吉本とは

現在,NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『わろてんか』は言わずと知れた吉本興業(2007年からよしもとクリエイティブ・エージェンシーというハイカラな名前に変っていますが)の創業者・吉本せいの一代記です。ドラマですから実際と異なるのは当然ですが,どこが違うか,見てみましょうか。

創業は1912年(明治45年),吉本吉兵衛(本名:吉次郎,通称:泰三)・せい夫婦が大阪市天神橋の「第二文芸館」を買収し,寄席経営を始めました。
1915年(大正4年)には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか,月と陰るか,全てを賭けて」との思いから『花月』 と改名しました。
夫・吉兵衛(1886-1924)は,山崎豊子の小説『花のれん』などでは経営を妻に任せっきりの道楽亭主のように扱われていますが,実際は実質的な経営の指揮をとっていたようです。しかし1924年に急性心筋梗塞により37歳で亡くなっています。

吉本せい(1889-1950)は明石の生まれ,1910年の20歳の時に,大阪市内本町の「箸吉(はしよし)」の息子吉本吉兵衛と結婚(実際には1907年の18歳のころから事実婚状態でした)。
2男6女をもうけますが,そのほとんどが早逝し,次男・泰典(後に改名し頴右)は歌手・笠置シヅ子と恋仲となりますが,猛反対を受け,1947年23歳で没後,実子・亀井エイ子が生まれています。

1917年,せいの実弟・林正之助(1899-1991)が入社し,亡くなるまで吉本を支えます。ドラマの従兄の風太ではなく,実弟の林正之助が大番頭でした。ちなみに吉本家の家業は荒物問屋であり,林家は米穀商です。吉本・林両家の確執が相当あったようです。

1932年,吉本興業合名会社が発足し,せいが社長,2人の弟,林正之助が大阪吉本,林弘高が東京吉本を率いる体制が確立します。
林弘高は欧州を視察し,その影響で,東京ではモダン・ハイカラ路線をとり,レビューやショウを上演して,演芸の大阪に対抗します。ドラマでは息子・隼也の役どころです。

演芸だけでなく,戦前は,巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え,戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにしました。
元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり,戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称されました。

ドラマの伊能は小林一三(1973-1957),阪急電鉄,宝塚歌劇団,阪急百貨店,東宝の創業者で関西の大物ですが,残念ながら吉本せいとの恋愛的な接触はありません。しかし,吉本と東宝が提携し,それを松竹が不快に思って芸人を引き抜く,という事件がありましたから,仕事の話はしたははずです。

月の井団吾は明らかに爆笑王といわれた初代桂春団治(1878-1934),無断のラジオ出演で,謹慎処分を受けた事実があります。

ドラマのキースは横山エンタツ(1896-1971)らしいのですが,エンタツが吉本に入ったのは1930年,ですから既に吉兵衛は亡くなっており,花菱アチャコ(1897-1974)と組んで「しゃべくり漫才」をやり,「早慶戦」などで人気をはくしました。

ドラマのリリコはミスワカナ(1910-46),女義太夫師でも映画女優でもなく,根っからの漫才師です。
シローは玉松一郎(1906-63),舞台でアコーディオンを弾きましたが,それほどの腕ではありませんでした。

所属する芸人は,桂春団治,横山エンタツ・花菱アチャコをはじめ,兵隊落語の柳家金語楼,三味線漫談の柳家三亀松,「あきれたぼういず」の川田義雄,ミスワカナ・玉松一郎など東西に多数いました。

戦後の吉本は,1959年(昭和34年),うめだ花月を開場,花菱アチャコ主演の吉本ヴァラエティ「迷月赤城山」を,同時にテレビ放送を開始した毎日放送と提携し,同社に舞台中継させました。1962年に京都花月,1963年になんば花月を開場,吉本ヴァラエティは,1962年に吉本新喜劇と名前を変え,白木みのる,平三平,ルーキー新一,花紀京,岡八郎,原哲夫,桑原和男,財津一郎らを続々と生み出しました。

この時期,じつは私個人は,吉本よりも松竹新喜劇を見ていました。吉本のワンパターンのドタバタよりも,松竹の人情喜劇の方が面白かったのです。
松竹新喜劇の発足は,1948年の中座で,当初は曾我廼家十吾浪花千栄子も参加していましたが,私の見ていたころは,渋谷天外,曾我廼家明蝶,曾我廼家五郎八,酒井光子,藤山寛美,小島秀哉,小島慶四郎,四条栄美など,役者がそろっていました。1965年,天外が倒れてからは,寛美が一枚看板となり徐々に衰退していき,1990年の寛美死去によって急激に衰退しました。

しかし,吉本の花菱アチャコが松竹出の浪花千栄子と夫婦役で組んでラジオで大活躍するのは皮肉なものです。

もっと皮肉なのは,花菱アチャコが戦後も大活躍するのに,横山エンタツはほとんど活躍せずに消えてゆきます。

さて,冬の寒い夜は懐かしいこの歌にしましょうか。

冬の夜』作詞・作曲者不詳「尋常小学唱歌(三)」(1912)

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

囲炉裏のはたに縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

今年の冬は久しぶりに寒い冬となりました。
私個人としては,海外で冬に‐15℃を体験しているのですが,暖房が不十分なせいでしょうか,年齢のせいでしょうか,今年はとても寒く感じます。
あちこちで積雪による大変な事態も起きています。
寒さ対策は十分ですか?風邪などは引いていませんか?
この時期,体調を崩すと更に大変になりますので,十二分に気をつけましょう。
こんな時こそ,家にこもってないで,運動をするのが良いのです。胸を張って散歩も良し,スローランニングも良し,もう少しで間違いなく春がやってきますので,頑張りましょう!

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