カテゴリー別アーカイブ: 芸

初恋

初恋とは,その人にとって最初の恋,のことです。ですから,年齢は関係ないことになっています。

初恋は,「かなわぬ恋」であったり,「しのぶ恋」であったり,「片思いの恋」であったりして,本物の恋に進展しないことも多いのです。

実際,最近のある調査によると,初恋の相手は「同級生(64.0%)」が断トツで,初恋の相手に思いを告げたかを問う質問では,「告げた」と回答した人は23.6%にとどまり,なんと8割近くの男女がその思いを内に秘めていたままであることがわかりました。

それゆえに昔から,詩や小説,そして映画の題材として格好のテーマで,たくさん作られています。

詩で有名なのは,島崎藤村の詩集『若菜集』(1897)に収められている「初恋」でしょうか。

まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり

やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり

わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな

林檎畑の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまふこそこひしけれ

小説では,ロシアのイワン・ツルゲーネフの「初恋」(1860)が有名です。

この作品では,40歳代となった主人公ウラジーミルが,自分の16歳の頃の初恋について回想し,友人たちに向けてノートに記した手記という形式となっていて,半自伝的小説とされています。
まだ若い主人公がコケティッシュ(coquetish,なまめかしい)なヒロインのジナイーダに弄ばれるなどの非道徳的な内容を詩的な美しい文章で描いています。
ヒロインは周りに群がる崇拝者達には目もくれず,なんと密かに主人公の父に恋をしていて,その父も冷酷な浮気者で,ヒロインを鞭で打つのでした。

この作品は,洋画や邦画で何度も取り上げられましたから,目にされた方も多いのではないでしょうか。

日本の代表的な青春小説,伊藤佐千夫野菊の墓』,三島由紀夫潮騒』,川端康成伊豆の踊子』など,初恋という名はついていませんが,みんな初恋の物語です。

ここで,日本語の「初恋」と,英語の「first love」はかなり感覚が違うことに気がつきます。やはり,西洋ものは激しいですね。日本のは,淡い,夢みるような初恋です。

日本の比較的新しい歌で有名なのは,村下孝蔵の『初恋』(83)でしょうか。

五月雨は緑色 悲しくさせたよ 一人の午後は
恋をして淋しくて 届かぬ想いを暖めていた
好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない

夕映えはあんず色 帰り道一人 口笛吹いて
名前さえ呼べなくて とらわれた心 見つめていたよ
好きだよと言えずに初恋は ふりこ細工の心
風に舞った花びらが 水面を乱すように
愛という字 書いてみては ふるえてたあの頃 
浅い夢だから胸をはなれない

放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから胸をはなれない
胸をはなれない 今もはなれない
胸をはなれない

村下孝蔵(53-99)は熊本県水俣市出身のシンガーソングライター,若干46歳で没。

あるテレビ番組で,この歌詞にある初恋相手を登場させ,その前で村下に歌わせるという,いかにもテレビらしいが,残ない企画をやらかしました。

別の番組でも,ペギー葉山の『学生時代』(64)の3番の歌詞にある「美しい横顔」の同級生を登場させ,同じような思いをさせました。

こういう,味気ない,趣のない,視聴者の夢をこわすような,つまらん企画はなんとしても,やめてもらいたいものです。

クラシックの名曲にも『初恋石川啄木・詩 越谷達之助・曲(38)があります。

砂山の砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日

初恋のいたみを 遠く遠く ああおもひ出づる日

砂山の砂に 砂に腹ばい 初恋のいたみを 遠くおもひ出づる日

テノール歌手の奥田良三(03-93)が80歳を過ぎて,この歌を切々と歌っているのを聞いたことがありますが,なかなか趣のあるシーンでした。

みなさんも秋の夜長,初恋に身を焦がした日々を,あるいは初恋に憧れた頃を,しみじみと思い出してみてはいかがですか。

ただし,これからは冬に向かってますます厳しい時期が続きますので,季節に合った着衣を心がけて,健やかにお過ごしください。

判定するということ

カラオケで歌った結果を「今のは何点でした」と評定するようなアプリ(アプリケーション,OS上で動くソフトウエア)があるそうです。
テレビ番組でも,そのようなものがあって,演者が真剣に取り組んで競っている様子が放映されて,人気も高そうです。

人間の審査員が主観で判定するよりも,一見,公平そうに見えます。
しかし,音程やリズムの違いを指摘するのは,機械的に容易ですが,表現力まで評定する項目があるので,どういう基準で行なっているのか,の疑問はあります。なにしろ,小数点以下3桁までの数値で評価されるので,その違いはなんだ,と思ったりします。

先日も,オペラ歌手とミュージカル歌手が対戦していました。オペラではマイクは使わず,オーケストラの音量に負けないよう,広い会場の隅々にまで届くような発声法が求められるのに対して,マイクを使うのが普通のミュージカル歌手の方が有利な立場です。高音部での声の広がりなどはオペラ歌手が圧倒していましたが,結局,ミュージカル歌手の方に高い点数がでましたが,当然の結果と言えるでしょう。

また,同様の別の番組で,100点満点を連発し,3人が同点優勝というような,しまらないものもありました。
音程の正確率が96%程度だったので,本当の満点ではなかったようなんですが。
完全な歌唱というのは,ありえない気がしますし,たぶん評価基準が甘過ぎたのでは,と思われます。

ピアノでも,同じようなものがあって,おそらく電子ピアノを使っていると思われますが,この判定は単純で,ミス・タッチの数の少なさだけで競いました。ピアノ演奏でも表現力は大切と思いますが…。

このほか最近では,俳句・生け花など,さまざまな分野で,採点して評価するようなテレビ番組がはやりです。
本来,このような芸術を簡単に評価や判定するのは,とても難しいことなのですが。

昔から,音楽コンクールや展覧会など,芸術の世界では,所属する系列や団体によって,歴然とした主観による判定が横行して,問題となってきました。

だから「入賞したからなんなの」という立場をとる人たちも大勢います。

これに反して,スポーツの世界では,判定はつきものです。

しかし,1人の審判が判定するような競技では,誤審がつきもので(場合によっては意図的な判定も存在し),それによって試合の結果が左右されることがあって,大きな問題です。
サッカーのように点数の少ない競技では非常に問題が大きいです。審判の数を増やすとか,ビデオ判定を導入するとか,もっと明瞭な判定方法に変えないと,競技人口が多いだけに,常に批判にさらされます。

日本の伝統的なスポーツ,大相撲では,ビデオ導入が早く,1969年五月場所から導入されています。それまでも,結果をスローモーションで再生して,広い角度から,勝負の推移を見られるので,好評でした。大相撲では,まず行司が判定し,問題があれば,土俵下の勝負審判の誰かが「物言い」をつけ,5人の審判が協議し,ビデ室の意見も聞き,最終の判定をします。
非常に古い競技でありながら,最も不平が出ないような判定をしています。なにしろ,勝負判定が微妙で,勝負がつかないような取組では,「同体」と認め「取り直し」まであるのですから。

テニスの審判補助システムとしてホークアイ(鷹の目)が,4大大会では2006年の全米オープンから導入され,今やチャレンジ・システムとして定着しています。後に,全豪・全英オーブンでも導入されましたが,全コートに設置されているわけではなく,センターコートや1番コートなどに限られています。
これは,ビデオ再生ではなく,複数のカメラが捉えた映像からボールの最も妥当な軌道を再構築し,コンピューターグラフィックス(CG)で瞬時に再現するものです。このときいつも思うのは,地面のボール跡の形状です。ふくらみや長さなどが場合によって違い,本当に正確に再現されているか,という疑問です。
そのせいか,当初,フェデラーなどトップ選手は,導入に反対していました。

バドミントンではシャトル(コック)が堅いコルクで出来ているので,シャトル跡がライン幅に比べて小さく,点のように見えるので,テニスのような疑問は起りません。

しかし,近代スポーツであるはずの野球では,判定基準があいまいですね。
野球では動きがストップするので,アウト・セーフの判定や,ヒット・ファウルの判定に,ビデオの導入が容易だと思うのですが。
それにしても,ストライク・ボールの判定は基準が明確ではないですね。高さが打者によって異なるし,空間の四隅を人間の目で判定するのは,至難の業です。
野球は,世界大会とか,日本のドラフト制度など,ほかのスポーツと比べて,いろな意味で,遅れていると言わざるを得ません。

スポーツでも,フィギュアスケート,体操,シンクロナイズドスイミングなど,芸術性を評価して点数で表現するものは,先の芸術分野と同様の疑義が残ります。

ですから,時間距離などを競う古典的な陸上競技などでは,分りやすくていいですね。ですから,観ている人たちも,優勝者に真のチャンピオンとして,惜しみない称賛の拍手を送るのでしょう。

今回は,秋のこの歌にしましょう。
落葉松(からまつ)』野上彰・作詞 小林秀雄・作曲(1972)

さいきん,カバー(covers)とかいって,人の歌をほかの人が歌うのが,大いに流行っています。
以前の名曲を歌いたい,という歌手の気持ちは理解できますが,ほとんどの場合,原曲にかないません。
その理由の一つは,練習量が足りません。歌いこなされていません。
とくに,番組で若い歌手が昔の歌を歌うのは,聴くに堪えません。どうか,昔のビデオを流してください。その方が何倍も良いです。

秋本番です。この時期,日によって気温が大きく変動しますから,天気予報をこまめにチェックして,体調を壊さないよう,健やかにお過ごしください。

月が綺麗ですね

月がきれいですね」と言われたら,どう反応しますか?

夏目漱石が英語教師をしていたとき, “ I love you ” を生徒が「我君を愛す」と直訳したのを聞き,「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね,とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話から,遠回しな告白の言葉として使われているそうなんです。
現在の朝ドラ『とと姉ちゃん』でも,使われていました。

そうすると,「そうですね」,「本当に」などと答えたのでは,意思が伝わらないことになります。

二葉亭四迷はロシア文学を翻訳した際,腕にキスして抱き寄せるというロマンチックなアプローチに対して,女性が
Ваша… (ヴァーシャ)” =「yours(あなたに委ねます)」とささやいたシーンを,
死んでもいいわ」と訳しており,しばしばこの「月が綺麗ですね」への返答として
「死んでもいいわ」はセットで使われることが多いそうなんです。

しかし,それでは急に生々しくなりますね。

また漱石の小説『三四郎』のなかで,

Pity’s akin to love.(憐憫は恋に類似する)

可哀想だた惚れたって事よ」と与次郎が俗っぽく訳したのを,広田先生は「下劣の極だ」と苦い顔をする,という有名なシーンがありました。

夏目漱石(1867-1916)は今年,没後100年ということで,朝日新聞では『吾輩は猫である』を再連載しています。

漱石は,小説の出だしを味のある名文で読者を引き込むのが上手です。落語の枕のつかみ,に似ていますね。

草枕
山路を登りながら,こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生れて,絵が出来る。

坊っちゃん
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。

吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

月の美しい季節になりました。
中秋の名月」という言葉がありますが,陰暦の7・8・9月を秋としましたから,真ん中の8月が中秋で,旧暦の8月15日を指します。現在に置き換えると,9月15日になります。

十五夜が満月で,月の出る時刻が,毎晩約50分づつ遅くなるので,月の出を待つ様子が名前になっています。

15日  十五夜,満月
16日  十六夜(いざよい)
17日  立待(たちまち)月
18日  居待(いまち)月
19日  寝待(ねまち)月,臥待(ふしまち)月
20日  更待(ふけまち)月

月がとっても青いから 遠回りして帰ろう」(清水みのる:詞,陸奥明:曲,菅原都々子:歌)という曲がありました。

月が鏡であったなら恋しあなたの面影を夜毎うつして見ようもの(題:忘れちゃいやヨ)」(最上洋:詞,細田義勝:曲,渡辺はま子:歌)というものありました。

短歌には,

月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (よみ人知らず)

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど 大江千里〈百人一首〉)

俳句にも名句があります。

名月や池をめぐりて夜もすがら 松尾芭蕉

名月をとってくれろと泣く子かな 小林一茶

今回の歌は月つながりで, この曲にしましょう。
月の砂漠加藤まさを:作詞 佐々木すぐる:作曲 『少女倶楽部』(1923) 小鳩くるみ:歌

月の砂漠を はるばると
旅のらくだが 行きました
金と銀との くら置いて
二つならんで 行きました

金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに
ひもで結んで ありました

先のくらには 王子さま
あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの 
白い上着を 着てました

ひろい砂漠を ひとすじに
二人はどこへ いくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだは とぼとぼと
砂丘を越えて 行きました
だまって越えて 行きました

この「砂漠」は何をイメージしていたのか,は長く論議されてきました。明らかに,本当の過酷な砂漠ではなく,日本のどこかの穏やかな「砂丘」だったと思われます。

夕方から夜の虫の音が騒がしいほどになってきました。
秋は夏と冬との間の大きな季節の変り目です。
夏から秋への季節も変化が思いのほか激しいので,気を付けてお過ごしください。
この季節は台風の季節でもありますので,気象予報には,できるだけ新しい情報を,スマホなどで確認して,安全な対応をしてください。

芝居の思い出

最近,また大衆演劇がけっこう流行ってきているようです。いっとき「下町の玉三郎」とか,モデルと結婚した「流し目王子」とかいう人気者がでてきて,盛り上げていました。

子供のころ,そんな大衆演劇をしばしば見に行っていました。
というのも,恐らく映画が全盛のころだったと思いますが,学校から見に行く,文部省推薦の映画は,おしなべて暗く,面白くありませんでした。

もう一つの理由は,ちかくに呉服座(くれはざ)という芝居小屋があったからでしょう。
これは歴史的建造物で,1874(明治7年)に戎座として建設され,1892(明治25年)に猪名川の河川敷に移設され,名前も呉服座と改められました。1971(昭和46年)には愛知県犬山市の明治村に移築されました。重要文化財に指定されています。

小屋には木戸番がいて,履物を預かってもらって,木札をもらい裸足で上がりました。
ただ昔の記憶と違っているのは,色目です。たしか緑色だったと鮮明に記憶しているのですが,現在の写真を見ると,べんがら色なんです。記憶が間違っているのか,塗り替えたのか,真実を知りたいものです。

旅回りの一座が定期的に巡回してくるので,当然,人気のある劇団や人気者がでてきます。「市川おもちゃ」という座長のいる劇団が人気があった,と記憶しています。ここでも,歌舞伎の名門「市川」,「片岡」や「中村」が,どういう経緯か,使われておりました。

大衆演劇の構成は,現代劇(人情劇)と時代劇(剣劇),中間に歌謡ショーが挟まっている三部構成が主流でした。

演目は,歌舞伎や新派・新劇の当り狂言をアレンジしたようなもので,新国劇の剣劇も,よくやられていました。

役者が真剣に演じるのをまじかに観るのは,芝居の上手い下手にかかわらず,感動を呼びます。
チャンバラで,切られた人たちがその場では倒れず,うめきながら舞台から袖にはけるのを,「人手が限られるからな」と納得して観ておりました。

そんな大衆演劇で,よく聞いた唄です。
名月赤城山矢島寵児・作詞 菊池博・作曲 東海林太郎・唄(1937)

この唄に唄われているのは,もちろん国定忠治(1810-51)のことで,本名は長岡ですが,国定は生地の上野国(上州,現・群馬県)国定村に由来します。天保の大飢饉(1833-36)に農民を救済した侠客として知られています。
講談などでは,悪代官を殺め,赤城の山にこもりますが,追手が迫るので,子分たちとも別れて,信州に逃れるが,逃亡生活でさまざまに苦労し,最後にとらわれる,という筋です。

講談,新国劇で有名になった台詞に

赤城の山も今宵限り,生まれ故郷の国定村や,縄張りを捨て国を捨て,可愛い乾分(こぶん )の手前(てめえ) たちとも,別れ別れになる首途(かどで)だ。

歌詞の中にも,「男心に男が惚れて」とか「意地の筋金,度胸の良さも」というのがありますが,人生でそんな人に出会いましたか?
そんな人に限って早死にするんですね。適切な活躍の場を与えられていたら,その男気でもって,もっと社会貢献もできただろうに,と惜しまれる存在が居ました。

もう少し長ずるにしたがって,町に唯一の小さな映画館で映画も観ました。
喜びも悲しみも幾年月」(1957,松竹)木下恵介・監督 高峰秀子・佐田啓二・出演,灯台守夫婦の物語です。挿入歌が有名になりました。

裸の大将」(1958,東宝)堀川弘通・監督 小林桂樹・主演,画家・山下清の放浪記です。
後にTVで,芦屋雁之助・主演で放映されました(1980-1997)。

さらに邦画ばかりでなく,洋画も隣の駅まで行って,3館あるうちの1館で観るようになりました。

ボーイハント(Where the Boys Are)」(1960,米)
吹雪ふきまく中西部の名門女子大学の4人組が,春休みに暖かいフロリダに旅行を計画,あわよくば素敵なBF(boyfriend)を得んと車で出かけるという話です。お金がないので,レストランでお湯だけ注文し,スキムミルクを溶かしてビスケットで済ます,というようなエピソードも入っていて,他愛のない青春コメディです。しかし,後半,仲間の一人がレイプされるという深刻な事態も起こります。主題歌を歌うコニー・フランシスも仲間の一人として出演していました。彼女は日本語でも歌っています。

日本語の題名「ボーイハント」には,違和感がありました。もちろん,これは和製英語で,男子を狩りする,という積極的な感じがするのですが,映画の内容は,素敵な彼氏に巡り合えたら,みたいな柔らかい期待感に満ちているので,適切な言葉とは思えません。

今年の夏はとりわけ厳しい酷暑でした。猛暑日熱帯夜がつづき,日ごろ余りエアコンを使わないようにしている私も,危険を察知して,エアコン三昧の日々でした。おかげで,余計に暑さに弱くなる,という実感でした。
しかし,もう季節は秋に向かっています。朝晩は涼しく,虫の音も聞こえています。
季節の変り目には,とくに注意が必要です。気温に合わせた着衣を心がけて,健やかにお過ごしください。

えとの話

干支(えと)とは,日本では,ね・うし・とら・う・たつ…などの十二支をいうことが多いのですが,正式には,十(じっかん)と十二を組合せた60を周期とする数詞で,暦を始めとして,時間,方位などに用いられます。

五行とは,木・火・土・金・水を,人間の生活に必要な五つの元素とし,そこに陽の兄(え)と,陰の弟(と)があります。

十干(じっかん)

      音読み   訓読み     意味
1 甲 こう  きのえ   木の兄
2 乙 おつ  きのと   木の弟
3 丙 へい  ひのえ   火の兄
4 丁 てい  ひのと   火の弟
5 戊 ぼ   つちのえ  土の兄
6 己 き   つちのと  土の弟
7 庚 こう  かのえ   金の兄
8 辛 しん  かのと   金の弟
9 壬 じん  みずのえ  水の兄
10 癸 き    みずのと  水の弟

十二支(じゅうにし)

      音読み   訓読み   時刻   方位
1 子 し    ね(ずみ)   0時  北
2 丑 ちゅう  うし      2時
3 虎 いん   とら      4時
4 卯 ぼう   う(さぎ)   6時  東
5 辰 しん   たつ      8時
6 巳 し    み〈へび〉  10時
7 午 ご    うま     12時     南
8 未 び    ひつじ    14時
9 申 しん   さる     16時
10 酉 ゆう   とり      18時     西
11 戌 じゅつ  いぬ      20時
12 亥 がい   い(のしし)  22時

たとえば,
壬申(じんしん)の乱とは,壬申(みずのえ・さる)の年,672年に起こった大友皇子(弘文天皇)に対する弟の大海人皇子(天武天皇)の反乱です。

大正13年(1924)甲子(きのえ・ね)の年,兵庫県西宮市に大きな野球場が建てられました。甲子園と名付けられました。

時間は2時間を1刻として,たとえば丑三つとは丑の刻を4分割した3番目なので,2時半ころの深夜になります。

また,方位は南東なら辰巳(たつ・み)になりの字も当てられます。
北西なら戌亥(いぬ・い)になり,の字も当てられます。

とろこで,年齢を表す語はいろいろあり,その一つは孔子(BC551-479)が論語の為政篇で言っています。

吾十有五にして学に志す。
三十にして立つ。「而立(じりつ)」
四十にして惑はず。「不惑
五十にして天命を知る。「知命
六十にして耳順ふ。「耳順
七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず。

また,日本には長寿を祝う習慣があり,本来は数え年ですが,現在では満年齢で祝うことが多くなっています。

還暦 61歳(満60歳) 干支が60年で一周し,元へ戻ることから。祝色は
古希 70歳  杜甫の詩「曲江」の一節「人生七十古来稀なり」。祝色は
喜寿 77歳  「喜」の草書体が七を重ねた形に見える。祝色は
傘寿 80歳  「傘」の略字が九十の形。祝色は(金茶)
米寿 88歳  「米」を分解すると,八十八。祝色は(金茶)
卒寿 90歳  「卒」の略字が九十。祝色は白
白寿 99歳  百から一を引くと「白」になる。祝色は白
紀寿 100歳  100年が一世紀とうことから。祝色は白
茶寿 108歳  草冠は「十十」と八十八を加えて108
皇寿 111歳  皇は白と王にわけ,白は99,王は十と二で合わせて111
大還暦 120歳 還暦を二周
天寿 250歳

最後の方になると在り得ない年齢となるので,名称だけ存在します。

ちなみに,2016.7.28,厚生労働省の発表によると,日本人の女性の平均寿命は87.05歳,男性は80.79歳で,70歳は現代ではもはや稀ではなく,米寿や傘寿が日本人の平均になっています。

最近,有名人の訃報が続きました。

2016.7.7,永六輔(1933)さん死去,放送作家・作詞家・タレント,晩年はパーキンソン病と闘いながら,ラジオ番組を続けました。若い頃の「上を向いて歩こう」(1961,中村八大・曲),「見上げてごらん夜の星を」(1963,いずみたく,曲)などの作詞で有名です。角刈り頭と長い顔が特徴でした。

今回は,1960年に初演されたミュージカル「見上げてごらん夜の星を」の劇中主題歌にしましょう。

2016.5.18,ザ・ピーナッツの妹・伊藤ユミ(1941,本名・月子)さん死去,エミさんは向かって右に立ち,メロディを歌ってていました,愛知県出身の双子デュオ,姉・エミ(本名・日出代)さんが沢田研二と結婚のため引退,活動期間1959-75,エミさんは2012.6.15に亡くなりました。

歌は,デビュー曲の「可愛い花」(Petite Fleur)にしましょう。
作詞:音羽たかし
作曲:シドニー・ペリエ(アメリカ人)
編曲:宮川泰

ザ・ピーナッツの活動期間は16年,まだ34歳でした。せめて50歳まで続けても,倍は活躍できました,惜しいことです。

暑い夏に突入しました。熱中症に注意しなければなりません。
最近エアコンのない家庭は減りましたが,問題は使い方です。
寝ている間中,高温(28℃くらい?)に設定にして夜通し点けている方が多いように思いますが,これは健康に良くないです。
起きたらのどがいがらっぽい,という人がいますが,これは風邪の初期症状です。

むしろ寝る前の数時間,低温(24℃くらい)に設定して,部屋を冷やして置き,寝る直前にエアコンを切るのが良いと思います。

最も良くないのは,暑くなったらかといって,夜中に点けるやり方です。汗をかいているときに冷やせば間違いなく夏風邪にかかります。

もう一つの注意点は,エアコンの設定温度と実際の室温にはかなり違いがあるということを,認識しておいてください。
エアコンと居住者との相対的位置関係,エアコンの経年劣化などによって違いがでてきます。

便利な器具のエアコンをうまく使いこなして,元気に秋をお迎えください。

言葉の力

言葉によって意思を伝える,ということはとても大事なことなんですが,実際,これがなかなか難しいのです。

発言者の表現力と,受け取り手の理解力に差異があって,十分に伝わらないことも多いんです。

これが教師や指導者の場合,発信者の言語表現能力が不足していると,思うように伝わらなくて,「言ってもわからない者には,力でわからせる」と,自分の能力不足を棚に上げて,腕力(暴力)を振るうことが,これまで多々ありました。
一見,その場が治まったように見えても,暴力を振るわれた被害者にとって,恨みが潜在して後々までも残ります。
このような単純な発想の人たちは明らかに指導者失格で,真剣に取り組んでいる誠実な指導者の足を引っ張っています。

言葉による発信力を最も必要とされる仕事の一つが,政治家でしょうか。

2016.5.27,オバマ米大統領は広島の平和記念公園で17分間にわたりスピーチを行いました。
ゆっくりとした明瞭な発音で,原稿もなしで,話しかけるような態度で,中学生でも分るような英語でした。
これが政治家のいわゆる「記憶に残る演説」か,と思いました。
大統領側近の副補佐官は,オバマ氏は演説直前まで推敲(すいこう)を重ねていたと証言しています。
彼の訪問の主たる目的は,追悼・慰霊よりも,歴史に「核時代放棄」を宣言することだったのです。

このスピーチに続いて,安倍首相も所感を述べましたが,ライターの差もあって,国際社会に訴える点で弱いと感じました。

ここで保阪氏(6.11「毎日新聞」保阪正康の記事から)は,オバマのスピーチに対抗しうる,原稿なしで被爆国の悲しみと怒りを国際社会に伝え,そして核廃絶を訴えうる指導者は誰だろうか,と考えました。

戦後,首相の座にあったのは33人でした。オバマ大統領に対抗して,詩人や哲学者・宗教家・政治家などあらゆる能力を駆使して即興で所感を述べられるのは,吉田茂,石橋湛山,大平正芳,細川護熙,福田赳夫,小泉純一郎などではなかろうか,と述べています。

現在,参議院選挙の真っただ中です。自公連立政権は2/3の議席を確保し憲法改正を現実化しよとしていますが,選挙演説では自公のどの候補者も争点として「憲法改正」を公言していません。

これは,まったく選挙民を誤魔化す不誠実なやり方ではないでしょうか。

自民党の憲法改正草案のなかでも「9条」とともに,多くの賢人たちから問題視されているのが,「緊急事態条項」です。
これは,大災害や有事の際に国に強力な権限を与えるもので,かつてヒトラーワイマール憲法を無力化して独裁化したやり方に匹敵する,使い方のよって非常に危険なことが起こり得る恐ろしい条項です。

ご存知のように,英国で国民投票によってEU離脱が決まりました。
驚いたことに,現在,英国でのネット検索ワードの1位2位が「EU離脱で何が変わるの?」「EUってなに?」なんだそうなんです。
投票した人たちは,そんなこともよく知らないで,熱く舞い上がって,よくわからないまま,乗せられて投票した,ということです。

今回から,18歳から選挙権が与えられるようになりました。
将来のことをよくよく考えて投票しましょう。

ところで,今,ア・カペラ(a cappella)が熱いですね。
本来はイタリア語で「礼拝堂風に」という意味で,ルネサンス時代の教会合唱の様式で,無伴奏の合唱の様式でした。

1960年代に,スウィングル・シンガーズという男女8名のグループが,クラシックの名曲を歌詞なしで声だけの無伴奏演奏で,一世を風靡しました。

ポピュラー音楽では,ジャズでルイ・アームストロングが歌詞を忘れて即興で「ダバディダ…」とやって,スキャット(scat)が生まれたといいますが,1980年代に,マイク使用を前提に,声でパーカッション効果を出したりして,演奏に厚みを加えて流行ってきました。

以前は,グリー(glee)というのは,無伴奏の男声合唱を指し,大学のサークルで「グリー・クラブ」と名のる男声合唱団が質の高い演奏をして全盛の時代もありましたが,どうも,現在は,「アカペラ」グループにその座を奪われているような状況です。

それで,今回紹介するのは,Little Glee Monstor(リトル・グリー・モンスター)という女子高校生の6人組(大阪3,北海道1,山梨1,静岡1)です。2013年結成の若いグループですが,日本の女性ボーカルもここまで来たか,の感慨があります。

若い力は音楽だけにとどまりません。

2016.6.10,世界最高峰の一つ,英ロイヤルバレエ団は,平野亮一(32),高田茜(26)さんの二人がそろって最高位のプリンシパル(principal)に昇格した,と発表しました。日本人では吉田都,熊川哲也さん以来となります。

ちなみに,世界三大バレエ団とは

フランス オペラ座バレエ
ロシア  ボリショイ・バレエ
イギリス ロイヤル・バレエ

バレエは,ルイ14世(1638-1715)の時代に完成したといわれ,バレエ用語は世界共通で,ロシアでもイギリスでも,フランス語です。自らも「太陽王」と名のり,舞台に立ちました。ベルサイユ宮殿もこの時代に建てられ,文芸で黄金時代を現出しましたが,経済は疲弊し,その影響で,2代後のルイ16世のときに,フランス革命(1789)が勃発します。

さらに,2016.5.18,世界で最も権威のあるバレエ・ダンス賞の一つ,ブノワ舞踊賞をオニール八菜(23)さんが受賞しました。
現在,彼女はオペラ座のプルミエ・ダンスーズ(第1舞踏家)で,最高位のエトワール(「星」の意)の一歩手前です。
八菜さんはニュージーランド人との混血ですが,古い言葉で言えば「和魂洋才」で,大和撫子の繊細で優雅な心を世界で表現してもらいたいものです。

現在,梅雨の季節です。これが明ければ暑い夏が待っています。この厳しい季節,熱中症に気を付けて,暑さをしのぎ,食事に気を付けて,元気に乗り切ってください。

うまず たゆまず

倦(う)むとは「飽きる,嫌になる,退屈する」という意味です。
弛(たゆ)むとは「ゆるむ,おこたる,油断する」という意味です。

ですから,倦まず弛まずとは,飽きることなく緩むことなくコツコツとやること,の意味で使います。

現代は「コスパ」とかいって,効率化ばかりがもてはやされて,地道にコツコツと努力を積み重ねることが,ともすればなおざりにされているような気がします。
ここでコスパとはコスト・パフォーマンスcost performance)の略で「投入する費用に対する成果の割合」のことです。

トーマス・エジソン(1847-1931)は「あなたは発明の天才ですね」と言われて,「私を天才というのなら,天才genius)とは1%の霊感inspiration)と99%の発汗persupirarion)です」と答えた,という伝説めいた話があります。

実際,エジソンは試験体をたくさん用意して,片っ端から実験して,良いものを選び出す,といういわゆる試行錯誤trail and error)を繰り返して,より良いものを選択した,と言われています。

よく知られている白熱電球の発明は,実はジョセフ・スワンという人でしたが,エジソンは京都の竹をフィラメントに使って改良し,電灯の事業化に成功しました。

ノーベル賞級の研究でも,1つの結果が出るには99回の失敗程度では済まない,たくさんの時間と努力を継続した,愚直ともいえる繰り返しの試行が必ずあるのです。

例えば「錬金術」のように成功しなかった研究も,その試行の過程で,硫酸・硝酸・塩酸などの化学薬品の多くが発見され,実験用具も発明され,その成果は現代の化学に引き継がれています。
ここで錬金術とは,化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬する試みのことです。

女子フィギュア・スケートの宮原知子(1998-)さんのようにコーチからも「努力の天才」と呼ばれているような選手はきっと大成するはずです。みんなで応援してあげましょう。

なにごとによらず,倦まず弛まず努力を継続することで,きっと素晴らしい結果が生まれるものです。

よしんば,具体的な成果につながらなかったとしても,努力を継続したという逞しい経験が,その後の人生で宝物になるはずです。

ところで,先日オペラに行ってきました。
出し物はプッチーニの『蝶々夫人』。
歌手もオーケストラも日本人の公演でしたので,安心してみることができました。というのも,スタッフに振付・所作指導という人もいましたから,着物の着付けや所作に違和感が少なかったようです。

しかし,イタリア人のプッチーニは日本を訪れたことはなく,在ミラノ日本総領事夫人から日本の音楽の資料を得て作曲したので,耳馴染の旋律が何カ所も聞くことができますが,しょせん西欧目線の日本観で,違和感は隠せません。
想像の国・日本の明治時代の長崎を舞台に,アメリカの海軍士官・ピンカートンと没落藩士の娘・蝶々さんが出会い,夫婦となり,,そして悲劇的な最後になります。

じつは,オペラには3大失敗と呼ばれるものがあり,

1.ヴェルディの『椿姫』初演1853年
2.ビゼーの『カルメン』初演1875年
3.プッチーニの『蝶々夫人』初演1904年

現代では有名な3作品の初演がことごとく不評でした。

椿姫は,イタリア人のヴェルディが作曲,フランスのパリを舞台に,高級娼婦・ヴィオレッタと青年貴族・アルフレードとの恋の悲劇です。

カルメンは,フランス人のビゼーが作曲,スペインのセビリアを舞台に,自由奔放なジプシー女・カルメン,衛兵伍長・ドン・ホセ,闘牛士・エスカミーリヨの織りなす恋の悲劇です。

ここで,日本を舞台にしているからといって,日本オペラと言わないように,作曲者の国籍や書かれている言語によって,イタリア・オペラやフランス・オペラと呼ばれます。

今回は,『蝶々夫人』の第2幕で,ピンカートンを待ちながら,再会を想像しながら蝶々さんが歌う,余りにも有名な『ある晴れた日に』を聴きましょう。マリア・カラスが歌っています。

ある晴れた日
海の彼方にひとすじの煙が上がるのが見えるでしょう。
やがて船が姿を見せます。
その真っ白い船は港に入り 礼砲を轟かせます。
見える? あの人がいらしたわ!
でも私は迎えには行かないわ。行かないの。
あそこの丘の端に立って待つわ 長い時間。
長い時間待ってもなんともないわ。
すると・・・人々の群れから離れ
小さな点のように見えるひとりの人が
丘に向かって来るわ。

誰でしょう 誰かしら。
どんなふうにして着いたのかしら。
なんと言うでしょう。なんて言うかしら。
遠くから 「蝶々さん」 と呼ぶでしょう。
でも私は返事をしないで 隠れているわ。
それはちょっとはいたずらでもあるし
久しぶりに会うので喜びに死んでしまわないためでもあるのよ。
それであの人は少しばかり心を傷めて呼ぶでしょう。呼ぶわ。
「かわいい妻よ 美女桜の香りよ」
これはあの人が来た時私につけてくれた名前なの。
(スズキに)
すっかりこのとおりになるのよ 約束するわ。
あなたは心配していればいいわ。
私はかたく信じて あの人を待ってます。

やはり,恋愛は誠心誠意,真面目に対応しなければ,こんな悲劇を生むことにもなりかねません。

時は春,桜のシーズンとなりました。
しかし「月に叢雲(むらくも)花に風」のたとえにもあるように,好事にはとかく障害の多いもので,「花冷え」という言葉もあり,夜桜見物ではかなり冷えることもありますので,注意して,この良きシーズンをお楽しみください。

身過ぎ世過ぎ

作家の曽野綾子(1931-)氏が,
産経新聞(1月24日付)のコラム記事で,90代の病人がドクターヘリに救助を要請した話を持ち出し,「利己的とも思える行為」と批判し,「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ,という教育を,日本では改めてすべき」と主張しました。さらに,ドクターヘリなどの高度な医療サービスについても「法的に利用者の年齢制限を設けたらいい」と踏み込んで発言しました。

この人,これまでも,「アパルトヘイト容認」などの顰蹙(ひんしゅく)を買うような自説を展開し,たびたび批判の的となって来ました。

本人も84歳という年齢なので,自分の生き方として,そのように覚悟しているというのなら,なんの問題もありませんが,他人にまで押し付けるのは,まったくの不遜極まりない行為で,役に立たなくなった者に費用を使うな,という「姥捨て山」に近い発想で,とても嫌な感じがしました。

また,川崎市の有料老人ホームで,1人の容疑者によって3人の入居者が転落死させられていた事件がありました。この施設,この殺人事件以外にも虐待や窃盗が常習化していたという,なんとも恐ろしい所なのです。

一般論として,介護施設における介護士の仕事が,業務の大変さに比べて,報酬が低すぎる問題がありました。
日本のように高齢社会まっただ中の世で,高齢者の面倒を見るという大切な仕事に,人が集まらないという現象が常態化しているのは残念なことです。

老人を配偶者の老人が介護する,いわゆる「老老介護」や,高齢者を高齢の子供が介護する場合,面倒を見切れずに行き詰って被介護者を殺して介護者も自殺を図る,というような何ともやり切れない事件が後を絶ちません。

これは明らかに政治の貧困で, 早急に,何とかしなければいけない問題です。

世の中,誠にせち辛く,生きにくくなってきました。

身過ぎ」とは,生活をして行くこと,なりわい,生計。
世過ぎ」とは,世渡りをして行くこと,くちすぎ,生活。

身過ぎ世過ぎの是非もなく」,わずかばかりの生活費のために働かなくてはならない人たちもたくさんいるのです。

是非に及ばず」とは,本能寺で明智光秀勢に囲まれて,織田信長が最後に言ったとされている言葉です。
死が迫っていて,良いとか悪いとか言ってる場合じゃない,ですものね。

堀口大學処女詩集月光とピエロ』(1919)でフランスの詩人・アポリネールの死を悼み,その一節を清水脩は『秋のピエロ』として作曲,第1回全日本合唱コンクール(1948)の課題曲となりました。翌年,男声合唱組曲月光とピエロ』として発表され,男声合唱曲の原点となっています。

秋のピエロ』堀口大学・作詞 清水脩・作曲(1948)

泣き笑いして 我がピエロ
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり
O(オー)の形の口をして
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり

月のようなる おしろいの
顔が涙を ながすなり
身過ぎ世過ぎの ぜひもなく
おどけたれども 我がピエロ

秋はしみじみ 身にしみて
真実 涙を 流すなり

 堀口大学(1892-1981)東京市本郷区に生まれ,新潟県長岡町で育つ,慶應義塾大学中退,詩人・歌人・フランス文学者。代表作は,『月光とピエロ』,『パンの笛』(歌集),『月下の一群』(訳詩集)など。

清水脩(1911-1986)大阪市天王寺区出身,大阪外国語学校(大阪外国語大学の前身,現大阪大学外国語学部)フランス語科卒,東京音楽学校(現東京藝術大学)選科に入学,橋本國彦に作曲を学ぶ,日本の作曲家,日本合唱連盟の設立,元カワイ楽譜社長。代表作は,オペラ『修善寺物語』,男声合唱組曲『月光とピエロ』など多数。

もちろん,イタリア・オペラにも似た題材があります。
それは,レオンカヴァッロ道化師』(原題:I Pagliacci,イ・パリアッチ)(1892)です。
判事だった父が裁判を担当した実在の事件をヒントに作曲したといわれています。

あらすじは,祭日に待ち焦がれた旅回りの一座がやってきます。
座長のトニオの若い妻ネッダは,村の青年シルヴィオと相思相愛の仲になっており,それを知ったトニオは道化師役の舞台で,芝居と現実との見境が分らなくなって,ネッダを刺殺し,情夫シルヴィオも殺し,「芝居は終った」とつぶやいて、幕となります。

最後にトニオが『衣装をつけろ』を切々と歌います。

芝居をするか!逆上しているこの最中に
俺は何を言っているのか
何をしているのか自分でもわからない!
それでもやらにゃあいかんのか 我慢してやるんだ!
ああ、それでもお前は人間か?
お前は道化師なんだ!

衣装をつけろ
白粉をぬれ。
お客様はここに金を払って笑いに来るんだ。
もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても
笑うんだ道化師よ それでお客様は拍手喝采さ!
苦悩と涙をおどけに変えて
苦しみと嗚咽を作り笑いに変えてしまうんだ。

ああ! 笑うんだ道化師よ
お前の愛の終焉に!
笑え お前の心に毒を注ぎ込むその苦悩を!

 どちらも,胸のなかを秋風が吹き抜けるような,切ない内容で,この初春の季節にはふさわしくなかったかもしれませんが,現在の世の中を冷静に眺めていると,悲観的にならざるを得ません。

せめていろいろな問題点を忘れないようにして,少しでもよい方に向かうように地道に生きて行くしかありません。

この季節,三寒四温を持ち出すまでもなく,今年の気温変動は誠に激しく,少しでも気候にふさわしくない衣装を選択すると,ひどい目にあいます。直前の天気予報を注意深く聴いて,健やかにお過ごしください。

やまとなでしことは

やまとなでしこ(大和撫子)とは,日本女性の美称で,やまと(大和)は日本のこと,なでしこ(撫子)は愛撫する子,という意味です。

今や「女性の時代」と言われて久しいですが,本当にそうなんでしょうか?

2015.11.19,世界経済フォーラム(WEF)は,各国の男女格差(ジェンダーギャップ)の最新の報告書を発表し,世界145ヵ国中,日本は101位で,主要7カ国(G7:仏・米・英・独・日・伊・加)の中でダントツの最下位でした。
このランキングは,「政治への参加」「職場への進出」「教育」「健康度合い」の4分野の計14項目を使って,男女平等の度合いを指数化し,総合順位を決めました。
ちなみに,1位から4位は,アイスランド,ノルウェー,フィンランド,スウェーデンの北欧諸国が独占しました。

一般の皆さんが思っている以上に,日本の女性は,世界的に見て,かなり不平等な扱いを受けている,ということです。

ところで,いまNHKの連続ドラマが面白いです。

一つは高視聴率の朝ドラ「あさがきた」で,もう一つは不人気と言われる大河の「花燃ゆ」です。
どちらも,幕末から明治・大正にかけて,ほとんど同時期に生きた実在の女性が主人公です。当時の男女差別は,現代からは想像もつかないほど大変なものでしたが,両人とも,豪商と下級武士の家に生まれた違いはあるものの,壮絶なる差別社会の中で,逞しく自分の人生を生きた「やまとなでしこ」です。

あさ」のモデルは,広岡浅子(1949-1919)で,明治を代表する女性実業家で,教育者・社会運動家でもありました。
ペンネームを「九転十起生(きゅうてんじっきせい)」と称しました。
京の小石川三井家の四女として生まれますが,「女に教育は不要」という慣習で,学問に強い興味を持ちながら,読書を禁じられます。
16歳で,大坂の加島屋に嫁ぎ,簿記や算術を独学で学びます。
1884,筑豊の潤野炭鉱を買収して開発に着手。
1988,加島銀行を設立。
1901,日本女子大学校の設立。
1902,大同生命の創業に参画。
1904,夫の死去を機に,事業を女婿に譲り,社会貢献事業に専念しました。
1914から死の前年1918まで,毎夏,御殿場の別荘で,若い女性を集めた合宿勉強会を主宰し,参加者には若き日の市川房江村岡花子らがいました。

美和」のモデルは,楫取美和子(かとり,1943-1921)で,旧姓名は杉 文(すぎ ふみ),杉家の四女として誕生, 文(ふみ)という名は,叔父であり松下村塾の創立者・玉木文之進から1字とって付けられました。
吉田松陰(寅次郎,1830-59)の妹です。
久坂玄瑞(1840-64)とわずか14歳で結婚しますが,禁門の変で自刃したため,結婚期間はたったの7年でした。
1865,藩主世子毛利定広の正室・安子の女中,その長男・興丸の守役を勤め,このころから美和の名を使い始める。
1876,楫取素彦(小田村伊之助,1829-1912)が群馬県令になり,妻・寿(ひさ,次姉)が病気のため,同行する。
1881,素彦の妻・寿が死去。
1883,素彦と40歳で再婚,正式に美和子と改める。
1892,夫・素彦と共に防府町に華浦幼稚園を設立。
晩年は山口県防府町で過ごしました。

その後も,女性解放運動の歴史があります。

1871,津田梅子(1864-1929)ら五人が米国へ留学。
1874,東京女子師範学校が設立。

1886,矢島楫子(かじこ,1833-1925)により,東京婦人矯風会が設立され,一夫一婦制の要求,廃娼運動,婦人参政権の要求などが行われました。
ここに矯風とは,「悪い風俗を直すこと」です。

福田英子(旧姓:景山,1865-1927)は社会運動家で,婦人運動のさきがけとして知られ,「東洋のジャンヌ・ダルク」と称されました。

平塚らいてう(奥村明[はる],1886-1971)は,1911に雑誌「青鞜」発刊を祝い寄稿し,『元始,女性は太陽であった』という表題が,女性の権利獲得運動を象徴する言葉の一つとして,永く人々の記憶に残ることになります。

市川房江(1893-1981)は婦人運動家,政治家(参議院議員)。

奥むめを(1895-1997)は婦人運動家,政治家(参議院議員),「主婦連合会(主婦連)」を結成,消費者運動の先頭に立って活動しました。

いろいろな人たちが女性の地位向上のために命がけの活動を続けてきたというのに,現在のさまはどうでしょう。

たとえば,
大阪のABC-TVで,やまと「ナゼ?しこ」(火,23:17)という番組,副題が「男と女のギャップ発見バラエティ」となっていて,雨上がり,ケンコバ,やすとも,友近という豪華メンバーにも拘らず,昔ながらの通り一遍な「ステレオタイプ」なテーマでガッカリします。
ここに「ステレオタイプ(stereotype)」とは,「判で押したように多くの人々に浸透している先入観,思い込み,認識,固定観念,偏見,差別などの類型・紋切り型の観念」です。

同じお笑い番組でも,同局同時間帯・木曜の「ビーバップ」のような知的で面白い番組を推奨します。

世界に目を向ければ,ドイツのアンゲラ・メルケル(1954-)首相のような女性もいるのです。
彼女はハンブルクに生まれましたが,生後間もなく,父が牧師ということで,東ドイツに赴任します。理論物理学を専攻し,博士(物理学)を取得するという特別のリケジョでした。1989年のベルリンの壁崩壊後,科学アカデミーを辞め,政治家に転身しました。
東ドイツ出身の理科系の女子ということで,幾つもの障壁があるはずを,見事乗り越えて,首相にまで上り詰めました。現在の西側とイスラム国との対立でも,独自の立場を築いて,対処しようとしています。(アッパレ!)

今回は元気の出るこの曲にしましょうか。
長編アニメ『鉄腕アトム』の主題歌です。

鉄腕アトム』谷川俊太郎・作詞 髙井 達雄・作曲(1963)

空を超えて ラララ 星の彼方
ゆくぞ アトム ジェットの限り
心やさし ラララ 科学の子
十万馬力だ 鉄腕アトム

耳をすませ ラララ 目をみはれ
そうだ アトム 油断をするな
心正しい ラララ 科学の子
七つの威力さ 鉄腕アトム

街角に ラララ 海のそこに
今日も アトム 人間まもって
心はずむ ラララ 科学の子
みんなの友だち 鉄腕アトム

谷川俊太郎(1931-)哲学者・谷川徹三を父として東京に生まれ育つ,詩人・翻訳家・絵本作家・脚本家。代表作は「二十億光年の孤独(1952)」「マザー・グースのうた(1975)」「世間知ラズ(1993)」。

高井達雄(1933-)神戸市出身の作曲家・音楽家,国立音楽大学で菅原洋一高津善行らと作曲を学ぶ。アニメ・TVドラマなどの主題歌を手掛ける。代表作は「アテンションプリーズ(1970)」「タイムトラベラー(1972)」

とても残念なニュースがありました。
2015.11.13,フランスのパリとサン=ドニ同時多発テロが発生して,少なくとも130人の人が亡くなりました。

すぐさま,フランス軍はアメリカ軍と連携してシリアのラッカにあるイスラム国(IS)の施設を空爆しました。

このような繰り返しで,テロは撲滅できないし,報復に加担した国は,また次のテロの対象となります。
平和の国日本も,うかつにイスラム国(IS)に敵対するような発言は,控えたほうが安全です。

それにつけても,
このテロで妻を亡くしたフランス人ジャーナリスト,アントワーヌ・レスリさんの発したメッセージをじっくり読んでいただきたいのです。生後17か月の息子を残して命を奪われた妻と数日ぶりに対面したレスりさんはISに対して,

君たちに憎しみの贈り物を上げない。君たちはそれを望んだのだろうが,怒りで憎しみに応えるのは,君たちと同じ無知に屈することになる。君たちは,私が恐れ,周囲に疑いの目を向けるのを望んでいるのだろう。安全のために自由を犠牲にすることを望んでいるのだろう。それなら,君たちの負けだ。私はこれまでと変わらない。

このような勇気あるメッセージこそが,我々の方向性を示すように思われます。

今年の秋は暖かく,紅葉も進まず,初冠雪も遅れました。しかし,そのせいで野菜は豊作で値段が下がったし,多くの人にとって,寒いより暖かいほうが,過ごしやすいと思います。
けれども,これからは暖冬でも,冬は必ずやってきますから,その準備,心の準備だけは怠らないようにお願いします。

常識と教養と

クイズ番組が流行っているようですが,けっこう楽しんで見ています。自分の常識が試されているようで,一緒に参加しているような気がして,面白いのです。
しかし,いっけん理知的にみえる出演者が簡単な問題に答えられなかったり,常識的な易しいと思われる問題に正解して,待機席の人たちが「すごい!」と感嘆する様子をみると,とても違和感があります。

ここで,常識(common sense)とは,「普通,一般人が持ち,また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む」と定義されていますが,もちろん明確な基準がなく,簡単に常識・非常識の区別が,つけられません。
おそらく,その人の所属しているグループによって,常識のレベルが大きく違っていると考えられます。

しかし反対に,常識人と言われると,平均的で,特徴のない人を指すようで,あまり良い印象がありません。

でも,常識のない人と言われないように,日々,自分の常識を高めるべく,努力をして学習しておく必要があるのです。

似たような言葉に「教養」があります。
英語ではculture(文化)education(教育)の両方で表現します。その意味は「単なる学殖・多識とは異なり,一定の文化理想を体得し,それによって個人が身に着けた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」と 説明されていますが,ますます分りにくいですね。
まあ,文化と教育に裏付けされた素養で,人格にも影響を与えるもの,とでも理解しておけばよいのではありませんか。

私のころは,大学には3・4回生の専門課程に入る前に,1・2回生のときに教養課程があり,自然科学・人文科学・社会科学・語学などの専門に関係のない教養を学ぶ機会がありました。
教養課程の学習をおろそかにして,専門課程に進級できなかったり,卒業の妨げになったりして,「教養がじゃまして」などという出来のよくないダジャレを言う人もいました。

教養を高めるには,単に知識を詰め込むだけではダメで,よく思考して,人間を磨くことが求められます。
人生において本当の教養は,けっして邪魔するようなものではありません。

たとえば,
森喜朗(早稲田外学卒,37-)東京オリンピック組織委員会委員長は首相のとき,IT(アイティ,Information Technology,情報技術)のことを it(イット,指示代名詞)と発音して,常識のないことを内外に示しました。

麻生太郎(学習院大学卒,40-)副総理は首相のとき,未曽有(みぞう)を「みぞうゆう」と発言して,あまりの常識のなさに顰蹙(ひんしゅく)をかいました。

もっとひどいのが安倍晋三(成蹊大学卒,54-)首相です。
彼の尊敬する祖父・岸信介元首相は,A級戦犯として巣鴨プリズンに囚われているとき,獄中で「和書,訳書,英書などを手当たり次第に読破し,小説,評論,思想・哲学書,宗教書,歴史・戦略論,詩集,歌集等々万般にわたる」を読み切ったそうです。
その孫である現首相はポツダム宣言(45,日本軍の無条件降伏を求めた13か条から成る宣言)さえもまともに読んでいないことを明言しました。

それどころか,
2月19日の衆議院予算委員会で,民主党の玉木雄一郎議員の質問中に,首相は『日教組!日教組!』と数回ヤジを飛ばしました。ところが,玉木議員は官僚出身で,むしろ自民党右派に近く,日教組とはもっとも遠い位置にいるのです。
そんな基本的な知識もなしに,『日教組!』という一言だけで非難しようとするのは,戦時中の『非国民!』にも似た発想で,恐ろしいことです。

また,
5月28日の衆議院安全法制特別委員会で,民主党の辻本清美議員が「戦争とは何か」という根本を語ったら,首相は『早く質問しろよ』とヤジを飛ばしました。

そもそもヤジるという行為は「第三者が当事者の言動を,大声で非難し,からかい,妨害する」ものなのです。
安倍首相は一番の当事者です。それを自分自身でヤジるとは,最も下品な行為で,教養の欠片もありません。

こんな安倍首相が,対抗馬もなく無投票で自民党総裁に再選されようとしています。

私たちはこのような常識教養もない人たちにいつまでも日本の政治を任せておいてよいのでしょうか。
まったく惨憺(さんたん)たる気持ちになります。

ところで,今年の夏は酷暑で,猛暑日(最高気温が35℃を超える日)や熱帯夜(最低気温が25℃を超える夜)が続きましたが,残暑のぶりかえしもなく,すんなりと秋に向かっています。
いっときセミの声で暑さを増幅させていましたが,いまや夜には虫の声で涼しさを耳からも体感させられています。

今回は季節がら,伝統的なこの曲にしましょうか。

赤とんぼ」 三木露風・詞 山田耕筰・曲(1927)

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負(お)われれて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
子籠(こかご)に摘んだは まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

三木露風(89-64)兵庫県龍野町(現たつの市)出身,詩人・童謡作家・歌人・随筆家。
北原白秋(85-42)と並び,「白露時代」と呼ばれました。

山田耕筰(86-65)東京府本郷出身,作曲家・指揮者。
代表曲は,「からたちの花」,「この道」いずれも北原白秋・詞など。

これからは季節のかわりめ,日々の気温の変動も大きいので,天気予報にも注意して,温度変化に応じた着衣を考えて,すこやかにお過ごしください。