ワーグナーの世界

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner,1813-1883)について,今更ながら考えてみます。
音楽の専門家には,原音に近い,ヴァーグナーとかたくなに表記する人がいますが,ここでは一般的なワーグナーと表します。

ワーグナーの音楽は,壮大で,きらびやかで,それまでの歌劇を総合芸術としてまとめあげ,「楽劇」と称されています。

また,自分の作品を上演するために,バイロイト祝祭劇場を建設(1876)しました。
祝祭劇場の運営は,その後,子孫たちが引継いでいますが,身内の内部対立も激しく,私物化,商業主義との批判もあり,出演を拒む演奏家も少なくありません。

ワグネリアンと称する,ワーグナーの音楽に心酔する人々がいる一方,拒絶する人々もたくさんいるのです。
それは,ワーグナー自身が,自信家で独善的で排他的で,反ユダヤ思想の持ち主で,ユダヤ系のメンデルスゾーン(09-49)の音楽を非難し,生存中から賛否を二分していました。

リスト(11-86,ピアニスト・作曲家)の娘コジマ(37-30)は夫ハンス・フォン・ビューロー(30-94)がいる身でワグナーの子を産み,ビューローは激しく対立するブラームス(33-97)派に加わります。
ちなみに,ビューローは初めての専門指揮者で,それまでは作曲者がみずから指揮をしました。

じつは,私が初めて生のオペラを見たのは,1970年,ベルリン・ドイツオペラ日本公演,ロリン・マゼール(30-14)指揮『ローエングリン』(1848)でした。
とくに印象に残ったのは,第3幕前のきらびやかな前奏曲に引き続いて演奏される『婚礼の合唱』でした。自分のときはこれでやるぞ,と思ったものでした。

ところで,結婚式につきものの音楽は,メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』(1842)のなかの『結婚行進曲』が,ワーグナーの「婚礼の合唱」と二分しており,『行進曲』はより華やかで,『合唱』はむしろ荘重な感じがします。
披露宴の入場はメンデルスゾーンで,退場はワーグナーで,というのが定番のようで,150年を経て,並んで使われています。

ワーグナーの作品の中でもっとも長大なものは『ニーベルングの指輪』(48-74)4部作で,完成に26年間もかかり,通称,指輪(リング)と呼ばれています。

  • 序夜『ラインの黄金』 (Das Rheingold )     2時間40分
  • 第1夜『ワルキューレ』 (Die Walküre )      3時間50分
  • 第2夜『ジークフリート』 (Siegfried )     4時間
  • 第3夜『神々のたそがれ』 (Götterdämmerung ) 4時間30分
    上演時間合計                 15時間

ヒロインのブリュンヒルデは全神ヴォータンの長女でワルキューレ(女戦士,英雄をワルハラ城に導く役)ですが,英雄ジークフリートと結ばれます。
なんと,あのアニメ『崖の上のポニョ』のポニョの本名がブリュンヒルデになっています。

私は『ラインの黄金』だけは生で見たことがあります(すべて日本人の公演)。

ワーグナーの不幸は,反ユダヤで一致したヒトラー(89-45)が熱狂的なワグネリアンだったことです。
大衆を洗脳するために,ワーグナーの高揚させる音楽を集団催眠に利用しました。
たとえば,ナチスの党大会で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲が演奏されたりしました。

第二次世界大戦の末期,ユダヤ人の少女がバイオリンが弾けるということで,アウシュヴィッツ行きを免れました。
最近,その音楽家がワグネリアンのユダヤ人と対談をしました。彼女はとてもワーグナーの音楽を受け入れることはできないと断言しました。

今でも,イスラエルではワーグナーの音楽を演奏することはタブー(厳しく禁止される行為)とされています。
100年後には,このトラウマ(強烈で心に大きな痛手を与えるような体験,それが長期の不安状態を引起す原因となる心的外傷)から脱却できるのでしょうか。

日本にも,ワーグナーを信奉する人たちがいます。
慶應義塾大学ではワグネル・ソサィエティーという名の団体が,オーケストラ,男声合唱団,女声合唱団の3つあります。

その慶応ワグネル・ソサィエティー男声合唱団出身のカルテット(四重唱団)がダークダックスです。1951年に結成。
メンバーは全員が経済学部の出で,

高見澤宏(33-11)トップ・テナー,愛称パク,11年に死去 佐々木通正(32-)セカンド・テナー,愛称マンガ
喜早 哲(30-)バリトン,愛称ゲタ,リーダー
遠山 一(30-)ベース(バス)本名:金井哲夫(現在は改名し金井政幸),愛称ゾウ,東京藝大中退

ロシア民謡,山の歌,唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとしており,さらに清水脩・作曲『山に祈る』男声合唱組曲などの初演も行っており,多くの音楽シーンでの先駆者的な活動をしてきました。
1997年に佐々木が倒れ,3人のアヒルとして活動,2011年に高見澤が死去後はほとんど活動休止状態。

同時代に,デューク・エイセス,ボニージャックスの男声カルテットがいました。

デューク・エイセスは1955年結成,当初はジャズ・黒人霊歌に特化し,永六輔・詞  いずみたく・曲「にほんのうた」シリーズもレパートリーです。メンバーを入替えて継続し,トップ・テナーはなんと5人目です。ユニゾン(斉唱)と重厚なハーモニーが特長でしたが,これだけメンバーが入替ると同じ響きを保つのは難しいです。

ボニージャックスは早稲田大学グリークラブ出身で1958年結成,レパートリーは多彩です。ロシア民謡「一週間」や合唱曲「遥かな友に」,童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などは,ボニーが歌ったことから広く知られるようになりました。

今回はダークダックスで有名になったこの曲にしましょうか。

ロシア民謡『ともしび』楽団カチューシャ・訳詞

夜霧の彼方へ 別れを告げ
雄々しきますらお いででゆく
窓辺にまたたく ともしびに
つきせぬ乙女の 愛のかげ

戦いに結ぶ 誓いの友
されど忘れ得ぬ 心のまち
思い出の姿 今も胸に
いとしの乙女よ 祖国の灯よ

やさしき乙女の 清き思い
海山はるかに へだつとも
二つの心に 赤くもゆる
こがねの灯 とわに消えず

変らぬ誓いを 胸にひめて
祖国の灯のため 闘わん
若きますらおの 赤くもゆる
こがねの灯 とわに消えず

ロシア語の歌詞を見ましたが,「海山はるかに」とかの言葉は出てきません。だいたいロシアには海はほとんど存在しませんので,「山河」になっているのもありますが,かなり意訳になっていると思います。

かつて大学の男声合唱団(グリークラブ)出身の男声カルテットが活躍しましたが,声には活動寿命があり,現在では残念ながら衰退気味です。

かれらの音楽は,米国のミルス・ブラザーズゴールデン・ゲイト・カルテットに代表されるジャズボーカルグループを原点としていますが,一方,19世紀後半の米国では,男が床屋(barber)に集まって無伴奏のカルテットを楽しむのが流行し「バーバーショップ・ハーモニー」と呼ばれる独自のスタイルを築いて,現在も素人(別に仕事を持っている人たち)グループでも質の高い演奏を保っていて,ときどき日本でも公演を行っています。

いまの日本では,アカペラ(無伴奏の合唱)グループが流行ってきており,人数も演奏方法も多彩で,ハーモニーを楽しむ感があって,良いのではありませんか。

今春は,花の季節,気候が不順で,雨が多く,気温変動も大きいく,冬物・春物の衣装選択も日替わりで,気象情報にはくれぐれも注意してお過ごしください。

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