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夏がくれば

梅雨が明ければ,本格的な夏です。
この季節を代表するような和歌は,持統天皇(万葉集)のものが有名ですね。

春過ぎて 夏来るらし 白たえへの
衣干したり 天の香具山

また,7月2日は72候(24節気を3分割したもの)一つ,半夏生(はんげしょう)です。

karasubishaku

これは半夏,つまり烏柄杓(カラスビシャク,さといも科の多年草)という薬草が生える頃です。

この季節の歌はなんといってもこの歌です。
夏の思い出江間章子・作詞 中田喜直・作曲 石井好子・歌(1949)

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬(おぜ) とおい空
霧のなかに うかびくる
やさしい影 野の小路(こみち)
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている 水のほとり
石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
はるかな尾瀬 遠い空

夏が来れば 思い出す
はるかな尾瀬 野の旅よ
花のなかに そよそよと
ゆれゆれる 浮き島よ
水芭蕉の花が 匂っている
夢見て匂っている 水のほとり
まなこつぶれば なつかしい
はるかな尾瀬 遠い空

江間章子(1913-2005)さんは新潟県に生まれ,岩手県八幡平市に移住,静岡県に転居,静岡高等女学校,駿河台女学院卒,作詞家,詩人。
代表作は,夏の思い出のほか,花の街團伊久磨・曲),花のまわりで大津三郎・曲)など。

江間さんの歌は,歌詞がみんな美しく上品で,どれも楽しめる曲ばかりです。

じつは,ミズバショウは尾瀬沼では5月末くらいに咲きます。

mizubasho

実際の夏に訪れて,ミズバショウが見られない,という事態が発生しています。
ですから夏の思い出としては少し季節感はずれていますね。
以前にも述べましたように歳時記など,文学的表現では夏の季語ではあります。
しかしこの歌のおかげで尾瀬沼は全国的に知れわたり,大人気の観光スポットとなって,地元の人たちは大喜びしています。

また,この歌は詞と曲の融合性がよくて,とても耳障りが良いのです。

バリトン歌手の畑中良輔(1922-2012)がリサイタルでこの歌を歌っていたときのこと,「しゃくなげ色に たそがれる」と歌うべきところを,先に「たそがれ」と出てしまったのです。
それで仕方なく「たそがれ色に しゃくなげる」と歌ってのけたのです。
それでも聴衆者たちはほとんど気が付かなかったといいます。

中田喜直(1923.8.1-2000.5.3)さんは東京の出身,東京音楽学校ピアノ科卒で,20世紀を代表する日本の作曲家です。
父は「早春賦」を作曲した中田章,兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次
代表曲は「夏の思い出」のほか
雪のふるまちを内村直也・詩 高英夫・歌(1951)
めだかの学校茶木滋・詩 安西愛子・歌(1951)
ちいさい秋みつけたサトウハチロー・詩 伴久美子・歌(1955)
心のまどに灯を横井弘・詩 ピーナッツ・歌(1959)
君よ八月に熱くなれ阿久悠・詩 高岡健二・歌(1977)
など多数。

とくに
夏の思い出」と「雪のふるまちを」は夏・冬を代表する曲となっています。

これは
名曲「朧月夜」「紅葉」(高野辰之・詩,岡野貞一・曲)の春・秋に匹敵する快挙といえます。

さわやかな歌でも聴いて,厳しい夏を乗り切りましょう。

日本のスポーツ考

サッカーの2014 FIFAワールドカップ(6.12-7.13)はあっけない結果でしたね。
予選敗退は致し方がないとしても,もう少し楽しめるような内容を期待していました。
日本とブラジル・サンパウロの時差は12時間(もちろん日本が進んでいます),放映時間が早朝にもかかわらず高視聴率でした。

テニスのウィンブルドン選手権(全英オープンテニス)も同時期(6.23-7.6)に開催されています。
こちらは錦織圭(24)が孤軍奮闘,2回戦も快勝,らくらく3回戦に進みました。
日本とイギリスの時差は9時間,いまはサマータイムなので8時間です。
サマータイムの実施期間は国によって異なっており,ヨーロッパでは,3月最終日曜日1時から10月最終日曜日1時まで,7か月の期間です。
センターコート,No.1 コートは 1:00pmから,その他のコートは11:30amスタートです。
男・女シングルスの決勝のみ,2:00pmスタートなので,ライヴで放映するには日本時間10:00pmスタートになります。

ゴルフは松山英樹(22)がメモリアル・トーナメント(オハイオ州ダブリン,5.29-6.1)で早々とPGAツアー初優勝を果たしました。

女子ゴルフでは10代のアマチュア選手の活躍が目覚ましいです。
3月 ヨコハマタイヤPRGR 3位 森田 遥(17)高松中央高
〃    アクサ          4位 柏原明日架(18)宮崎市
4月 KKT杯バンテリン   優勝 勝みなみ(15)鹿児島高
5月 サイバーエージェント   2位 森田 遥
〃            4位 堀 琴音(18)兵庫県G連盟
〃            6位 永井花奈(17)東京日出高
女子ゴルフの将来は明るい,と楽観的に見る人と,ゴルフはプロ・アマの差が少ないスポーツなんだ,と思う人があります。

そして野球は大リーグ(MLB)で日本人投手の活躍が目立ちます。
N・ヤンキーズ  田中将大(25)11勝2敗 ERA 2.11
T・レンジャーズ   ダルビッシュ有(27)7勝4敗 ERA 2.62
B・レッドソックス    上原浩治(39)3勝1敗16S ERA 1.26
S・マリナーズ  岩隈久志(33)5勝4敗 ERA 3.48
N・ヤンキーズ  黒田博樹(39)5勝5敗 ERA 4.23
N・メッツ    松坂大輔(33)3勝2敗1S ERA 3.23
*   ERA(earned run average,防御率)

日本人投手が活躍できる理由として,フォームが整っていて美しいですね,だからコントロールがぶれないし,投球後すぐに守備体勢に入れます。

それにしても日本のプロ野球は面白くないですね。
球団の親会社のエゴが依然として通用しているという,醜悪な世界です。
自民党が地域活性化案として16球団へ増やすプランを提案しましたが,地域振興はそんなに簡単なことではないでしょう。
このままだと,発展するどころか,衰退してゆくのは目に見えています。

サッカーがJリーグを発足させるとき,プロ野球を反面教師としたのか,チーム名に親会社の名前を入れることを避け,地域名を冠し,地域との密着をはかって,成功させました。

大学野球も関心が薄いですね。
東京六大学(早稲田,慶応,明治,法政,東京,立教)や
関西学生野球(関学,関西,京都,近畿,同志社,立命館)は
入替え戦なしで自分たちだけの仲良しクループで活動しているので,切磋琢磨して向上する気配が見えなません。
とくに関西六大学は以前,入替え制をとっていたのに,東京のマネをして,旧態依然としたやり方に変えました。
東大や京大が何10連敗しても至極当然のことで,全く関心が起こりません。

高野連(日本高等学校野球連盟)も鼻息が荒いです。
夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)は朝日新聞と高野連が,春の選抜(選抜高等学校野球大会)は毎日新聞と高野連が主催し,必要以上に盛り上げています。
プロの投手でも中5日の休養を取って投げさせるのに,まだ身体が完成していない高校生に連日投げる無理を強いています。
これでは将来性のある選手を潰してしまいます。
本当に,夏の猛暑の時期に,全国から50チーム近くを一堂に集めて,短い期間に試合を消化させる必要性があるのか,再検討すべきです。
必要性があると思っているのは,高校野球人気に便乗して利益を上げようとしている人たちだけではないでしょうか。

日本の野球組織は一元化されていないため,サッカーに後れを取りました。

世界を見渡しても,野球はローカルなスポーツです。
熱心に取組んでいるのは,アメリカ,日本,メキシコ,韓国,キューバ,ドミニカ,ベネズエラ,プエルトリコぐらいでしょうか。
世界大会もWBC(World Baseball Classic)ぐらいですが,主催のMLB自体が真面目に取組んでいないので,今一盛上りません。

それに引きかえ,バスケットボールでは NBA コミッショナーのスターンは世界戦略として,バルセロナ五輪(1992)に,プロ選手の派遣を決め,引退していたマジック・ジョンソンラリー・バード,スーパースターのマイケル・ジョーダンらのいわゆる「ドリ-ム・チーム」を結成して,いちやくバスケットボール人気を世界的なものとしました。
おかげでNBAには世界中から選手が集まるようになって活性化しましたが,逆にオリンピックでアメリカが勝てない,という皮肉な結果ともなりました。

日本ではゴルフも国内で選手の養成ができていますが,私の通うスポーツクラブでもゴルフ教室が盛んで,2匹目,3匹目のドジョウをねらう親子連れでにぎわっています。

日本のテニスでは「森田正明テニス・ファンド」(2003)という森田氏の私財を投じた基金で,錦織圭らは,米ニック・ボロテリー・テニスアカデミー(フロリダ州,1972)に留学して実力を養成しました。
テニス人口の多い日本国内にそのような学校を作れないものか,と思うのであります。
テニス・スクールはたくさんありますが,学生アルバイトで賄っているようなところが大半で,本格的なスクールが日本にもほしいものです。

夏のスポーツの歌は何といってもこれで行きましょうか。
栄冠は君に輝く(全国高等学校野球大会の歌)』加賀大介・作詞 古関祐而・作曲(1948)

雲はわき光あふれて 天たかく純白のたまきょうぞ飛ぶ
若人よいざ まなじりは歓呼にこたえ
いさぎよし ほゝえむ希望
あゝ 栄冠は君に輝く

風をうち大地をけりて 悔ゆるなき白熱の力ぞ技ぞ
若人よいざ 一球に一打にかけて
青春の 賛歌をつゞれ
あゝ 栄冠は君に輝く

空をきるたまのいのちに かようもの美しくにおえる健康
若人よいざ みどり濃きしゅろの葉かざす
感激を まぶたにえがけ
あゝ 栄冠は君に輝く

加賀大介(1914-1973)石川県生まれの作詞家,朝日新聞の募集に当時の婚約者(後の妻)の名前で応募して1位になりました。
ご自分は16歳のとき,野球のケガがもとで右足を切断しました。

古関祐而(1909-1989)福島県出身の作曲家。
リムスキー・コルサコフの弟子の金須嘉之進に作曲を師事,山田耕筰の推挙で楽壇に進出,そのごクラシック畑からポピュラー畑に転身。
代表作は
鐘の鳴る丘」(菊田一夫,1947)
長崎の鐘」(サトウハチロー,1949)
君の名は」(菊田一夫,1953)
高原列車は行く」(丘灯至夫,1954)
「大阪タイガースの歌(六甲颪)」(佐藤惣之助,1936)
NHKラジオ「ひるのいこい」テーマ曲(1970)など多数。

音楽番組「オールスター家族対抗歌合戦」(1972-1984)でみせた古関さんの優しい面差しが忘れられません。

日本のスポーツ界もおおいに改善の余地があります。
スポーツ愛好家の一人として,良い方向に進んでもらいたいですね。

初夏の風景

初夏の風物詩として,いろいろあるなかで,最近見かけることが少なくなったのが蛍(ホタル)です。

少しむかし,清流の小川の草むらに,ホタルを見つけることはそれほど難しいことではありませんでした。

日本でホタルと言えば大型のゲンジボタルを指すことが多いです。
名前の由来は諸説ありますが,紫式部の源氏物語の主人公「光源氏」からとられたという説が優雅でいいですね。

小型のヘイケボタルというのもいますが,これは源氏の対比として平家と名付けられました。

(蛍の光,窓の雪)というのは,苦学することの代名詞として使われてきましたが,とくにホタルの光は,電気による光源と比べると,熱効率が良く,熱をあまり出さないので「冷光」と呼ばれてきました。

ホタルの歌はスバリ
井上赳・作詞 下総皖一・作曲(1932)

蛍のやどは 川ばた楊(やなぎ)
楊おぼろに 夕やみ寄せて
川の目高が 夢みる頃は
ほ ほ ほたるが灯をともす

川風そよぐ 楊もそよぐ
そよぐ楊に 蛍がゆれて
山の三日月 隠れる頃は
ほ ほ ほたるが飛んで出る

瓦のおもは 五月の闇夜
かなたこなたに 友よび集い
むれて蛍の 大まり小まり
ほ ほ 蛍が飛んで行く

蛍狩」という言葉もありましたが,蛍を見て歩いたり,捕まえたりすることで,そんなことはとてもできなくなりました。

自然保護の象徴のように,河川の浄化と,ホタルの保護と放流がされてきていますが,自然を回復させるには相当な時間がかかることでしょうね。

 

気になる音楽と音楽家

ある開発途上国に赴任していたとき,口に合うレストランもない中,比較的まし,と聞いたイタリアン・レストランに友人と二人で行ったときのことです。

そこでギターの調べが聞こえてきたのですが,明らかに聞き覚えのある曲でした。

それはインスピレーションジプシーキングス演奏)という曲で時代劇「鬼平犯科帳」のエンド・ロールで江戸の四季の美しい映像がうつされるバックに流れる音楽でした。

思わず演奏するギター・デュオに片言のロシア語で「それは日本の音楽だ!」と言うと,
「ミヤガワ,ミヤガワ」と言って,つぎの曲を弾きだしました。

それは
恋のバカンス』岩谷時子・作詞 宮川泰・作曲 ザ・ピーナッツ・歌(1963)

ため息の出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる 乙女ごころよ
金色に輝く 熱い砂の上で
裸で恋をしよう 人魚のように

陽にやけた ほほよせて
ささやいた 約束は
二人だけの 秘めごと
ためいきが 出ちゃう
ああ 恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめて あなたを見た
恋のバカンス

あとで聞いたところによると,ロシアでかなり流行った歌だそうで,ロシア語の歌詞もありましたが,「裸で恋をしよう」などという過激(?)な言葉はありません。

じつは宮川さん,このわずか4か月後の春分の日にお亡くなりになったのです。

宮川泰(ひろし,1931.3.18-2006.3.21)さんは,大阪府富田林市で育たれ,大阪学芸大学(現・大阪教育大学)音楽科を中退,そのご和製ポップスの開拓者として活躍,ザ・ピーナッツを育てられたことでも有名です。
代表作は「ウナ・セラ・ディ東京」「銀色の道」「宇宙戦艦ヤマド」など多数の作曲をしました。

クレージーキャッツにピアニストとして入団を誘われたりするほどのお笑い好きで,楽しく音楽する人でした。

岩谷時子(1916.3.18-2013.10.25)さんは,幼少から兵庫県西宮市で育たれ,神戸女学院大学部英文科を卒業後,宝塚歌劇団出版部に就職され,雑誌「歌劇」の編集長として活躍,8歳年下の
越路吹雪(1924.2.18-1980.11.7)と知合い,越路が退団するときに一緒に退職し,以後越路の無給のマネージャーとなります。
生活費を稼ぐため作詞家・訳詞家となり,越路のすべての歌と多くの作詞をしました。
代表作は「夜明けのうた」「君といつまでも」「恋の季節」「愛の賛歌」など多数の作詞・訳詞をしました。

生涯独身で,作詞から想像するような艶やかさはなく,むしろ質素な感じのする人で,97歳の長寿をまっとうされました。

ザ・ピーナッツ(活動期間59-75)は名古屋出身の双子女性デュオ,姉エミさんが沢田研二と結婚することで解散,エミさんは2012.6.15に亡くなっています。

当時からそして今も彼女らを上回るような世界的に活躍する女性デュオは出ていません。
ピンク・レディー(活動期間76-81)は,ピーナッツを目指したようですが,志し半ばで解散,挫折しました。
そのご何度も再結成しましたが,やはりうまくいきません。
歌い続けることも大切なんですね。

梅雨ニモマケズ

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテイル

これはご存知のように,宮澤賢治(1896.8.27-1933.9.21)の没後に発見された手帳(1931)に記されていたメモの一節です。

われわれも梅雨ぐらいに負けてはいられません。
この時期の花といえば,紫陽花(あじさい)ですね。

ajisai

雨に濡れている紫陽花は本当にみずみずしくてきれいですね。

紫陽花の花言葉は
移り気,高慢,辛抱強い愛情,元気な女性,無情,浮気,自慢家,変節
などイッパイありますが,あまり良い意味は少ないです。

こんないい歌があるんですが
あじさい武鹿悦子・作詞 大中恩・作曲

あじさい あじさいあめのよに
まいまいつぶろは きましたか

まいまいつぶろは チチンプイ
まほうがじょうずと ききました

それとも それとも けさのにじ
うっとり うっとり みましたか

あじさい あじさい いつのまに
しずくをはらって にじのいろ

「まいまいつぶろ」とは蝸牛(かたつむり)のことです。
きれいな歌なんですが,残念ながら,なかなか聴くことができません。

ぼやき漫才のように

「ぼやき」とは
「ぶつぶつと不平を言う」「ぐずぐす言う」「泣き言をいう」など,あまり良い印象の言葉ではありませんが,
野村克也(1935.6-)元監督のように,それを売り物にしている人もいます。

それどころか
ぼやき漫才で一世を風靡(?)したのが人生幸朗(1907-1982)ですが,おもに歌謡曲の歌詞の些細な矛盾にイチャモンをつけて
「何ぬかしとんねん,馬鹿にすなぁ!」
「どついたろか,馬鹿モノ!」
「責任者ででこい!」
などの定番のセリフで笑いをとっていました。
ぼやき漫才は彼の特許ではなくて師匠の都家文雄(1893-1971)を引き継いだものですが,師匠の芸は「陰」でしたが,人生さんは極め付きの「陽」でした。

正確には,ぼやきではありませんが,以前からしっくりとこない曲がありました。

それは
高校三年生』丘灯至夫・作詞 遠藤実・作曲 舟木一夫・歌(1963)

赤い夕陽が 校舎をそめて
ニレの木蔭に 弾む声
ああ 高校三年生 ぼくら
離れ離れに なろうとも
クラス仲間は いつまでも

泣いた日もある 怨んだことも
思い出すだろ 懐かしく
ああ 高校三年生 ぼくら
フォークダンスの 手をとれば
甘く匂うよ 黒髪が

残り少ない 日数を胸に
夢がはばたく 遠い空
ああ 高校三年生 ぼくら
道はそれぞれ 別れても
越えて歌おう この歌を

小説家・演芸評論家の安藤鶴夫(1908-1969)は,デビュー前に舟木のこの歌を聴いて,そのさわやかさに感動した,と言っていました。

しかし,私は初めて聴いたときから,かなり違和感を覚えました。
それは自分の高校生活と比べて「実感がない」という一言です。
「クラス仲間はいつまでも」なんて思ったこともないし,
「甘く匂うよ黒髪が」はフォークダンスのときも全く経験ありませんでした。
まして「夢がはばたく」ような思いとは反対の,なにか重ぐるしいような雰囲気でしたね。
それは大学受験という関門のまえで,高校が予備校化していることを肌で感じていたからでしょう。

遠藤実(1932-2008)は,17歳で上京して,さまざまな職業を経て,流しの演歌師になり,苦労して作曲家にまでなりました。
代表曲は「お月さん今晩は」「からたち日記」「北国の春」等。
彼は高校に行きたくても行けなかったアコガレから,この歌を作ったようです。
それを聞けば,納得がいきました。
こちらは大学に行ける状況での贅沢な悩みだったでしょうから。

さらに
知床旅情』森繁久弥・作詞作曲 加藤登紀子・歌(1960)
歌いだし

知床の岬に

森繁久彌(1913-2009)は大阪府枚方市の出身で,俳優・歌手・コメディアン,文化勲章・国民栄誉賞受賞。

誰でも知っているこの名曲と比べてください。
早春賦』吉丸一昌・作詞 中田章・作曲(1913)
歌いだし

春は名のみの

メロディーが全く同じでしょう?
ですから初めて「知床旅情」を聴いたとき,非常に違和感を持ちました。
作曲家の高木東六(1904-2006)は「作者がこのことに気づいたとき,すぐに作品を引っ込めるべきだった」と言いました。

すなわち,名作の「盗作」といわれても仕方のないほど酷似しています。

森繁という人,まぁ本職の作曲家でもないし,稀代のエンターテイナーですから,名作の盗作と言われても,そんなに硬いこと言わないでも,座興で作ったんだから,ぐらいの感じだったのかもしれません。

話しは飛びますが
万葉集で,額田王(ぬかたのおおきみ)の有名な歌

あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き
野守は見ずや 君が袖振る

この歌,宴席での戯れ歌として作られたことが明らかになっています。
当時,額田さんはすでに相当に高齢で,歌のウキウキ感を,実感として表現するという状況ではなかったということです。

しかし,知床旅情の歌詞にある「白夜は明ける」は,知床ぐらいの緯度(44度20分)では白夜現象は現れません。
白夜はおおむね緯度が66.6度以上でないと起こりません。

ちなみに,札幌(43度4分)と南仏のマルセイユ(43度17分)がほぼ同じくらいの緯度で,ヨーロッパに比べて日本はかなり南に位置することがわかります。

さらに
森繁が歌っているときにはそれほど流行らなかったのに,加藤登紀子が歌いだしてからヒットしたのですが,「白いカモメ」とあるのに「白いカモメ」と,勝手に変えて歌っていたのを森繁自身が加藤に注意しています。
いい加減な歌詞に,いい加減な曲でも,作者としてはヤッパリ気になるのですね。

つゆの季節

いよいよ梅雨入りですね。
夏至(6月21日ころ)の前後2週間づつが標準的な期間ですから,今年は少々早めでした。

梅雨になるとじめじめして湿度が高くなり,かびが発生したり,ものが腐りやすくなって食あたりの危険性が増し,洗濯物が乾きにくくなり,だいいち,気分的に嫌ですよね。

日本人は天日干しが好みで,冬でも洗濯物を外に干す習慣が普通ですが,逆にカナダでは,夏でも乾燥機で乾かします。

洗濯物に限らず,ふとんでも天日干しをしますね。
最近は天日に干すより,紫外線を当てダニを殺し,たたき出して吸込む方が効果的というふとん専用の掃除機も好評なようです。

洗濯物の乾燥には,乾燥機のほかに,ユニットバスなどで浴室を乾燥室にするもの,エアコンの除湿モードを利用して部屋干しで乾燥させるもの,などがあります。

梅雨の良いところはないのでしょうか?
いえいえ
農作物を育てるという大切な役目があります。
この時期に多くの降水がないとコメの収穫に大きく影響します。
冬の積雪も農業には大切な水源とされています。

私が2年間も生活した,ある開発途上国では,夏は50℃にもなろうかというのに,6月から9月の4か月間で一滴の降水もありませんでした。
水源は自国ではまったく確保できずに,中国の高山の雪解け水に頼っています。
乾燥したところでは気象が急変して,突然寒くなったりもします。
日較差(1日の最高と最低気温の差)は平気で20℃以上ありました。
まあ熱帯夜がなくて夜は涼しい,という良い点もありますが。
なしにろ湿度が低くくて夏でも静電気が発生します。
ウガイすべくガラスコップに水を注ごうとして,水栓をひねったとき静電気が発生して思わずコップを落として割ったことが何度かありました。
そういうところで生活すると,肌がガサガサになります。
日本女性の肌がいつまでも美しいのは,この湿潤した気候の影響もあると思います。

アメリカの,最近ではインドでも,大規模農業地域では,地下水をくみ上げて農業用水に利用しているのです。
降水という供給源がないと,枯渇するのは必至です。

むかし日本でも,工業用水として地下水を利用して地盤沈下を引き起こしたことは記憶に新しいことです。
取水規制により,地盤の隆起が起こりましが,これは元に戻っただけの話です。

日本では降水量が多いために,このような回復が容易でした。
しかし,降水量の少ない地域では,容易に砂漠化します。

大気汚染の影響で酸性雨が降り,森林が壊滅した地域が世界には多くあります。
しかし,わが国では降水量が多いため,それほどの被害は出ていません。

中国からの黄砂もPM2.5(Particulate Matterの略,直径2.5μm以下の超微粒子)も十分な降水があれば洗い落とされます。

ただし,降りはじめの雨には気を付けてください。
長く晴天が続いた後の雨には大気中の有害物質が多く含まれているため,かからない方が安全です。

充分な降雨が人間の生活には必要なことがお分かりになったでしょう。
そして日本がいかに住みよい国であるかということもお分かりでしょう。

さて
雨の歌です。

『雨』 北原白秋・作詞 弘田龍太郎・作曲

雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒のかっこも 緒が切れた

雨がふります 雨がふる
いやでもお家で 遊びましょう
千代紙折りましょう たたみましょう

ここではマニアックに同じ雨でも
『雨』 八木重吉・作詞 多田武彦・作曲

雨のおとが きこえる
雨がふっていたのだ

あのおとのように そっと世のために
はたらいていよう

雨があがるように しずかに死んでいこう

多田武彦(1930.11-)さんは大阪市のお生まれ,京都大法学部卒後,富士銀行に入社,在学中,男声合唱団に所属し指揮者として活躍,就職後は,作曲家・清水脩氏に師事し,日曜作曲家としておもに男声合唱曲をたくさん作曲されました。
代表曲「柳川風俗詩」(北原白秋),「富士山」(草野心平),「雨」など,重厚な和声を大切にした「多田節」として,その筋では有名です。
この曲は組曲「雨」の最終Ⅵの曲で,
多田さん自身が「私の臨終における鎮魂曲」と言われています。

 

まどさんを偲ぶ

詩人のまど・みちお(1909.11.16-2014.2.28)さんが亡くなりました。
享年104歳というのは天寿をまっとうされたと言えるのかもしれませんが,限りなく透明で優しい作品を作り続けてこられただけに,とても残念な気がします。

今回は数あるまどさんの作品から,作曲されているモノを中心に,いくつか紹介します。

まどさんのご本名は石田道雄とおっしゃり,山口県の徳山のご出身です。
お父さんの仕事の関係で,幼いころに台湾に渡り,そこで成長されています。
台北工業学校土木科に在学中,同人誌『あゆみ』を創刊し,そこに詩を発表されていました。

小説家・詩人の阪田寛夫(1925-2005)は
(大阪の人で『サッちゃん』の作詞でも有名),評伝小説『まどさん』新潮社(1985)〔ちくま文庫1993復刻〕で,まどさんの人間像と作品の原点を掘り下げています。
一部を紹介すると

横断歩道を渡りかけていた雑踏の中にまどさんのかがんだ背中をみつけて,うしろから「まどさん」と呼んだら,振返ったまどさんは,一寸恐縮した表情で眼を伏せて,わざわざあと戻りをした。
 ― 中略 ー
「おかわりありませんか」
そう言って七十何歳のまどさんの方から先に,先生に出逢った子供のように古いピケ帽をとって急いで頭を下げた。むかし初めて会った時と,態度も服装も変っていない。
 ― 中略 ー
まどさんの童謡だけを知っている人がこの場に立ち会ったとすれば,その言葉づかいが,ずいぶん年下の者に対しても,隅々まで丁寧であることになるほどとうなずくと共に,その声が意外に甲高いのに驚くかも知れない。

すごい観察力ですね。愛情に裏打ちされているからでしょう。

ぞうさん團伊久磨・作曲

ぞうさん
ぞうさん
おはなが ながいのね
そうよ
かあさんも ながいのよ

ぞうさん
ぞうさん
だあれが すきなの
あのね
かあさんが すきなのよ

やぎさんゆうびん團伊久磨・作曲

しろやぎさんから おてがみ ついた
くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに

くろやぎさんから おてがみ ついた
しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた
さっきのてがみの ごようじ なあに

びわ磯部 俶・作曲

びわは やさしい
木の実だから
だっこ しあって
うれている
うすい 虹ある
ろばさんの
お耳 みたいな
葉のかげで

さくらのはなさん磯部 俶・作曲

さくらのはなさん
さいたけど
きだから
あるいて こられない
みんなで みんなで
みにいって あげよう

ドロップスのうた大中 恩・作曲

むかし なきむしかみさまが
あさやけみて ないて
ゆうやけみて ないて
まっかななみだが ぽろんぽろん
きいろいなみだが ぽろんぽろん
それがせかいじゅうに ちらばって
いまではドロップス
こどもがなめます ぺろんぺろん
おとながなめます ぺろんぺろん

ネコ」 こんな楽しい詩もあります。

あくびを するとき
ネコのかおは花のようになります

だれも 見ていなくても
じぶんにも 見えなくても

でも るすばんの ざしきで
ネコが かおを
クレオメの 花にしたとき
それを 見ていました

たたみのイグサの 一ぽん一ぽんが
しょうじの さんの 一ぽん一ぽんが
てんじょうの木目の 一ぽん一ぽんが
かおを すりよせるようにして

猫もまどさんも,いっそう好きになったでしょう?
わが家にも7kgになろうかというゴンタなのがいますが,彼が大きなあくびをするとき,いつもこの詩を思い出します。

画家の安野光雅(1926.3.20-)が,サトウ・ハチロー『ちいさい秋みつけた』と対比して
「小さい秋」というような表現は作為的で自然には出てこない
そこが,まどさんと違うところである,というような発言をしていました。
これは,なにもサトウ・ハチローをおとしめて言っているのではなくて,作風や好みのことだと理解してください。

合掌

旬な歌と歌手

いま
ディズニー映画「アナと雪の女王」が大ヒットらしいのです。
原案はアンデルセンの童話「雪の女王」らしいのですが,内容は全く原作とは異なっています。

その主題歌「Let It Go」のサウンドトラック盤(映画上映で同時に流れる音楽)が,最近のオリコン(オリジナルコンフィデンスの略,社名)週間アルバムランキングで1位を獲得しました。

さらに
日本版主題歌「レット・イット・ゴー~ありのままで~」も評判で,松たか子とMay J. が競っていて,どちらがいいかとか,今年のNHK紅白歌合戦(略称・紅白)に出演が当確だとか,いろいろとかまびすしいのです。

なぜ同じ歌を同時に2人が歌うのか,ですが
松たか子はアナの姉エルサ役の吹替えで,劇中でこれを歌い,May J. は,エンドロール(終了時に出演者・スタッフ名などが長々と流れるシーン)で歌っています。
原版のアメリカでも,同じように2人の歌手が競っています。

ご存知のように
松たか子(36)は歌舞伎役者・松本幸四郎の娘ですが,その歌は小田和正も認める実力派で,親父さんとは比較になりません。
彼女の歌う「ありのままで」を聴きましたが,とても素直に歌っています。
好感が待てました。

いっぽう
May J. (本名:橋本 芽生,25)はハーフですが,当初なかなか売れず,テレビ朝日「関ジャニ仕分けエイト」に出演し,カラオケ対決で,2年間無敗の26連勝を続けて名をあげました。
ところが最近,オーストラリア出身のサラ・オレイン(この人もハーフ)と,この歌「Let It Go」で対決して初めて敗れる,という皮肉な結果になりました。

このサラ・オレイン(27)という人,正式な音楽教育を受けており,ヴァイオリン奏者・作曲家でもあり,このようなポピュラーな番組に出るのはいささか畑違いな感がしました。

歌手も
クラシック畑の人は声楽家と呼ばれます。
歌の基本は,まず声を低温から高音まで美しく発声することを主眼とし,音程・リズムは楽譜に従うことが前提で,その先にどう表現するかが来ます。
ポピュラー歌手は,発声が少々変わっていてもそれは個性ととらえ,音程やリズムが少々ずれていても,それ以上に感情が先にくる感があって,そのへんが声楽家と呼ばれる人たちと違うところです。
よく 「気持ちを前面にだして一生懸命歌いました」という人がいますが,あとさきが逆のような気がします。

しかし
声楽家の人でも,音程の悪い人はいます。
「お墓のまえで,たくさん風が吹いて,泣かないでー」とか歌う声楽家,名前は失念しましたが,はっきり言って音程が良くないです。
2006年,私が海外に赴任していたとき,暮れの紅白で,はじめてこの歌を聞いたとき,これでは流行らないであろう,と予測したのですが,その後の展開は意外でしたね。
この歌は,作曲者自身が歌っているものの方が,私はよっぽど良いと思っています。

ところで
昭和の歌姫と呼ばれた美空ひばり(1937-1989)ですが,「悲しい酒」(作詞:石本美由紀,作曲:古賀政男)の歌唱では,速度を限界まで遅くし,しかも最後は泣きながら歌うという曲芸じみたことをやりました。
元夫の小林旭は,泣きながらも音程を外さずに歌うのがすごい,とおかしなほめ方をしておりました。

とうとつですが
能(当時は「猿楽」,明治以降に「能」と呼ぶ)を父・観阿弥とともに大成した世阿弥(1363?-1443?)ですが,多くの著作を残しております。
その一つ『花鏡』のなかに,とても興味深い言葉があります。
それは「離見(りけん)の見」です。
「自分が演じている舞台を,観客の目でみること」の必要性を言っています。
決して独りよがりになってはいけない,熱くなりすぎてもいけない,頭の中にいつも冷静な自分を存在させて,観客からどう見えているか,を感じながら演じることが大切だ,ということでしょうか。
これは舞台に立つ全てのプレイヤーに共通する心構えではないでしょうか。

最後に
私のもっとも好きな歌手の一人,20世紀最高のバリトンと呼ばれたディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(1925.5.25-2012.5.18)が歌う「冬の旅」(シューベルト作曲)の最後の歌「ライエルマン(辻音楽師)」を紹介します。

道ばたに立てる ライエルマン
凍えし指もて 弾けり
素足もて よろめきつつ
小さき皿に なにもなし

そおば きく者だになく
ただ犬のみ ほえかかる
されど 彼はうち捨て
たて琴おば 弾き続く

おお 不思議なる
かの人よ
われも行かん
ともどもに

この歌を確かに生で聴きました。
ピアノ伴奏は指揮者のヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923-2013)でした。
2,700席の大ホールでたった二人で演奏しました。
感動しました。

季節と花と歌と

この季節の代表的な歌
「夏は来ぬ」作詞:佐々木信綱 作曲:小山作之助

うの花の匂う垣根に 時鳥(ほととぎす)
早も来鳴きて 忍音(しのびね)もらす
夏は来ぬ

さみだれのそそぐ山田に 早乙女(さおとめ)が
裳裾(もすそ)ぬらして 玉苗ううる
夏は来ぬ

この歌はつぎのYouTubeで聴けます。

じつは
この歌には,現代人には不審に思う点がいくつかあります。

まず
「卯の花」は4月の花です。
というのも
4月のことを陰暦では「卯月(うづき)」,「卯の花月」と言ったのです。

それから
題名にもなっている『夏は〈来ぬ〉』は〈きぬ〉で,決して〈こぬ〉とは読みません。
つまり,夏は来た(完了形)のであって,夏は来ない(否定形)のではないことを確認しておいてくださいね。

また
「さみだれ」は「五月雨」と書いて,これは「梅雨(つゆ)」のことです。
ここで,五月雨を歌った俳句を3句。

五月雨を あつめて早し 最上川  松尾芭蕉(1644-1694)
五月雨や 大河を前に 家二軒   与謝蕪村(1716-1783)
五月雨や 上野の山も 見飽きたり 正岡子規(1867-1902)

不審がいっぱいですね。
4月に夏が来て,梅雨になるんですか?

これは
実際の季節感と陰暦での季節の区分が違うことが原因の一つです。
一般の慣例的な季節感では,春は3,4,5月ですが,陰暦では1,2,3月です。
年賀状に「賀春」,「初春」と書いたりするでしょう。
ですから
陰暦の夏は4,5,6月なんです。
大相撲の五月場所を夏場所というのも同じ理由です。

さらに
陰暦では1か月の日数が少ないため,閏(うるう)月を作ったりして調整する必要があるのです。
ですから1か月ぐらい実際(太陽暦)とずれることがよくあることです。
たとえば
東大寺二月堂のお水取りは,現在は3月ですが,以前は2月でした。
二月堂の名の由来は2月にその行事を行ったからなのですから。

ところで
この季節の花としてツツジ,少し小ぶりなサツキツツジがあります。
文字通りの5月の花です。

tutuji

じつは
ツツジはわが町「池田市」の市花で,市立文化会館の大ホールは通称「アゼリア・ホール」と呼ばれていますが
アゼリア(azalea)とはツツジのことです。

ツツジが満開になると,いよいよ夏が来る,と夏の暑さを予感させる花です。