの批判が多いのも事実です。
エディット・ピアフの歌はとても激しい恋の歌ですが,岩谷さんのはもっと優しい恋の歌です。やっぱり穏やかな日本人にはこっちの方が合うのではと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=5PHECvAW1Bk

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて    
ただふたりだけで 生きていたいの    
ただいのちのかぎり あたしは愛したい    
いのちのかぎりに あなたを愛したい    

頬と頬よせて 燃えるくちづけを 
かわす喜び かわす喜び    
あなたとふたりで 暮らせるものなら 
なんにもいらない    
なんにもいらない 
あなたとふたりで 生きていくのよ    
あたしの願いは ただそれだけよ 
あなたとふたり

かたくいだき合い 
燃える指に髪を    
からませながら いとしみながら    
口づけを交わすの 
愛こそ燃える火よ    
あたしを燃やす火 
心とかす恋よ

いっぽう激しいピアフの原曲も聴いてみましょうか。後半は英語です。

  空が落ちてこようと
  大地が裂けようと
  わたしは平気よ
  あなたの愛があれば

  あなたの腕に抱かれて
  わたしが震えるとき
  なにもかも かすむわ
  愛される幸せに

  たとえ地の果てまでも
  わたしはついていくわ
  愛されるならば
  月をももぎ取り
  運命も変えてみせる
  求められるならば

  故郷も棄てる
  友達だって
  あなたのためなら 
  笑われようと
  気にはしない
  あなたのためなら

  もしもわたしたちを
  死が引き離すとも
  わたしは恐れない
  あなたに愛されてれば

  ともに歩みましょう
  青い空の彼方を
  何も恐れはしない
  ともに愛し合えば

  いつまでもともに

Hymne a L’Amour

  Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer,
  Et la terre peut bien s’ecrouler,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Je me fous du monde entier.

  Tant qu’ l’amour innondera mes matins,
  Tant qu’mon corps fremira sous tes mains,
  Peu m’importent les problemes,
  Mon amour, puisque tu m’aimes.

  J’irais jusqu’au bout du monde,
  Je me ferais teindre en blonde,
  Si tu me le demandais.
  J’irais decrocher la lune,
  J’irais voler la fortune,
  Si tu me le demandais.

  Je renierais ma patrie,
  Je renierais mes amis,
  Si tu me le demandais.
  On peut bien rire de moi,
  Je ferais n’importe quoi,
  Si tu me le demandais.

  Si un jour, la vie t’arrache a moi,
  Si tu meurs, que tu sois loin de moi,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Car moi je mourrais aussi.

  Nous aurons pour nous l’eternite,
  Dans le bleu de toute l’immensite,
  Dans le ciel, plus de probleme,
  Mon amour, crois-tu qu’on s’aime?

  Dieu reunit ceux qui s’aiment.

じっさい,1953年にパリで,越路はピアフのステージを見て聴いて,非常な衝撃を受けた,と日記に書き残しています。

しかし,有名な歌手たちはかなり短命ですね。

エディット・ピアフ(1915-63,47歳で没)
ナット・キング・コール(1919-65,45歳)
エルビス・プレスリー(1935-77,42歳)
カレン・カーペンター(1950-83,32歳)

越路吹雪(1924-80,56歳)
美空ひばり(1937-89,52歳)

こうなると長生きしているのはダメな歌手,ということにもなりかねないですね。
でも,明らかに声が出ないのに人前で歌う老年歌手をみると,とても切ない気持ちになります。

音源が残っているので,後世の人たちも聴くことができますが,それにしてもみんな早過ぎます。
しかし,もともと歌手は演奏寿命(歌える期間)が短いので,劣化する前に亡くなるのは,良い状態の歌唱や姿だけ残せるので,早逝する方が良い,という見方もあります。

ところで,岩谷さんは越路吹雪から「恋泥棒」というあだ名をつけられていて,越路の恋の話を自分の作詞にしてしまう,と。
じっさい,『恋の季節』で有名な「夜明けのコーヒー」は,外国人から越路が「夜明けのコーヒー」を誘われて,本人はコーヒーを早朝に飲むだけの約束だと思っていた,という実話があります。

岩谷さんは,自分はあくまで清楚に生き,友達の奔放な恋の歌を沢山かいて,一生を二人分,楽しんで生きた,というような稀に見る女性でした。

しかしやっぱり,普通の人間は健康で長生きしたいものです。
これからは季節の移り変わるシーズンです。季節に合わせた生活をして,憧れの春を迎えましょう。

お正月

元日に年賀状を読むのも,年に一度の友人たちの安否確認のようなもので,ささやかな正月の楽しみの一つです。

しかし年賀状は,電子メールSNS( Social Network Service)の普及により,発行部数が17年度は約30億枚で,過去最高の04年に44億6000万枚を発行して以降,減少傾向がとまらず,年賀はがきはハガキ全体の3割を占めているので,郵政事業全体にも影響が出てきています。
ハガキが今年の6月から23年ぶりに62円に値上げすることが決まりましたが,年賀状は据え置かれるので,みなさんもせいぜい古き風習を尊重して,年賀状を出してください。

郵便料金の推移 

・         葉書  封書 
昭和24年(51)   5円  10円
昭和41年(66)   7     15
昭和47年(72)   10   20
昭和51年(76)   30   60
平成 元年(89)   41   62
平成   6年(94)   50   80
平成26年(14)   52   82

たったの5円や10円で,ハガキや手紙が届けられた時代が懐かしいです。

一般に,一休さん(一休宗純,1394-1481)の作と言われている短歌に,

門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

また,小林一茶(1763-1827)の句には,

目出度さも ちゅう位なり おらが春

「あけましておめでとうございます」などと言ってみても,ほとんどの人は,そうめでたくもなく,「ちゅうくらい」なんです。

でも,年が変わる度に,新年と称して,新しい気持ちでスタートする,というのはいい習慣だと思います。去年は余り良くなかったけれど,今年は良いことがあるかも知れない,と思うことで,気分も変わって,ほんとうに良いことが起るかもしれません。

新年のスタートは,正月らしく「一月一日」にしましょう。

一月一日」 千家尊福(せんげ・たかとみ)作詞 
上 真行(うえ・さねつら)作曲 官報第三〇三七号附録(1893.8)

年の始めの 例(ためし)とて
終なき世の めでたさを
松竹たてて 門(かど)ごとに
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ

初日のひかり さしいでて
四方(よも)に輝(かがやく)く 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊(とう)とけれ

明治時代の歌で,歌詞も古文ですが,意味は分りますね。
出雲大社の宮司さんの作詞で,宮内庁楽師さんの作曲です。。

平成も30年で終わり,次の時代は,どうなってゆくのでしょう。世間はかまびすしい(やかましい,さわがしい)ですね。

まず,政府は天皇の退位を,皇室典範の根本的な改正ではなく,時限立法(有効期間をあらかじめ定めた法,つまりその場しのぎの法)でやろうとしています。
今の皇太子(次の天皇)には,男子がいませんので,今のままだと,秋篠宮さんが皇太子になることになります。

皇位継承順位
1.皇太子徳仁(なるひと)親王 1960.2.23生
2.秋篠宮文仁(ふみひと)親王 1965.11.30
3.秋篠宮悠仁(ひさひと)親王 2006.9.6
4.常陸宮正仁(まさひと)親王 1935.11.28

今上(きんじょう)天皇昭仁(あきひと)陛下は1933..12.23のお生れなんで,現在83歳,2年後は85歳で,十分に高齢です。

今の皇太子が天皇になると,皇位継承者は3人だけ,しかも常陸宮さんはすでに高齢で今上帝の弟さんですが,現実には皇位継承は無理です。
そうすると,皇位継承者はたったの2人だけ,という誠に不安定な状態になります。
しかも,悠仁さんはまだ10歳,自分の子供ができるのはまだまだ先,そして男子が生まれる確率も半分です。

そうすると,ふつうには女帝を選ぶことになるはずなのですが,これには断固,反対している人たちがいるのです。

天皇家は,「万世一系」と称して,一つの血統が2600年以上も引き続いていることが,特別であるそうなんです。
女性が入るとX染色体なので,男性のY染色体が残らない,つまり,違う血筋になる,そうなんです。

未だに堂々とこういうことを言う人たちがたくさんいることが,不気味です。

ダーウィン(1809-82)の「進化論」(1859)を信じないキリスト教徒がいることと同様な不安を感じます。

ここに進化論とは,「生物のそれぞれの種は,神によって創造されたものではなく,極めて簡単な原始生物から進化してきたものである」という説。

いまが年間で一番寒い季節です。これさえ乗り切れば,春が来ます。立春(2月4日)まで,もう少し我慢してください。

風邪は万病のもと,インフルエンザの予防接種は済ませましたか。接種すると,10日ぐらいで抗体ができ始め。1ヶ月で効果を発揮し,2~3ヶ月間は持続します。ですので,本当は11月中ぐらいに接種しておくのが適切なのです。いまからでは少々遅すぎますね。

しかし,寒さに負けないで,元気にお過ごしください。

君の名は

いま,チマタでは長編アニメ映画『君の名は。』が大ブレイク(予期せずに流行すること)しているようです。監督は新海誠(1973-)43歳,長野県出身,中央大学卒。

あらすじは,

東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧(たちばな たき)は,ある朝,目を覚ますと飛騨の山奥にある糸守町〔架空の町〕の女子高生・宮水三葉(みやみず みつは)になっていました。そして,三葉は瀧の身体に。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら,知らない誰かの一日を過ごすのです。
その後もたびたび「入れ替り」が起きたことによって,ただの夢ではなく実在の誰かと入れ替っていることに気づきます。2人はスマホのメモを通してやりとりをし,入れ替っている間のルールを決め,元の身体に戻った後に困らないよう日記を残すことにしたました。
お互い束の間の入れ替りを楽しみつつ次第に打ち解けていきます。しかし,その入れ替りは突然途絶えてしまいます。瀧は風景のスケッチだけを頼りに飛騨に向かいますが,たどり着いた糸守町は,3年前に隕石(ティアマト彗星〔これも架空の彗星〕の破片)の衝突により消滅しており,三葉やその家族,友人も含め住民500人以上が死亡していたことが分るのです。

じつは,これ以前に,三葉も瀧をさがしに東京へ来ていて,実際は3歳年下の瀧を電車の中で見つけ,自分の髪を束ねていた組紐を瀧に渡していたのです。

これ以上の詳細な記述は,映画を観てのお楽しみ,ということで止めておきます。

この映画は,2つの日本の古典,
小野小町の和歌「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(古今和歌集)と,
男児を「姫君」として女児を「若君」として育てる『とりかえばや物語』(作者不詳)を設定に取り込んでいます。
また,男女入れ替りをモチーフとする大林宣彦監督の映画『転校生』なども参考にしています。

声優陣も多彩で,

立花 瀧 神木隆之介
宮水三葉 上白石萌音
奥寺ミキ 長澤まさみ(瀧のバイト先の先輩,美人女子大生)
宮水一葉 市原悦子(三葉の祖母,宮水神社の神主,82歳)

奥寺先輩役の長澤まさみは色気があっていいですね。
市原悦子のお婆ちゃんは,もちろん絶品です。
ワキがしっかりしていると,物語がしまりますね。

三葉の声を担当した上白石萌音(かみしらいし もね,1998-)は鹿児島出身の18歳の俳優・歌手,あるテレビ番組で,自分の好きな映画の主題歌を発表する場で,『ティファニーで朝食を』(1961)でオードリー・ヘプバーン(1929-93)がアパートの窓枠に腰かけて,ギターをつま弾きながら,かすれ声で歌う「ムーン・リバー」が好き,と言っていました。こういうところがこの人の魅力なのかもしれませんね。
この歌,のちにアンディ・ウイリアムス(1927-2012)の持ち歌のようになりましたが,映画ではコーラスでした。

かつて,一世を風靡(ふうび)した同名のドラマがありました。
菊田一夫・作『君の名は』(1952)で,ラジオの連続放送劇でした。そのご映画化(1953)されて(3部作),それも大ヒットしました。

あらすじは,

第二次世界大戦の末期,東京大空襲の夜,たまたま一緒になった見知らぬ男女,氏家真知子(うじいえ まちこ)と後宮春樹(あとみや はるき)は助け合って戦火の中を逃げまどい数寄屋橋にたどり着き,一夜が明けて,二人はここでようやくお互いの無事を確認します。お互いに生きていたら,半年後,それがだめならまた半年後に,この橋で会おうと約束し,お互いの名も知らぬままに別れます。やがて,2人は戦後の渦に巻き込まれ,お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず,1年半後の3度目にやっと会えた時には,真知子はすでに明日嫁に行くという身でした。しかし,夫との生活に悩む真知子,そんな彼女を気にかける春樹,2人をめぐるさまざまな人々の間で,運命はさらなる展開を迎えていきます。

番組の冒頭,「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションも有名になりました。
当時のラジオドラマは生放送だったため,劇中のBGMは音楽担当の古関祐而がハモンドオルガンを毎回,即興演奏していました。

毎週木曜8時からの30分放送でしたが,「番組が始まると,銭湯の女湯がカラになる」といわれるほどの人気ドラマになりました。

配役は,

・     ラジオ    映画
氏家真知子  阿里道子   岸 恵子
後宮 春樹  北沢 彪   佐田啓二

なにしろ,「真知子巻き」というストールの巻き方が大流行するほどの人気でした。

同名の主題歌が映画やレコードで歌われました。もちろん
菊田一夫・作詞 古関祐而・作曲 織井茂子・歌(1953)

くしくも,64年の時を経て,似たような話題となる映画が再び登場するというのも興味深いものです。時間と空間が隔たれば,現代でも会いたい人に会えないのです。

12月8日は太平洋戦争の日米開戦日です。先に真珠湾を攻撃しておいて,後で宣戦布告をするというのは,やり方として非常にまずかったです。
始め方が良くなかったせいで,終わり方が最悪となりました。
その復興に何十年かかったことでしょう。

この時期,そんなことも少しは考えてみるのも必要です。

冬本番となりました。あと2カ月余りは我慢の日々が続きます。風邪など引かないよう,万全の対策をして,この厳しい季節を乗り切りましょう。

初恋

初恋とは,その人にとって最初の恋,のことです。ですから,年齢は関係ないことになっています。

初恋は,「かなわぬ恋」であったり,「しのぶ恋」であったり,「片思いの恋」であったりして,本物の恋に進展しないことも多いのです。

実際,最近のある調査によると,初恋の相手は「同級生(64.0%)」が断トツで,初恋の相手に思いを告げたかを問う質問では,「告げた」と回答した人は23.6%にとどまり,なんと8割近くの男女がその思いを内に秘めていたままであることがわかりました。

それゆえに昔から,詩や小説,そして映画の題材として格好のテーマで,たくさん作られています。

詩で有名なのは,島崎藤村の詩集『若菜集』(1897)に収められている「初恋」でしょうか。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

小説では,ロシアのイワン・ツルゲーネフの「初恋」(1860)が有名です。

この作品では,40歳代となった主人公ウラジーミルが,自分の16歳の頃の初恋について回想し,友人たちに向けてノートに記した手記という形式となっていて,半自伝的小説とされています。
まだ若い主人公がコケティッシュ(coquetish,なまめかしい)なヒロインのジナイーダに弄ばれるなどの非道徳的な内容を詩的な美しい文章で描いています。
ヒロインは周りに群がる崇拝者達には目もくれず,なんと密かに主人公の父に恋をしていて,その父も冷酷な浮気者で,ヒロインを鞭で打つのでした。

この作品は,洋画や邦画で何度も取り上げられましたから,目にされた方も多いのではないでしょうか。

日本の代表的な青春小説,伊藤佐千夫野菊の墓』,三島由紀夫潮騒』,川端康成伊豆の踊子』など,初恋という名はついていませんが,みんな初恋の物語です。

ここで,日本語の「初恋」と,英語の「first love」はかなり感覚が違うことに気がつきます。やはり,西洋ものは激しいですね。日本のは,淡い,夢みるような初恋です。

日本の比較的新しい歌で有名なのは,村下孝蔵の『初恋』(83)でしょうか。

五月雨は緑色 悲しくさせたよ 一人の午後は
恋をして淋しくて 届かぬ想いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない

夕映えはあんず色 帰り道一人 口笛吹いて
名前さえ呼べなくて とらわれた心 見つめていたよ
好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
風に舞った花びらが 水面を乱すように
愛という字 書いてみては ふるえてたあの頃 
浅い夢だから胸をはなれない

放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない
胸をはなれない 今もはなれない
胸をはなれない

村下孝蔵(53-99)は熊本県水俣市出身のシンガーソングライター,若干46歳で没。

あるテレビ番組で,この歌詞にある初恋相手を登場させ,その前で村下に歌わせるという,いかにもテレビらしいが,残ない企画をやらかしました。

別の番組でも,ペギー葉山の『学生時代』(64)の3番の歌詞にある「美しい横顔」の同級生を登場させ,同じような思いをさせました。

こういう,味気ない,趣のない,視聴者の夢をこわすような,つまらん企画はなんとしても,やめてもらいたいものです。

クラシックの名曲にも『初恋石川啄木・詩 越谷達之助・曲(38)があります。

砂山の砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日

初恋のいたみを 遠く遠く ああおもひ出づる日

砂山の砂に 砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日

テノール歌手の奥田良三(03-93)が80歳を過ぎて,この歌を切々と歌っているのを聞いたことがありますが,なかなか趣のあるシーンでした。

みなさんも秋の夜長,初恋に身を焦がした日々を,あるいは初恋に憧れた頃を,しみじみと思い出してみてはいかがですか。

ただし,これからは冬に向かってますます厳しい時期が続きますので,季節に合った着衣を心がけて,健やかにお過ごしください。

判定するということ

カラオケで歌った結果を「今のは何点でした」と評定するようなアプリ(アプリケーション,OS上で動くソフトウエア)があるそうです。
テレビ番組でも,そのようなものがあって,演者が真剣に取り組んで競っている様子が放映されて,人気も高そうです。

人間の審査員が主観で判定するよりも,一見,公平そうに見えます。
しかし,音程やリズムの違いを指摘するのは,機械的に容易ですが,表現力まで評定する項目があるので,どういう基準で行なっているのか,の疑問はあります。なにしろ,小数点以下3桁までの数値で評価されるので,その違いはなんだ,と思ったりします。

先日も,オペラ歌手とミュージカル歌手が対戦していました。オペラではマイクは使わず,オーケストラの音量に負けないよう,広い会場の隅々にまで届くような発声法が求められるのに対して,マイクを使うのが普通のミュージカル歌手の方が有利な立場です。高音部での声の広がりなどはオペラ歌手が圧倒していましたが,結局,ミュージカル歌手の方に高い点数がでましたが,当然の結果と言えるでしょう。

また,同様の別の番組で,100点満点を連発し,3人が同点優勝というような,しまらないものもありました。
音程の正確率が96%程度だったので,本当の満点ではなかったようなんですが。
完全な歌唱というのは,ありえない気がしますし,たぶん評価基準が甘過ぎたのでは,と思われます。

ピアノでも,同じようなものがあって,おそらく電子ピアノを使っていると思われますが,この判定は単純で,ミス・タッチの数の少なさだけで競いました。ピアノ演奏でも表現力は大切と思いますが…。

このほか最近では,俳句・生け花など,さまざまな分野で,採点して評価するようなテレビ番組がはやりです。
本来,このような芸術を簡単に評価や判定するのは,とても難しいことなのですが。

昔から,音楽コンクールや展覧会など,芸術の世界では,所属する系列や団体によって,歴然とした主観による判定が横行して,問題となってきました。

だから「入賞したからなんなの」という立場をとる人たちも大勢います。

これに反して,スポーツの世界では,判定はつきものです。

しかし,1人の審判が判定するような競技では,誤審がつきもので(場合によっては意図的な判定も存在し),それによって試合の結果が左右されることがあって,大きな問題です。
サッカーのように点数の少ない競技では非常に問題が大きいです。審判の数を増やすとか,ビデオ判定を導入するとか,もっと明瞭な判定方法に変えないと,競技人口が多いだけに,常に批判にさらされます。

日本の伝統的なスポーツ,大相撲では,ビデオ導入が早く,1969年五月場所から導入されています。それまでも,結果をスローモーションで再生して,広い角度から,勝負の推移を見られるので,好評でした。大相撲では,まず行司が判定し,問題があれば,土俵下の勝負審判の誰かが「物言い」をつけ,5人の審判が協議し,ビデ室の意見も聞き,最終の判定をします。
非常に古い競技でありながら,最も不平が出ないような判定をしています。なにしろ,勝負判定が微妙で,勝負がつかないような取組では,「同体」と認め「取り直し」まであるのですから。

テニスの審判補助システムとしてホークアイ(鷹の目)が,4大大会では2006年の全米オープンから導入され,今やチャレンジ・システムとして定着しています。後に,全豪・全英オーブンでも導入されましたが,全コートに設置されているわけではなく,センターコートや1番コートなどに限られています。
これは,ビデオ再生ではなく,複数のカメラが捉えた映像からボールの最も妥当な軌道を再構築し,コンピューターグラフィックス(CG)で瞬時に再現するものです。このときいつも思うのは,地面のボール跡の形状です。ふくらみや長さなどが場合によって違い,本当に正確に再現されているか,という疑問です。
そのせいか,当初,フェデラーなどトップ選手は,導入に反対していました。

バドミントンではシャトル(コック)が堅いコルクで出来ているので,シャトル跡がライン幅に比べて小さく,点のように見えるので,テニスのような疑問は起りません。

しかし,近代スポーツであるはずの野球では,判定基準があいまいですね。
野球では動きがストップするので,アウト・セーフの判定や,ヒット・ファウルの判定に,ビデオの導入が容易だと思うのですが。
それにしても,ストライク・ボールの判定は基準が明確ではないですね。高さが打者によって異なるし,空間の四隅を人間の目で判定するのは,至難の業です。
野球は,世界大会とか,日本のドラフト制度など,ほかのスポーツと比べて,いろな意味で,遅れていると言わざるを得ません。

スポーツでも,フィギュアスケート,体操,シンクロナイズドスイミングなど,芸術性を評価して点数で表現するものは,先の芸術分野と同様の疑義が残ります。

ですから,時間距離などを競う古典的な陸上競技などでは,分りやすくていいですね。ですから,観ている人たちも,優勝者に真のチャンピオンとして,惜しみない称賛の拍手を送るのでしょう。

今回は,秋のこの歌にしましょう。
落葉松(からまつ)』野上彰・作詞 小林秀雄・作曲(1972)

さいきん,カバー(covers)とかいって,人の歌をほかの人が歌うのが,大いに流行っています。
以前の名曲を歌いたい,という歌手の気持ちは理解できますが,ほとんどの場合,原曲にかないません。
その理由の一つは,練習量が足りません。歌いこなされていません。
とくに,番組で若い歌手が昔の歌を歌うのは,聴くに堪えません。どうか,昔のビデオを流してください。その方が何倍も良いです。

秋本番です。この時期,日によって気温が大きく変動しますから,天気予報をこまめにチェックして,体調を壊さないよう,健やかにお過ごしください。