青春とは

むかし,「青春とはなんだ」というTVの学園ドラマ(65-66)がありました。
夏木陽介の主演,石原慎太郎の原作,主題歌・挿入歌は岩谷時子・詞,いずみたく・曲,布施明・歌で,ラグビーを通じて心の交流や人間教育を実現してゆくという,よくあるパターンのドラマでした。これは,その後「これが青春だ」「でっかい太陽」「燃えろ!太陽」とシリーズ化してゆきます。

このような場合,ラグビーという競技はまことに都合がよく,泥んこになって乱闘するという,極めて分りやすいシーンが展開できますから。

ラグビーの精神として

One for all,  All for one
(一人は皆のために,皆は一人のために)

がよく言われていますが,それは日本だけのことで,
もともとはアレキサンドル・デュマ(大デュマ)の『三銃士』(1844)のなかで三銃士が剣をあわせて誓う言葉として登場しました。(原典 un pour tous, tous pour un“)

ところで,四季と方位には四神と色が割り当てられており,

春  東  青竜  青
夏  南  朱雀  朱(赤)
秋  西  白虎  白
冬  北  玄武  玄(黒)

つまり,青春朱夏白秋玄冬というわけです。

さて,日本の三大青春文学,純愛小説というべき作品は

伊藤佐千夫野菊の墓』(1906)
15歳の少年・斎藤政夫と2歳年上の従姉・民子との淡い恋を描きます。夏目漱石より「自然で,淡泊で,可哀想で,美しくて,野趣があって(中略)あんな小説ならば何百編よんでもよろしい」との評価を受けます。
民さんは野菊のような人だ。僕は野菊が大好き」という政夫のセリフは絶妙です。

川端康成伊豆の踊子』(1926)
19歳の川端が伊豆に旅した時の実体験を元にしている短編です。孤独や憂鬱な気分から逃れるために伊豆へ一人旅に出た青年が,旅芸人一座と道連れとなり,踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。孤児根性に歪んでいた青年の自我の悩みや感傷が,素朴で清純無垢な踊子の心によって解きほぐされていく過程と,彼女との悲しい別れまでが描かれています。

三島由紀夫潮騒』(1954)
伊勢湾に浮かぶ歌島(神島)を舞台に,若く純朴な漁夫・久保新治と海女・初江が,いくつもの障害や困難を乗り越え,恋愛が成就するまでを描いた物語。
雨の降る休漁日に初江と待ち合わせの約束をした新治は,先に到着し,初江を待っていたが,焚き火に暖められるうちに眠ってしまう。ふと目が覚めて気が付くと,初江が肌着を脱いで乾かしているのが見えた。裸を見られた初江は,新治にも裸になるように言う。裸になった新治に,さらに「その火を飛び越して来い。その火を飛び越してきたら」と言った。火を飛び越した新治と初江は裸のまま抱き合うが,初江の「今はいかん。私,あんたの嫁さんになることに決めたもの」という誓いと,新治の道徳に対する敬虔さから二人は衝動を抑えた。
よく登場するシーンですが,今はこういう風にはいきません。

いま読み返しても,甘酸っぱい青春時代の思い出がよみがえるようです。
これらは,それぞれの時代のアイドルたちによって何度も映画化されています。

4月1日は入学式の日です。
今回の歌はこの楽しい曲にしましょうか。

一ねんせいになったらまどみちお・作詞 山本直純・作曲

一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで たべたいな
ふじさんのうえで おにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで かけたいな
にっぽんじゅうを ひとまわり
どっしん どっしん どっしんと

一ねんせいに なったら
一ねんせいに なったら
 ともだち ひゃくにん できるかな
ひゃくにんで わらいたい
せかいじゅうを ふるわせて
わっはは わっはは わっはっは

まどさんについては,下記に詳しく述べています。
2014年5月29日付「まどさんを偲ぶ」
をクリックしてみてください。

どうです,春にふさわしい,とても楽しい歌でしょう。
やはり入学式は桜のしたで,春にかぎります。

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