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日本人のわざ

日本では,手先で物を作る仕事を極める職人を匠(たくみ)と称し,とくに大工の頭を棟梁と呼び,昔から皆から信頼され尊敬されてきました。

ドイツではマイスター(Meister),イタリアではマエストロ(maestro),米英ではマスター(master)と呼ばれていますが,国によって表現の感じが異なっています。

マイスターと言えば,社会的にも確立した親方で,ワーグナーの楽劇『ニュルンベルグのマイスタージンガー(職匠歌人)』で有名です。
マエストロと言えば,本来は巨匠という意味ですが,世界中で,敬意をこめて指揮者に対して用います。
それに比べて,マスターは喫茶店の店主みたいに,軽く使われているようです。

さて,いまTVドラマ『陸王』が話題です。
池井戸潤(1963-)の原作で,半沢直樹,下町ロケット,ルーズベルト・ゲームにつづく人気ドラマになっています。
あらすじは,老舗の足袋製造業者がランニングシューズの開発に挑戦する奮闘を描きますが,じつはこれには有名な実在の人物たちがいます。

日本人が初めてオリンピックに参加したのは1912年の第5回ストックホルム(スウェーデン)大会でした。参加者は選手は三島弥彦(短距離)と金栗四三(マラソン),役員は加納治五郎(団長)と大森兵蔵の計4名でした。

金栗四三(かなぐり  しぞう,1891-1983,92歳没)はその前年,マラソン足袋をはいて世界最高記録を樹立して本番に臨みましたが,レース途中で日射病で意識を失ない,近くの農家で介抱されて,ゴールできませんでした。

1967年,金栗選手はスウェーデンのオリンピック委員会から,ストックホルム五輪55周年の記念式典に招待され,関係者から促され,競技場でゆっくり走って用意されたゴールテープを切りました。そのとき,場内アナウンスがあり,「日本の金栗,ただいまゴールしました。時間は54年8ヶ月6日32分20秒3,これをもって第5回ストックホルム・オリンピックの全日程を終了します」。
まことに,なんと粋な計らいでしょうか。

このマラソン足袋を開発したのが播磨屋(はりまや)足袋店(後のハリマヤ)の黒坂辛作(しんさく,1880-)でした。金栗と共同して改良をかさね進化させました。

1936年,ベルリン五輪で,このマラソン足袋(金栗足袋)をはいて日本代表の孫基禎(そんきてい,朝鮮籍,1912-2002)がマラソンで金メダルをとりました。

敗戦後の1951年,米・ボストンマラソンで田中茂樹(当時19歳)がマラソン足袋で優勝しました。これは,2年前に設立した鬼塚(オニヅカタイガー,現アシックス)の製品でした。

ドラマでは100年つづく老舗足袋店となっていますが,創業当時すでに実際はマラソン足袋は作られていたのです。

金栗さんは,箱根駅伝の開催に尽力し,日本に高地トレーニングを導入したり,日本のマラソン界の発展に大きく寄与し,「マラソンの父」と呼ばれています。
グリコの1粒300mのモデルとも言われています。

東京オリンピック前年の2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』は金栗さんをモデルにした物語だそうです。

今回の歌は,さわやかなこの曲にしましょう。

いずみのほとり
・深尾須磨子 作詞
・橋本國彦 作曲

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や すすきのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

むかしむかし いずみのほとり
天使たちが 子羊たちと 遊びました
むかしむかし 今は むかし

水よ水よ きれいな水よ
水よ水よ きれいな水よ
青い空や とんぼのかげをうつしている
水よ水よ 秋の水よ
水よ水よ 秋の水よ

深尾須磨子(1888-1974) 兵庫県生れ,詩人・作家・翻訳家。

橋本國彦(1904-1949) 東京生れ,作曲家・ヴァイオリニスト指揮者。

秋も深まってきました。今年は夏から秋もそうでしたが,秋から冬への季節の変わり方が,余りに急なようです。

気候の変化には十分に気をつけて,風邪など引かないように,元気にお過ごしください。

北斎の世界

いま,TVでも葛飾北斎の話題でもちきりです。その原因の一つは,大英博物館  国際プロジェクト  展覧会「北斎  ―  富士を超えて」が大阪のあべのハルカス美術館で開催(10/6-11/19)されています。
つまり,大英博物館の所蔵する北斎の作品展です。
行ってきましたが,すごい人出でした。

1999年に,アメリカ合衆国の『ライフ』誌の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で日本人で唯一,86位にランクインしました。北斎は世界に認知された大芸術家なのです。

たとえば,印象派のゴッホ(蘭,1853-90)やモネ(仏,1840-1926)に影響を与え,作曲家ドビュッシー(仏,1862-1918)は『神奈川沖浪裏』に誘発されて交響詩「海」を作曲しました。

大物らしく,奇妙なエピソードにこと欠かず,
改号すること30回,転居すること93回,飲酒も喫煙もしない,耳が大きく,身長180cmの大柄,六尺の天秤棒を杖代わりに,食事・衣装・金銭に無頓着,不作法で,気位が高く,富や権力でも動かない,数え90歳(卒寿)没と長命でした。

同時代同業の37歳年下の安藤(歌川)広重の来訪を受けた時も,そっけない応対で立腹させ帰らせてしまいました。これは,弟子にしてほしいという申し出に,既に一人前である,と認めていたから,といいます。
実際,『富嶽三十六景』の出版の2年後に,広重の『東海道五十三次』が大評判となったのでした。

葛飾北斎(1760.10.31-1849.5.10)は武蔵国葛飾文書割下水(現東京都墨田区)に貧しい百姓の子として生まれました。
勝川春草の門下となりますが,狩野派や唐絵・西洋画なのどの画法を学び,そのため勝川派を破門されます。

三女お栄(葛飾応為)は絵師に嫁ぐも,その絵を批判し離縁され,その後生涯北斎と起居を共にし,助手を務めました。色彩感覚に優れており,北斎晩年の作は,応為の代筆によるものと考えられています。

主な作品
・『北斎漫画』初編(1814,53歳)

・『富嶽三十六景』(1923-33,62-72歳)10年かけて完結
そのなかでも,有名なのは

・『神奈川沖浪裏』通称:大浪,大波(the Great Wave)
普通の肉眼では波頭はこの絵のようには見えません。1/5000でシャッタを切るとこのように見えました。これまでの機械式のシャッタでは最大でも1/2000までしか撮れませんでした。
北斎の目は電子シャッタの領域の,まさに神の目だったのです。

・『凱風快晴』通称:赤富士(the Red Fuji)
・『山下白雨』通称:黒富士(the Black Fuji)

信濃国高井郡小布施の高井鴻山の招きで晩年の4年間(1844-48)小布施に住み,
・祭屋台の天井絵『怒涛図』などを描きました。

北斎の臨終のときの様子は次のように書き残されています。

翁 死に臨み大息し
天我をして十年の命を長らわしめば 」といい
暫くして更に言いて曰く
天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得(う)べし 」と言吃りて死す

これは,「死を目前にした(北斎)翁は大きく息をして『天があと10年の間,命長らえることを私に許されたなら』と言い,しばらくしてさらに,『天があと5年の間,命保つことを私に許されたなら,必ずやまさに本物といえる画工になり得たであろう』と言いどもって死んだ」との意味です。

日常の生活を健康的に過ごしたとはとても言い難い北斎が,当時としては異例の90歳まで,なぜそんなに長生きできたのか,不思議に思われていますが,絵に対する飽くことのない探求心・向上心という意欲が長生きの大きな源泉だったのでは,と思います。

辞世の句は,

人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原

その意,「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」というものでした。

今回は富嶽三十六景にちなんで,この歌,唱歌『ふじの山』にしましょう。

ふじの山』巖谷小波・作詞 作曲者不詳 尋常小学読本唱歌(1910)

あたまを雲の上に出し 四方の山を見下ろして
かみなりさまを下にきく ふじは日本一の山

青ぞら高くそびえたち からだに雪のきものきて
かすみのすそをとおくひく ふじは日本一の山

巖谷小波(いわや  さざなみ,1870-1933)東京出身,明治・大正の作家・児童文学者・俳人。『一寸法師』の作詞も。

今年のノーベル平和賞はICANに決まりました。
ICANとは,核兵器廃絶国際キャンペーン(International Campain to Abolish Nuclear Weapons)の略称で,スイスのジュネーブに本部をおく国際NGO(非政府組織)で,60ヵ国以上の団体が参加しています。
核戦争防止国際医師会議(1985年ノーベル平和賞受賞)のオーストラリアの運動から派生したNGOで,2007年に正式に発足しました。
今年7月に国連で「核兵器禁止条約」が採択されたのですが,常任理事国(米・英・露・仏・中)など核を保有する国々は批准していません。唯一の被爆国である日本も批准していません。アメリカの核の傘に依存する日米安保条約のもとでは賛成できないのでしょうが,国民感情としてはおかしな話です。

世界の軍事力ランキング(Global Power:2017)

1.アメリカ
2.ロシア
3.中国
4.インド
5.フランス
6.イギリス
7.日本
8.トルコ
9.ドイツ
10.イタリア
11.韓国

23.北朝鮮

1位から6位までは核保有国です。非核保有国では日本が最大の軍事力を保持していることになります。

ただし日本憲法9条は以下のとおりです。

第9条  日本国民は,正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し,国権の発動たる戦争と,武力による威嚇又は武力の行使は,国際紛争を解決する手段としては,永久にこれを放棄する。

2   前項の目的を達するため,陸海空軍その他の戦力は,これを保持しない。国の交戦権は,これを認めない。

衆議院選挙が終わりました。自民党の圧勝でした。
安倍政権は,争点として,北朝鮮の脅威,をあげました。この機会に,自衛隊を国軍に昇格させて,軍事力を増強して「普通の国」になりたい思いが頑強にあります。
しかし,軍事費を増大させて,軍事力を強化しても,緊張を増幅させるだけで何の解決にもなりません。

トランプ政権は,安倍政権以上に無茶苦茶な政権ですから,何をやりだすか分りませんが,もし戦争を勃発させても,簡単には問題は解決しません。それはこれまでの幾つも過去の戦争を見てきて分ることです。大勢の人が死に,混乱を増大させて,紛争が泥沼化し,経済は疲弊し,良いことは何一つ起こりません。

衆院選の投票率は全体で53.51%でした。18,19歳では41.51%,19歳に限ると,なんと32.34%しかありませんでした。
大型台風直撃の影響はあったにせよ,非常に残念な結果でした。もっと自分たちのこと,そして社会のことを真剣に考えないと,知らない間に,おかしな方向に進められてしまう,危険性があります。

選挙に行った若者のなかに,「選挙に行かないで国政を批判するのは無責任だ」と発言した人がいました。そのとおりです。世の中が良くなって行かないのは,国民が良くなりたいという意見を発信しないからです。

今年の秋は,台風の影響もあって,長雨が続きましたが,体調はいかがですか。気候が変動すると体調もおかしくなることが多いので,くれぐれも気温変動には気をつけて,元気にお過ごしください。

役に立つ

役に立つ」とは,その事のために十分適している,用をなすに足る,という意味で使われています。「この機械は古いがまだ役に立つ」と物にも使われますが,「世の中の役に立つ」とか「人の役に立つ」などと人に対して使われることが多いです。

 現在放映中のTVドラマ『ごめん,愛してる』は,韓流ドラマの焼き直しらしいのですが,親に捨てられて孤児院で育てられ,韓国ヤクザの世界に身を置いた主人公が,余命3ヶ月の宣告を受け,最後に母に会いたいと,日本に戻ってきます。
子を捨てるぐらいだから,母は経済的に困っているはずと,大金を手に戻るのですが,弟がいて,アイドルピアニストとして売り出し中で,豊かな暮らしをしているのでした。
このあたりは,長谷川伸(1884-1963)の『瞼の母』に設定が似てますね。
主人公の思いは一つ,人の「役に立つ」ことでした。

人間たるもの,生れて来たからには,何かの役に立ちたい,せめて少しでも人の役に立ってから死にたいと思うのは自然です。
特に,先が見えてきたら,そういう思いが強くなるのはよく分ります。

人類が進化してきたのは,二足歩行して,手が自由になり高度な動作が可能となった反面,逆に起立したことによって骨盤に圧迫され産道が狭くなり,出産すら独りではできず,仲間の手助けを必要としました。この共同作業を必要とする生き方が人類を発展させた大きな要素だったのです。
そういう意味では,陸上競技の100m×4リレーで,日本選手が,個々の力では劣るのに,先の世界大会では銀メダル,ユニバーシアード大会ではアメリカを抑えて堂々の金メダルを獲得する快挙をなしとげたのは,まさにこの助け合いの精神が生かされたからでしょう。
共同作業や連帯が得意な日本人が,これからも活躍できる場面は多くありそうですね。

「役に立つ」の反対語は,「役立たず」でしょうか。
これは相当に強い言葉で,もし,こう言われたら,人間としての能力を,全否定されたようで,衝撃です。

以前,カナダで,厳しい語学教育をすることで有名なクィーンズ大学キングストン校で英語教育を受けたことがあります。
ディベート(debate,討論)の時間に,高齢者問題を取り上げたとき,メキシコから来た若い女子が「老人は役立たず(useless)」と発言し,「彼らの経験と知識は役に立つ」などと厳しく反論されておりました。こんなことを高齢社会の日本で発言したら,とんでもないことになりますね。
しかし,若い人の本音なんでしょうか。近い将来,自分もそうなるのにね。

今回の歌は『浜辺の歌』です。

 林古渓(こけい)作詞 成田為三・作曲(1916)

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

林古渓(1875-1947)は林羅山に連なる学者の家系で,本名は竹次郎,東京・神田出身の歌人・作詞家・漢文学者。

成田為三(1893-1945)は秋田出身の作曲家。秋田師範を卒業後,1年間小学校で教鞭をとった後,東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学,山田耕筰に師事,在学中に『はまべ(浜辺の歌)』を作曲,ドイツに4年間留学,多くの管弦楽曲,ピアノ曲を作曲しました。初期に作った童謡が代表作のように扱われて,本格的な作曲技法を見につけたご本人としては不本意だったと思いますが,日本人に広く親しまれていつまでも愛唱される『浜辺の歌』は名曲で,それは名誉なことでしょう。

秋は変化の季節,9月は台風もあり,気象変化には繊細に対応する必要があります。毎日の気温変化には気を付けて,ふさわしい衣服の選択をしましょう。秋雨前線が発達してきて,そこに台風が重なったりすると,大きな災害を引き起こす危険があります。9月は防災の月でもあります。大雨がふったら車や自転車は控え,不急の外出も控えた方が安全でしょう。

この季節は,おいしい食べ物が豊富な食欲の秋,秋空のもとスポーツの秋のシーズンです。
食事と運動は健康のみなもと,食べ過ぎには注意して,適度な運動をして,元気にお過ごしください。

わからん言葉

世の中にはよくわからない言葉がたくさんあります。

伝統的な言葉なら,勉強不足です,しっかり理解しましょう,という気にもなりますが,新しい造語だと,説明されても訳がよく分からなくて,覚える気にもならないことが多々あります。

その代表的なのが,コンピュータ関連の用語でしょうか。

たとえば,
ホテルやお店で,「Wi-Fi 使えます」のどの表示を見かけることがあります。
Wi-Fi(ワイ・ファイ)とは,国際標準規格 IEEE802.11 を使用したデバイス間の相互接続が認められたことを示す名称。無線LAN のひとつ。

IEEE(アイ・トリプルイー)とは,The Institute of Electrical and Electronics Engineers,米国の電気電子工学会のこと。

LAN(ラン)とは,Local Area Network,家庭内や企業内などの比較的狭い地域に限定されたコンピュータネットワークのこと。

数字による規格では分りにくいとして,音楽で既に用いられていた Hi-Fi(High Fidelity,高忠実度)から Wi-Fi としました。
「Wireless Fidelity」という由来は,後付けされたものです。

そういえば,ハイ・ファイ・セット(74-94)という音楽グループがありましたね。赤い鳥(69-74)が解散して,山本潤子らの3人のグループでした。「卒業写真」「フィーリング」などをヒットさせました。

家庭内のスマートフォン,パソコン,テレビ,ゲーム機などをWi-Fi でつなげば,家族のみんなが,それぞれのスマホなどから,パソコンやビデオのデータを共有して,画像・動画や音楽を楽しめたりします。便利ですね。しかし,面倒ですね。

もうひとつ,IoT(アイ・オー・ティ)があります。
Internet of Things の略で,「物のインターネット」と言ったりします。
様々な「モノ(物)」がインターネットに接続され,情報交換することにより,相互に制御する仕組みです。それによる社会の実現も指す,としています。

ややこしいですよね。
それに比べれば,昔の言葉は良いですね。分りよいし,音の響きもいいです。
代表的な四文字熟語を並べますと,

品行方正  行ないが正しくきちんとしているさま

清廉潔白  心が清くて私欲がなく,いさぎよくてけがれていないこと

謹厳実直  慎み深くて厳格で,誠実で正直なこと

質実剛健  飾り気なくまじめで,逞しく健やかなこと

頭脳明晰  思考力が明らかではっきりしていること

容姿端麗  顔だちと体つきが整ってうるわしいこと

眉目秀麗  みめ(まゆと目)が優れてうるわしいこと

明眸皓歯  澄んだひとみと白い歯。美人の形容にいう 

これだけ揃っていると,言うことなしの人物ですね。

今年の夏は東日本と西日本では季節が全く異なりました。
東日本は不順な気候で,雨がよく降って,気温も低く,冷夏でした。農作物の出来が心配されます。

それに反して,西日本では,酷暑でした。真夏日熱帯夜は何日つづいたのでしょう。
しかし,夏は暑いのが当たり前,寒ければ,宮沢賢治のように「寒さの夏はおろおろ歩き・・・」と山背(やませ)が心配されます。

山背とは,夏,北海道・東北地方の太平洋側に吹き寄せる東寄りの冷湿な風のこと,稲作に悪影響を与えます。凶作風です。

この大阪でも,朝晩は秋めいてきました。
夜には虫の声が聞こえるようになってきました。

今回はこの季節にふさわしいこの歌にしましょう。

虫のこえ』 尋常小学読本唱歌(1910.7)
 作詞・作曲者不詳

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も 鳴き出した
りんりんりんりん りいんりん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

きりきりきりきり こおろぎや(きりぎりす)
がちゃがちゃ がちゃがちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょんちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を 鳴き通す
ああおもしろい 虫のこえ

いわゆる「オノマトペ(onomatopoeia)擬声語」のオンパレード(総出演)です。こういう音に聞こえたんでしょうね。

これからが季節の変り目,体調を崩しやすいシーズンです。
夏の疲れを残さず,温度変化に気を付けて,元気に過ごしましょう。

月が綺麗ですね

月がきれいですね」と言われたら,どう反応しますか?

夏目漱石が英語教師をしていたとき, “ I love you ” を生徒が「我君を愛す」と直訳したのを聞き,「日本人はそんなことを言わない。月が綺麗ですね,とでもしておきなさい」と言ったとされる逸話から,遠回しな告白の言葉として使われているそうなんです。
現在の朝ドラ『とと姉ちゃん』でも,使われていました。

そうすると,「そうですね」,「本当に」などと答えたのでは,意思が伝わらないことになります。

二葉亭四迷はロシア文学を翻訳した際,腕にキスして抱き寄せるというロマンチックなアプローチに対して,女性が
Ваша… (ヴァーシャ)” =「yours(あなたに委ねます)」とささやいたシーンを,
死んでもいいわ」と訳しており,しばしばこの「月が綺麗ですね」への返答として
「死んでもいいわ」はセットで使われることが多いそうなんです。

しかし,それでは急に生々しくなりますね。

また漱石の小説『三四郎』のなかで,

Pity’s akin to love.(憐憫は恋に類似する)

可哀想だた惚れたって事よ」と与次郎が俗っぽく訳したのを,広田先生は「下劣の極だ」と苦い顔をする,という有名なシーンがありました。

夏目漱石(1867-1916)は今年,没後100年ということで,朝日新聞では『吾輩は猫である』を再連載しています。

漱石は,小説の出だしを味のある名文で読者を引き込むのが上手です。落語の枕のつかみ,に似ていますね。

草枕
山路を登りながら,こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると,安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時,詩が生れて,絵が出来る。

坊っちゃん
親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。

吾輩は猫である
吾輩は猫である。名前はまだない。
どこで生まれたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

月の美しい季節になりました。
中秋の名月」という言葉がありますが,陰暦の7・8・9月を秋としましたから,真ん中の8月が中秋で,旧暦の8月15日を指します。現在に置き換えると,9月15日になります。

十五夜が満月で,月の出る時刻が,毎晩約50分づつ遅くなるので,月の出を待つ様子が名前になっています。

15日  十五夜,満月
16日  十六夜(いざよい)
17日  立待(たちまち)月
18日  居待(いまち)月
19日  寝待(ねまち)月,臥待(ふしまち)月
20日  更待(ふけまち)月

月がとっても青いから 遠回りして帰ろう」(清水みのる:詞,陸奥明:曲,菅原都々子:歌)という曲がありました。

月が鏡であったなら恋しあなたの面影を夜毎うつして見ようもの(題:忘れちゃいやヨ)」(最上洋:詞,細田義勝:曲,渡辺はま子:歌)というものありました。

短歌には,

月々に 月見る月は 多けれど 月見る月は この月の月 (よみ人知らず)

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど 大江千里〈百人一首〉)

俳句にも名句があります。

名月や池をめぐりて夜もすがら 松尾芭蕉

名月をとってくれろと泣く子かな 小林一茶

今回の歌は月つながりで, この曲にしましょう。
月の砂漠加藤まさを:作詞 佐々木すぐる:作曲 『少女倶楽部』(1923) 小鳩くるみ:歌

月の砂漠を はるばると
旅のらくだが 行きました
金と銀との くら置いて
二つならんで 行きました

金のくらには 銀のかめ
銀のくらには 金のかめ
二つのかめは それぞれに
ひもで結んで ありました

先のくらには 王子さま
あとのくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの 
白い上着を 着てました

ひろい砂漠を ひとすじに
二人はどこへ いくのでしょう
おぼろにけぶる 月の夜を
対のらくだは とぼとぼと
砂丘を越えて 行きました
だまって越えて 行きました

この「砂漠」は何をイメージしていたのか,は長く論議されてきました。明らかに,本当の過酷な砂漠ではなく,日本のどこかの穏やかな「砂丘」だったと思われます。

夕方から夜の虫の音が騒がしいほどになってきました。
秋は夏と冬との間の大きな季節の変り目です。
夏から秋への季節も変化が思いのほか激しいので,気を付けてお過ごしください。
この季節は台風の季節でもありますので,気象予報には,できるだけ新しい情報を,スマホなどで確認して,安全な対応をしてください。

名前の由来

ふたたび,NHK連続テレビ小説(朝ドラ)「とと姉ちゃん」で,名前の由来を百人一首から付けられたという話がありました。

長女の常子は,

世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも
鎌倉右大臣(源実朝)

〈世は無常,常に変わるというけれど ああ どうか いつも変わらずにあってほしい。渚こぐ海人の小舟が 今日は曳綱で曳かれてゆく 天空と海のあわいに ぽつんと小さな人間の生の営み しぶきに濡れ 張ってはたゆむ曳綱のさま 海人のかけ声 この世は美しい 愛すべきものでみちみちている〉(田辺聖子・訳,以降も同)

母親(かか)の君子は,

君がため 春の野に出でて 若菜つむ 我が衣手に 雪はふりつつ
光孝天皇

〈あなたにと思って まだ寒い早春の野に 私は出て やっと生いそめた 緑の若菜を摘みました。その私の袖に 雪がちらちら〉

この歌だと思っていたのですが,じつは次の歌からだったのでした。

君がため 惜しからざりし 命さへ ながくもがなと 思ひけるかな
藤原義孝

〈君への思いが実を結んで もし愛し愛される仲になるならば この命を捨ててもいい 死んでも惜しくはない そう思っていたんだ。しかし本当にそうなったら 気持ちは変わった。ぼくは生きたい 長く長く生きて いつまでも君と愛し合いたい そう思うようになったんだ〉

純情な恋の歌です。21歳で夭折(ようせつ)した美青年貴族の歌です。

この由来を聞いて,君子は母(祖母)滝子の自分への深い思いを知ることになるのでした。

百人一首からの命名は,タカラジェンヌ(宝塚歌劇団の女優)には昔からよくありました。たとえば,

天津乙女(1901-80)
天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
僧正遍昭(へんじょう)

瀧川末子(初代:1901-没年不明,2代目:生年不明-1993,3代目:1974- )親・子・孫三代
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
崇徳院(すとくいん)

奈良美也子(1907-2000)
いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな
伊勢大輔(いせのたいふ)

有馬稲子(1932- )
有馬山 猪名の笹原 風吹けば いでそよ人を 忘れやはする
大弐三位(だいにのさんみ)

崇徳院の歌「せをはやみ~」は有名な落語『崇徳院』にもなっていて,若旦那が一目ぼれした女性(この歌の上の句を書き残す)を熊さんがこの歌を叫びながら必死に探し回るというお話でした。

落語といえば,『千早ふる』というのもあって,
ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれないに 水くくるとは
在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

これはこの歌の意味を聞かれ,相撲取りの竜田川が遊女の千早に振られ,豆腐屋になった竜田川が,落ちぶれた千早に仕返しをする,という知ったかぶりの隠居のホラ話です。

今回は宝塚歌劇が登場したので,この曲にしましょう。
「すみれの花咲く頃」作詞:F.Rotter(訳詩:白井鐵造)
作曲:F.Dölle(1930)

阪急電車・宝塚線の宝塚駅から梅田行の電車が発車するときにこのメロディーが流れます。同じ宝塚駅から西宮に向かう電車(今津線)は「鉄腕アトム」の主題歌が流れます。

ここまでは優雅な和歌のはなしで,これからは深刻な話です。

中国の高官の間で「三代目のブタ」と蔑称で呼ばれているのは,言わずと知れた,北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第一書記のことです。中国では,検索禁止ワードになっているそうですが,人の口に戸は立てられません。

お隣の国どころか,ごく身近で「三代目のムチ」と呼ばれている宰相をご存知ですか?「ムチ」は「無知」と「無恥」の両方をかけています。

安倍晋三首相の直系の祖父は父・安倍晋太郎の親である安倍寛(1894-1946)ですが,彼は太平洋戦争中の1942年(昭和17年)の翼賛選挙に,東条英機らの軍閥主義を鋭く批判,無所属・非推薦で出馬するという不利な立場でしたが,最下位ながらも当選を果たしました。議員在職中は東條内閣の退陣要求,戦争反対,戦争終結などを,それこそ命がけで主張しました。
大政党の金権腐敗を糾弾するなど,清廉潔白な人格者として知られ,地元の山口では「大津聖人」,「今松陰(昭和の吉田松陰)」などと呼ばれ人気が高かったといいます。

安倍晋三は,なぜそんな高潔な祖父・安倍寛ではなくて,正反対な外祖父(母方の祖父)のA級戦犯であり,昭和の妖怪とまで称された岸信介(1896-1987)を敬慕するのか,まったく不思議な話です。

そのことは,『週刊ポスト』(小学館)5/22号(野上忠興の記事)に詳しいです。

優秀な父・晋太郎への学歴コンプレックスによる反発から,反骨の政治家だった祖父・寛の存在を拒否し,自分の意識から消し去ってしまったというわけです。晋三は決してコンプレックスを乗り越えたわけではなく,外祖父・岸信介というもっと大きな権威にすがることで,自分のプライドを癒し,肥大化させてきたのです。

そして今,その権威と自己同一化をはかり,「おじいちゃんの悲願達成」という個人的な思い入れのために,集団的自衛権を容認し,安保法制関連法案を閣議決定し,そして憲法改正へと突き進んでいるのです。

もし,反骨の祖父・寛が長命で,岸以上に晋三に影響を与えていたら,まったく違った結果になっていたかもしれない,とあり得ないことを思うのです。

そういえば,源実朝も鎌倉幕府の三代目将軍ですが,実権は母方の北条一族に握られていて,実朝の心は好きな文学の道へ向かうしかなかったのかもしれません。

以前にも紹介した古川柳,

売り家と唐様で書く三代目

現代では世襲は排除されるべきです。特に政治の世界では。

そろそろ梅雨の季節が始まります。
天気予報には注意して,前の予想は変わりますから,できるだけ直前の予報に気を付けて,気候変動に合うように自ら衣服を調整して,健やかにお過ごしください。

うまず たゆまず

倦(う)むとは「飽きる,嫌になる,退屈する」という意味です。
弛(たゆ)むとは「ゆるむ,おこたる,油断する」という意味です。

ですから,倦まず弛まずとは,飽きることなく緩むことなくコツコツとやること,の意味で使います。

現代は「コスパ」とかいって,効率化ばかりがもてはやされて,地道にコツコツと努力を積み重ねることが,ともすればなおざりにされているような気がします。
ここでコスパとはコスト・パフォーマンスcost performance)の略で「投入する費用に対する成果の割合」のことです。

トーマス・エジソン(1847-1931)は「あなたは発明の天才ですね」と言われて,「私を天才というのなら,天才genius)とは1%の霊感inspiration)と99%の発汗persupirarion)です」と答えた,という伝説めいた話があります。

実際,エジソンは試験体をたくさん用意して,片っ端から実験して,良いものを選び出す,といういわゆる試行錯誤trail and error)を繰り返して,より良いものを選択した,と言われています。

よく知られている白熱電球の発明は,実はジョセフ・スワンという人でしたが,エジソンは京都の竹をフィラメントに使って改良し,電灯の事業化に成功しました。

ノーベル賞級の研究でも,1つの結果が出るには99回の失敗程度では済まない,たくさんの時間と努力を継続した,愚直ともいえる繰り返しの試行が必ずあるのです。

例えば「錬金術」のように成功しなかった研究も,その試行の過程で,硫酸・硝酸・塩酸などの化学薬品の多くが発見され,実験用具も発明され,その成果は現代の化学に引き継がれています。
ここで錬金術とは,化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬する試みのことです。

女子フィギュア・スケートの宮原知子(1998-)さんのようにコーチからも「努力の天才」と呼ばれているような選手はきっと大成するはずです。みんなで応援してあげましょう。

なにごとによらず,倦まず弛まず努力を継続することで,きっと素晴らしい結果が生まれるものです。

よしんば,具体的な成果につながらなかったとしても,努力を継続したという逞しい経験が,その後の人生で宝物になるはずです。

ところで,先日オペラに行ってきました。
出し物はプッチーニの『蝶々夫人』。
歌手もオーケストラも日本人の公演でしたので,安心してみることができました。というのも,スタッフに振付・所作指導という人もいましたから,着物の着付けや所作に違和感が少なかったようです。

しかし,イタリア人のプッチーニは日本を訪れたことはなく,在ミラノ日本総領事夫人から日本の音楽の資料を得て作曲したので,耳馴染の旋律が何カ所も聞くことができますが,しょせん西欧目線の日本観で,違和感は隠せません。
想像の国・日本の明治時代の長崎を舞台に,アメリカの海軍士官・ピンカートンと没落藩士の娘・蝶々さんが出会い,夫婦となり,,そして悲劇的な最後になります。

じつは,オペラには3大失敗と呼ばれるものがあり,

1.ヴェルディの『椿姫』初演1853年
2.ビゼーの『カルメン』初演1875年
3.プッチーニの『蝶々夫人』初演1904年

現代では有名な3作品の初演がことごとく不評でした。

椿姫は,イタリア人のヴェルディが作曲,フランスのパリを舞台に,高級娼婦・ヴィオレッタと青年貴族・アルフレードとの恋の悲劇です。

カルメンは,フランス人のビゼーが作曲,スペインのセビリアを舞台に,自由奔放なジプシー女・カルメン,衛兵伍長・ドン・ホセ,闘牛士・エスカミーリヨの織りなす恋の悲劇です。

ここで,日本を舞台にしているからといって,日本オペラと言わないように,作曲者の国籍や書かれている言語によって,イタリア・オペラやフランス・オペラと呼ばれます。

今回は,『蝶々夫人』の第2幕で,ピンカートンを待ちながら,再会を想像しながら蝶々さんが歌う,余りにも有名な『ある晴れた日に』を聴きましょう。マリア・カラスが歌っています。

ある晴れた日
海の彼方にひとすじの煙が上がるのが見えるでしょう。
やがて船が姿を見せます。
その真っ白い船は港に入り 礼砲を轟かせます。
見える? あの人がいらしたわ!
でも私は迎えには行かないわ。行かないの。
あそこの丘の端に立って待つわ 長い時間。
長い時間待ってもなんともないわ。
すると・・・人々の群れから離れ
小さな点のように見えるひとりの人が
丘に向かって来るわ。

誰でしょう 誰かしら。
どんなふうにして着いたのかしら。
なんと言うでしょう。なんて言うかしら。
遠くから 「蝶々さん」 と呼ぶでしょう。
でも私は返事をしないで 隠れているわ。
それはちょっとはいたずらでもあるし
久しぶりに会うので喜びに死んでしまわないためでもあるのよ。
それであの人は少しばかり心を傷めて呼ぶでしょう。呼ぶわ。
「かわいい妻よ 美女桜の香りよ」
これはあの人が来た時私につけてくれた名前なの。
(スズキに)
すっかりこのとおりになるのよ 約束するわ。
あなたは心配していればいいわ。
私はかたく信じて あの人を待ってます。

やはり,恋愛は誠心誠意,真面目に対応しなければ,こんな悲劇を生むことにもなりかねません。

時は春,桜のシーズンとなりました。
しかし「月に叢雲(むらくも)花に風」のたとえにもあるように,好事にはとかく障害の多いもので,「花冷え」という言葉もあり,夜桜見物ではかなり冷えることもありますので,注意して,この良きシーズンをお楽しみください。

身過ぎ世過ぎ

作家の曽野綾子(1931-)氏が,
産経新聞(1月24日付)のコラム記事で,90代の病人がドクターヘリに救助を要請した話を持ち出し,「利己的とも思える行為」と批判し,「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ,という教育を,日本では改めてすべき」と主張しました。さらに,ドクターヘリなどの高度な医療サービスについても「法的に利用者の年齢制限を設けたらいい」と踏み込んで発言しました。

この人,これまでも,「アパルトヘイト容認」などの顰蹙(ひんしゅく)を買うような自説を展開し,たびたび批判の的となって来ました。

本人も84歳という年齢なので,自分の生き方として,そのように覚悟しているというのなら,なんの問題もありませんが,他人にまで押し付けるのは,まったくの不遜極まりない行為で,役に立たなくなった者に費用を使うな,という「姥捨て山」に近い発想で,とても嫌な感じがしました。

また,川崎市の有料老人ホームで,1人の容疑者によって3人の入居者が転落死させられていた事件がありました。この施設,この殺人事件以外にも虐待や窃盗が常習化していたという,なんとも恐ろしい所なのです。

一般論として,介護施設における介護士の仕事が,業務の大変さに比べて,報酬が低すぎる問題がありました。
日本のように高齢社会まっただ中の世で,高齢者の面倒を見るという大切な仕事に,人が集まらないという現象が常態化しているのは残念なことです。

老人を配偶者の老人が介護する,いわゆる「老老介護」や,高齢者を高齢の子供が介護する場合,面倒を見切れずに行き詰って被介護者を殺して介護者も自殺を図る,というような何ともやり切れない事件が後を絶ちません。

これは明らかに政治の貧困で, 早急に,何とかしなければいけない問題です。

世の中,誠にせち辛く,生きにくくなってきました。

身過ぎ」とは,生活をして行くこと,なりわい,生計。
世過ぎ」とは,世渡りをして行くこと,くちすぎ,生活。

身過ぎ世過ぎの是非もなく」,わずかばかりの生活費のために働かなくてはならない人たちもたくさんいるのです。

是非に及ばず」とは,本能寺で明智光秀勢に囲まれて,織田信長が最後に言ったとされている言葉です。
死が迫っていて,良いとか悪いとか言ってる場合じゃない,ですものね。

堀口大學処女詩集月光とピエロ』(1919)でフランスの詩人・アポリネールの死を悼み,その一節を清水脩は『秋のピエロ』として作曲,第1回全日本合唱コンクール(1948)の課題曲となりました。翌年,男声合唱組曲月光とピエロ』として発表され,男声合唱曲の原点となっています。

秋のピエロ』堀口大学・作詞 清水脩・作曲(1948)

泣き笑いして 我がピエロ
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり
O(オー)の形の口をして
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり

月のようなる おしろいの
顔が涙を ながすなり
身過ぎ世過ぎの ぜひもなく
おどけたれども 我がピエロ

秋はしみじみ 身にしみて
真実 涙を 流すなり

 堀口大学(1892-1981)東京市本郷区に生まれ,新潟県長岡町で育つ,慶應義塾大学中退,詩人・歌人・フランス文学者。代表作は,『月光とピエロ』,『パンの笛』(歌集),『月下の一群』(訳詩集)など。

清水脩(1911-1986)大阪市天王寺区出身,大阪外国語学校(大阪外国語大学の前身,現大阪大学外国語学部)フランス語科卒,東京音楽学校(現東京藝術大学)選科に入学,橋本國彦に作曲を学ぶ,日本の作曲家,日本合唱連盟の設立,元カワイ楽譜社長。代表作は,オペラ『修善寺物語』,男声合唱組曲『月光とピエロ』など多数。

もちろん,イタリア・オペラにも似た題材があります。
それは,レオンカヴァッロ道化師』(原題:I Pagliacci,イ・パリアッチ)(1892)です。
判事だった父が裁判を担当した実在の事件をヒントに作曲したといわれています。

あらすじは,祭日に待ち焦がれた旅回りの一座がやってきます。
座長のトニオの若い妻ネッダは,村の青年シルヴィオと相思相愛の仲になっており,それを知ったトニオは道化師役の舞台で,芝居と現実との見境が分らなくなって,ネッダを刺殺し,情夫シルヴィオも殺し,「芝居は終った」とつぶやいて、幕となります。

最後にトニオが『衣装をつけろ』を切々と歌います。

芝居をするか!逆上しているこの最中に
俺は何を言っているのか
何をしているのか自分でもわからない!
それでもやらにゃあいかんのか 我慢してやるんだ!
ああ、それでもお前は人間か?
お前は道化師なんだ!

衣装をつけろ
白粉をぬれ。
お客様はここに金を払って笑いに来るんだ。
もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても
笑うんだ道化師よ それでお客様は拍手喝采さ!
苦悩と涙をおどけに変えて
苦しみと嗚咽を作り笑いに変えてしまうんだ。

ああ! 笑うんだ道化師よ
お前の愛の終焉に!
笑え お前の心に毒を注ぎ込むその苦悩を!

 どちらも,胸のなかを秋風が吹き抜けるような,切ない内容で,この初春の季節にはふさわしくなかったかもしれませんが,現在の世の中を冷静に眺めていると,悲観的にならざるを得ません。

せめていろいろな問題点を忘れないようにして,少しでもよい方に向かうように地道に生きて行くしかありません。

この季節,三寒四温を持ち出すまでもなく,今年の気温変動は誠に激しく,少しでも気候にふさわしくない衣装を選択すると,ひどい目にあいます。直前の天気予報を注意深く聴いて,健やかにお過ごしください。

常識と教養と

クイズ番組が流行っているようですが,けっこう楽しんで見ています。自分の常識が試されているようで,一緒に参加しているような気がして,面白いのです。
しかし,いっけん理知的にみえる出演者が簡単な問題に答えられなかったり,常識的な易しいと思われる問題に正解して,待機席の人たちが「すごい!」と感嘆する様子をみると,とても違和感があります。

ここで,常識(common sense)とは,「普通,一般人が持ち,また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む」と定義されていますが,もちろん明確な基準がなく,簡単に常識・非常識の区別が,つけられません。
おそらく,その人の所属しているグループによって,常識のレベルが大きく違っていると考えられます。

しかし反対に,常識人と言われると,平均的で,特徴のない人を指すようで,あまり良い印象がありません。

でも,常識のない人と言われないように,日々,自分の常識を高めるべく,努力をして学習しておく必要があるのです。

似たような言葉に「教養」があります。
英語ではculture(文化)education(教育)の両方で表現します。その意味は「単なる学殖・多識とは異なり,一定の文化理想を体得し,それによって個人が身に着けた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」と 説明されていますが,ますます分りにくいですね。
まあ,文化と教育に裏付けされた素養で,人格にも影響を与えるもの,とでも理解しておけばよいのではありませんか。

私のころは,大学には3・4回生の専門課程に入る前に,1・2回生のときに教養課程があり,自然科学・人文科学・社会科学・語学などの専門に関係のない教養を学ぶ機会がありました。
教養課程の学習をおろそかにして,専門課程に進級できなかったり,卒業の妨げになったりして,「教養がじゃまして」などという出来のよくないダジャレを言う人もいました。

教養を高めるには,単に知識を詰め込むだけではダメで,よく思考して,人間を磨くことが求められます。
人生において本当の教養は,けっして邪魔するようなものではありません。

たとえば,
森喜朗(早稲田外学卒,37-)東京オリンピック組織委員会委員長は首相のとき,IT(アイティ,Information Technology,情報技術)のことを it(イット,指示代名詞)と発音して,常識のないことを内外に示しました。

麻生太郎(学習院大学卒,40-)副総理は首相のとき,未曽有(みぞう)を「みぞうゆう」と発言して,あまりの常識のなさに顰蹙(ひんしゅく)をかいました。

もっとひどいのが安倍晋三(成蹊大学卒,54-)首相です。
彼の尊敬する祖父・岸信介元首相は,A級戦犯として巣鴨プリズンに囚われているとき,獄中で「和書,訳書,英書などを手当たり次第に読破し,小説,評論,思想・哲学書,宗教書,歴史・戦略論,詩集,歌集等々万般にわたる」を読み切ったそうです。
その孫である現首相はポツダム宣言(45,日本軍の無条件降伏を求めた13か条から成る宣言)さえもまともに読んでいないことを明言しました。

それどころか,
2月19日の衆議院予算委員会で,民主党の玉木雄一郎議員の質問中に,首相は『日教組!日教組!』と数回ヤジを飛ばしました。ところが,玉木議員は官僚出身で,むしろ自民党右派に近く,日教組とはもっとも遠い位置にいるのです。
そんな基本的な知識もなしに,『日教組!』という一言だけで非難しようとするのは,戦時中の『非国民!』にも似た発想で,恐ろしいことです。

また,
5月28日の衆議院安全法制特別委員会で,民主党の辻本清美議員が「戦争とは何か」という根本を語ったら,首相は『早く質問しろよ』とヤジを飛ばしました。

そもそもヤジるという行為は「第三者が当事者の言動を,大声で非難し,からかい,妨害する」ものなのです。
安倍首相は一番の当事者です。それを自分自身でヤジるとは,最も下品な行為で,教養の欠片もありません。

こんな安倍首相が,対抗馬もなく無投票で自民党総裁に再選されようとしています。

私たちはこのような常識教養もない人たちにいつまでも日本の政治を任せておいてよいのでしょうか。
まったく惨憺(さんたん)たる気持ちになります。

ところで,今年の夏は酷暑で,猛暑日(最高気温が35℃を超える日)や熱帯夜(最低気温が25℃を超える夜)が続きましたが,残暑のぶりかえしもなく,すんなりと秋に向かっています。
いっときセミの声で暑さを増幅させていましたが,いまや夜には虫の声で涼しさを耳からも体感させられています。

今回は季節がら,伝統的なこの曲にしましょうか。

赤とんぼ」 三木露風・詞 山田耕筰・曲(1927)

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負(お)われれて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
子籠(こかご)に摘んだは まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

三木露風(89-64)兵庫県龍野町(現たつの市)出身,詩人・童謡作家・歌人・随筆家。
北原白秋(85-42)と並び,「白露時代」と呼ばれました。

山田耕筰(86-65)東京府本郷出身,作曲家・指揮者。
代表曲は,「からたちの花」,「この道」いずれも北原白秋・詞など。

これからは季節のかわりめ,日々の気温の変動も大きいので,天気予報にも注意して,温度変化に応じた着衣を考えて,すこやかにお過ごしください。

ワーグナーの世界

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner,1813-1883)について,今更ながら考えてみます。
音楽の専門家には,原音に近い,ヴァーグナーとかたくなに表記する人がいますが,ここでは一般的なワーグナーと表します。

ワーグナーの音楽は,壮大で,きらびやかで,それまでの歌劇を総合芸術としてまとめあげ,「楽劇」と称されています。

また,自分の作品を上演するために,バイロイト祝祭劇場を建設(1876)しました。
祝祭劇場の運営は,その後,子孫たちが引継いでいますが,身内の内部対立も激しく,私物化,商業主義との批判もあり,出演を拒む演奏家も少なくありません。

ワグネリアンと称する,ワーグナーの音楽に心酔する人々がいる一方,拒絶する人々もたくさんいるのです。
それは,ワーグナー自身が,自信家で独善的で排他的で,反ユダヤ思想の持ち主で,ユダヤ系のメンデルスゾーン(09-49)の音楽を非難し,生存中から賛否を二分していました。

リスト(11-86,ピアニスト・作曲家)の娘コジマ(37-30)は夫ハンス・フォン・ビューロー(30-94)がいる身でワグナーの子を産み,ビューローは激しく対立するブラームス(33-97)派に加わります。
ちなみに,ビューローは初めての専門指揮者で,それまでは作曲者がみずから指揮をしました。

じつは,私が初めて生のオペラを見たのは,1970年,ベルリン・ドイツオペラ日本公演,ロリン・マゼール(30-14)指揮『ローエングリン』(1848)でした。
とくに印象に残ったのは,第3幕前のきらびやかな前奏曲に引き続いて演奏される『婚礼の合唱』でした。自分のときはこれでやるぞ,と思ったものでした。

ところで,結婚式につきものの音楽は,メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』(1842)のなかの『結婚行進曲』が,ワーグナーの「婚礼の合唱」と二分しており,『行進曲』はより華やかで,『合唱』はむしろ荘重な感じがします。
披露宴の入場はメンデルスゾーンで,退場はワーグナーで,というのが定番のようで,150年を経て,並んで使われています。

ワーグナーの作品の中でもっとも長大なものは『ニーベルングの指輪』(48-74)4部作で,完成に26年間もかかり,通称,指輪(リング)と呼ばれています。

  • 序夜『ラインの黄金』 (Das Rheingold )     2時間40分
  • 第1夜『ワルキューレ』 (Die Walküre )      3時間50分
  • 第2夜『ジークフリート』 (Siegfried )     4時間
  • 第3夜『神々のたそがれ』 (Götterdämmerung ) 4時間30分
    上演時間合計                 15時間

ヒロインのブリュンヒルデは全神ヴォータンの長女でワルキューレ(女戦士,英雄をワルハラ城に導く役)ですが,英雄ジークフリートと結ばれます。
なんと,あのアニメ『崖の上のポニョ』のポニョの本名がブリュンヒルデになっています。

私は『ラインの黄金』だけは生で見たことがあります(すべて日本人の公演)。

ワーグナーの不幸は,反ユダヤで一致したヒトラー(89-45)が熱狂的なワグネリアンだったことです。
大衆を洗脳するために,ワーグナーの高揚させる音楽を集団催眠に利用しました。
たとえば,ナチスの党大会で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲が演奏されたりしました。

第二次世界大戦の末期,ユダヤ人の少女がバイオリンが弾けるということで,アウシュヴィッツ行きを免れました。
最近,その音楽家がワグネリアンのユダヤ人と対談をしました。彼女はとてもワーグナーの音楽を受け入れることはできないと断言しました。

今でも,イスラエルではワーグナーの音楽を演奏することはタブー(厳しく禁止される行為)とされています。
100年後には,このトラウマ(強烈で心に大きな痛手を与えるような体験,それが長期の不安状態を引起す原因となる心的外傷)から脱却できるのでしょうか。

日本にも,ワーグナーを信奉する人たちがいます。
慶應義塾大学ではワグネル・ソサィエティーという名の団体が,オーケストラ,男声合唱団,女声合唱団の3つあります。

その慶応ワグネル・ソサィエティー男声合唱団出身のカルテット(四重唱団)がダークダックスです。1951年に結成。
メンバーは全員が経済学部の出で,

高見澤宏(33-11)トップ・テナー,愛称パク,11年に死去 佐々木通正(32-)セカンド・テナー,愛称マンガ
喜早 哲(30-)バリトン,愛称ゲタ,リーダー
遠山 一(30-)ベース(バス)本名:金井哲夫(現在は改名し金井政幸),愛称ゾウ,東京藝大中退

ロシア民謡,山の歌,唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとしており,さらに清水脩・作曲『山に祈る』男声合唱組曲などの初演も行っており,多くの音楽シーンでの先駆者的な活動をしてきました。
1997年に佐々木が倒れ,3人のアヒルとして活動,2011年に高見澤が死去後はほとんど活動休止状態。

同時代に,デューク・エイセス,ボニージャックスの男声カルテットがいました。

デューク・エイセスは1955年結成,当初はジャズ・黒人霊歌に特化し,永六輔・詞  いずみたく・曲「にほんのうた」シリーズもレパートリーです。メンバーを入替えて継続し,トップ・テナーはなんと5人目です。ユニゾン(斉唱)と重厚なハーモニーが特長でしたが,これだけメンバーが入替ると同じ響きを保つのは難しいです。

ボニージャックスは早稲田大学グリークラブ出身で1958年結成,レパートリーは多彩です。ロシア民謡「一週間」や合唱曲「遥かな友に」,童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などは,ボニーが歌ったことから広く知られるようになりました。

今回はダークダックスで有名になったこの曲にしましょうか。

ロシア民謡『ともしび』楽団カチューシャ・訳詞

夜霧の彼方へ 別れを告げ
雄々しきますらお いででゆく
窓辺にまたたく ともしびに
つきせぬ乙女の 愛のかげ

戦いに結ぶ 誓いの友
されど忘れ得ぬ 心のまち
思い出の姿 今も胸に
いとしの乙女よ 祖国の灯よ

やさしき乙女の 清き思い
海山はるかに へだつとも
二つの心に 赤くもゆる
こがねの灯 とわに消えず

変らぬ誓いを 胸にひめて
祖国の灯のため 闘わん
若きますらおの 赤くもゆる
こがねの灯 とわに消えず

ロシア語の歌詞を見ましたが,「海山はるかに」とかの言葉は出てきません。だいたいロシアには海はほとんど存在しませんので,「山河」になっているのもありますが,かなり意訳になっていると思います。

かつて大学の男声合唱団(グリークラブ)出身の男声カルテットが活躍しましたが,声には活動寿命があり,現在では残念ながら衰退気味です。

かれらの音楽は,米国のミルス・ブラザーズゴールデン・ゲイト・カルテットに代表されるジャズボーカルグループを原点としていますが,一方,19世紀後半の米国では,男が床屋(barber)に集まって無伴奏のカルテットを楽しむのが流行し「バーバーショップ・ハーモニー」と呼ばれる独自のスタイルを築いて,現在も素人(別に仕事を持っている人たち)グループでも質の高い演奏を保っていて,ときどき日本でも公演を行っています。

いまの日本では,アカペラ(無伴奏の合唱)グループが流行ってきており,人数も演奏方法も多彩で,ハーモニーを楽しむ感があって,良いのではありませんか。

今春は,花の季節,気候が不順で,雨が多く,気温変動も大きいく,冬物・春物の衣装選択も日替わりで,気象情報にはくれぐれも注意してお過ごしください。