笑うかどには

笑う門(かど)には福来(きた)る」とは言い古された言葉ですが,じっさい,笑うことが健康に寄与することは実証されています。

がん細胞やウイルスなど,体に悪影響を及ぼす物質を退治しているのがナチュラル・キラー(NK)細胞です。その働きが活発だとがんや感染症にかかりにくくなると言われています。

笑うと,免疫のコントロール機能をつかさどっている間脳に興奮が伝わり,神経ペプチドが活発に生産され,NK細胞を活性化し,病気のもとを次々に攻撃するので,免疫力が高まるというわけです。

笑いによって免疫力が向上するだけでなく,脳の活性化血行促進自律神経のバランスが整い,筋力がアップし,幸福感をもたらし,モルヒネの数倍の鎮痛作用で痛みを軽減します。

このように万能の特効薬のような「笑い」を積極的に活用しない手はありません。

お笑いは,落語,漫才,そして喜劇(コメディ)に分類されるのでしょうか。

しかし,最近のTVのお笑い番組はひどいですね。
ひな壇というのですか,出演者がズラーッと席を並べて,司会者が話を振って,それぞれが適当にしゃべる,というほとんど似かよった画一的な番組ばかりじゃないですか。
その場しのぎに小手先の機転をきかせてくすぐるだけなので,爆笑はありませんし,「すべる」と称する場違いな応対を「受けない」と嘲笑して終わる,というような低レベルの笑いを薄利多売しています。

こんな番組に重宝されるのは小器用な才気ばしったタレントで,アジのある芸人は登場しませんし,そこから面白い芸人は育ちません。
けっきょく,次々に芸人を使い捨てするだけなんでしょうね。

パンクブーブー」という2009年にM-1グランプリを取ったコンビは「しゃべってみて受けたネタだけをつなげていけばいいんですから,漫才は楽です」と言っていましたが,それこそがネタを練り上げて上質化していく方法なんです。
彼らは上記のようなトーク番組にはあまり出ません。

ブラックマヨネーズ」「チュートリアル」「フットボールアワー」「銀シャリ」など才能を期待された若手の漫才師たちも,本業を磨かずに,器用さだけを求められて,大きく成長できていません。
だいたい,いま彼らはまじめに漫才をやっているんですか。

そして具合の悪いことに,これらの中途半端な芸人でも,人気だけが先行して出てしまうことです。

昔は厳然として存在した,舞台役者・映画俳優・歌手そして芸人の間にあった仕切りが低くなってきました。
ハッキリ言うとお笑い芸人が非常にモテるらしいのです。
それが目的で,芸人になりたい若者たちが急増してきています。

かれら若手お笑い芸人(50歳以下)に望みたいことが二つあります。

一つは,外と内を区別してもらいたい,ということです。
「外」とは,舞台上であり客前ということで,「内」とは楽屋や交友関係の内ということです。

大した経験もない若手が,少し後輩というだけの相手に,偉そうに大きな口をきかれると,そんな話は楽屋でしてくれ,という気になります。
「弱い犬ほどよく吠える」といいますが,相当の経験者でも,楽屋での優劣関係を,客前で見せられるほど,興ざめのものはありません。

もう一つは,「ツッコミ」と称して相手の頭を叩くことです。
これだけは何としても止めてもらいたいです。

いつ頃からでしょうか,相方を叩くようになったのは。

私の記憶では,
捨丸・春代(23-71)の萬歳で,ボケた砂川捨丸(1890-1971)の頭を中村春代(1897-1975)がツッコミとしてハリセン(紙を蛇腹状に折った扇子のようなもの)で叩いて落とす,という古い形がありました。

チャンバラトリオ〈かしら〉南方英二,〈リーダー〉山根伸介,伊吹太郎<結成時メンバー>〕(1963-)は大きなハリセンで,顔面を直撃することを「落ち」にしていました。

漫才ブーム(1980-1982)のころ,
やすし・きよし(66-89)の漫才で,ボケた横山やすし(44-96)を西川きよし(1946-)が何度も激しく叩く,のが気になっていました。
普段はアウトローの乱暴者で知られるやすしが,舞台上では逆に常識人のきよしから叩かれるのに違和感がありました。

ダウンタウン(82-)では,浜田雅功(1963-)は相方の松本人志(1963-)のみならず,出演者まで叩いたり,タメ口でどなったりするのが習わしになっています。

そもそも,現在のような「しゃべくり漫才」を確立したのは,
エンタツ・アチャコ(30-34)ですが,
横山エンタツ(1896-1971)を吉本興業が引き抜く際,エンタツ側から,当時すでに他の人とコンビを組んで人気が出ていた花菱アチャコ(1897-1974)と組むことを求められてコンビが実現しましたが,実際の活動は戦前で,しかも期間は4年と短いです。
背広を着てネクタイを締めて,「きみ」と「ぼく」という丁寧な言葉づかいで,歴史に残る「早慶戦」などを生み出しました。

戦後,アチャコはラジオ番組「アチャコ青春手帖」「お父さんはお人好し」で人気をはくし,大らかな性格から,東西を問わず,後輩たちから慕われました。

いっぽう,エンタツは気難しいところもあって晩年は不遇でした。
1963年にNHKの生番組で久しぶりに共演し,たまたまその番組を見ていたのですが,お互いにこやかに穏やかな雰囲気で談笑していたのですが,じつは番組終了後,長年の確執や行き違いを超えて,手を取り合って,二人とも号泣して再会を喜んだ,といいます。

これが,本物のプロ同士の外と内の使い分けなのです。
現在なら,人前で涙を見せて同情をさそう,ようなことを平気でやるんではないですか。

その「しゃべくり漫才」を完成させたのが,
ダイマル・ラケット(41-82)の兄弟コンビです。
中田ダイマル(13-82)の絶妙なボケと中田ラケット(20-97)の落ち着いたツッコミで,常に爆笑をとり爆笑王と言われました。
コメディ出演も多く,TV番組「ダイラケのびっくり捕り物帖」(57-60)では,藤田まこと(1933-2010)のデビュー作となり,森光子(1920-2012)の出世作ともなりました。
つづく「スチャラカ社員」(61-67)では,社長役でミヤコ蝶々(1920-2000)も出演しています。

ダイラケとほぼ同時期に同じ兄弟コンビとして活躍したのが,
いとし・こいし(1937-2003)です。
子供時代からコンビを組み,戦後,漫才作家の秋田實(05-77)に師事し,夢路いとし(1925-2003)喜味こいし(1927-2011)として長年,上質な笑いを提供し続けました。

古いものを打ちこわし,新しいものを創成するのが芸術家の仕事ですが,大先輩にもタメ口で接するのが手っ取り早く親しくなるコツかもしれませんが,浜田クンよ,そろそろ,もう少しやり方を考えた方が良いのではありませんか。

落語と喜劇の話は別の機会にしましょうか。

さて,
ウォルトディズニー(Walt Disney,01-66)は長編アニメーションの第1作「白雪姫」(1937)で大当たりをとり,第2作として「ピノキオ」(1940)を創ります。
時計職人のゼペット爺さんは人形ピノキオを作りますが,「自分の子供だったら」と星に願いをかけます。


星に願いをWhen You Wish upon a Star(1940)
ネッド・ワシントン(Ned Washington)作詞
リー・ハーライン(Leigh Harline)作曲

When you wish upon a star
Makes no diff’rence who you are
Anything your heart desires
Will come to you

If your heart is in your dream
No request is too extreme
When you wish upon a star
As dreamers do

Fate is kind
She brings to those who love
The sweet fulfillment of
Their secret longing

Like a bolt out of the blue
Fate steps in and sees you thru 
When you wish upon a star
Your dream comes true

星に願いをかけるとき
誰であろうと違いはないのです
心からの願いなら
何でもかなえられるでしょう

心に夢があるのなら
大きすぎる願いなどないのです
星に願いをかけるとき
夢みる人がするように

運命の女神は情け深く
愛する心を持つ人には
やさしくかなえてくれるのです
その心に秘めた願いを

晴天の霹靂(へきれき)のように
運命の女神は立ち現われて 助けてくれるのです
星に願いをかけるとき
あなたの夢はかなうのです

わたしにもささやかで大きな願いがあります。
平和で,自由にものが言えて,安心して暮らせる世の中になってほしい,と心から思います。

選挙は国民に与えられた大きな権利です。
将来のことをよく考えて有効に行使しましょう。

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