日本人スポーツ選手

テニスの錦織圭(にしこり・けい,24)が
スペインのマドリード・オープンでベスト4(4強)に残り,界ランキング10位以内を確定させました。
ほかの外国人選手と比べて,きわだって小柄に見える錦織選手の活躍は,快挙と言っていいでしょう。

現在の年間のランキングポイント制になってからの日本人選手では
1995年・伊達公子(25)4位
2004年・杉山愛(28)8位
があります。

しかし
もっともっと以前に世界で活躍した日本人選手がいたのをご存知ですか?
それは佐藤次郎(1908.1.5-1934.4.5)選手です。
グランドスラム大会(4大大会,全豪・全仏・全英・全米)に3回ベスト4に残っています。
1933年には世界3位にランキング(ただし,現在のようなポイント制ではなく,評論家ウォリス・マイヤーズが選定)されました。
しかし
この当時の日本では,個人戦よりも団体戦のデビスカップの方が優先される時代でした。
責任感の人一倍強かった佐藤は,逆にそのプレッシャーの過大さゆえにデ杯では好成績を残せず,まわりから非難されました。

そしてついに
1934年4月5日,ヨーロッパ遠征からの帰途,マレーシアのマラッカ海峡にて「箱根丸」から投身自殺をしたのでした。

この悲劇の系図は
1964年・東京オリンピッに引き継がれるのです。
マラソンの円谷幸吉自衛隊員,1940.5.13-1968.1.9)は堂々の3位・銅メダルを獲得しました。
しかし,ゴールの国立競技場に2位で入って来たのに,イギリスのヒートリーに直前で抜かれたのが,かなり悔しかったようです。
当然のこと,つぎにメキシコでは「金メダル」を,と期待されました。
ですが,ついに
「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して,自殺しました。

ところで
1936年・ベルリンオリンピックの200m平泳ぎで,前畑秀子(1914.5.20-1995.2.24)がドイツ選手とデッドヒートする際に,NHKアナウンサー河西三省がラジオ中継で
前畑がんばれ!」を絶叫して連呼したのが話題になりました。

ナチス独裁下のベルリンで,前畑選手は見事金メダルに輝きました。
めでたし,めでたし。
でも
最近の放送は,実況ではなくて既に応援放送になってしまっていますから,むしろ元テニス選手の「熱い男」が登場したりすると,逆にこちらが興ざめで「冷えて」しまって放送を変えたりしてしまいます。

いっぽう
1948年・ロンドンオリンピックには敗戦国の日本は出場できませんでした。
オリンピック水泳の決勝と日本選手権を同日に開き,古橋広之進(1928.9.16-2009.8.2)は400mと1500m自由形で,金メダリストの記録と当時の世界記録のどちらをも上回りました。
しかし
つぎの1952年・ヘルシンキオリンピックに出場しますが,選手としてのピークを過ぎていたことと,アメーバ赤痢に罹患して発病しており,本番の400m自由形では8位に終わりました。
そのとき
NHKの飯田次男アナウンサーは
「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。古橋に有難うを言ってあげて下さい」
と日本に向けて放送したのでした。

さいきん
明治天皇の玄孫(孫の孫,やしゃご)とかいう人が,オリンピック選手に対して
「メダルをかむ行為はするな」
「国歌が流れる際には聴くのではなくて歌え,直立不動で」
「思い出になったとか,楽しかったとかはありえない」
のような発言をしていますが,前述のような過去の歴史を踏まえて仰っているのでしょうか。
天皇家につながるような人が,一般国民の自由な行動にイチャモンを付けるのは,それこそふさわしくない行為だと思います。

私としては
河西さんの熱い応援よりも飯田さんの思いやりのある表現の方に好感がもてます。

現在も日本選手が世界で大活躍しています。
米・大リーグで
レンジャーズのダルビッシュ有(27)は2度目の9回2死までノーヒットでした。
ヤンキースの田中将大(25)は開幕から無傷の5連勝です。
田中の試合時の修正能力はすばらしく見事で,実際の脳の働きは若妻ともども不明ですが,野球脳が優れていることだけは疑いもないようです。

スポーツは楽しむものです。
阿波踊りの文句に「踊るアホウに 見るアホウ 同じアホなら 踊らにゃなソンソン」とあるように
スポーツも見るより,やる方が数倍楽しいです。
この新緑の季節はスポーツにも最適です。
紫外線に気を付けて大いに楽しみましょう。

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