先生というもの

夜の盛り場で,道行く人たちに客引きが呼びかけるときに,

「社長!」か「先生!」

と言っとけば,客は嫌な顔をしない,ということを聞いたことがあります。

私が初めて「先生」と呼ばれたのは,大学に入って,家庭教師として生徒のお宅へ出向いたときでした。
なんとなく,偉くなったような気がしたのは,まさに若気の至りとでも申しましょうか。

先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし

と川柳にもあるように,先生と呼ばれていい気になっていても呼んだ方は特別に尊敬しているわけでもないし,乗せられて得意になるものではない,というような意味です。

先生」と呼ばれる人には,真に尊敬に値する先生と呼ばれるにふさわしい人と,とりあえず先生と呼んでいるだけ(本人は呼ばれて嬉しがっているが)の人,の2種類があります。

後者は代議士,弁護士,小説家など,そして最近増えてきた各種の指導者たちです。

いずれにしても,日本人,とくに女性は簡単に「先生」を連発する傾向にあります。

弟子を見るとその先生が素晴らしかったかどうかが分ります。

まずは,江戸末期の緒方洪庵(1810-1863)は大坂に適々斎塾(適塾)を開き,もともと蘭学塾でしたが,

福澤諭吉(1835-1901)慶応義塾の創設,学問のすゝめ・著

大村益次郎(村田蔵六,1824-1869)長州の医師,兵学者

などの維新で活躍する多くの人材を育てました。

明治政府のいわゆる「お雇い外国人」として W. S. クラーク(26-86)は札幌農学校の教頭として1877年に赴任,1年足らずの滞在でしたが,帰国後も影響力は生き残り,

新島襄(43-90)米アマースト大学で受講,同志社の創設

内村鑑三(61-30)農学校2期生,クラークと入違い,宗教家

新渡戸稲造(62-33)内村と同級生,教育家,5千円札の肖像

その後の日本に大きな影響を与える人材を輩出しました。

” Boys, be anbitious like this old man. “

という言葉を残したことでも有名ですが,「この老人(自分)のように,あなたたち若い人も野心的であれ」というような意味です。

明治期にたくさんの外国人が教師として雇われましたが,彼らはほとんどみんな良い印象をもって帰ったと言われています。
それは日本人の若者たちはみな礼儀正しく,勉強熱心で,教師を尊敬し,日本の発展に役に立ちたいという志を持っていましたから,必然的に教師たちも熱心にならざるを得なかったし,「今は遅れているが将来発展するのは間違いない」,日本を馬鹿にはできない,特別に優秀な民族である,と感じて帰ったといわれています。
日本が他の後進国のように植民地にならなかったのは,これら外国人の帰国後の発言が影響したとも言われています。

われわれ現代の日本人も140年前の大先輩たちに負けないように誇りをもって毅然として外国人と付き合って行きたいものです。

じつは,
私もある開発途上国へ国際協力の一環として,ある大学に専門教育するために赴任したことがあるのです。
クラークさんは1年足らずでしたが,私は2年間でしたから,少しは役に立てるのでは,と内心期待して赴きました。
しかし,着任早々,完膚なきまでにその思いは裏切られました。
学生たちに全くと言ってよいほど,学習意欲というものがないのです。
ある大学院生に,「私のような日本人に指導を受ける機会は今後もそうないと思うので,もう少しちゃんと出席して学習すればどうですか」と言ってみたのですが,
なんと,その学生は「私には妻や子がいるので,働かなくてはいけない。卒業証書は金で買う」と言ってのけたのです。

その国は独立後15年,独裁政権が続き,カネとコネが優先する社会で,勉強しても良い就職先はないし,教師すら学生からカネを取って単位を与えたり,成績を上げたりするので,若者たちに前向きな意欲というものが生まれないのでした。

また,言い訳に,「まだ独立して15年しか経ちませんから」というセリフをよく耳にしましたが,日本では,黒船が来航して15年で明治維新,敗戦後15年で所得倍増計画が出されました。(実質国民所得は7年で倍増が達成されました)

残念ながら,そういう国では20年,30年たっても発展するのは難しい,と感じました。

さて,
ちょっと意外な先生たちの話をしましょうか。
自分たちのことを「先生」「先生」と呼び合うのです。若くてまだ未熟に見える人に対しても「先生」と呼びかけます。

それは,「社交ダンス」教室の「先生」たちです。
英語では社交ダンスを Social Dance とは言わず,Ballroom Dance と言います。Ballroom(ボールルーム)とは舞踏室のことを指します。

欧米では社交ダンスは教養の一つとなっていて,学校で習うそうです。

ノーベル賞授賞式の晩餐会では,ディナー後の大舞踏会で自由に踊ることができます。確か,江崎玲於奈(1925-)さんは転んで骨折したはずです。

また,テニスのウインブルドン大会後のパーティでは,男女シングルスのチャンピオン同士でペアを組んで踊ることが恒例になっていました。(現在はやらなくなったようです)

ところが,日本では,鹿鳴館時代に外交政策上の必要性から導入されましたが,本格的に一般の人が踊り出すのは第2次世界大戦後に進駐軍向けにダンスホールがたくさん開かれるようになってからです。
しかし問題は,風俗営業法でダンスを規制してきたことです。
最近1998年,改正されましたが,指定された教師がいる場合にのみ法律が適法外になるというおかしなものになっています。

オーストリアのウィーンでは大舞踏会が1月から3月にかけて幾つも開催され,みんな正装して,それこそ夜を徹して踊りあかします。
もっとも有名なのはウィーン国立歌劇場で行なわれる大舞踏会(オーパンバル,Opernball)ですが,デビュタント(debutant,初舞台の人)として,17~24歳の男女150組300人がオーディションで選出され,一生に一度しか出られない特別の舞踏会です。

それで,「先生」の話に戻りますが,日本の「社交ダンス」教室の教師たちは,風営法で規制されるダンスを,もっと世界基準の高尚な芸術の一つという認識に変えてもらうために,自ら「先生」と呼び合って意識を高めているのではないか,と思っています。

日本のこの時期は卒業式のシーズンです。
かずある卒業式で歌われる歌のうち,もっとも伝統的で,感動的なのがこの曲です。
歌詞が難しいので歌われなくなってきたそうですが,名曲です。

仰げば尊し』作詞・作曲者不詳(1884)小学唱歌集(三)

仰げば 尊し 我が師の恩
教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
今こそ 別れめ いざさらば

互(たがい)に睦(むつみ)し 日ごろの恩
別(わか)るる後(のち)にも やよ 忘るな
身を立て 名をあげ やよ 励めよ
今こそ 別れめ いざさらば

朝夕 馴(な)れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪(しらゆき)
忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
今こそ 別れめ いざさらば

ここに,「今こそ別れめ」の「め」は,意志・決意を表す古語の助動詞「む」の已然形(いぜんけい),つまり「こそ」と呼応した係り結びで,「今まさに別れよう」というような意味で,決して「別れ目」ではないことに注意してください。

また,ながらく作者不詳となっていましたが,最近2011年,アメリカの楽曲に ” Song for the Close of School ” があり,それが原曲であることが示されました。しかし,歌詞は訳詞ではないので,「仰げば尊し」に至る経緯の詳細はわかりません。

現代では次の曲が卒業シーズンの歌として人気が高いそうです。

卒業写真荒井(松任谷)由実・作詞作曲(1975)

かなしいことがあると 開く革の表紙
卒業写真のあの人は やさしい目をしている
町で見かけたとき 何も言えなかった
卒業写真の面影が そのままだったから
人ごみに流されて 変わって行く私を
あなたはときどき 遠くで叱って

話しかけるように ゆれる柳の下を
通った道さえ今はもう 電車から見えるだけ
あの頃の生き方を あなたは忘れないで
あなたは私の 青春そのもの
人ごみに流されて 変わって行く私を
あなたはときどき 遠くで叱って
あなたは私の 青春そのもの

歌詞にでてくる「あの人」とは誰でしょうか?
昔の彼氏ですか?
いえいえ学校の先生です,しかも女性の美術の高校の先生です。
芸大(東京藝術大学)美術学部を目指して勉強していたユーミン(由美)を厳しく指導したのがこの先生でした。今年がダメでも来年頑張ればいいよ,と言って励ましてくれました。
この美術学部は倍率30~40倍の超難関校で,専門の予備校があり,ある経験者によると,1クラス40名で,ここで断トツで1番にならないと合格できない,と知って愕然とした,と言っていました。
結果は不合格で,親の勧めもあって,浪人はせずに多摩美術大学に入りました。その後,作曲,音楽の道に進みました。

そういう経緯を知って歌詞を見直すと,随所に腑に落ちる箇所があります。

この曲は1975年リリースのアルバム「COBALT HOUR」に収録されており,ハイ・ファイ・セットのデビュー・シングルとしても同時期の1975年に発売されています。

赤い鳥(69-74)が解散してハイ・ファイ・セット紙ふうせん(後藤・平山)になり,ハイ・ファイ・セット(74-94)が解散して,山本(新居)潤子の持ち歌になっています。

3月に卒業して,桜咲く4月に入学するという日本の伝統的な年度行事を,欧米風に9月開講に変更しようという動きがありますが,やはり従来式の方が季節感が馴染んでいて断然よいと思います。

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