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冬季オリンピックの思い出

いま韓国の平昌(ピョンチャン)で第23回の冬のオリンピックが2/9~25まで開催されています。

第1回大会は1924年にシャモニー(フランス)で行われました。

日本の初参加は第2回(1928)サンモリッツ(スイス)大会で,ノルディック6選手に監督1人,計7人でした。

第5回(1940)札幌,第6回(1944)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)は第二次世界大戦のために中止されました。

夏季大会でも,第12回(1940)東京,13回(1944)ロンドンが同様に中止になりました。

戦争がなければ,札幌,東京でもっと早くにオリンピックが開催できたのに,残念なことでした。
冬季大会は中止しても開催回数として数えていますが,夏季は飛ばしてカウントしています。

第16回1992年アルベールビル(フランス)までは夏季と同年開催
第17回1994年リレハンメル(ノルウェー)からは夏季の中間年に開催されています。

冬季オリンピックはやはり特別で,まだ南半球では開催されていません。

何といっても,強烈な印象を残したのが,初めての日本人メダルが銀で,しかも人気のアルペンスキーであったのです。

それは,第7回(1956)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)のアルペンの回転種目で,猪谷千春(1931-)が銀メダルを取りました。

千春さんは3歳から,父・六合雄(くにお,1890-1986)から英才教育を受け,といってもお父さん自身24歳でスキーに出会い,指導するための知識や技術がなかったのに,なにしろ結果を残しました。

この時代の人はすごくて,80歳でエベレストに登った三浦雄一郎(1932-)の父・敬三(1904-2006)は山岳写真家でしたが,100歳を過ぎてもスキーを滑りました。

猪谷が銀メダルをとったとき,アルペンスキー三冠(回転・大回転・滑降)を独占したのが,トニー・ザイラー(オーストリア,1935-2009)でした。

さわやかなイケメン(美男子)で映画に出演し,その影響でアマチュア資格に抵触するとされ,次のスコ―バレー五輪(1960)には出場できなくなり,本格的に俳優に転身しました。

白銀は招くよ』(59)で主題歌も歌って大ヒットしました。
銀嶺の王者』(60)では鰐淵晴子(わにぶち,1945-)と共演しました。
白銀に踊る』(61)でイナ・バウアー(独)と共演しました。トリノ(2006)の荒川静香の演技で有名になりましたが,美人選手でしたが,それほどの結果は残していません。

じつは,私は1961年からスキーを始めましたが,当時のゲレンデでは,『黒い稲妻』(58)というザイラー映画の影響か,全身が黒ずくめのウエアの人ばかりでした。

つぎの印象は,第11回(1972)札幌で70m級ジャンプで笠谷幸生(金),金野昭次(銀),青地清二(銅)はメダルを独占し,「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

第16回(1992)アルベールビル(フランス)で,ノルディック複合団体(荻原健司・河野孝典・三ヶ田礼二)で金メダルを取りました。

この大会,複合の個人で,世界選手権では優勝を重ね,金メダルを期待された荻原でしたが,ジャンプでの風の影響で,メダルは取れませんでした。
この当時,日本はジャンプで先行し,距離で逃げきるパターンでしたが,日本人のジャンプが他国を圧倒していたため,以後ジャンプの点数が低く押さえられるルール改正につながりました。

複合では,前半のジャンプで瞬発力,後半の距離で持久力を必要とされ,総合的な運動能力が必要な競技なので,この種目の勝者には,ヨーロッパでは King of Ski の称号が与えられるそうです。

この大会,フィギュアスケート女子で伊藤みどり(69-)が,はじめてトリプル・アクセル(3回転半)を飛んで,銀メダルを取りました。
彼女のジャンプは高くて,4回転でも飛べそうでした。

第17回(1994)リレハンメル(ノルウェー)ではノルディック複合の団体(荻原健司・河野孝典・安倍雅司)で連覇しました。
ここでも,荻原は個人でメダルを逃しました。

第18回(1998)長野では,金メダルをとったのは5種目:
スキージャンプ個人ラージヒル 船木和喜
スキージャンプ団体 安倍孝信,斎藤浩哉,原田雅彦,船木和喜
スピードスケート男子500m 清水宏保
ショートトラック男子500m 西谷岳文
フリースタイルスキー女子モーグル 里谷多英

地元開催ということで,日本人も頑張ったんですね。

ちなみに,長野はオリンピック開催地としては最も南に位置する都市(北緯36°39.6′)ですが,大陸からの季節風と日本海と列島中央の高い山脈の影響で,豪雪地帯となっています。
南にあっても,雪を楽しめる(雪に苦しめられる?)土地柄なんです。

今回はやはり懐かしいこの歌『白銀は招くよ』にしましょう。映画の原題は ”12 Mädchen und 1 Mann “(12人の娘と1人の男),歌の原題は ”Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt”  (僕は世界一の幸せ者)です。

トニーザイラーの歌です。

日本語の歌詞は2種類あって

処女雪光る光る 冬山呼ぶよ呼ぶよ

子供向けの

雪の山はともだち 招くよ若い夢を

前者は,最近あまり聴かれなくなりました。NHKの子供番組の影響でしょうか。

この歌を聴いていると,猛烈にスキーに行きたくなってきます。昔は長いスキーをはいていましたが,今はカービング・スキーといって,短くて幅広のスキー板が一般的になりました。
道具一式を揃え替えるとなると,これまた大層ですね。

この季節,二十四節気では,
2月19日は雨水(うすい),冬の氷水が陽気にとけ雨水となって降る,の意。
3月6日は啓蟄(けいちつ),地中で冬眠した虫類が,陽気で地上に這いだす頃,で
いずれにしても,今年は久しぶりに寒い冬でしたが,もう春はそこまで来ています。
気候の変動が大きいこの季節,寒暖の変化に気をつけて,健やかにお過ごしください。

吉本とは

現在,NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『わろてんか』は言わずと知れた吉本興業(2007年からよしもとクリエイティブ・エージェンシーというハイカラな名前に変っていますが)の創業者・吉本せいの一代記です。ドラマですから実際と異なるのは当然ですが,どこが違うか,見てみましょうか。

創業は1912年(明治45年),吉本吉兵衛(本名:吉次郎,通称:泰三)・せい夫婦が大阪市天神橋の「第二文芸館」を買収し,寄席経営を始めました。
1915年(大正4年)には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか,月と陰るか,全てを賭けて」との思いから『花月』 と改名しました。
夫・吉兵衛(1886-1924)は,山崎豊子の小説『花のれん』などでは経営を妻に任せっきりの道楽亭主のように扱われていますが,実際は実質的な経営の指揮をとっていたようです。しかし1924年に急性心筋梗塞により37歳で亡くなっています。

吉本せい(1889-1950)は明石の生まれ,1910年の20歳の時に,大阪市内本町の「箸吉(はしよし)」の息子吉本吉兵衛と結婚(実際には1907年の18歳のころから事実婚状態でした)。
2男6女をもうけますが,そのほとんどが早逝し,次男・泰典(後に改名し頴右)は歌手・笠置シヅ子と恋仲となりますが,猛反対を受け,1947年23歳で没後,実子・亀井エイ子が生まれています。

1917年,せいの実弟・林正之助(1899-1991)が入社し,亡くなるまで吉本を支えます。ドラマの従兄の風太ではなく,実弟の林正之助が大番頭でした。ちなみに吉本家の家業は荒物問屋であり,林家は米穀商です。吉本・林両家の確執が相当あったようです。

1932年,吉本興業合名会社が発足し,せいが社長,2人の弟,林正之助が大阪吉本,林弘高が東京吉本を率いる体制が確立します。
林弘高は欧州を視察し,その影響で,東京ではモダン・ハイカラ路線をとり,レビューやショウを上演して,演芸の大阪に対抗します。ドラマでは息子・隼也の役どころです。

演芸だけでなく,戦前は,巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え,戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにしました。
元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり,戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称されました。

ドラマの伊能は小林一三(1973-1957),阪急電鉄,宝塚歌劇団,阪急百貨店,東宝の創業者で関西の大物ですが,残念ながら吉本せいとの恋愛的な接触はありません。しかし,吉本と東宝が提携し,それを松竹が不快に思って芸人を引き抜く,という事件がありましたから,仕事の話はしたははずです。

月の井団吾は明らかに爆笑王といわれた初代桂春団治(1878-1934),無断のラジオ出演で,謹慎処分を受けた事実があります。

ドラマのキースは横山エンタツ(1896-1971)らしいのですが,エンタツが吉本に入ったのは1930年,ですから既に吉兵衛は亡くなっており,花菱アチャコ(1897-1974)と組んで「しゃべくり漫才」をやり,「早慶戦」などで人気をはくしました。

ドラマのリリコはミスワカナ(1910-46),女義太夫師でも映画女優でもなく,根っからの漫才師です。
シローは玉松一郎(1906-63),舞台でアコーディオンを弾きましたが,それほどの腕ではありませんでした。

所属する芸人は,桂春団治,横山エンタツ・花菱アチャコをはじめ,兵隊落語の柳家金語楼,三味線漫談の柳家三亀松,「あきれたぼういず」の川田義雄,ミスワカナ・玉松一郎など東西に多数いました。

戦後の吉本は,1959年(昭和34年),うめだ花月を開場,花菱アチャコ主演の吉本ヴァラエティ「迷月赤城山」を,同時にテレビ放送を開始した毎日放送と提携し,同社に舞台中継させました。1962年に京都花月,1963年になんば花月を開場,吉本ヴァラエティは,1962年に吉本新喜劇と名前を変え,白木みのる,平三平,ルーキー新一,花紀京,岡八郎,原哲夫,桑原和男,財津一郎らを続々と生み出しました。

この時期,じつは私個人は,吉本よりも松竹新喜劇を見ていました。吉本のワンパターンのドタバタよりも,松竹の人情喜劇の方が面白かったのです。
松竹新喜劇の発足は,1948年の中座で,当初は曾我廼家十吾浪花千栄子も参加していましたが,私の見ていたころは,渋谷天外,曾我廼家明蝶,曾我廼家五郎八,酒井光子,藤山寛美,小島秀哉,小島慶四郎,四条栄美など,役者がそろっていました。1965年,天外が倒れてからは,寛美が一枚看板となり徐々に衰退していき,1990年の寛美死去によって急激に衰退しました。

しかし,吉本の花菱アチャコが松竹出の浪花千栄子と夫婦役で組んでラジオで大活躍するのは皮肉なものです。

もっと皮肉なのは,花菱アチャコが戦後も大活躍するのに,横山エンタツはほとんど活躍せずに消えてゆきます。

さて,冬の寒い夜は懐かしいこの歌にしましょうか。

冬の夜』作詞・作曲者不詳「尋常小学唱歌(三)」(1912)

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

囲炉裏のはたに縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

今年の冬は久しぶりに寒い冬となりました。
私個人としては,海外で冬に‐15℃を体験しているのですが,暖房が不十分なせいでしょうか,年齢のせいでしょうか,今年はとても寒く感じます。
あちこちで積雪による大変な事態も起きています。
寒さ対策は十分ですか?風邪などは引いていませんか?
この時期,体調を崩すと更に大変になりますので,十二分に気をつけましょう。
こんな時こそ,家にこもってないで,運動をするのが良いのです。胸を張って散歩も良し,スローランニングも良し,もう少しで間違いなく春がやってきますので,頑張りましょう!

独裁者たち

かつて,チャールズ・チャップリン(1889-1977)というイギリス出身でアメリカで活躍した映画俳優・映画監督・コメディアンがいました。

いろいろな話題作をつくりましたが,
1940年,『独裁者』で,ナチス・ドイツを批判し,ヒトラーから全軍に彼の殺人指令がでました。

1952年,『殺人狂時代』で,

一人殺せば犯罪者だが,百万人殺せば英雄だ

という名セリフを吐きました。

その影響で,1952年に,いわゆる「赤狩り」によって,国外追放となります。

ここで,赤狩り(Red Scare)とは
政府が国内の共産党員およびそのシンパ(sympathizer:同調者,支持者)を,公職などから追放すること。第二次世界大戦後の冷戦を背景に,主にアメリカとその友好国である西欧諸国で行われました。

アメリカでは,共和党右派のジョセフ・マッカーシ上院議員が主導したので「マッカーシズム」と呼ばれ,対象が政府関係者・軍関係者から芸能関係者・作家に至るまで広範に及び,外国人も含まれました。

独裁者は,現在でも全世界に,たくさん存在します。

米ワシントンのホロコースト(大虐殺)記念館に,「ファシズムの初期症状14項目」が展示されており,これがトランプ政権下のアメリカに共通すると話題になっているそうです。

①強情なナショナリズム
②人権の軽視
③団結のための敵国づくり
④軍事の優先
⑤性差別の横行
⑥マスメディアのコントロール
⑦国家の治安に対する執着
⑧宗教と政治の癒着
⑨企業の保護
⑩労働者の抑圧
⑪学問と芸術の軽視
⑫犯罪の厳罰化
⑬身びいきの横行と腐敗
⑭不正な選挙

これらはアメリカだけの話にあらず,わが日本の安倍政権でも,恐ろしいほどに当てはまるのです!

・「愛国心」を盛り込んだ教育基本法改正や昨今の右傾化,「国益」なる言葉の横行は①
・基本的人権を軽視する自民党の憲法改草案は②
嫌中・嫌韓や北朝鮮の脅威をあおるのは③
防衛関係費の急増は④
・政府・与党による報道番組への介入,政権のお先棒を担ぐ新聞社(産経・読売)による「政権を批判するヤツは許さん」的な言論封殺は⑥
共謀罪(テロ等準備罪,組織的犯罪規制法)は⑦
森友・加計問題は明らかに⑬

われわれが,今後もしっかりと監視して行かなければならないところです。

北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン,1984-)が独裁者なのは明白です。

中国では,2017年に5年に一度の共産党大会が開催され, 約8,900万人の党員から2,287人の代表が選ばれ,1週間程度,開催されました。そこで習近平(1951-)主席が最高責任者としてもう5年間は続けることが決まっています。政敵はいませんから,独裁政権と同じです。

ロシアでは,ウラジミール・プーチン(1952-)が2000年から2期8年大統領をつとめ,その後首相を4年やり,2012年から任期を6年に延長した大統領に再登板し,2018年の今年は2期目をやろうとして,なにしろ支持率は80%を超えるといいますから,無風で選ばれることになっています。非民主的(反民主的)で,非合法な(謀略的な)手法で支配力を行使し政治を行っていることも様々な調査で明らかになっており,手荒な独裁的行為で,大統領を続けています。

このような独裁国家に囲まれて,日本も大変なんです。だからといって,みずからが独裁国家になって対抗するなんてことは決して得策ではありません。

今月の歌は,時節がら,この歌「ホワイト・クリスマス」にしましょう。ホワイト・クリスマスと言えばビング・クロスビー,ビング・クロスビーと言えばホワイト・クリスマス,と言えるほどの定番中の定番です。

ホワイト・クリスマスアーヴィング・バーリン:作詞・作曲
ビング・クロスビー:唄 (1941)

英語のクリスマスの挨拶は

We wish you a Merry Christmas and a Happy New Year

これは歌の歌詞にもなっていて,クリスマスとお正月を一緒に祝う定番の挨拶です。

つぎは日本の歌ではありませんが,堀内敬三の訳詞で有名です。

冬の星座堀内敬三・訳詞 ウイリアム・ヘイス・作曲
「中等音楽(一)」に所蔵(1947)

年末年始は何かとあわただしく,体調もくずしがちです。
今年の冬は厳冬の予報がでていますので,くれぐれも注意して寒さの冬を乗り切りましょう。 

日本人のわざ

日本では,手先で物を作る仕事を極める職人を匠(たくみ)と称し,とくに大工の頭を棟梁と呼び,昔から皆から信頼され尊敬されてきました。

ドイツではマイスター(Meister),イタリアではマエストロ(maestro),米英ではマスター(master)と呼ばれていますが,国によって表現の感じが異なっています。

マイスターと言えば,社会的にも確立した親方で,ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグのマイスタージンガー(職匠歌人)』で有名です。
マエストロと言えば,本来は巨匠という意味ですが,世界中で,敬意をこめて指揮者に対して用います。
それに比べて,マスターは喫茶店の店主みたいに,軽く使われているようです。

さて,いまTVドラマ『陸王』が話題です。
池井戸潤(1963-)の原作で,半沢直樹,下町ロケット,ルーズベルト・ゲームにつづく人気ドラマになっています。
あらすじは,老舗の足袋製造業者がランニングシューズの開発に挑戦する奮闘を描きますが,じつはこれには有名な実在の人物たちがいます。

日本人が初めてオリンピックに参加したのは1912年の第5回ストックホルム(スウェーデン)大会でした。参加者は選手は三島弥彦(短距離)と金栗四三(マラソン),役員は加納治五郎(団長)と大森兵蔵の計4名でした。

金栗四三(かなぐり  しぞう,1891-1983,92歳没)はその前年,マラソン足袋をはいて世界最高記録を樹立して本番に臨みましたが,レース途中で日射病で意識を失ない,近くの農家で介抱されて,ゴールできませんでした。

1967年,金栗選手はスウェーデンのオリンピック委員会から,ストックホルム五輪55周年の記念式典に招待され,関係者から促され,競技場でゆっくり走って用意されたゴールテープを切りました。そのとき,場内アナウンスがあり,「日本の金栗,ただいまゴールしました。時間は54年8ヶ月6日32分20秒3,これをもって第5回ストックホルム・オリンピックの全日程を終了します」。
まことに,なんと粋な計らいでしょうか。

このマラソン足袋を開発したのが播磨屋(はりまや)足袋店(後のハリマヤ)の黒坂辛作(しんさく,1880-)でした。金栗と共同して改良をかさね進化させました。

1936年,ベルリン五輪で,このマラソン足袋(金栗足袋)をはいて日本代表の孫基禎(そんきてい,朝鮮籍,1912-2002)がマラソンで金メダルをとりました。

敗戦後の1951年,米・ボストンマラソンで田中茂樹(当時19歳)がマラソン足袋で優勝しました。これは,2年前に設立した鬼塚(オニヅカタイガー,現アシックス)の製品でした。

ドラマでは100年つづく老舗足袋店となっていますが,創業当時すでに実際はマラソン足袋は作られていたのです。

金栗さんは,箱根駅伝の開催に尽力し,日本に高地トレーニングを導入したり,日本のマラソン界の発展に大きく寄与し,「マラソンの父」と呼ばれています。
グリコの1粒300mのモデルとも言われています。

東京オリンピック前年の2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』は金栗さんをモデルにした物語だそうです。

今回の歌は,さわやかなこの曲にしましょう。

いずみのほとり
・深尾須磨子 作詞
・橋本國彦 作曲

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や すすきのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

むかしむかし いずみのほとり
天使たちが 子羊たちと 遊びました
むかしむかし 今は むかし

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や とんぼのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

深尾須磨子(1888-1974) 兵庫県生れ,詩人・作家・翻訳家。

橋本國彦(1904-1949) 東京生れ,作曲家・ヴァイオリニスト指揮者。

秋も深まってきました。今年は夏から秋もそうでしたが,秋から冬への季節の変わり方が,余りに急なようです。

気候の変化には十分に気をつけて,風邪など引かないように,元気にお過ごしください。

役に立つ

役に立つ」とは,その事のために十分適している,用をなすに足る,という意味で使われています。「この機械は古いがまだ役に立つ」と物にも使われますが,「世の中の役に立つ」とか「人の役に立つ」などと人に対して使われることが多いです。

 現在放映中のTVドラマ『ごめん,愛してる』は,韓流ドラマの焼き直しらしいのですが,親に捨てられて孤児院で育てられ,韓国ヤクザの世界に身を置いた主人公が,余命3ヶ月の宣告を受け,最後に母に会いたいと,日本に戻ってきます。
子を捨てるぐらいだから,母は経済的に困っているはずと,大金を手に戻るのですが,弟がいて,アイドルピアニストとして売り出し中で,豊かな暮らしをしているのでした。
このあたりは,長谷川伸(1884-1963)の『瞼の母』に設定が似てますね。
主人公の思いは一つ,人の「役に立つ」ことでした。

人間たるもの,生れて来たからには,何かの役に立ちたい,せめて少しでも人の役に立ってから死にたいと思うのは自然です。
特に,先が見えてきたら,そういう思いが強くなるのはよく分ります。

人類が進化してきたのは,二足歩行して,手が自由になり高度な動作が可能となった反面,逆に起立したことによって骨盤に圧迫され産道が狭くなり,出産すら独りではできず,仲間の手助けを必要としました。この共同作業を必要とする生き方が人類を発展させた大きな要素だったのです。
そういう意味では,陸上競技の100m×4リレーで,日本選手が,個々の力では劣るのに,先の世界大会では銀メダル,ユニバーシアード大会ではアメリカを抑えて堂々の金メダルを獲得する快挙をなしとげたのは,まさにこの助け合いの精神が生かされたからでしょう。
共同作業や連帯が得意な日本人が,これからも活躍できる場面は多くありそうですね。

「役に立つ」の反対語は,「役立たず」でしょうか。
これは相当に強い言葉で,もし,こう言われたら,人間としての能力を,全否定されたようで,衝撃です。

以前,カナダで,厳しい語学教育をすることで有名なクィーンズ大学キングストン校で英語教育を受けたことがあります。
ディベート(debate,討論)の時間に,高齢者問題を取り上げたとき,メキシコから来た若い女子が「老人は役立たず(useless)」と発言し,「彼らの経験と知識は役に立つ」などと厳しく反論されておりました。こんなことを高齢社会の日本で発言したら,とんでもないことになりますね。
しかし,若い人の本音なんでしょうか。近い将来,自分もそうなるのにね。

今回の歌は『浜辺の歌』です。

 林古渓(こけい)作詞 成田為三・作曲(1916)

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

林古渓(1875-1947)は林羅山に連なる学者の家系で,本名は竹次郎,東京・神田出身の歌人・作詞家・漢文学者。

成田為三(1893-1945)は秋田出身の作曲家。秋田師範を卒業後,1年間小学校で教鞭をとった後,東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学,山田耕筰に師事,在学中に『はまべ(浜辺の歌)』を作曲,ドイツに4年間留学,多くの管弦楽曲,ピアノ曲を作曲しました。初期に作った童謡が代表作のように扱われて,本格的な作曲技法を見につけたご本人としては不本意だったと思いますが,日本人に広く親しまれていつまでも愛唱される『浜辺の歌』は名曲で,それは名誉なことでしょう。

秋は変化の季節,9月は台風もあり,気象変化には繊細に対応する必要があります。毎日の気温変化には気を付けて,ふさわしい衣服の選択をしましょう。秋雨前線が発達してきて,そこに台風が重なったりすると,大きな災害を引き起こす危険があります。9月は防災の月でもあります。大雨がふったら車や自転車は控え,不急の外出も控えた方が安全でしょう。

この季節は,おいしい食べ物が豊富な食欲の秋,秋空のもとスポーツの秋のシーズンです。
食事と運動は健康のみなもと,食べ過ぎには注意して,適度な運動をして,元気にお過ごしください。

わからん言葉

世の中にはよくわからない言葉がたくさんあります。

伝統的な言葉なら,勉強不足です,しっかり理解しましょう,という気にもなりますが,新しい造語だと,説明されても訳がよく分からなくて,覚える気にもならないことが多々あります。

その代表的なのが,コンピュータ関連の用語でしょうか。

たとえば,
ホテルやお店で,「Wi-Fi 使えます」のどの表示を見かけることがあります。
Wi-Fi(ワイ・ファイ)とは,国際標準規格 IEEE802.11 を使用したデバイス間の相互接続が認められたことを示す名称。無線LAN のひとつ。

IEEE(アイ・トリプルイー)とは,The Institute of Electrical and Electronics Engineers,米国の電気電子工学会のこと。

LAN(ラン)とは,Local Area Network,家庭内や企業内などの比較的狭い地域に限定されたコンピュータネットワークのこと。

数字による規格では分りにくいとして,音楽で既に用いられていた Hi-Fi(High Fidelity,高忠実度)から Wi-Fi としました。
「Wireless Fidelity」という由来は,後付けされたものです。

そういえば,ハイ・ファイ・セット(74-94)という音楽グループがありましたね。赤い鳥(69-74)が解散して,山本潤子らの3人のグループでした。「卒業写真」「フィーリング」などをヒットさせました。

家庭内のスマートフォン,パソコン,テレビ,ゲーム機などをWi-Fi でつなげば,家族のみんなが,それぞれのスマホなどから,パソコンやビデオのデータを共有して,画像・動画や音楽を楽しめたりします。便利ですね。しかし,面倒ですね。

もうひとつ,IoT(アイ・オー・ティ)があります。
Internet of Things の略で,「物のインターネット」と言ったりします。
様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され,情報交換することにより,相互に制御する仕組みです。それによる社会の実現も指す,としています。

ややこしいですよね。
それに比べれば,昔の言葉は良いですね。分りよいし,音の響きもいいです。
代表的な四文字熟語を並べますと,

品行方正  行ないが正しくきちんとしているさま

清廉潔白  心が清くて私欲がなく,いさぎよくてけがれていないこと

謹厳実直  慎み深くて厳格で,誠実で正直なこと

質実剛健  飾り気なくまじめで,逞しく健やかなこと

頭脳明晰  思考力が明らかではっきりしていること

容姿端麗  顔だちと体つきが整ってうるわしいこと

眉目秀麗  みめ(まゆと目)が優れてうるわしいこと

明眸皓歯  澄んだひとみと白い歯。美人の形容にいう 

これだけ揃っていると,言うことなしの人物ですね。

今年の夏は東日本と西日本では季節が全く異なりました。
東日本は不順な気候で,雨がよく降って,気温も低く,冷夏でした。農作物の出来が心配されます。

それに反して,西日本では,酷暑でした。真夏日熱帯夜は何日つづいたのでしょう。
しかし,夏は暑いのが当たり前,寒ければ,宮沢賢治のように「寒さの夏はおろおろ歩き・・・」と山背(やませ)が心配されます。

山背とは,夏,北海道・東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの冷湿な風のこと,稲作に悪影響を与えます。凶作風です。

この大阪でも,朝晩は秋めいてきました。
夜には虫の声が聞こえるようになってきました。

今回はこの季節にふさわしいこの歌にしましょう。

虫のこえ』 尋常小学読本唱歌(1910.7)
 作詞・作曲者不詳

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

いわゆる「オノマトペ(onomatopoeia)擬声語」のオンパレード(総出演)です。こういう音に聞こえたんでしょうね。

これからが季節の変り目,体調を崩しやすいシーズンです。
夏の疲れを残さず,温度変化に気を付けて,元気に過ごしましょう。

しあわせと平和

学生時代,先生たちと飲食・雑談をしたとき,「しあわせとはどんなときに思うか」という話題で,加山雄三が歌う『君といつまでも(65)』のように,鼻をこすりながら(これは羞恥心の表現か)「しあわせだなぁ」などとつぶやくようなことは実際なく,「不幸と思わない今のような状態のときをいうのではないか」というような展開になったと思います。

しかし,程なく,その先生方が相次いで重病となり,そして亡くなり,やはりそのときが実感はせずとも,しあわせのひとときであったのか,と思ったものでした。

しあわせ」よりもっと自覚しにくいのが「平和」でしょう。
平和な状態でもしあわせと感じない人たちがたくさんいるのも現実です。

その一つが,しあわせの訳語に fortune もあり,これは「」をも意味し,お金がなければ幸福とは思えない,ということでもあるわけでしょうか。

しかし「peace(平和)」の対義語は「war(戦争)」です。
戦争の状態で,しあわせと感じるのは,武器を売ってもうける商人ぐらいのものです。

しかし,防衛装備庁という,自衛隊の武器を調達する組織を政府が作りました(2015)。
かつて,言葉だけでも「非核三原則(67)」があり,「持たず,作らず,持ち込ませず」というのがありました。

それどころか,防衛省(2007に庁から省へ昇格,第一次安倍内閣)は2015から軍事研究に対して,大学等の研究機関に,軍学共同研究として助成金を支給する安全保障技術研究推進制度を開始し,2017の予算では前年のなんと18倍の110億円に急増しました。
日本学術会議はこれに強く反対の意を示しています。

以前,『戦争を知らない子供たち(70)』という歌がありましたが,当時,総人口に占める割合が,1/4という試算があり,それが2009年には2/3になったというデータがありました。
現在は,もちろん,それ以上で,現在の内閣では,首相をはじめ 全員,知らない世代ばかりではないですか。

いま話題の朝ドラ『ひよっこ』の主人公「みね子」の伯父「宗男(44歳)」(1966)がいつも笑っている訳を問われ,先の大戦で陸軍でビルマ戦線に送られ,インパール作戦でイギリス軍と対峙し,ある夜,斥侯を命じられ,そこで若いイギリス兵と鉢合せし,相手は笑顔で立ち去ったことで,その時笑えなかった自分を悔しいと思い,以後,笑って暮らすことを信条にしている,と言うのです。
このインパール作戦(1944)というのは,多くの犠牲者を出して歴史的な敗北を喫し,無謀な作戦の代名詞として今も引用されるほどの過酷な戦争で,その生き残りの話は,実に生の反戦へのメッセージでした。
しかし,今の指導者たちはこんなドラマ見ていないだろうな。

しかし,今後,平和が崩れた時に,「あのとき平和しあわせだったんだなぁ」などと思い返すような時が訪れないように,いま真剣に平和を持続させる道を選択しなくてはならないのです。

それにしても,今の安倍内閣の一連の政治行動を見ていると,平和を希求するのではなく,反対に実に好戦的で,危険に過ぎます。

先の東京都議会選挙(17.7.2)で,自民党は歴史的な大敗をし,現有57議席が23議席と半数以下になりました。

都議選は過去何度か,直後にあった国政選挙の「先行指標」となってきました。1993年の都議選直後の総選挙では「日本新党」が躍進して自民党政権が崩壊し,2009年の総選挙では民主党(当時)が政権交代を果たしました。

国民のみなさんの冷静な,平和を望む思いが実現しますように,願うばかりです。

こんな歌をご存知ですか。

しゃれこうべと大砲』といいます。
イタリア映画『越境者』(1950)の主題歌として使われました。

【訳詞】東大音感合唱研究会
【作曲】シシリー島民謡

1.大砲の上にしゃれこうべが
  うつろな目をひらいていた
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  鐘の音も聞かずに死んだ

2.雨に打たれ風にさらされて
  空の果てをにらんでいた
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  お袋にも会わずに死んだ

3.春がきても夏が過ぎても
  誰も花を手向けてくれぬ
  しゃれこうべが
  ラララ言うことにゃ
  人の愛も知らずに死んだ

くらい歌ですが,反戦歌です。ダークダックスが歌っているのを聞いたことがあります。

しあわせって何だっけ何だっけ」というCMソングがありましたね。明石家さんまが歌って話題になりました。

健全なる精神は健全なる身体に宿る

という有名な言葉は,ローマの詩人ユウェナリスの「風刺詩集」にあり,ラテン語で書かれています。

しかし,健康体でなくても,健全な精神は持てる,とおっしゃるお医者さんがいました。言われれば確かにそうです。

でも,健康は大切です。
健康を損なってから,あのときは健康で良かった,と思うようなことがないようにだけはしたいものです。

これから厳しい季節がしばらく続きますが,賢く過ごしたいものですね。

岩谷時子の世界

3年余り前,作詞家の岩谷時子さんが亡くなりました。享年97歳でしたから,天寿を全うした大往生といえるのかもしれません。われわれにたくさんの歌を残してくれました。

たとえば,( )内は,その発売年,歌手,作曲家の順

恋のバカンス(63,ザ・ピーナッツ,宮川泰
ウナ・セラ,ディ東京(64,ザ・ピーナッツ,宮川泰
逢いたくて逢いたくて(66,園まり,宮川泰

夜明けの歌(64,岸洋子,いずみたく
これが青春だ(66,布施明,いずみたく
ベッドで煙草を吸わないで(66,沢たまき,いずみたく
恋の季節(68,ピンキーとキラーズ,いずみたく
いいじゃないの幸せならば(69,相良直美,いずみたく

君といつまでも(65,加山雄三,弾厚作
旅人よ(66,加山雄三,弾厚作

ほんきかしら(66,島倉千代子,土田啓四郎
サインはV(69,麻里圭子&横田年昭とリオ・アルマ,三沢郷
おまえに(72,フランク永井,吉田正
男の子女の子(72,郷ひろみ,筒美京平

しかし,いろんな範囲に広く詞を提供していて,驚くほどの量です。

岩谷時子(1916-2013)さんは,京城府(現在のソウル別市)に生まれ,5歳のときに兵庫県西宮市に移住,1939年に神戸女学院大学部英文科を卒業後,宝塚歌劇団出版部に就職,『宝塚』の編集長を務めました。

岩谷さんといえば,越路吹雪(1924-80)との関係を言わない訳にはいかないですが,彼女は東京・麹町に生まれ,父の転勤で新潟に,長野県飯山高等女学校(現・飯山高校)を中退して,1937年に宝塚音楽歌劇学校に入学,同期に月丘夢路・音羽信子らがいます。
1939年2月に初舞台,岩谷さんとの出会いは「サインの見本を書いてほしい」とやって来たといいます。15歳と23歳,8歳年下でしたが,最初から意気投合したようです。
清く正しく美しく」のスローガンで知られる宝塚で,越路は煙草は吸うし,門限破りはするしの異色の存在で,「不良少女」のあだ名を付けられたといいます。

1951年に越路が宝塚を退団するとき,懇願されて専属の無給のマネージャーとなり東京に行きます。
1952年に越路が出演したシャンソンショー「巴里の唄」の劇中歌として越路が「愛の讃歌」を歌うことになり,岩谷さんが自身初の訳詞・作詞をしました。それから越路の楽曲の訳詞や,作詞家として数々のヒット曲を手がけることになりました。

しかし,この「愛の賛歌」の訳詞というか作詞には,原作とは違い過ぎるとの批判が多いのも事実です。
エディット・ピアフの歌はとても激しい恋の歌ですが,岩谷さんのはもっと優しい恋の歌です。やっぱり穏やかな日本人にはこっちの方が合うのではと思います。

https://www.youtube.com/watch?v=5PHECvAW1Bk

あなたの燃える手で あたしを抱きしめて    
ただふたりだけで 生きていたいの    
ただいのちのかぎり あたしは愛したい    
いのちのかぎりに あなたを愛したい    

頬と頬よせて 燃えるくちづけを 
かわす喜び かわす喜び    
あなたとふたりで 暮らせるものなら 
なんにもいらない    
なんにもいらない 
あなたとふたりで 生きていくのよ    
あたしの願いは ただそれだけよ 
あなたとふたり

かたくいだき合い 
燃える指に髪を    
からませながら いとしみながら    
口づけを交わすの 
愛こそ燃える火よ    
あたしを燃やす火 
心とかす恋よ

いっぽう激しいピアフの原曲も聴いてみましょうか。後半は英語です。

  空が落ちてこようと
  大地が裂けようと
  わたしは平気よ
  あなたの愛があれば

  あなたの腕に抱かれて
  わたしが震えるとき
  なにもかも かすむわ
  愛される幸せに

  たとえ地の果てまでも
  わたしはついていくわ
  愛されるならば
  月をももぎ取り
  運命も変えてみせる
  求められるならば

  故郷も棄てる
  友達だって
  あなたのためなら 
  笑われようと
  気にはしない
  あなたのためなら

  もしもわたしたちを
  死が引き離すとも
  わたしは恐れない
  あなたに愛されてれば

  ともに歩みましょう
  青い空の彼方を
  何も恐れはしない
  ともに愛し合えば

  いつまでもともに

Hymne a L’Amour

  Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer,
  Et la terre peut bien s’ecrouler,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Je me fous du monde entier.

  Tant qu’ l’amour innondera mes matins,
  Tant qu’mon corps fremira sous tes mains,
  Peu m’importent les problemes,
  Mon amour, puisque tu m’aimes.

  J’irais jusqu’au bout du monde,
  Je me ferais teindre en blonde,
  Si tu me le demandais.
  J’irais decrocher la lune,
  J’irais voler la fortune,
  Si tu me le demandais.

  Je renierais ma patrie,
  Je renierais mes amis,
  Si tu me le demandais.
  On peut bien rire de moi,
  Je ferais n’importe quoi,
  Si tu me le demandais.

  Si un jour, la vie t’arrache a moi,
  Si tu meurs, que tu sois loin de moi,
  Peu m’importe si tu m’aimes,
  Car moi je mourrais aussi.

  Nous aurons pour nous l’eternite,
  Dans le bleu de toute l’immensite,
  Dans le ciel, plus de probleme,
  Mon amour, crois-tu qu’on s’aime?

  Dieu reunit ceux qui s’aiment.

じっさい,1953年にパリで,越路はピアフのステージを見て聴いて,非常な衝撃を受けた,と日記に書き残しています。

しかし,有名な歌手たちはかなり短命ですね。

エディット・ピアフ(1915-63,47歳で没)
ナット・キング・コール(1919-65,45歳)
エルビス・プレスリー(1935-77,42歳)
カレン・カーペンター(1950-83,32歳)

越路吹雪(1924-80,56歳)
美空ひばり(1937-89,52歳)

こうなると長生きしているのはダメな歌手,ということにもなりかねないですね。
でも,明らかに声が出ないのに人前で歌う老年歌手をみると,とても切ない気持ちになります。

音源が残っているので,後世の人たちも聴くことができますが,それにしてもみんな早過ぎます。
しかし,もともと歌手は演奏寿命(歌える期間)が短いので,劣化する前に亡くなるのは,良い状態の歌唱や姿だけ残せるので,早逝する方が良い,という見方もあります。

ところで,岩谷さんは越路吹雪から「恋泥棒」というあだ名をつけられていて,越路の恋の話を自分の作詞にしてしまう,と。
じっさい,『恋の季節』で有名な「夜明けのコーヒー」は,外国人から越路が「夜明けのコーヒー」を誘われて,本人はコーヒーを早朝に飲むだけの約束だと思っていた,という実話があります。

岩谷さんは,自分はあくまで清楚に生き,友達の奔放な恋の歌を沢山かいて,一生を二人分,楽しんで生きた,というような稀に見る女性でした。

しかしやっぱり,普通の人間は健康で長生きしたいものです。
これからは季節の移り変わるシーズンです。季節に合わせた生活をして,憧れの春を迎えましょう。

お正月

元日に年賀状を読むのも,年に一度の友人たちの安否確認のようなもので,ささやかな正月の楽しみの一つです。

しかし年賀状は,電子メールSNS( Social Network Service)の普及により,発行部数が17年度は約30億枚で,過去最高の04年に44億6000万枚を発行して以降,減少傾向がとまらず,年賀はがきはハガキ全体の3割を占めているので,郵政事業全体にも影響が出てきています。
ハガキが今年の6月から23年ぶりに62円に値上げすることが決まりましたが,年賀状は据え置かれるので,みなさんもせいぜい古き風習を尊重して,年賀状を出してください。

郵便料金の推移 

・         葉書  封書 
昭和24年(51)   5円  10円
昭和41年(66)   7     15
昭和47年(72)   10   20
昭和51年(76)   30   60
平成 元年(89)   41   62
平成   6年(94)   50   80
平成26年(14)   52   82

たったの5円や10円で,ハガキや手紙が届けられた時代が懐かしいです。

一般に,一休さん(一休宗純,1394-1481)の作と言われている短歌に,

門松は 冥土の旅の 一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

また,小林一茶(1763-1827)の句には,

目出度さも ちゅう位なり おらが春

「あけましておめでとうございます」などと言ってみても,ほとんどの人は,そうめでたくもなく,「ちゅうくらい」なんです。

でも,年が変わる度に,新年と称して,新しい気持ちでスタートする,というのはいい習慣だと思います。去年は余り良くなかったけれど,今年は良いことがあるかも知れない,と思うことで,気分も変わって,ほんとうに良いことが起るかもしれません。

新年のスタートは,正月らしく「一月一日」にしましょう。

一月一日」 千家尊福(せんげ・たかとみ)作詞 
上 真行(うえ・さねつら)作曲 官報第三〇三七号附録(1893.8)

年の始めの 例(ためし)とて
終なき世の めでたさを
松竹たてて 門(かど)ごとに
祝(いお)う今日こそ 楽しけれ

初日のひかり さしいでて
四方(よも)に輝(かがやく)く 今朝のそら
君がみかげに 比(たぐ)えつつ
仰ぎ見るこそ 尊(とう)とけれ

明治時代の歌で,歌詞も古文ですが,意味は分りますね。
出雲大社の宮司さんの作詞で,宮内庁楽師さんの作曲です。。

平成も30年で終わり,次の時代は,どうなってゆくのでしょう。世間はかまびすしい(やかましい,さわがしい)ですね。

まず,政府は天皇の退位を,皇室典範の根本的な改正ではなく,時限立法(有効期間をあらかじめ定めた法,つまりその場しのぎの法)でやろうとしています。
今の皇太子(次の天皇)には,男子がいませんので,今のままだと,秋篠宮さんが皇太子になることになります。

皇位継承順位
1.皇太子徳仁(なるひと)親王 1960.2.23生
2.秋篠宮文仁(ふみひと)親王 1965.11.30
3.秋篠宮悠仁(ひさひと)親王 2006.9.6
4.常陸宮正仁(まさひと)親王 1935.11.28

今上(きんじょう)天皇昭仁(あきひと)陛下は1933..12.23のお生れなんで,現在83歳,2年後は85歳で,十分に高齢です。

今の皇太子が天皇になると,皇位継承者は3人だけ,しかも常陸宮さんはすでに高齢で今上帝の弟さんですが,現実には皇位継承は無理です。
そうすると,皇位継承者はたったの2人だけ,という誠に不安定な状態になります。
しかも,悠仁さんはまだ10歳,自分の子供ができるのはまだまだ先,そして男子が生まれる確率も半分です。

そうすると,ふつうには女帝を選ぶことになるはずなのですが,これには断固,反対している人たちがいるのです。

天皇家は,「万世一系」と称して,一つの血統が2600年以上も引き続いていることが,特別であるそうなんです。
女性が入るとX染色体なので,男性のY染色体が残らない,つまり,違う血筋になる,そうなんです。

未だに堂々とこういうことを言う人たちがたくさんいることが,不気味です。

ダーウィン(1809-82)の「進化論」(1859)を信じないキリスト教徒がいることと同様な不安を感じます。

ここに進化論とは,「生物のそれぞれの種は,神によって創造されたものではなく,極めて簡単な原始生物から進化してきたものである」という説。

いまが年間で一番寒い季節です。これさえ乗り切れば,春が来ます。立春(2月4日)まで,もう少し我慢してください。

風邪は万病のもと,インフルエンザの予防接種は済ませましたか。接種すると,10日ぐらいで抗体ができ始め。1ヶ月で効果を発揮し,2~3ヶ月間は持続します。ですので,本当は11月中ぐらいに接種しておくのが適切なのです。いまからでは少々遅すぎますね。

しかし,寒さに負けないで,元気にお過ごしください。

君の名は

いま,チマタでは長編アニメ映画『君の名は。』が大ブレイク(予期せずに流行すること)しているようです。監督は新海誠(1973-)43歳,長野県出身,中央大学卒。

あらすじは,

東京の四ツ谷に暮らす男子高校生・立花瀧(たちばな たき)は,ある朝,目を覚ますと飛騨の山奥にある糸守町〔架空の町〕の女子高生・宮水三葉(みやみず みつは)になっていました。そして,三葉は瀧の身体に。2人とも「奇妙な夢」だと思いながら,知らない誰かの一日を過ごすのです。
その後もたびたび「入れ替り」が起きたことによって,ただの夢ではなく実在の誰かと入れ替っていることに気づきます。2人はスマホのメモを通してやりとりをし,入れ替っている間のルールを決め,元の身体に戻った後に困らないよう日記を残すことにしたました。
お互い束の間の入れ替りを楽しみつつ次第に打ち解けていきます。しかし,その入れ替りは突然途絶えてしまいます。瀧は風景のスケッチだけを頼りに飛騨に向かいますが,たどり着いた糸守町は,3年前に隕石(ティアマト彗星〔これも架空の彗星〕の破片)の衝突により消滅しており,三葉やその家族,友人も含め住民500人以上が死亡していたことが分るのです。

じつは,これ以前に,三葉も瀧をさがしに東京へ来ていて,実際は3歳年下の瀧を電車の中で見つけ,自分の髪を束ねていた組紐を瀧に渡していたのです。

これ以上の詳細な記述は,映画を観てのお楽しみ,ということで止めておきます。

この映画は,2つの日本の古典,
小野小町の和歌「思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば 覚めざらましを」(古今和歌集)と,
男児を「姫君」として女児を「若君」として育てる『とりかえばや物語』(作者不詳)を設定に取り込んでいます。
また,男女入れ替りをモチーフとする大林宣彦監督の映画『転校生』なども参考にしています。

声優陣も多彩で,

立花 瀧 神木隆之介
宮水三葉 上白石萌音
奥寺ミキ 長澤まさみ(瀧のバイト先の先輩,美人女子大生)
宮水一葉 市原悦子(三葉の祖母,宮水神社の神主,82歳)

奥寺先輩役の長澤まさみは色気があっていいですね。
市原悦子のお婆ちゃんは,もちろん絶品です。
ワキがしっかりしていると,物語がしまりますね。

三葉の声を担当した上白石萌音(かみしらいし もね,1998-)は鹿児島出身の18歳の俳優・歌手,あるテレビ番組で,自分の好きな映画の主題歌を発表する場で,『ティファニーで朝食を』(1961)でオードリー・ヘプバーン(1929-93)がアパートの窓枠に腰かけて,ギターをつま弾きながら,かすれ声で歌う「ムーン・リバー」が好き,と言っていました。こういうところがこの人の魅力なのかもしれませんね。
この歌,のちにアンディ・ウイリアムス(1927-2012)の持ち歌のようになりましたが,映画ではコーラスでした。

かつて,一世を風靡(ふうび)した同名のドラマがありました。
菊田一夫・作『君の名は』(1952)で,ラジオの連続放送劇でした。そのご映画化(1953)されて(3部作),それも大ヒットしました。

あらすじは,

第二次世界大戦の末期,東京大空襲の夜,たまたま一緒になった見知らぬ男女,氏家真知子(うじいえ まちこ)と後宮春樹(あとみや はるき)は助け合って戦火の中を逃げまどい数寄屋橋にたどり着き,一夜が明けて,二人はここでようやくお互いの無事を確認します。お互いに生きていたら,半年後,それがだめならまた半年後に,この橋で会おうと約束し,お互いの名も知らぬままに別れます。やがて,2人は戦後の渦に巻き込まれ,お互いに数寄屋橋で相手を待つも再会がかなわず,1年半後の3度目にやっと会えた時には,真知子はすでに明日嫁に行くという身でした。しかし,夫との生活に悩む真知子,そんな彼女を気にかける春樹,2人をめぐるさまざまな人々の間で,運命はさらなる展開を迎えていきます。

番組の冒頭,「忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という来宮良子のナレーションも有名になりました。
当時のラジオドラマは生放送だったため,劇中のBGMは音楽担当の古関祐而がハモンドオルガンを毎回,即興演奏していました。

毎週木曜8時からの30分放送でしたが,「番組が始まると,銭湯の女湯がカラになる」といわれるほどの人気ドラマになりました。

配役は,

・     ラジオ    映画
氏家真知子  阿里道子   岸 恵子
後宮 春樹  北沢 彪   佐田啓二

なにしろ,「真知子巻き」というストールの巻き方が大流行するほどの人気でした。

同名の主題歌が映画やレコードで歌われました。もちろん
菊田一夫・作詞 古関祐而・作曲 織井茂子・歌(1953)

くしくも,64年の時を経て,似たような話題となる映画が再び登場するというのも興味深いものです。時間と空間が隔たれば,現代でも会いたい人に会えないのです。

12月8日は太平洋戦争の日米開戦日です。先に真珠湾を攻撃しておいて,後で宣戦布告をするというのは,やり方として非常にまずかったです。
始め方が良くなかったせいで,終わり方が最悪となりました。
その復興に何十年かかったことでしょう。

この時期,そんなことも少しは考えてみるのも必要です。

冬本番となりました。あと2カ月余りは我慢の日々が続きます。風邪など引かないよう,万全の対策をして,この厳しい季節を乗り切りましょう。