忘れてはならないこと

そのむかし,
菊田一夫・作『君の名は』(1952-1954)というラジオドラマがあり,その冒頭で,

忘却とは忘れ去ることなり
忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ

という名セリフが来宮良子(きのみや・りょうこ,1931-2013)さんのナレーションで流れました。
劇中のBGMは古関祐而(1909-1989)さんがハモンドオルガンで毎回即興で演奏していました。

菊田一夫(1908-1973)さんは横浜の生まれ,他人の手で転々と育てられ,小僧の傍ら夜学に学び,サトウ・ハチロー等に師事し,苦労して後に東宝の専務にまで上りつめました。
代表作は,歌謡曲『イヨマンテの夜』(1949),舞台『がめつい奴』(1959),舞台『放浪記』(1961)など多数。

しかし,世の中には決して忘れてはならないことがあるのです。

8月15日太平洋戦争で,昭和天皇による玉音放送によってポツダム宣言受諾を国民へ表明し,戦闘行為を停止した日で,終戦記念日と呼ばれています。

ポツダム宣言とは,1945年7月26日に,アメリカ合衆国・トルーマン大統領,イギリス・チャーチル首相,中華民国・蒋介石主席の名において大日本帝国(日本)に対して発せられた,「全日本軍の無条件降伏」等を求めた全13か条からなる宣言。

この時期に改めてキッチリと過去の歴史を正しく認識しておく必要があります。

なにしろ, その直前の1945年8月6日には広島に,8月9日には長崎原子爆弾が投下され,多くの人命が失われました。

作家の司馬遼太郎(1923-1996)さんは,

なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう?
いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?
昔の日本人はもっとましだったにちがいない。
22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた。

と述懐しています。

第二次世界大戦は大きく欧州戦線太平洋戦線に分けられます。
太平洋戦争というのは後者のことで,日本と米・英・中国・豪州との戦争のことです。

一般に,太平洋戦争の開戦は,1941年12月8日に日本の真珠湾攻撃によって米・英に戦線布告をした日,と思われていますが,1937年7月7日に始まった日中戦争(支那事変)からとする見方もあります。

当初は優勢に戦っていた日本ですが,
1942年6月5日-7日ミッドウェー海戦で大敗北し,戦力が大幅に低下し,回復しないまま,戦況が劣勢になっていきます。
このころから大本営が戦況を隠蔽するようになっていきます。

1943年4月18日,連合艦隊司令長官の山本五十六海軍大将の搭乗機が暗号解読により撃墜されます。
これは決定的事件ですが,これも公表を遅らせました。

1943年10月21日,東京・明治神宮外苑にて出陣学徒壮行式開催(学徒出陣のはじまり)
将来を担うべき学生まで戦場に駆り出さねばならないというは,その国の将来はない,という末期的な状況です。

1944年10月25日神風特別攻撃隊,レイテで初出撃。
訓練した飛行士を突撃で死なせるよう攻撃は,もはや作戦とはいえません!

1945年2月18日-3月22日硫黄島の戦い。
小説や映画になった栗林忠道陸軍中将の守備隊は玉砕します。

1945年3月10日,東京大空襲
1945年3月12日,名古屋大空襲
1945年3月14日,大阪大空襲
1945年3月16日,神戸大空襲
1945年3月25日,名古屋大空襲
1945年4月1日-6月23日沖縄戦

この間,日本中の多くの都市が空襲を受けます。

1945年8月6日広島に原爆投下。

1945年8月8日ソ連が日ソ中立条約(1941年4月締結)を一方的に破棄し,対日宣戦布告する。
すでに死に体(しにたい,力士の体勢が崩れて立直りが不可能になった状態)状態の国に宣戦布告するというのは卑怯なやり方です。

1945年8月9日長崎に原爆投下。

1945年8月15日玉音放送により戦争終結。

この戦争における日本人の戦死者は

軍人  210万
民間人 100万人
合計  310万人

せめて,もう半年前に戦争の終結を決断しておれば,沖縄戦も,広島・長崎の原爆も,内地の多くの空襲もなくて,民間人の戦死者を激減させることができたのに,と強く思います。
なにしろ,1939年開戦前の日本の人口7,140万人に過ぎなかったのです。

しかし,もし中途半端に戦争を終結していたなら,軍隊組織は残り,戦後の朝鮮戦争をはじめとする種々の戦争に加担して,今の平和の国・日本はなかったでしょう。

いわば,壊滅的な敗戦により,310万人の方々の尊い命と引換えに平和の国を獲得した,ということが言えるのかもしれません。

作詞家・作家のなかにし礼(1938-)さんが次のような詩を若者に向けて書きました。

平和の申し子たちへ! 泣きながら抵抗を始めよう

2014年7月1日火曜日
集団的自衛権が閣議決定された

この日 日本の誇るべき
たった一つの宝物
平和憲法は粉砕された

つまり君たち若者もまた
圧殺されたである

こんな憲法違反にたいして
最高裁は何の文句も言わない

かくして君たちの日本は
その長い歴史の中の
どんな時代よりも禍々(まがまが)しい
暗黒時代へともどっていく

そしてまたあの
醜悪と愚劣 残酷と恐怖の
戦争が始まるだろう

ああ,若き友たちよ!

巨大な歯車がひとたびぐらっと
回りはじめたら最後
君もその中に巻き込まれる
いやがおうでも巻き込まれる

しかし君に戦う理由などあるのか
国のため? 大義のため?
そんなもののために

君は銃で人を狙えるのか
君は銃剣で人を刺せるのか
君は人々の上に爆弾を落とせるのか

若き友たちよ!

君は戦場に行ってはならない
なぜなら君は戦争にむいてないからだ

世界史上類例のない
六十九年間も平和がつづいた
理想の国に生まれたんだもの

平和しか知らないんだ
平和の申し子なんだ
平和こそが君の故郷であり
生活であり存在理由なんだ

平和ぼけ? なんとでも言わしておけ
戦争なんか真っ平ごめんだ
人殺しどころか喧嘩(けんか)もしたくない

たとえ国家といえども
俺の人生にかまわないでくれ
俺は臆病なんだ
俺は弱虫なんだ

卑怯者(ひきょうもの)? そうかもしれない
しかし俺は平和が好きなんだ
それのどこが悪い?

弱くあることも
勇気のいることなんだぜ
そう言って胸をはれば
なにか清々(すがすが)しい風が吹くじゃないか

怖(おそ)れるものはなにもない
愛する平和の申し子たちよ

この世に生まれ出た時

君は命の歓喜の産声をあげた
君の命よりも大切なものはない

生き抜かなければならない
死んではならない
が 殺してもいけない

だから今こそ!
もっともか弱きものとして
産声をあげる赤児のように
泣きながら抵抗を始めよう

泣きながら抵抗をしつづけるのだ

泣くことを一生やめてはならない
平和のために!

分りやすい言葉で真理が語られています。
戦争に関心のない人たちにぜひ読んでもらいたい詩です。

長崎に原爆が投下されたとき,長崎医科大学永井隆博士は自らも被爆しながら被爆者たちの治療に当たりました。3日後,自宅に戻りましたが,台所跡で骨片状態の奥様の遺骸を発見され,埋葬されました。その後も病気に苦しみながら,救護活動をつづけ,6年後,奥様の下に旅立たれました。

その事実をもとに,『長崎の鐘がサトウハチロー・作詞,古関祐而・作曲,藤山一郎・歌(1949)で発表されました。

こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ
別れて一人 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き 我が涙
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

先日,懐かしのメロディーのTV番組で,若手の歌手がこの曲を歌いました。
音程も発声も不安定で,全く歌い込んでいません。
それどころか,歌の終了後,あろうことか,満面の笑みを浮かべたのです。
この曲は,鎮魂歌です!
それまで永井博士のお孫さんが登場して,事実の話があった後ですよ。
そんな歌は聴きたくない,そんな歌では何にも伝わらない。
こんなことなら,藤山一郎さんの録音をながして,長崎の風景でも写しておく方が,何倍も良かったです。

私たち日本人は,この悲惨な戦争のことを,いつまでも決して忘れてはならないのです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です