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夏の花

夏はよる。
月の頃はさらなり,
やみもなほ,
ほたるの多く飛びちがひたる。
また,ただひとつふたつなど,
ほのかにうちひかりて行くもをかし。
雨など降るもをかし。

清少納言枕草子』の「〔一〕春はあけぼの…」につづく余りにも有名な一節です。

ここに何度もでてくる「をかし」は「趣がある,風情がある,風流だ」という意味です。

しかし,現代は,夜も熱帯夜(最低気温が25℃以上の夜)になって,過ごしよいわけでもありません。

ついでに
都心部ではヒートアイランド(heat island)と呼ばれる現象がおきています。
これは,地図上に各地の温度分布を等温線で示し,それを等高線のようにみなすと,都心部を頂点とするような島の形状を表す現象です。
原因は,都市化に伴う環境の変化ですが
1.地表の被覆の人工物化(雨水が土壌に浸透しない)
2.人工排熱の増加(エアコン排熱など)
3.都市の高密度化
が主なものです。

この季節は,二十四節気のうちで「大暑」(7月23日~8月6日)と呼ばれて,文字通り,最も暑い期間です。
8月7日は「立秋」で暦の上では秋ですが,このあたりが一番暑くなる頃です。
しかし,手紙では,大暑のときは「暑中お見舞い」で,立秋になれば「残暑お見舞い」になりますので,その区別はお間違いのないように願います。

ところで
夏の花の代表はやっぱり向日葵(ひまわり)でしょうか。
茎に剛毛を生じ,高さは2mに達し,直径20cmもの大型の黄色い花を開きます。

ひまわりの種はペットの食用として用いられていますが,もちろん人間が食しても,有用な食糧です。
ヒマワリの種のもつ不飽和脂肪酸には,血中のコレステロールを減らす作用があり,血管を浄化して血行を良くします。
また一緒に含まれるビタミンEにも同様の効果があるため,しなやかな血管を保つにはおすすめの食材といえるでしょう。
生活習慣病の予防にも効果的です。

ひまわりといえば,この映画を思い出します。
映画『ひまわり』(イタリア,1970年9月日本公開)
ヴィットリオ・デ・シーカ・監督
ヘンリー・マンシーニ・音楽
第2次大戦中,洋裁師のジョバンナ(ソフィア・ローレン)と兵士アントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)は海岸で知合い,愛し合い,すぐに結婚。しかし,戦場に行きたくないアントニオは仮病を装うが,すぐにバレて,過酷なソ連戦線に追いやられます。アントニオは極寒の地で倒れますが,少女マーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)に助けられます。
待ち続けるジョバンナは,戦後,ソ連戦線からの帰還兵に彼の消息を尋ねます。わずかな手がかりを頼りにソ連に向かうジョバンナ。ようやく探し当てますが,そこに暮らすマーシャと幼な子に会い,事情を察します。仕事から帰るアントニオの姿を見て,逃げるように立ち去り列車に飛び乗り号泣するジョバンナ。

美しい映像と美しい音楽,みごとな反戦映画です。
印象的なのは,一面のひまわり畑とともに,一面のヘルメットが並んでいる墓地の光景です。
ひまわりの数と同じほどの人々がこの戦争で亡くなったことを象徴的に表しています。

この映画を見たときなぜか,この歌を思い出しました。
岸壁の母藤田まさと・詞 平川浪竜・曲 菊池章子・歌(1954)二葉百合子・歌(1972)
実在の母親が舞鶴で,出征した息子の帰りを待ち続けた話を歌にして長年にわたり流行しました。

イタリア人の妻は積極的に戦地まで探しに行き,日本人の母はただ岸壁で待ち続ける,その対比でした。

しかし,岸壁の母の息子さんは生存されており,実情を知りながら,日本には帰られませんでした。

いずれにせよ,
間違いなく戦争は悲惨なものであり,二度とやってはならないことだけは確かです。

海の季節

は地球上の陸地以外の部分で,塩水をたたえたところで,地球表面積の70.8%を占めています。

日本はご存知のように,オホーツク海,日本海,太平洋,東シナ海の4つの海に囲まれています。

したがって,日本語で単に「りょうし」といえば「漁師」をさすことが多く,山でカリをする人を「山りょうし」「猟師」と区別します。

7月21日は「海の日」です。
当初は,7月20日でしたが,いわゆる「ハッピーマンディ制度」により,7月の第3月曜日になりました。

ちなみに
その他のハッピーマンディは
成人の日(1月第3月曜日)1999年までは1月15日
敬老の日(9月第3月曜日)2003年までは9月15日
体育の日(10月第2月曜日)2000年までは10月10日(1964年東京オリンピックの開会式の日)

NHKの北出清五郎アナウンサの名セリフ
世界中の秋晴れを,全部東京に持ってきたような素晴らしい秋日和であります」のような快晴の日でした。

ちなみに
成人の日」は本来,前年の成人の日の翌日から,その年の成人の日までに誕生日を迎えた人を祝う日でしたが,最近では,前年の4月2日から,その年の4月1日に成人になる人を式典参加する学齢方式が多くなってきています。

また
文化の日」11月3日は,元来,明治天皇の誕生日であり,かつては「天長節」「明治節」と称されてきました。
1946年(昭和21年)日本国憲法が発布されたのはこの日であり(半年後の5月3日に施行),日本国憲法が「平和」と「文化」を重視していることから「文化の日」と命名されました。

日本の祝日は年間15日に及びます。
これは世界各国と比べて最右翼といってよいほど多いのですが,有給休暇の消費率が低いため,年間の実際の休日日数では世界で20位とあまり高くありません。

そのせいか
政府はさらに「山の日」8月10日を制定し,2016年から実施します。

海の歌といえば,勇壮なこの歌でしょうか。
歌詞が難しいので,教科書から外されたといういわくつきの歌でもあります。
しかし難しくても日本語ですから,ていねいに説明すればわかりますし,言葉の文化も継承されていきます。
われは海の子』作詞・作曲者不詳 尋常小学読本唱歌(1910)

我は海の子白浪(しらなみ)の さわぐいそべの松原に
煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家(すみか)なれ

生まれてしほに浴(ゆあみ)して 浪を子守の歌と聞き
千里寄せくる海の氣を 吸ひてわらべとなりにけり

高く鼻つくいその香に 不斷の花のかをりあり
なぎさの松に吹く風を いみじき樂(がく)と我は聞く

とまや(苫屋とは,苫(とま)で屋根をふいた粗末な小屋,のことです。

歌詞は7番までありますが,7番の
「いで軍艦に乗組みて我は護らん海の国」という歌詞が平和の国の歌としてふさわしくないとして,戦後,GHQ(general head-quarters,総司令部)の指摘により削られました。

そんなことではへこたれない強さがこの歌にはあります。

気のつかない差別

カナダにいるとき,ある求人案内に目をとめました。

その内容は,結構重要な求人にも関わらず極めて簡単で,職種条件(バイリンガル)・年俸の3種でした。
バイリンガル(bilingual,2言語使用者)といっても,日本語と英語ではダメで,カナダでは当然,英・仏2か国語を指します。
ちなみに
勤務していた研究所の秘書さんは,私と話すときはきれいな英語でしたが,ホテルの予約をお願いするとき,フランス語で話していて,彼女の母語がフランス語であることが分りました。

そこで
北米(アメリカ,カナダ)では,求人のときに,「性別」と「年齢」を明記することが禁じられていることを知りました。

性差別(gender discrimination)表現の禁止は,日本でも
看護婦→看護師,助産婦→助産師
と呼び替えたりしていますが,英語ではもっと神経を使います。

もちろん女性のみに使うウエイトレス(wait-ress)やスチワーデス(steward-ess)はwait-person,flight attendantと言い替えるし,未婚・既婚を表すミス(Miss)ミセス(Mrs.)はミズ(Ms)に統一しています。

日本では,差別用語として,めくら,つんぼ,おし,とかの身体障害者に対する昔からの言葉を使うことが禁止されています。
ですから
めくら滅法」(少しも見当を定めないさま)
つんぼ桟敷」(いろいろな事情を知らされない状態)
片手おち」(配慮が一方だけにかたよること)
は使ってはいけないことになっています。

戦後のリズム感あふれる快歌『買物ブギ』(村雨まさを・詞 服部良一・曲 笠置シヅ子・歌 1950)の最後で
わてツンボで聞こえまへん
これまたメクラで読めません
が放送で流れるとき,かならず音がありません。
つぎのYouTubeではハッキリ,明瞭に発音しています。

はたして,言葉を言い替えたら,差別意識はなくなるのでしょうか?

服部良一(1907-1993)は大阪市出身の作曲家,和製ポップスの創始者といってもよい存在。
なお,「村雨まさを」は服部良一のペンネームです。
代表作は,『買物ブギ』のほか
別れのブルース』 藤浦洸・詞 淡谷のり子・歌(1937)
蘇州夜曲』 西条八十・詞 渡辺はま子・霧島昇・歌(1940)
東京ブギウギ』 鈴木勝・詞 笠置シヅ子・歌(1947)
青い山脈』 西条八十・詞 藤山一郎・奈良光枝・歌(1949)
銀座カンカン娘』 佐伯孝夫・詞 高峰秀子・歌(1949)
ほか多数。

笠置シズ子(1914-1985)は香川県で誕生し,大阪市で育った歌手・女優で,戦後「ブギの女王」として一世を風靡しました。
OSK日本歌劇団の前身で活躍,服部良一と出会ってから,一躍,全国区となりました。
私生活では,8歳年下の吉本穎右(吉本興業の創業者・吉本せいの子)と知合い,交際・妊娠に至るもせいは断固認めず,私生児を生み,穎右は24歳で病没,生涯独身を通しました。
最初,三笠静子を名乗っていましたが,崇仁親王三笠宮を名乗ることになったので,恐れ多いと笠置シズ子と改名しました。
美空ひばりが登場するまで(最初ひばり笠置の物真似をしていました)歌って踊れるスーパースターとして芸能界に君臨しました。
晩年,「家族そろって歌合戦」(1966-1980)では審査員をつとめ,大阪の優しいおばちゃんの感じが前面に出ていました。

この『買物ブギ』は大阪弁の独特な抑揚と音楽がピッタリと融合して,リズミカルな歌唱とあいまって,これほど大阪弁を上手に扱った曲は他に見当たりません。

つぎは年齢のことです。
日本では人に年齢を気軽に尋ねたりしますね。
新聞でもかならずカッコつきでその人の年齢が表記されています。
長幼の序」(年長者と年少者との間にある秩序)を明確にして,適切な対応をするため,ですか?
それは違うでしょう。

むしろ,今の日本は若者に迎合する社会ではないか,と思っています。
この世の中,若者向きが多すぎる,と感じています。

私の経験ですが
ある高級(とされている)ホテルのメインダイニングで食事をしていたときのこと,係員がお客と一緒に騒いでいるので,責任者を呼び注意を喚起したことろ,「私どもはお客様と一緒にワッと盛り上げる方向でやっています」のような珍(?)回答だったので,ここは大人がゆっくり楽しむ場所ではないと判断して,それ以降いっさい行きません。

それに最近の流行といってもよいような,歳の差婚があります。

1.48差 鈴木清順(88)  一般女性(40)
2.45差 加藤茶 (68)  綾菜(23)
3.40差 角川春樹(69)  友美(29)
4.38差 上原謙 (65)  雅美(27)
5.33差 中村富十郎(66) 正恵(33)
6.32差 ラサール石井(56)桃圭(24)
7.30差 山本文郎(73)  由美子(43)

ここまで来るとご立派(!)としか言いようがありませんが,必ずしもお金が目当てとも思えませんが。

むかし林髞(はやしたかし,1897-1969)という医師で作家の人がいて,「人生2度結婚説」というものを提唱しました。
若い男性/女性はまず熟年女性/男性と結婚,自分が熟年になり伴侶が他界すると,今度は若い女性/男性と結婚という考え方で,こうすれば世の中,少なくとも庶民の暮らす世の中に経済力や思慮分別が万遍なく行き渡るのではないか,ということのようです。

もちろん制度化するのは難しいですが,自由な社会ですから,個人的に実現するのは差し支えないものと思われます。

そんなことより
日本は国際的に最悪の女性差別国家であると思われていることをご存知ですか?

労働している男女間の給与格差が大きく,40歳以上では40%以上になり,ほとんど世界最悪なのです。
上場企業で役員になる女性の割合は,わずか5%と極めて低いのです。
同じように大学を出ても,男女間で給料でも出世でも大きな差別がされている,というのが日本の実態なのです。

表面的には一見,女性が優位に扱われているように見える日本の社会ですが,根本のところで,大きな差別が厳然として存在するのです。

それを自覚して打破するのは,結局,女性自身です。

健康に過ごすということ

いきなりですが
日本の2013年の死因順位
1.悪性新生物(がん)365,000 人(昨年より4,000人増)
2.心疾患      197,000 人(昨年より1,000人増)
3.肺炎       124,000 人(昨年より1,000人増)
4.脳血管疾患    119,000 人(昨年より2,000人減)

ちなみに,1980年では
1.脳血管疾患    162,317人
2.悪性新生物(がん)161,764人
3.心疾患      123,505人

つまり,「がん」で亡くなる人が2倍以上,大幅に増えています。
現代は,2人に1人が「がん」にかかると言われますが,近年の医療技術の発展で,早期発見でのがん治療の場合は,その後の生存率が大きく改善し,治る病気となりつつあります。

脳血管疾患とは,脳梗塞・脳出血・クモ膜下出血の総称ですが,減少してきているのはうれしいことです。

また
日本人の2012年の平均寿命は    1989年では
女性 86.41歳(世界1位)       81.77歳
男性 79.94歳(世界5位)       75.91歳

さらに
100歳以上の人数は(2013年)    1989年では
女性 47,606人            2,448人
男性    6,791人                630人
*計 54,397人            3,078人

この24年間で男性は10倍ですが,女性は20倍という恐ろしいほどの伸び率です。

最高齢者は女性が,大阪市住吉区の大川ミサヲ(115)さんで
男性は,さいたま市中央区の百井盛(110)さんです。

そして
誰もが願うことは,健康で長生きすることですね。
人のお世話にならないと生活ができないというのは苦痛なことです。

さいきん
糖尿病の人が,インスリン注射後に食事を取らなかったため,低血糖症状になり,意識が混濁した中で車を運転し,多くのケガ人をだすという事故がありました。

糖尿病は生活習慣病の一つですから,注意して生活すればかからなくて済む病気です。

生活習慣病とは
食習慣,運動習慣,休養,喫煙,飲酒等の生活習慣が,その発症・進行に関与する疾患群のことです。

スウェーデンにおける長年の追跡調査によれば,
生活習慣による死亡リスク
1.喫煙          1.92倍
2.糖尿病         1.64倍
3.高血圧         1.55倍
4.メタボリック症候群   1.36倍
5.高コレステロール血症  1.10倍

これらはそんなに難しいことではなくて,喫煙をやめて
適正な運動とバランスの良い食事をすることでほとんどが改善されます。

ちなみに
チンパンジーバナナはつきものですが,最近,動物園ではバナナをやらないようにしたそうです。
それは,市販のバナナは人間用に甘く作りすぎているので,チンパンジーには害になるそうです。
チンパンジー用には野生の青臭いものが良いのです。

そのように
いまや人間の生活では不自然に甘いものであふれています。
甘くないスイーツといっても自然の甘さを超えているのは明らかです。

よく
好きに生活させてくれ,健康のために我慢するなんて,まっぴら,好きなものを気にせずに食べたいだけ食べて,自由に生きたい,そのために短命でも良い,という人がいます。

まあ
そんな人にはどうぞご自由に,とは言いますが,しかし,少し気を付けるだけで,ずいぶん違ってきて,健康保険を使う確率を下げて,健全な社会となるのですが・・・。

若いころから,健康には気をつけて来ました。
喫煙も飲酒もしませんし,甘いものは一切食べません。
運動習慣も,ずーと続けて来ました。
いろいろ趣味があるようですが,本当の趣味は健康でしょう
とか
健康のためには,死んでもいいと思っているでしょう
というような冗談か揶揄かわからないようなことを言われ続けて来ましたが,それこそ気にせずに健康に過ごしてきました。

やっぱり元気で長生きできることが一番です。
元気でいれば,好きなこと,楽しいこともたくさんできます。
キーワードは「食事」と「運動」ですよ。

夏の虫

よく使うことわざに

飛んで火にいる夏の虫

というのがありますが,
明かりにつられて飛んで来た夏の夜の虫が火に触れて焼け死ぬことから,それと気づかずに,また,自ら進んで危険に飛び込むことのたとえ,として使います。

このことわざのように,
高電圧を用いた電撃タイプの捕虫器があり,虫が自ら光に吸い寄せられて,バリバリと焼けこげるという無残な姿を目にしたものでした。

ところが最近,
新しいタイプの捕虫器がつくられ,上部の「捕虫ランプ」,中部の「ファン」,下部の「捕虫袋」の3つの部位で成立っており,吸込まれた虫は袋の中に溜まるため,袋ごと捨てれば,虫に触れることなく衛生的に処理できるというものです。

家庭用には,
「電気蚊取り器」よりも渦巻き型の昔ながらの「蚊取り線香」が好みです。

家には蚊など一匹もいそうもないようなタレントが,団扇片手に「日本の夏,〇鳥の夏」なんて言うCMがありましたね。

スプレー式の蚊取りを,コメディアンが「ルーチョンキ」などとのたまわりながら,スプレーしまくるようなCMも懐かしいです。

蚊の刺したようにも感じない
というのは少しの痛痒も感じないということですが,実際には,刺されると痒いし,うるさいものです。

世の中に か(蚊)ほどうるさき ものはなし
ブンブ(文武)といひて 夜も寝られず

これは太田南畝(蜀山人,1749-1823)が作った狂歌で,白川藩主であった老中・松平定信(1759-1829)が行った寛政の改革を批判したものとして有名ですね。

ものはついでに,こういうのもありました。

白河の 清きに魚も 住みかねて
もとの濁りの 田沼恋しき

もちろん,
田沼とは,そのまえの老中・田沼意次(1719-88)のことで,重商主義政策を採りました。
ちなみに,
江戸時代には三大幕政改革が行われていますが

享保の改革(1716-45) 徳川吉宗・主導
寛政の改革(1787-93) 松平定信・主導
天保の改革(1841-43) 水野忠邦・主導

いずれも質素倹約・緊縮財政を推し進めたので,経済はよけいに沈滞することになったのです。

さて
金儲けをもくろんだある芸人が,オオクワガタが高額で売買されて儲かると聞き込んで,自宅で飼いだしたのはよかったのですが,クワガタにつられて虫が湧くようになり,それを気にかけた女房がバルサン(燻煙式の殺虫剤)を焚いて,すべてを殺してしまった,という笑い話のような事実があります。

夏の虫というより,いまや年中いますが
ゴキブリは嫌われていますね。
むかしはアブラムシと言っていました。
あのねのね『赤とんぼの唄』(清水國明・詞 原田伸郎・曲)でも
「赤とんぼ 赤とんぼの 羽根を取ったら アブラムシ」
と歌っています。

殺虫スプレーをかけても即死に至りませんから,追い回すことになり,連中が元気な夏は取り逃がすことも少なくありません。

以前はどこの家でもハエタタキがありましたから,現れても,あれで一撃すればたちどころに取り押さえられました。
ただし,虫の内臓が付着するのが嫌ですね。

話は突然それるようですが,
自動販売機で,紙コップが出てきて,濃縮されたものがその場で適切な熱さ(冷たさ)で混合されて注がれるタイプのものは気を付けてください。
注ぎ口周辺は甘くて暖かくて年中,ゴキブリにとって絶好の住みかです。
内容物を交換にくるお兄さんに「ゴキブリの死骸が挟まっていることがよくあります」と聞いて以来,そのようなタイプを選んだことはありません。

夏の虫は,秋の虫と比べて,風情がありませんね。
ホタルが例外でしょうか。

もうすぐ本格的な夏になると,セミがうるさいですね。
わが家のゴンタな猫は,庭に出ると,セミを捕まえて来ます。
近くに田んぼがあったころには,カエルやヘビをお土産に持って帰ってきて往生しましたが,最近は部屋でわれわれが気づかないような小さな虫を追っかけています。

虫をムシできるくらい大らかな生活ができればよいのでしょうけれど・・・。

梅雨ニモマケズ

雨ニモマケズ 風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
欲ハナク 決シテ怒ラズ
イツモシヅカニワラッテイル

これはご存知のように,宮澤賢治(1896.8.27-1933.9.21)の没後に発見された手帳(1931)に記されていたメモの一節です。

われわれも梅雨ぐらいに負けてはいられません。
この時期の花といえば,紫陽花(あじさい)ですね。

ajisai

雨に濡れている紫陽花は本当にみずみずしくてきれいですね。

紫陽花の花言葉は
移り気,高慢,辛抱強い愛情,元気な女性,無情,浮気,自慢家,変節
などイッパイありますが,あまり良い意味は少ないです。

こんないい歌があるんですが
あじさい武鹿悦子・作詞 大中恩・作曲

あじさい あじさいあめのよに
まいまいつぶろは きましたか

まいまいつぶろは チチンプイ
まほうがじょうずと ききました

それとも それとも けさのにじ
うっとり うっとり みましたか

あじさい あじさい いつのまに
しずくをはらって にじのいろ

「まいまいつぶろ」とは蝸牛(かたつむり)のことです。
きれいな歌なんですが,残念ながら,なかなか聴くことができません。

つゆの季節

いよいよ梅雨入りですね。
夏至(6月21日ころ)の前後2週間づつが標準的な期間ですから,今年は少々早めでした。

梅雨になるとじめじめして湿度が高くなり,かびが発生したり,ものが腐りやすくなって食あたりの危険性が増し,洗濯物が乾きにくくなり,だいいち,気分的に嫌ですよね。

日本人は天日干しが好みで,冬でも洗濯物を外に干す習慣が普通ですが,逆にカナダでは,夏でも乾燥機で乾かします。

洗濯物に限らず,ふとんでも天日干しをしますね。
最近は天日に干すより,紫外線を当てダニを殺し,たたき出して吸込む方が効果的というふとん専用の掃除機も好評なようです。

洗濯物の乾燥には,乾燥機のほかに,ユニットバスなどで浴室を乾燥室にするもの,エアコンの除湿モードを利用して部屋干しで乾燥させるもの,などがあります。

梅雨の良いところはないのでしょうか?
いえいえ
農作物を育てるという大切な役目があります。
この時期に多くの降水がないとコメの収穫に大きく影響します。
冬の積雪も農業には大切な水源とされています。

私が2年間も生活した,ある開発途上国では,夏は50℃にもなろうかというのに,6月から9月の4か月間で一滴の降水もありませんでした。
水源は自国ではまったく確保できずに,中国の高山の雪解け水に頼っています。
乾燥したところでは気象が急変して,突然寒くなったりもします。
日較差(1日の最高と最低気温の差)は平気で20℃以上ありました。
まあ熱帯夜がなくて夜は涼しい,という良い点もありますが。
なしにろ湿度が低くくて夏でも静電気が発生します。
ウガイすべくガラスコップに水を注ごうとして,水栓をひねったとき静電気が発生して思わずコップを落として割ったことが何度かありました。
そういうところで生活すると,肌がガサガサになります。
日本女性の肌がいつまでも美しいのは,この湿潤した気候の影響もあると思います。

アメリカの,最近ではインドでも,大規模農業地域では,地下水をくみ上げて農業用水に利用しているのです。
降水という供給源がないと,枯渇するのは必至です。

むかし日本でも,工業用水として地下水を利用して地盤沈下を引き起こしたことは記憶に新しいことです。
取水規制により,地盤の隆起が起こりましが,これは元に戻っただけの話です。

日本では降水量が多いために,このような回復が容易でした。
しかし,降水量の少ない地域では,容易に砂漠化します。

大気汚染の影響で酸性雨が降り,森林が壊滅した地域が世界には多くあります。
しかし,わが国では降水量が多いため,それほどの被害は出ていません。

中国からの黄砂もPM2.5(Particulate Matterの略,直径2.5μm以下の超微粒子)も十分な降水があれば洗い落とされます。

ただし,降りはじめの雨には気を付けてください。
長く晴天が続いた後の雨には大気中の有害物質が多く含まれているため,かからない方が安全です。

充分な降雨が人間の生活には必要なことがお分かりになったでしょう。
そして日本がいかに住みよい国であるかということもお分かりでしょう。

さて
雨の歌です。

『雨』 北原白秋・作詞 弘田龍太郎・作曲

雨がふります 雨がふる
遊びにゆきたし 傘はなし
紅緒のかっこも 緒が切れた

雨がふります 雨がふる
いやでもお家で 遊びましょう
千代紙折りましょう たたみましょう

ここではマニアックに同じ雨でも
『雨』 八木重吉・作詞 多田武彦・作曲

雨のおとが きこえる
雨がふっていたのだ

あのおとのように そっと世のために
はたらいていよう

雨があがるように しずかに死んでいこう

多田武彦(1930.11-)さんは大阪市のお生まれ,京都大法学部卒後,富士銀行に入社,在学中,男声合唱団に所属し指揮者として活躍,就職後は,作曲家・清水脩氏に師事し,日曜作曲家としておもに男声合唱曲をたくさん作曲されました。
代表曲「柳川風俗詩」(北原白秋),「富士山」(草野心平),「雨」など,重厚な和声を大切にした「多田節」として,その筋では有名です。
この曲は組曲「雨」の最終Ⅵの曲で,
多田さん自身が「私の臨終における鎮魂曲」と言われています。

 

やむにやまれぬこと

よのなかには
やむにやまれぬ」ということが存在します。
今回は,私にとって,どうしても言っておきたい,言っておかねばならないと思うことを書きます。

環境」という大きなテーマの下で研究をしてきました。

明確に「環境」という言葉を意識したのは,学会主催の講習会で,大阪大学名誉教授・新津靖博士の話を聞いてからです。
新津先生(1905-2005)は長野県佐久のご出身で,長身・痩躯の大音声の持ち主で,話がまことにおもしろく,引き込まれます。
大阪大学に日本で初めて環境という名を付した「環境工学科」(1968)を創設されました。

大阪万博(1970)のころ,公害がすさまじく,企業も防止の努力をすべく,学習会が義務付けられ,そこで「エコロジー(生態学)」という言葉を初めて,大阪市立大学教授・吉良竜夫博士から聞きました。
吉良先生(1919-2011)は大阪市の生まれですが,穏やかな語り口で,「自然界の生態系を乱すのは,神をも冒涜するしわざ」という主旨の鮮烈な言葉を伺いました。

建築の分野に,建築環境工学という論理的な分野を確立されたのは,京都大学総長で名誉教授・前田敏男博士でした。
前田先生(1908-1991)は高知県のご出身で,古武士を思わせる風貌と体格で,まわりを圧倒する存在でした。
先生の「徹底的に考える」という風習は弟子の先生方にも連綿として受け継がれており,じつは私も孫弟子の末席を汚すものの一人ですが,その洗礼は充分に受けました。

ところで,これからが本題ですが
関西電力大飯原発3,4号機(福井県おおい町)に,再稼働は危険だ,として福井県の住民ら189人が関西電力を相手取って運転差し止めを求めた訴訟の判決が5月21日,福井地裁でありました。
樋口英明裁判長は「大飯原発の技術や設備は冷却や放射性物質の閉じ込めに欠陥がある脆弱なもの。運転により人格権が侵害される危険がある」と厳しく指摘しました。
原発の運転差し止めを命じた司法判断は福島事故後初のことです。

ここで
原子力発電の問題点を整理しておきましょう。

原発の利点
・安定した電力供給の可能性
・発電時に二酸化炭素を排出しない(地球温暖化の防止)
・燃料が少なくてすむ
・経済性が高い(重大事故を考慮しなければ)

問題点
・重大事故による周辺の被害
・放射性廃棄物を作り出す
・ウラン資源の枯渇問題
・施設建設にコストがかかる(火力発電とくらべて)
・軍事転用による核拡散の可能性(国際的に)
・立地場所が限定される(地質学的に)
・発電施設および廃棄物へのテロの危険性

もともとそんなにすぐれた発電方法ではない,むしろとても危険性をはらんでいるもの,という認識を,当初から私は持っていました。
初期に開発に携わった関係者からも,問題が多すぎて,欠陥が多すぎて,とても商業ベースに乗るような代物ではない,という意見を聞きました。
それらを覆い隠すようにしてこんにちまで来たのではありませんか。

この判決結果に対する各新聞社の社説の見出しは

朝日
判決「無視」は許されぬ
毎日
なし崩し再稼働に警告
読売
不合理な推論が導く否定的判決

と,大新聞といわれる3社で,こうも意見が分かれるのか,という実感です。
よく読んで何が正しいのか,自分自身で判断することが必要です。

ものはついでに
放送マスメディア(大量伝達手段)のNHK籾井勝人会長の問題発言について,商社時代の先輩OBが彼のことを語っています。

「『政府が右と言うことを左と言うわけにはいかない』という就任会見での発言は籾井君の商社マン人生そのもの。彼は上司から『右向け右』と命じられたら忠実に一晩中でも右を向いているような男だった。上司は絶対。自分の部下にも服従を求めた。彼の辞書に『不偏不党』はない。こういう人物を公共放送のトップに任命した人たちの常識を疑う」

常識を疑われているのは任命した安倍首相です。

「集団的自衛権」の問題も,こじつけのような論理展開で,勝手に決めてしまおう,という姿勢が見えます。
国境線が長大な日本で,外からの攻撃に,軍事力で防衛することは本来,不可能なことを理解すべきです。
海岸線に設置した原発を攻撃されたら,日本はたちまち沈没してします。

だからこそ
少々の摩擦があっても,近隣の国々とは,友好的な外交関係を維持する努力を怠ってはならないのです。
それが最大の安全保障の方法です。

最近はやりの
近隣国へのヘイト・スピーチ(憎悪表現)によって,不安をあおるような言動は避けなければなりません。

いまわが国は,独裁化・軍国化へのノー・リターン・ポイント(帰還不能点)にいる,と本気で心配している人たちが大勢います。

祖父・岸信介を敬愛する安倍晋三首相ですが,なにぶん三代目ともなると

売り家と唐様で書く三代目

と故川柳にもあるように,家どころか,国まで,国民まで,売ってしまいかねない危うさを感じているのは,私だけでしょうか?

日本人スポーツ選手

テニスの錦織圭(にしこり・けい,24)が
スペインのマドリード・オープンでベスト4(4強)に残り,界ランキング10位以内を確定させました。
ほかの外国人選手と比べて,きわだって小柄に見える錦織選手の活躍は,快挙と言っていいでしょう。

現在の年間のランキングポイント制になってからの日本人選手では
1995年・伊達公子(25)4位
2004年・杉山愛(28)8位
があります。

しかし
もっともっと以前に世界で活躍した日本人選手がいたのをご存知ですか?
それは佐藤次郎(1908.1.5-1934.4.5)選手です。
グランドスラム大会(4大大会,全豪・全仏・全英・全米)に3回ベスト4に残っています。
1933年には世界3位にランキング(ただし,現在のようなポイント制ではなく,評論家ウォリス・マイヤーズが選定)されました。
しかし
この当時の日本では,個人戦よりも団体戦のデビスカップの方が優先される時代でした。
責任感の人一倍強かった佐藤は,逆にそのプレッシャーの過大さゆえにデ杯では好成績を残せず,まわりから非難されました。

そしてついに
1934年4月5日,ヨーロッパ遠征からの帰途,マレーシアのマラッカ海峡にて「箱根丸」から投身自殺をしたのでした。

この悲劇の系図は
1964年・東京オリンピッに引き継がれるのです。
マラソンの円谷幸吉自衛隊員,1940.5.13-1968.1.9)は堂々の3位・銅メダルを獲得しました。
しかし,ゴールの国立競技場に2位で入って来たのに,イギリスのヒートリーに直前で抜かれたのが,かなり悔しかったようです。
当然のこと,つぎにメキシコでは「金メダル」を,と期待されました。
ですが,ついに
「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」という遺書を残して,自殺しました。

ところで
1936年・ベルリンオリンピックの200m平泳ぎで,前畑秀子(1914.5.20-1995.2.24)がドイツ選手とデッドヒートする際に,NHKアナウンサー河西三省がラジオ中継で
前畑がんばれ!」を絶叫して連呼したのが話題になりました。

ナチス独裁下のベルリンで,前畑選手は見事金メダルに輝きました。
めでたし,めでたし。
でも
最近の放送は,実況ではなくて既に応援放送になってしまっていますから,むしろ元テニス選手の「熱い男」が登場したりすると,逆にこちらが興ざめで「冷えて」しまって放送を変えたりしてしまいます。

いっぽう
1948年・ロンドンオリンピックには敗戦国の日本は出場できませんでした。
オリンピック水泳の決勝と日本選手権を同日に開き,古橋広之進(1928.9.16-2009.8.2)は400mと1500m自由形で,金メダリストの記録と当時の世界記録のどちらをも上回りました。
しかし
つぎの1952年・ヘルシンキオリンピックに出場しますが,選手としてのピークを過ぎていたことと,アメーバ赤痢に罹患して発病しており,本番の400m自由形では8位に終わりました。
そのとき
NHKの飯田次男アナウンサーは
「日本の皆さん、どうか古橋を責めないでやって下さい。古橋の活躍なくして戦後の日本の発展は有り得なかったのであります。古橋に有難うを言ってあげて下さい」
と日本に向けて放送したのでした。

さいきん
明治天皇の玄孫(孫の孫,やしゃご)とかいう人が,オリンピック選手に対して
「メダルをかむ行為はするな」
「国歌が流れる際には聴くのではなくて歌え,直立不動で」
「思い出になったとか,楽しかったとかはありえない」
のような発言をしていますが,前述のような過去の歴史を踏まえて仰っているのでしょうか。
天皇家につながるような人が,一般国民の自由な行動にイチャモンを付けるのは,それこそふさわしくない行為だと思います。

私としては
河西さんの熱い応援よりも飯田さんの思いやりのある表現の方に好感がもてます。

現在も日本選手が世界で大活躍しています。
米・大リーグで
レンジャーズのダルビッシュ有(27)は2度目の9回2死までノーヒットでした。
ヤンキースの田中将大(25)は開幕から無傷の5連勝です。
田中の試合時の修正能力はすばらしく見事で,実際の脳の働きは若妻ともども不明ですが,野球脳が優れていることだけは疑いもないようです。

スポーツは楽しむものです。
阿波踊りの文句に「踊るアホウに 見るアホウ 同じアホなら 踊らにゃなソンソン」とあるように
スポーツも見るより,やる方が数倍楽しいです。
この新緑の季節はスポーツにも最適です。
紫外線に気を付けて大いに楽しみましょう。

ノーベル賞

アルフレッド・B・ノーベル(1833.10.21-1896.12.10)は,不安定なニトログリセリンを扱いやすくしたダイナマイトを発明し,巨額の富を得ました。

いまでも,ダイナマイトは強力なものの代名詞として
阪神タイガースはダイナマイト打線で,小林旭はマイト・ガイと呼ばれました。

ノーベルは,『死の商人』としての悪名を払拭すべく,「換金可能な財は,安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し,その毎年の利子について,前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」という旨の遺言状を残しました。
それがノーベル賞です。
第1回は1901年から始まっています。
現在は,物理学,化学,医学生理学,文学,平和,経済学の6部門です。

日本のこれまでの受賞者は18人で
物理学6人,化学7人,医学生理学2人,文学2人,平和1人です。

最初は1949年の湯川秀樹博士の物理学賞で「中間子の存在の予想」が受賞理由でした。
第2次世界大戦直後の受賞で,古橋広之進選手の「フジヤマのトビウオ」とともに,落ち込んでいた日本人に勇気を与えました。
後日,湯川博士はアインシュタインオッペンハイマー(原爆の父)から大いなる祝福を受けましたが,彼らは広島・長崎の贖罪のつもりだったのでしょう。

ノーベル賞の候補者になるためには,しかるべき推薦者が必要なのです。
たとえば,川端康成は,同時期に文学賞受賞をとりざたされていた三島由紀夫に推薦文を依頼しました。
後輩である三島は,どういう心境であったのか,推測するすべもありませんが,おそらくは複雑な気持ちで,推薦文をしたためたことと思われます。

もともと
賞というものは,誰かが決めるものですから,それが本当にふさわしいかどうか?について,常に疑問符が付きます。

たとえば
佐藤栄作は,1974年に平和賞を受賞しましたが
その受賞理由は「非核三原則の提唱」ということになっています。
いわゆる「核兵器をもたず,つくらず,もちこませず」というものですが,実際,米の原潜が寄港するときに,核で自らを武装するのは常識のことでした。
最近になって,選考したノルウェー・ノーベル委員会は,授与は適正でなかった,というコメントを発表しています。

ことしは興味深いものがノーベル賞の候補になっています。
戦争放棄をうたう憲法9条を保持し続けてきた「日本国民」が,今年のノーベル平和賞候補にエントリされました。
きっかけは神奈川県の主婦(37)が「9条に平和賞を」とノーベル委員会に訴えつづけてきた結果です。

第2次世界大戦で,日本では軍人・民間人を含めて310万の人々が亡くなりました。
310万の命と引換えに獲得した世界に類をみない平和憲法を大切にしようとする動きは,静かですが,力強いです。

ところが
現政府は,集団的自衛権(直接に攻撃を受けている他国を援助し,これと共同で武力攻撃する権利)を,憲法改正という正式な過程を経ずに,勝手に獲得しようとしています。
せっかく誇り高く,不戦を誓った,戦争をしない特別の国であった日本が,軍事力を行使するような,ただの普通の国に成り下がろうとしています。

5月3日は憲法記念日です。
1947年5月3日に日本国憲法が施行されたことを記念して,翌年,祝日法によって制定されました。

もし,先の平和賞が日本国民にもたらされたら,さぞや楽しいことでしょうね。
期待せずに,待ちましょう。