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うまず たゆまず

倦(う)むとは「飽きる,嫌になる,退屈する」という意味です。
弛(たゆ)むとは「ゆるむ,おこたる,油断する」という意味です。

ですから,倦まず弛まずとは,飽きることなく緩むことなくコツコツとやること,の意味で使います。

現代は「コスパ」とかいって,効率化ばかりがもてはやされて,地道にコツコツと努力を積み重ねることが,ともすればなおざりにされているような気がします。
ここでコスパとはコスト・パフォーマンスcost performance)の略で「投入する費用に対する成果の割合」のことです。

トーマス・エジソン(1847-1931)は「あなたは発明の天才ですね」と言われて,「私を天才というのなら,天才genius)とは1%の霊感inspiration)と99%の発汗persupirarion)です」と答えた,という伝説めいた話があります。

実際,エジソンは試験体をたくさん用意して,片っ端から実験して,良いものを選び出す,といういわゆる試行錯誤trail and error)を繰り返して,より良いものを選択した,と言われています。

よく知られている白熱電球の発明は,実はジョセフ・スワンという人でしたが,エジソンは京都の竹をフィラメントに使って改良し,電灯の事業化に成功しました。

ノーベル賞級の研究でも,1つの結果が出るには99回の失敗程度では済まない,たくさんの時間と努力を継続した,愚直ともいえる繰り返しの試行が必ずあるのです。

例えば「錬金術」のように成功しなかった研究も,その試行の過程で,硫酸・硝酸・塩酸などの化学薬品の多くが発見され,実験用具も発明され,その成果は現代の化学に引き継がれています。
ここで錬金術とは,化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬する試みのことです。

女子フィギュア・スケートの宮原知子(1998-)さんのようにコーチからも「努力の天才」と呼ばれているような選手はきっと大成するはずです。みんなで応援してあげましょう。

なにごとによらず,倦まず弛まず努力を継続することで,きっと素晴らしい結果が生まれるものです。

よしんば,具体的な成果につながらなかったとしても,努力を継続したという逞しい経験が,その後の人生で宝物になるはずです。

ところで,先日オペラに行ってきました。
出し物はプッチーニの『蝶々夫人』。
歌手もオーケストラも日本人の公演でしたので,安心してみることができました。というのも,スタッフに振付・所作指導という人もいましたから,着物の着付けや所作に違和感が少なかったようです。

しかし,イタリア人のプッチーニは日本を訪れたことはなく,在ミラノ日本総領事夫人から日本の音楽の資料を得て作曲したので,耳馴染の旋律が何カ所も聞くことができますが,しょせん西欧目線の日本観で,違和感は隠せません。
想像の国・日本の明治時代の長崎を舞台に,アメリカの海軍士官・ピンカートンと没落藩士の娘・蝶々さんが出会い,夫婦となり,,そして悲劇的な最後になります。

じつは,オペラには3大失敗と呼ばれるものがあり,

1.ヴェルディの『椿姫』初演1853年
2.ビゼーの『カルメン』初演1875年
3.プッチーニの『蝶々夫人』初演1904年

現代では有名な3作品の初演がことごとく不評でした。

椿姫は,イタリア人のヴェルディが作曲,フランスのパリを舞台に,高級娼婦・ヴィオレッタと青年貴族・アルフレードとの恋の悲劇です。

カルメンは,フランス人のビゼーが作曲,スペインのセビリアを舞台に,自由奔放なジプシー女・カルメン,衛兵伍長・ドン・ホセ,闘牛士・エスカミーリヨの織りなす恋の悲劇です。

ここで,日本を舞台にしているからといって,日本オペラと言わないように,作曲者の国籍や書かれている言語によって,イタリア・オペラやフランス・オペラと呼ばれます。

今回は,『蝶々夫人』の第2幕で,ピンカートンを待ちながら,再会を想像しながら蝶々さんが歌う,余りにも有名な『ある晴れた日に』を聴きましょう。マリア・カラスが歌っています。

ある晴れた日
海の彼方にひとすじの煙が上がるのが見えるでしょう。
やがて船が姿を見せます。
その真っ白い船は港に入り 礼砲を轟かせます。
見える? あの人がいらしたわ!
でも私は迎えには行かないわ。行かないの。
あそこの丘の端に立って待つわ 長い時間。
長い時間待ってもなんともないわ。
すると・・・人々の群れから離れ
小さな点のように見えるひとりの人が
丘に向かって来るわ。

誰でしょう 誰かしら。
どんなふうにして着いたのかしら。
なんと言うでしょう。なんて言うかしら。
遠くから 「蝶々さん」 と呼ぶでしょう。
でも私は返事をしないで 隠れているわ。
それはちょっとはいたずらでもあるし
久しぶりに会うので喜びに死んでしまわないためでもあるのよ。
それであの人は少しばかり心を傷めて呼ぶでしょう。呼ぶわ。
「かわいい妻よ 美女桜の香りよ」
これはあの人が来た時私につけてくれた名前なの。
(スズキに)
すっかりこのとおりになるのよ 約束するわ。
あなたは心配していればいいわ。
私はかたく信じて あの人を待ってます。

やはり,恋愛は誠心誠意,真面目に対応しなければ,こんな悲劇を生むことにもなりかねません。

時は春,桜のシーズンとなりました。
しかし「月に叢雲(むらくも)花に風」のたとえにもあるように,好事にはとかく障害の多いもので,「花冷え」という言葉もあり,夜桜見物ではかなり冷えることもありますので,注意して,この良きシーズンをお楽しみください。

身過ぎ世過ぎ

作家の曽野綾子(1931-)氏が,
産経新聞(1月24日付)のコラム記事で,90代の病人がドクターヘリに救助を要請した話を持ち出し,「利己的とも思える行為」と批判し,「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ,という教育を,日本では改めてすべき」と主張しました。さらに,ドクターヘリなどの高度な医療サービスについても「法的に利用者の年齢制限を設けたらいい」と踏み込んで発言しました。

この人,これまでも,「アパルトヘイト容認」などの顰蹙(ひんしゅく)を買うような自説を展開し,たびたび批判の的となって来ました。

本人も84歳という年齢なので,自分の生き方として,そのように覚悟しているというのなら,なんの問題もありませんが,他人にまで押し付けるのは,まったくの不遜極まりない行為で,役に立たなくなった者に費用を使うな,という「姥捨て山」に近い発想で,とても嫌な感じがしました。

また,川崎市の有料老人ホームで,1人の容疑者によって3人の入居者が転落死させられていた事件がありました。この施設,この殺人事件以外にも虐待や窃盗が常習化していたという,なんとも恐ろしい所なのです。

一般論として,介護施設における介護士の仕事が,業務の大変さに比べて,報酬が低すぎる問題がありました。
日本のように高齢社会まっただ中の世で,高齢者の面倒を見るという大切な仕事に,人が集まらないという現象が常態化しているのは残念なことです。

老人を配偶者の老人が介護する,いわゆる「老老介護」や,高齢者を高齢の子供が介護する場合,面倒を見切れずに行き詰って被介護者を殺して介護者も自殺を図る,というような何ともやり切れない事件が後を絶ちません。

これは明らかに政治の貧困で, 早急に,何とかしなければいけない問題です。

世の中,誠にせち辛く,生きにくくなってきました。

身過ぎ」とは,生活をして行くこと,なりわい,生計。
世過ぎ」とは,世渡りをして行くこと,くちすぎ,生活。

身過ぎ世過ぎの是非もなく」,わずかばかりの生活費のために働かなくてはならない人たちもたくさんいるのです。

是非に及ばず」とは,本能寺で明智光秀勢に囲まれて,織田信長が最後に言ったとされている言葉です。
死が迫っていて,良いとか悪いとか言ってる場合じゃない,ですものね。

堀口大學処女詩集月光とピエロ』(1919)でフランスの詩人・アポリネールの死を悼み,その一節を清水脩は『秋のピエロ』として作曲,第1回全日本合唱コンクール(1948)の課題曲となりました。翌年,男声合唱組曲月光とピエロ』として発表され,男声合唱曲の原点となっています。

秋のピエロ』堀口大学・作詞 清水脩・作曲(1948)

泣き笑いして 我がピエロ
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり
O(オー)の形の口をして
秋じゃ 秋じゃ と歌ふなり

月のようなる おしろいの
顔が涙を ながすなり
身過ぎ世過ぎの ぜひもなく
おどけたれども 我がピエロ

秋はしみじみ 身にしみて
真実 涙を 流すなり

 堀口大学(1892-1981)東京市本郷区に生まれ,新潟県長岡町で育つ,慶應義塾大学中退,詩人・歌人・フランス文学者。代表作は,『月光とピエロ』,『パンの笛』(歌集),『月下の一群』(訳詩集)など。

清水脩(1911-1986)大阪市天王寺区出身,大阪外国語学校(大阪外国語大学の前身,現大阪大学外国語学部)フランス語科卒,東京音楽学校(現東京藝術大学)選科に入学,橋本國彦に作曲を学ぶ,日本の作曲家,日本合唱連盟の設立,元カワイ楽譜社長。代表作は,オペラ『修善寺物語』,男声合唱組曲『月光とピエロ』など多数。

もちろん,イタリア・オペラにも似た題材があります。
それは,レオンカヴァッロ道化師』(原題:I Pagliacci,イ・パリアッチ)(1892)です。
判事だった父が裁判を担当した実在の事件をヒントに作曲したといわれています。

あらすじは,祭日に待ち焦がれた旅回りの一座がやってきます。
座長のトニオの若い妻ネッダは,村の青年シルヴィオと相思相愛の仲になっており,それを知ったトニオは道化師役の舞台で,芝居と現実との見境が分らなくなって,ネッダを刺殺し,情夫シルヴィオも殺し,「芝居は終った」とつぶやいて、幕となります。

最後にトニオが『衣装をつけろ』を切々と歌います。

芝居をするか!逆上しているこの最中に
俺は何を言っているのか
何をしているのか自分でもわからない!
それでもやらにゃあいかんのか 我慢してやるんだ!
ああ、それでもお前は人間か?
お前は道化師なんだ!

衣装をつけろ
白粉をぬれ。
お客様はここに金を払って笑いに来るんだ。
もしアレッキーノがコロンビーヌを盗んでいっても
笑うんだ道化師よ それでお客様は拍手喝采さ!
苦悩と涙をおどけに変えて
苦しみと嗚咽を作り笑いに変えてしまうんだ。

ああ! 笑うんだ道化師よ
お前の愛の終焉に!
笑え お前の心に毒を注ぎ込むその苦悩を!

 どちらも,胸のなかを秋風が吹き抜けるような,切ない内容で,この初春の季節にはふさわしくなかったかもしれませんが,現在の世の中を冷静に眺めていると,悲観的にならざるを得ません。

せめていろいろな問題点を忘れないようにして,少しでもよい方に向かうように地道に生きて行くしかありません。

この季節,三寒四温を持ち出すまでもなく,今年の気温変動は誠に激しく,少しでも気候にふさわしくない衣装を選択すると,ひどい目にあいます。直前の天気予報を注意深く聴いて,健やかにお過ごしください。

常識と教養と

クイズ番組が流行っているようですが,けっこう楽しんで見ています。自分の常識が試されているようで,一緒に参加しているような気がして,面白いのです。
しかし,いっけん理知的にみえる出演者が簡単な問題に答えられなかったり,常識的な易しいと思われる問題に正解して,待機席の人たちが「すごい!」と感嘆する様子をみると,とても違和感があります。

ここで,常識(common sense)とは,「普通,一般人が持ち,また持っているべき知識。専門的知識でない一般的知識とともに理解力・判断力・思慮分別などを含む」と定義されていますが,もちろん明確な基準がなく,簡単に常識・非常識の区別が,つけられません。
おそらく,その人の所属しているグループによって,常識のレベルが大きく違っていると考えられます。

しかし反対に,常識人と言われると,平均的で,特徴のない人を指すようで,あまり良い印象がありません。

でも,常識のない人と言われないように,日々,自分の常識を高めるべく,努力をして学習しておく必要があるのです。

似たような言葉に「教養」があります。
英語ではculture(文化)education(教育)の両方で表現します。その意味は「単なる学殖・多識とは異なり,一定の文化理想を体得し,それによって個人が身に着けた創造的な理解力や知識。その内容は時代や民族の文化理念の変遷に応じて異なる」と 説明されていますが,ますます分りにくいですね。
まあ,文化と教育に裏付けされた素養で,人格にも影響を与えるもの,とでも理解しておけばよいのではありませんか。

私のころは,大学には3・4回生の専門課程に入る前に,1・2回生のときに教養課程があり,自然科学・人文科学・社会科学・語学などの専門に関係のない教養を学ぶ機会がありました。
教養課程の学習をおろそかにして,専門課程に進級できなかったり,卒業の妨げになったりして,「教養がじゃまして」などという出来のよくないダジャレを言う人もいました。

教養を高めるには,単に知識を詰め込むだけではダメで,よく思考して,人間を磨くことが求められます。
人生において本当の教養は,けっして邪魔するようなものではありません。

たとえば,
森喜朗(早稲田外学卒,37-)東京オリンピック組織委員会委員長は首相のとき,IT(アイティ,Information Technology,情報技術)のことを it(イット,指示代名詞)と発音して,常識のないことを内外に示しました。

麻生太郎(学習院大学卒,40-)副総理は首相のとき,未曽有(みぞう)を「みぞうゆう」と発言して,あまりの常識のなさに顰蹙(ひんしゅく)をかいました。

もっとひどいのが安倍晋三(成蹊大学卒,54-)首相です。
彼の尊敬する祖父・岸信介元首相は,A級戦犯として巣鴨プリズンに囚われているとき,獄中で「和書,訳書,英書などを手当たり次第に読破し,小説,評論,思想・哲学書,宗教書,歴史・戦略論,詩集,歌集等々万般にわたる」を読み切ったそうです。
その孫である現首相はポツダム宣言(45,日本軍の無条件降伏を求めた13か条から成る宣言)さえもまともに読んでいないことを明言しました。

それどころか,
2月19日の衆議院予算委員会で,民主党の玉木雄一郎議員の質問中に,首相は『日教組!日教組!』と数回ヤジを飛ばしました。ところが,玉木議員は官僚出身で,むしろ自民党右派に近く,日教組とはもっとも遠い位置にいるのです。
そんな基本的な知識もなしに,『日教組!』という一言だけで非難しようとするのは,戦時中の『非国民!』にも似た発想で,恐ろしいことです。

また,
5月28日の衆議院安全法制特別委員会で,民主党の辻本清美議員が「戦争とは何か」という根本を語ったら,首相は『早く質問しろよ』とヤジを飛ばしました。

そもそもヤジるという行為は「第三者が当事者の言動を,大声で非難し,からかい,妨害する」ものなのです。
安倍首相は一番の当事者です。それを自分自身でヤジるとは,最も下品な行為で,教養の欠片もありません。

こんな安倍首相が,対抗馬もなく無投票で自民党総裁に再選されようとしています。

私たちはこのような常識教養もない人たちにいつまでも日本の政治を任せておいてよいのでしょうか。
まったく惨憺(さんたん)たる気持ちになります。

ところで,今年の夏は酷暑で,猛暑日(最高気温が35℃を超える日)や熱帯夜(最低気温が25℃を超える夜)が続きましたが,残暑のぶりかえしもなく,すんなりと秋に向かっています。
いっときセミの声で暑さを増幅させていましたが,いまや夜には虫の声で涼しさを耳からも体感させられています。

今回は季節がら,伝統的なこの曲にしましょうか。

赤とんぼ」 三木露風・詞 山田耕筰・曲(1927)

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負(お)われれて見たのは いつの日か

山の畑の 桑の実を
子籠(こかご)に摘んだは まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは 嫁に行き
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

三木露風(89-64)兵庫県龍野町(現たつの市)出身,詩人・童謡作家・歌人・随筆家。
北原白秋(85-42)と並び,「白露時代」と呼ばれました。

山田耕筰(86-65)東京府本郷出身,作曲家・指揮者。
代表曲は,「からたちの花」,「この道」いずれも北原白秋・詞など。

これからは季節のかわりめ,日々の気温の変動も大きいので,天気予報にも注意して,温度変化に応じた着衣を考えて,すこやかにお過ごしください。

ワーグナーの世界

ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner,1813-1883)について,今更ながら考えてみます。
音楽の専門家には,原音に近い,ヴァーグナーとかたくなに表記する人がいますが,ここでは一般的なワーグナーと表します。

ワーグナーの音楽は,壮大で,きらびやかで,それまでの歌劇を総合芸術としてまとめあげ,「楽劇」と称されています。

また,自分の作品を上演するために,バイロイト祝祭劇場を建設(1876)しました。
祝祭劇場の運営は,その後,子孫たちが引継いでいますが,身内の内部対立も激しく,私物化,商業主義との批判もあり,出演を拒む演奏家も少なくありません。

ワグネリアンと称する,ワーグナーの音楽に心酔する人々がいる一方,拒絶する人々もたくさんいるのです。
それは,ワーグナー自身が,自信家で独善的で排他的で,反ユダヤ思想の持ち主で,ユダヤ系のメンデルスゾーン(09-49)の音楽を非難し,生存中から賛否を二分していました。

リスト(11-86,ピアニスト・作曲家)の娘コジマ(37-30)は夫ハンス・フォン・ビューロー(30-94)がいる身でワグナーの子を産み,ビューローは激しく対立するブラームス(33-97)派に加わります。
ちなみに,ビューローは初めての専門指揮者で,それまでは作曲者がみずから指揮をしました。

じつは,私が初めて生のオペラを見たのは,1970年,ベルリン・ドイツオペラ日本公演,ロリン・マゼール(30-14)指揮『ローエングリン』(1848)でした。
とくに印象に残ったのは,第3幕前のきらびやかな前奏曲に引き続いて演奏される『婚礼の合唱』でした。自分のときはこれでやるぞ,と思ったものでした。

ところで,結婚式につきものの音楽は,メンデルスゾーンの『夏の夜の夢』(1842)のなかの『結婚行進曲』が,ワーグナーの「婚礼の合唱」と二分しており,『行進曲』はより華やかで,『合唱』はむしろ荘重な感じがします。
披露宴の入場はメンデルスゾーンで,退場はワーグナーで,というのが定番のようで,150年を経て,並んで使われています。

ワーグナーの作品の中でもっとも長大なものは『ニーベルングの指輪』(48-74)4部作で,完成に26年間もかかり,通称,指輪(リング)と呼ばれています。

  • 序夜『ラインの黄金』 (Das Rheingold )     2時間40分
  • 第1夜『ワルキューレ』 (Die Walküre )      3時間50分
  • 第2夜『ジークフリート』 (Siegfried )     4時間
  • 第3夜『神々のたそがれ』 (Götterdämmerung ) 4時間30分
    上演時間合計                 15時間

ヒロインのブリュンヒルデは全神ヴォータンの長女でワルキューレ(女戦士,英雄をワルハラ城に導く役)ですが,英雄ジークフリートと結ばれます。
なんと,あのアニメ『崖の上のポニョ』のポニョの本名がブリュンヒルデになっています。

私は『ラインの黄金』だけは生で見たことがあります(すべて日本人の公演)。

ワーグナーの不幸は,反ユダヤで一致したヒトラー(89-45)が熱狂的なワグネリアンだったことです。
大衆を洗脳するために,ワーグナーの高揚させる音楽を集団催眠に利用しました。
たとえば,ナチスの党大会で『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲が演奏されたりしました。

第二次世界大戦の末期,ユダヤ人の少女がバイオリンが弾けるということで,アウシュヴィッツ行きを免れました。
最近,その音楽家がワグネリアンのユダヤ人と対談をしました。彼女はとてもワーグナーの音楽を受け入れることはできないと断言しました。

今でも,イスラエルではワーグナーの音楽を演奏することはタブー(厳しく禁止される行為)とされています。
100年後には,このトラウマ(強烈で心に大きな痛手を与えるような体験,それが長期の不安状態を引起す原因となる心的外傷)から脱却できるのでしょうか。

日本にも,ワーグナーを信奉する人たちがいます。
慶應義塾大学ではワグネル・ソサィエティーという名の団体が,オーケストラ,男声合唱団,女声合唱団の3つあります。

その慶応ワグネル・ソサィエティー男声合唱団出身のカルテット(四重唱団)がダークダックスです。1951年に結成。
メンバーは全員が経済学部の出で,

高見澤宏(33-11)トップ・テナー,愛称パク,11年に死去 佐々木通正(32-)セカンド・テナー,愛称マンガ
喜早 哲(30-)バリトン,愛称ゲタ,リーダー
遠山 一(30-)ベース(バス)本名:金井哲夫(現在は改名し金井政幸),愛称ゾウ,東京藝大中退

ロシア民謡,山の歌,唱歌など幅広いジャンルの楽曲をレパートリーとしており,さらに清水脩・作曲『山に祈る』男声合唱組曲などの初演も行っており,多くの音楽シーンでの先駆者的な活動をしてきました。
1997年に佐々木が倒れ,3人のアヒルとして活動,2011年に高見澤が死去後はほとんど活動休止状態。

同時代に,デューク・エイセス,ボニージャックスの男声カルテットがいました。

デューク・エイセスは1955年結成,当初はジャズ・黒人霊歌に特化し,永六輔・詞  いずみたく・曲「にほんのうた」シリーズもレパートリーです。メンバーを入替えて継続し,トップ・テナーはなんと5人目です。ユニゾン(斉唱)と重厚なハーモニーが特長でしたが,これだけメンバーが入替ると同じ響きを保つのは難しいです。

ボニージャックスは早稲田大学グリークラブ出身で1958年結成,レパートリーは多彩です。ロシア民謡「一週間」や合唱曲「遥かな友に」,童謡「ちいさい秋みつけた」「手のひらを太陽に」などは,ボニーが歌ったことから広く知られるようになりました。

今回はダークダックスで有名になったこの曲にしましょうか。

ロシア民謡『ともしび』楽団カチューシャ・訳詞

夜霧の彼方へ 別れを告げ
雄々しきますらお いででゆく
窓辺にまたたく ともしびに
つきせぬ乙女の 愛のかげ

戦いに結ぶ 誓いの友
されど忘れ得ぬ 心のまち
思い出の姿 今も胸に
いとしの乙女よ 祖国の灯よ

やさしき乙女の 清き思い
海山はるかに へだつとも
二つの心に 赤くもゆる
こがねの灯 とわに消えず

変らぬ誓いを 胸にひめて
祖国の灯のため 闘わん
若きますらおの 赤くもゆる
こがねの灯 とわに消えず

ロシア語の歌詞を見ましたが,「海山はるかに」とかの言葉は出てきません。だいたいロシアには海はほとんど存在しませんので,「山河」になっているのもありますが,かなり意訳になっていると思います。

かつて大学の男声合唱団(グリークラブ)出身の男声カルテットが活躍しましたが,声には活動寿命があり,現在では残念ながら衰退気味です。

かれらの音楽は,米国のミルス・ブラザーズゴールデン・ゲイト・カルテットに代表されるジャズボーカルグループを原点としていますが,一方,19世紀後半の米国では,男が床屋(barber)に集まって無伴奏のカルテットを楽しむのが流行し「バーバーショップ・ハーモニー」と呼ばれる独自のスタイルを築いて,現在も素人(別に仕事を持っている人たち)グループでも質の高い演奏を保っていて,ときどき日本でも公演を行っています。

いまの日本では,アカペラ(無伴奏の合唱)グループが流行ってきており,人数も演奏方法も多彩で,ハーモニーを楽しむ感があって,良いのではありませんか。

今春は,花の季節,気候が不順で,雨が多く,気温変動も大きいく,冬物・春物の衣装選択も日替わりで,気象情報にはくれぐれも注意してお過ごしください。

梅の花がかおると

東風(こち)吹かば にほひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ

これは菅原道真が京を去るときに詠んだ,あまりにも有名な和歌です。
最後は「春を忘るな」(拾遺和歌集)が初出ですが,古典の時間に「な・そ」で禁止の意味を強めると習ったことを思い出してその形で記しました。(これは正式には係り結びとは呼ばないそうです)

は,早春,葉に先だって開く花は,5弁で香気が高く,平安時代以降,とくに香をめで,詩歌に詠まれました。
たんに「」といえば「」を指しましたが,平安後期以降は「」を指すことに変っていきました。

菅原道真(845-903)は,平安時代の学者・漢詩人・政治家で,右大臣まで昇りましたが,左大臣・藤原時平に讒訴(ざんそ,他人をおとしいれるため目上の人にありもしないことを告げること)され,大宰府権師(ごんのそち)として左遷され,現地で亡くなりました。
死後,天変地異が多発し,道真の祟りと怖れられ,その怨霊を鎮めるために,京都の北野に北野天満宮が建てられました。
その後,「天神様」として天神信仰が全国に広まり,もともと学者だったことから,「学問の神」として信仰されることになりました。

その梅が,京の都から一晩にして道真の住む屋敷の庭へ飛んできたという「飛梅」伝説も有名です。

道真(菅家)の「古今和歌集」の歌は,小倉百人一首の24番にも選ばれています。

このたびは 幣(ぬさ)も取り敢へず 手向山
紅葉の錦 神の随(まにまに)

この度の旅は,あわただしく発ちましたから,幣(ぬさ)の用意もできませんでした。手向山の神よ,このみごとな美しい紅葉の錦を私のささげる幣として,み心のままにお受けください。

ここで,幣(ぬさ)というのは,神主さんがお祓いのとき手にもつ白い紙ですが,この時代のは,色の絹を小さく切ったものだといいます。旅へ行くときはそれを幣袋に入れて,峠でまき,神に無事を祈るのです。

道真は,6月25日に生まれ,2月25日(いずれも旧暦)に亡くなっているので,25日は特別な「天神さん」の日になっています。

2月25日は,京都の北野天満宮梅花祭です。
しかし実際には,梅が咲くにはまだ少し早い時季です。
とくに今年は,気象庁の暖冬という長期予報がヤッパリはずれ,厳しい寒さがつづきましたから,開花は平年よりも遅くなるはずです。(ほんとに長期予報はよく外れますね)

7月25日大阪天満宮天神祭(日本三大祭の一)です。

この道真の失脚事件は,『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)として,人形浄瑠璃歌舞伎の演目になっています。
江戸時代の1746年,大坂の竹本座で初演,とくに四段目の『寺子屋』は,子供を殺してその首実検でわが子が身代りになっているのを知る,というなんとも恐ろしげな芝居ですが,独立して上演されることも多く,歌舞伎の代表的な狂言の一つになっています。

この季節の歌はこれにしましょうか。

春よこい相馬御風・作詞 弘田龍太郎・作曲

春よ来い 早く来い
あるき始めた みいちゃんが
赤いはなおの ジョジョはいて
おんもへ出たいと 待っている

春よ来い 早く来い
おうちの前の 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている

相馬御風(1883-1950)は新潟県出身の詩人・歌人・評論家,早稲田大学卒業,早稲田大学校歌『都の西北』の作詞。

弘田龍太郎(1892-1952)は高知生まれ,小学校は千葉,中学は三重,東京音楽学校(現・東京藝術大学)ピアノ科卒業,「赤い鳥」運動に参加,北原白秋と組んで多くの童謡を作曲,代表作は『鯉のぼり』『浜千鳥』『叱られて』『靴が鳴る』など。

ところで,
2月26日は玉筋魚(いかなご)シンコ(稚魚)漁の解禁日で,阪神地区の家庭の多くでは大きな鍋で炊いて,いわゆるイカナゴ釘煮(くぎに)にして食べます。
これは佃煮の一種で,醤油・みりん・砂糖・生姜などを入れて水分がなくなるまで煮込みます。
炊きあがったイカナゴは茶色く曲がっており,錆びた釘に見えることから「釘煮」と呼ばれるようになりました。

このころは,三寒四温といって,3日寒くなって後4日暖かくなるというような変動を繰り返して春になってゆく季節です。

少し暖かくなったからといって油断せずに,あしたの天気予報をよく聞いて(あしたの予報は当たります)衣装の選択を間違えないようにして,元気で本格的な春をお迎えください。

司馬さんの思い出

2月12日は作家・司馬遼太郎さんの命日『菜の花忌』です。
国民的な歴史小説家であった司馬さんが亡くなって19年が経ちます。

改めて司馬(23-96)さんの略歴を記しますと,
本名は福田定一,大阪市の生まれ,筆名は「司馬遷に遼かに及ばない日本の者(太郎)」から来ています。
旧制・大阪外国語学校(新制・大阪外国語大学,現・大阪大学外国学部)蒙古語学科を仮卒業,学徒出陣で戦車隊に配属,栃木県佐野市で終戦を迎えます。

アメリカ軍(連合国軍)が東京に攻撃に来た場合に,栃木から東京に移動して攻撃を行なうという作戦に,
市民と兵士が混乱します。そういった場合どうすればいいのでしょうか」と,大本営からきた少佐参謀に聞いたところ,
轢(ひ)き殺してゆく」と答えたのをきき,軍隊は国民を守るための存在ではなかったのか,と疑問を持った22歳の司馬さんは,
なぜこんな馬鹿な戦争をする国に産まれたのだろう?」
いつから日本人はこんな馬鹿になったのだろう?」
昔の日本人はもっとましだったにちがいない」として
22歳の自分へ手紙を書き送るようにして小説を書いた」と述懐しています。

司馬さんの著作はたくさんあって代表作を選ぶのは難しいですが,なんといっても『龍馬がゆく』は間違いなくその一つです。
世間一般でイメージされる坂本龍馬像はこの小説で確立したといってもいいです。

最初,産経新聞の夕刊に連載(62-66)されました。
岩田専太郎(01-74)の艶のある挿絵もよかったし,毎日,学校帰りに読むのが楽しみの一つでした。
文春文庫(全8巻)になったのを再読しましたが,割愛されている部分も多く,やはり新聞の連載小説は読者の興味をつなぎとめるために,濡れ場などサービス・カットもたくさんあったのだと感じました。

菜の花忌』の由来にもなったのは長編小説『菜の花の沖』です。
江戸時代後期の廻船商人の高田屋嘉兵衛を主人公にした小説です。

嘉兵衛(1769-1827)は淡路島の貧家に生まれ,半農半漁をすて,兵庫にでて船乗りになり,苦労して船もちの廻船商人にまでなり,蝦夷・函館まで進出します。ゴローニン事件に巻き込まれ,カムチャツカに連行されますが,町人身分ながら日露交渉の間に立ち,事件解決へ導きました。
鎖国時代に外国へ行ったことは国禁を犯したことになるのですが,そのことは「お構いなし」を申し渡され,難しい国際問題の解決への「骨折り」に対して,幕府から「おほめ」があり,「ほうび」として金5両がさげわたされました。すべて異例のことです。

ゴローニン事件(ゴロヴニン事件とも表記)とは,1811年にロシアの軍艦ディアナ号の艦長ゴローニン Головнин, Golovnin)が日本に抑留された事件です。
じつはこの前段階で,1807年にフヴォストロフが択捉(エトロフ)や樺太に上陸し,略奪や放火などの襲撃事件を起こしていたのです。

その後,測量目的で千島を訪れていたゴローニンが罪もないのに日本に捕えられたというわけです。

副艦長のリコルドが報復処置として,国後(クナシリ)沖で日本船の観世丸を拿捕(だほ)し,乗っていた高田屋嘉兵衛ゴローニンとの捕虜交換を画策します。

嘉兵衛カムチャツカに連行されてリコルドと同居するうちに,ロシア語も理解するようになり,信頼を得て友人としてもてなされ,ディアナ号で日本に向かう時には,船員たちからもタイショウ(大将)と敬意をもって呼ばれるようになります。

やがてディアナ号は湾口にでたとき,風の中で鳴るようにして帆を開いた。そのとき,リコルド以下すべての乗組員が甲板上に整列し,曳綱(ひきづな)を解いて離れてゆく嘉兵衛に向かい,

ウラァ,タイショウ

と,三度,叫んだ。嘉兵衛は不覚にも顔中が涙でくしゃくしゃになった。
(中略)
臨終のとき,まわりの者に,

ドウカ,タノム。ミンナデ,タイショウ,ウラァ
と喚(おら)んでくれ。

と小さな声でいった。まわりの者は何のことかわからず,不覚にも沈黙で酬(むく)いてしまった。

この小説を読んで以来,この「ウラァ」を生で聴いてみたい,とながらく思っていました。

その思いが実現したのは,
旧・ソ連のある共和国に赴任していたときのこと,あるレストランに入ったとき,10人ほどの団体が壮行会だったのでしょうか,車座で着席していました。
ほどなく,全員が立ち上がり,

ウッラー 〇〇

と三唱したのです。
その叫びは,はらわたの底に沁み渡るような声量と迫力でした。

本場ロシアの合唱を聴いたときに,とても人間の声とは思えないような音域・音量が聞こえることがありますが,声帯の違いとしか言いようのない,地鳴りするような大音声でした。

じつは,わたしの通っているスポーツジムに司馬さんの後輩たちがアルバイトでスタッフとして勤務しています。
「2月12日は何の日?」「さあ,しりません
「菜の花忌ですやん」「ナノハナキて何ですか?」
偉大な大先輩のことをもう少し知ってほしいな,と思いました。
ちなみに,この後輩たちは,ハンガリー語学科,蒙古語学科,デンマーク語学科,ペルシャ語学科の学生たちです。

昭和は遠くなりにけり
20世紀も遠くなりにけり

この季節にピッタリのあまりにも日本的なこの歌はどうでしょうか。

早春賦吉丸一昌・作詞 中田 章・作曲(1913)新作唱歌(三)

春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

吉丸一昌(1873-1916)作詞家・文学者・教育者,東大卒,東京音楽学校(現・東京藝術大学)教授,大分県出身。

中田 章(1886-1931)作曲家・オルガニスト,東京音楽学校卒,東京音楽学校・教授,東京都出身,中田喜直は三男。

まだ寒い日が続きますが,まちがいなく春はそこまで来ていますから,もう少しの辛抱です。
風邪などひかないように注意して元気にお過ごしください。

肉のはなし

毎月29日は「肉の日」だそうです。
語呂合せで,29をニクと読んで肉の日になったということです。

ご存知のように,といえば,西牛東豚が,もう常識になっていますね。
肉ジャガにもカレーライスにも,関西では当然牛肉なのに,関東では豚肉を使うそうです。

関西では551蓬莱の「豚まん」なのに,関東では井村屋の「肉まん」で,〇〇家の「牛どん」がでたときに,関西では「肉どん」というのに,と違和感を持ちました。

そういえば,最後の将軍・第15代徳川慶喜(1837-1913)は薩摩の豚肉が好みで,「豚一(ぶたいち)様」と呼ばれたそうです。「一」は一橋家の出の意味です。
この人,維新の志士たちや幕臣たちのほとんどが早逝しているのに,76歳,大正期まで生きてのびています。

ちなみに,徳川御三家とは尾張・紀州・水戸であり,8代将軍吉宗(紀州家の出)以降に御三卿すなわち,田安・一橋・清水ができました。
慶喜水戸藩主・徳川斉昭の子ですが,一橋家に養子に入り,将軍家を継承しました。

先日,TV番組で,夫が「今夜,肉が食べたい」と連絡すると,妻はどんな料理を出すか,というような他愛のないことをやっていました。

結果,豚肉のしょうが炒め,トリのから揚げ,トンカツなど,ほとんど牛肉料理以外で,1軒だけすき焼きで,その夫は大喜びしていました。
これは妻の確信犯的行動で,健康のため,経済のため,分っていて作ったようです。現代の妻たちも頭が良いですね。

ここで,牛肉豚肉鶏肉の特徴を比較してみましょうか。

牛肉タンパク質脂質,ビタミンB2を多く含んでいます。赤身には鉄や亜鉛,リンなどのミネラルが豊富です。タンパク質は筋肉や血液をつくったり,体内の組織を再生したりするはたらきを持っていますが,体内に摂り入れるだけではなかなかエネルギーに変わりません。そこで活躍するのがビタミンBとミネラルで,代謝を促し,効率良くエネルギーに変えてくれます。太りやすくなるのは動物性脂肪が体内で固まりやすいことが原因です。

豚肉ビタミンB群牛肉の約5倍も含まれています。特に多く含まれるビタミンB1は,脳や中枢神経の働きを活性化させるはたらきがあるため,集中力や記憶力を高め,イライラを抑える効果があります。必須アミノ酸をバランス良く含んでいることも大きな特徴です。そのほか血管を拡張するはたらきもあり,動脈硬化や高血圧の予防に効果的とされるコリンも多く含まれていたりと,何かと健康効果が期待できるのが豚肉です。

鶏肉脂肪が少なく,消化が良いことが利点です。脂肪分が皮の部分だけなので,皮を取り除けば,脂質やコレステロールを抑えられるため,肥満防止に効果があります。必須アミノ酸のひとつであるメチオニンも多く,肝機能の強化や肝臓に脂肪が溜まる脂肪肝の予防効果があります。ビタミンA,ビタミンB6,ナイアシンを多く含んでおり,眼精疲労の緩和,精神安定などの効果が期待されます。また,皮や骨まわりの部位はコラーゲンが豊富で,肌の新陳代謝を促進します。

相撲取りは牛肉豚肉は食べず,鶏肉を食べます。
それは四足は負けを意味するので,二足で立つ鶏を好むのです。

また,かつての陸上競技短距離の王者カール・ルイスは鶏肉しか食べないことで有名でしたが,それはダイエットのためだったようです。

欧米人は肉食中心で進化してきており,腸の長さは肉食動物並みの4mになってきています。大腸ガン潰瘍性大腸炎になりやすく,肉食大国アメリカでは大腸ガンは死亡率の第2位です。

日本人も戦後の欧米化によって肉食中心の生活になりましたが,もともとは野菜や穀類で進化してきたため,欧米人に比べ長めの腸(7m)ですので,日本人が肉食すると,腸が長い分だけ腐敗便を作りやすく,悪玉菌増殖の危険性,増加した動物性脂肪の影響などで大腸ガン潰瘍性大腸炎その他の成人病を引き起こす可能性は他の民族に比べて大きいことになります。

日本は農耕民族で穀物を主食とし,300年前まで玄米菜食でした。675年天武天皇により肉食禁止令が出されて以来,7世紀から19世紀(江戸末期)までの間,原則として肉食は禁止されていました。しかし体が温まるなど薬膳として,あるいは猟師などが密かに食べてはいました。

人間の歯は動物を取ってしとめるキバはなく,草食に適した臼歯があります。

人類が進化する過程で,肉食するようになって,脳細胞が飛躍的に増大して,絶大な思考力を得るようになったという説があります。
しかし,現在,肉食を増やしても,残念ながら脳が増大することはありません。

必要なたんぱく質を摂取するために,肉食は必要ですが,控えめにして,牛肉よりも豚肉や鶏肉を中心にする方が健康維持には良いでしょう。

さて,
寒い冬の歌はこの曲にしましょうか。

ペチカ北原白秋・詞 山田耕筰・曲(1925)「子供の村」

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
むかしむかしよ 燃えろよペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ おもては寒い
栗や栗やと 呼びますペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
いまにやなぎも 萌えましょペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ 誰だか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ

雪のふる夜は たのしいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ 

ペチカпечка,pechka)はロシアの暖炉調理装置です。
煙道がめぐらしてあるレンガなどで造った壁面の輻射熱で部屋を暖めます。

ここで,熱の伝わり方を簡単に説明しますと,伝導・対流・輻射の3つの移動方法があります。

熱伝導とは,物質の移動を伴わずに高温側から低温側へ熱が伝わる移動現象です。鍋の取っ手が熱くなるのは,その一例です。

熱対流とは,流体(液体,気体)内の加熱された部分は膨張し密度が小さくなって上昇し,そこへ周囲の低温の流体が流入して行われる熱移動です。鍋で湯を沸かすと,液体の熱移動が見られます。

熱輻射(ふくしゃ,放射)とは,高温の固体表面から低温の固体表面に,その間の気体の存在に関係なく,直接に電磁波の形で伝わる熱移動をいいます。太陽からの熱の伝わり方がその例です。

輻射型の暖房装置には,中国にかん),朝鮮はオンドル(温突)という伝統的な床暖房がありました。
これは台所のかまどで煮炊きしたときに発生する煙を居住空間の床下に通し,床を暖めることによって部屋全体をも暖める設備です。

日本でこのような本格的な暖房システムが普及しなかったのは,比較的温暖な気候のせいでしょう。

田舎ではいろり(囲炉裏)という調理・暖房器がありました。

温暖地ではせいぜい火鉢という局所暖房器でしょうか。
しかし,火鉢に入れた炭火五徳(ごとく)の上で鉄瓶がチンチンと鳴っている様には風情がありました。
また,五徳に金網をのせて,餅ないしオカキをじっくり焼きあげるのは,味わい深いものがありました。

春までもう少し,インフルエンザなどに罹らず,元気にお過ごしください。

加湿の効果と問題点

先日テレビで加湿器を紹介する番組がありました。
食事中に居間から聞こえてきた音声だけの内容なので詳しくは分りませんが,冬季の加湿の必要性にも言及していたと思います。

一般の聴取者のみなさんが,なるほど冬の加湿は必要なのか,という考慮を欠いた考え方に警告を与えるために,この記事を書いています。

たしかに,乾燥状態が続くと,のどや気管支は防御機能が低下するため,インフルエンザ・ウイルスによる感染が起こりやすくなります。

また,「ゴホン10万,ハクション100万」という言葉があるそうで,風邪をひくと1回の咳(せき)で10万個,1回のくしゃみで100万個のウイルスが空気中にばらまかれるといわれています。このウイルスは,乾燥状態では空気中に漂う時間が長くなりますが,湿度の高い状況では,すぐに地面に落下してしまい,感染の危険性が減るというのです。

しかし,一般の人たちはあまり気づいていないのですが,とても重大な建物側からの問題点があります。

それは「結露」の問題です。

結露といえば,窓につく水滴,ぐらいに思っている方々がいますが,窓ガラスだけで収まってくれれば,それほど大きな問題にはならないのですが,空気中の水分はいろんな場所に流れ込んで,見えないところで害を及ぼすので問題が大きいのです。

空気中や材料の内部に含まれる水分のことを「湿気(しっき,しっけ)」と呼び,液体(水)と気体(水蒸気)の両方の状態をいいます。

湿気の性質は,拡散性が高く防湿がむずかしいことです。
また,空気中に含み得る水分の量は,温度に関係し,高温では多く,低温になるにしたがって少なくなります。
ですから,低温になると,気体の状態でおれなくて,液体にもどり結露を引き起こすのです。

寒い地方では,建物内部で起こった結露のために氷結して,建物が破壊するような重大被害も起こりました。

ですから,寒冷地では壁の断熱を十分にして冷えないように,そして防湿を完全にして建材内部に水分が行かないように,という断熱防湿工法が建物を守るために一般化しました。

北海道などの寒冷地では,室内を常に暖房しておくのが常識で,学生時代,北海道から京都に出てきた学生が,京都は寒いといってパッチ(ズボン下,タイツ)を2枚重ねで着ておりました。

つまり,われわれの住む比較的温暖な地方では,必要な部屋に,必要な時間帯だけ暖房するという,部屋別暖房間欠暖房が,経済的な観点から,ふつうの住み方です。

まず,知っておいていただきたいのは,暖房している部屋では加湿しなくても,湿度はある程度高くなっているのが普通だということです。
それは厨房の調理による水蒸気の流入,風呂場からユゲの流入,観葉植物の水やり,洗濯物ほし,金魚鉢などの水槽,人間の呼気からの水分(静座50g/h)発生,床壁天井・家具からの水分の放湿などがあるからです。

また,ガス・ファンヒータや石油ファンヒータなどの燃焼型の暖房機器を使っている場合は,排気ガスの問題に加えて,多量の水分を発生します。
まさか,ストーブの上にヤカンをのせるという,前時代的な過剰加湿をする家庭は,少ないと思いますが・・・。

暖房しているとき,暖房していない部屋(非暖房室)で結露が起こることがあります。
それは,暖房室からの湿気非暖房室に流れ込み(拡散性が良いため),床壁天井が冷えているため,そこで結露が起こることがあります。
これは,暖房室に接している押入れ防湿がむずかしい)内部で結露が起こるのも同じ原理です。

間欠暖房の部屋で加湿をしたとすると,暖房を停止しているときに室内の床壁天井の温度が下がり,かならず結露が発生します。

室内表面の結露も,窓ガラス面だけなら処理は容易なのですが,家具の裏の壁に発生した結露などは見過ごされて,黴(かび)の発生につながったりします。

このように,建築技術に携わる専門技術者たちは,建物を安全・清潔に保つために種々努力を重ねて来ました。

部屋を加湿すると風邪を引きにくくするというのは,事実でしょうが,加湿することでの問題点も大きいので,よく考えてご利用ください。

暖房加湿を切るときに,部屋の窓を開けて換気すると結露の被害は減少されますが,「ガスファンヒータをご使用のみなさんは,30分に1度,窓を開けて換気してください」というガス会社のテレビ広告と同様に,実行するのがむずかしいことです。

さて,
この時期にふさわしい歌はこの曲にしましょうか。

とうだいもり勝 承夫・作詞 アメリカ民謡(1889)明治唱歌(三)旅泊

こおれる月かげ 空にさえて
ま冬のあら波 よする小島
思えよ とうだいまもる人の
とうときやさしき 愛の心

はげしき雨風 北の海に
山なすあら波 たけりくるう
その夜も とうだいまもる人の
とうとき誠よ 海をてらす

灯台守といえば,
映画『喜びも悲しみも幾年月木下恵介・監督 佐田啓二・高峰秀子・主演(1957)では,海の安全を守るため,日本各地の辺地に点在する灯台を転々としながら,厳しい駐在生活を送る灯台守夫婦の,戦前から戦後に至る25年間を描いた長編ドラマの名作でした。
映画では男声合唱でしたが,のちに若山彰の歌唱による同名の主題歌が大ヒットしました。
作曲家の木下忠司さんは監督の木下恵介さんの弟さんで,いまもご健在です。

喜びも悲しみも幾年月木下忠司・作詞作曲(1957)

おいら岬の 灯台守は
妻と二人で 沖ゆく舟の
無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす

冬がきたぞと 海鳥鳴けば
北は雪国 吹雪の夜の
沖に霧笛が 呼び掛ける よびかける

離れ小島に 南の風が
吹けば春くる 花の香だより
遠い故郷 思い出す 思い出す

あしたに夕べに 入船出船
妻よ頑張れ 涙をぬぐえ
燃えてきらめく 夏の海 夏の海

星をかぞえて 波の音きいて
ともにすごした 幾年月の
喜び悲しみ 目にうかぶ 目にうかぶ

しかし,2006年に灯台は無人化され,国内の灯台守は消滅しました。

秋のきざし

9月8日の夜は中秋の名月で,十五夜とも言います。

本来,十五夜は満月のことなので年に12回または13回めぐってきますが,とくに旧暦の8月は1年の中で最も空が澄みわたり月が明るく美しいとされていたため,平安時代から観月の宴が催され,江戸時代から収穫祭として広く親しまれるようになり,十五夜といえば旧暦の8月15日をさすようになりました。

9月8日は二十四節気の一つ,白露で,このころから秋気がようやく加わります。

秋来(き)ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ おどろかれぬる

藤原敏行『古今和歌集』

敏行さんは「風の音で秋の気配を感じて驚いた」と言っていますが,今年の夏は,雨が多すぎて 驚きました。

8月の降雨量はわが国で気象観測(1875)が始まって以来,各地で最高値を示しました。
大阪では8月の猛暑日(最高気温が35℃を超えた日)がゼロで,日照時間が不足して,おかげで涼しい夏となりました。
しかし,そのせいで野菜の生育に異常をきたし,高値がつづいています。
このぶんでは,コメの収穫も不作が予想されます。

8月20日,広島で同時多発的に大規模の土砂災害が発生し,73名もの人が亡くなりました。

1923年9月1日,関東地域にマグニチュード7.9の大地震が発生して(関東大震災),99,000名の人が亡くなりました。
ちょうどこの日は,立春から数えて210日目の二百十日でした。
以降,9月1日は「防災の日」になっています。

1995年1月17日午前5時46分,阪神・淡路大震災が発生し,6,434名の人が亡くなりました。
地元のオリックス・ブルーウェーブは「がんばろうKOBE」を合言葉に,この年パリーグを制覇しました。

広島カープも頑張っていることだし,早く立ち直っていただきたいと思います。

元来,日本は地震・台風・大雨のような自然災害の多い地域です。
被災しても,すぐに立ち直り,おかげで我慢強い民族性が醸成されたのかもしれません。

錦織圭選手(24,178cm)はニューヨークで行われている全米オープン・テニスで,
4回戦はラオニッチ(カナダ,196cm),
準々決勝はワウリンカ(スイス,183cm),
準決勝はジョコビッチ(セルビア,188cm)に全て粘り勝ち,
決勝はチリッチ(クロアチア,198cm)と対戦します。
大男たちを相手に非常に頑張っているじゃありませんか。

この時期は,夜ともなると,虫の鳴く声に一段と秋を感じるものです。

虫のこえ』尋常小学読本唱歌 作詞・作曲者不詳(1910)

あれ松虫が 鳴いている
ちんちろ ちんちろ ちんちろりん
あれ鈴虫も鳴きだした
りんりん りんりん りーんりん
秋の夜長を鳴き通す
ああ おもしろい虫のこえ

きりきりきりきり きりぎりす
がちゃ がちゃ がちゃ がちゃ くつわ虫
あとから馬おい おいついて
ちょんちょん ちょんちょん すいっちょん
秋の夜長を鳴き通す
ああおもしろい虫のこえ

ここで,「きりぎりす」はコオロギのことです。

聞きかじりですが,外国人には虫の声はあまり届かないそうです。
日本人のみが,繊細な虫の音に,秋を感じることができるのです。

眠れぬ夜に

日本の気候は,そのほとんどが「温帯」に属しています。

したがって,1年のうちに春・夏・秋・冬と四季の移り変わりがあり,美しい自然を楽しむことができます。
また,季節風の影響を受けるのも特徴としてあげられます。
冬は,大陸から冷たい風が吹くため寒く,日本海側には雪をもたらします。
夏は,太平洋からの湿った風が吹くため,暑く雨の多い気候となります。
そして,春と秋には梅雨や秋雨と呼ばれる時期があります。
しかし,日本列島は北から南へと細長く,緯度の差が大きいため,気温・降水量は様々で,地域によって気候が変わります。

ところが,最近,多くの地域で熱帯夜がつづいています。
雨がふれば,夕立というより,熱帯のスコールのような驟雨が降ります。
ということは,日本は熱帯化しているのではないか,という議論があります。

そんな暑い夜に,眠られぬ夜に,子守歌などどうでしょうか?

世界三大子守歌というのがあります。
1.モーツァルトの子守歌
2.シューベルトの子守歌
3.ブラームスの子守歌
いずれも日本語の名訳があります。

ドイツのヴェルニゲローデ合唱団がこの3つの子守歌を歌っています。順番は逆です。

通称モーツァルトの子守歌といわれているものは,じつは同時代の医師ベルナルト・フリースが作曲したことが判明しています。

モーツアルトの子守歌』(フリースの子守歌
F.W.ゴッター (Friedrich Wilhelm Gotter)・作詞

Schlafe, mein Prinzchen, schlaf’ ein!
Schäfchen ruh’n und Vögelein.
Garten und Wiese verstummt,
auch nicht ein Bienchen mehr summt,
Luna mit silbernem Schein
gucket zum Feaster herein.
Schlafe beim silbernen Schein,
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf’ ein,
schlaf’ ein, schlaf’ ein!

Alles im Schlosse schon liegt,
Alles in Schlummer gewiegt;
reget kein Mäuschen sich mehr,
Keller und Küche sind leer,
nur in der Zofe Gemach
tönet ein schmachtendes Ach!
Was für ein Ach mag dies sein?
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf’ ein,
schlaf’ ein, schlaf’ ein.

Wer ist beglückter als du?
Nichts als Vergnügen und Ruh!
Spielwerk und Zucker vollauf,
und noch Karossen im Lauf,
Alles besorgt und bereit,
daß nur mein Prinzchen nicht schreit,
Was wird da künftig erst sein?
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf’ ein,
schlaf’ ein, schlaf’ ein.

堀内敬三・訳/作詞

ねむれよい子よ 庭や牧場に
鳥もひつじも みんなねむれば
月はまどから 銀の光を
そそぐ この夜
ねむれよい子よ ねむれや

家の内外 音はしずまり
たなのねずみも みんなねむれば
奥のへやから 声のひそかに
ひびくばかりよ
ねむれよい子よ ねむれや

いつも楽しい しあわせな子よ
おもちゃいろいろ あまいお菓子(かし)も
みんなそなたの めざめ待つゆえ
夢にこよいを
ねむれよい子よ ねむれや

シューベルト(Franz Peter Schubert,1797-1828)が19歳のときに作曲された子守歌。15歳のときに亡くなった母親への思いが切ないほどに込められた名曲です。

シューベルトの子守歌』(1816)

Schlafe, schlafe, holder süßer Knabe,
Leise wiegt dich deiner Mutter Hand,
Sanfte Ruhe, milde Labe,
Bringt dir schwebend dieses Wiegenband.

Schlafe, schlafe in dem süßen Grabe,
Noch beschützt dich deiner Mutter Arm,
Alle Wünsche, alle Habe
Faßt sie liebend, alle liebewarm.

Schlafe, schlafe in der Flaumen Schoße,
Noch umtönt dich lauter Liebeston,
Eine Lilie, eine Rose
Nach dem Schlafe werd’ sie dir zum Lohn.

Schlafe, schlafe in der Mutter Schoße,
Noch umtönt dich holder Liebeston,
Eine Lilie, eine Rose
Nach dem Schlafe werd’ sie dir zum Lohn.

内藤 濯(あろう)・訳/作詞

眠れ眠れ 母の胸に
眠れ眠れ 母の手に
こころよき 歌声に
結ばずや たのし夢

眠れ眠れ 母の胸に
眠れ眠れ 母の手に
暖かき そのそでに
包まれて 眠れよや

眠れ眠れ かわい吾子
一夜(ひとよ) 寝(い)ねて さめてみよ
くれないの ばらの花
開くぞや まくらべに

ブラームス(Johannes Brahms,1833-1897)がハンブルクで指導していた女声合唱団の一員ベルタ・ファーバーに次男が生まれたことを記念して作曲されました。

ブラームスの子守歌』(1868)

Guten Abend, gut’ Nacht
Mit Rosen bedacht
Mit Naglein besteckt
Schlupf unter die Deck’
Morgen fruh, wenn Gott will Wirst du wieder geweckt
Morgen fruh, wenn Gott will Wirst du wieder geweckt

Guten Abend, gute Nacht,
von Eng’lein bewacht,
die zeigen im Traum
dir Christkindleins Baum;
schkaf’nun selig und suess, schau’ im Traum’s Paradies,
schkaf’nun selig und suess, schau’ im Traum’s Paradies.

堀内敬三・訳/作詞

眠れよ吾子(あこ) 汝(な)をめぐりて
美(うるわ)しの 花咲けば
眠れ 今はいと安(やす)けく
あした窓に 訪(と)いくるまで

眠れよ吾子 汝が夢路を
天(あま)つ使い 護(まも)りたれば
眠れ 今はいと楽しく
夢の園に ほほえみつつ

日本の子守歌は,大阪ローカルですが,私の伯母がよく歌っていたそうです。
天満の子守唄(天満の市)』があります。
NHKのTVドラマ「銀二貫」で流れていました。ドラマ自体の出来は今一でしたが。

ねんねころいち 天満の市で
大根(だいこ)そろえて 舟に積む

舟に積んだら どこまでゆきゃる
木津や難波の 橋の下

橋の下には 鴎(かもめ)がいやる
鴎とりたや 竹ほしや

竹がほしけりゃ 竹やへござれ
竹はゆらゆら 由良之助

ところで
子守歌ではないですが,眠れぬ夜にピッタリの曲があります。
1951年,当時すでに早稲田大学グリークラブのOBであり,かつ指導者であった磯部俶(1917-1998)が,神奈川県津久井渓谷・夫婦園で夏合宿をしていたとき,なかなか寝ない部員たちを鎮めるために即興でつくったのが,合唱曲「遥かな友に」です。

静かな夜ふけに いつもいつも
思い出すのは おまえのこと
おやすみやすらかに たどれ夢路
おやすみ楽しく こよいもまた

明るい星の夜は 遥かな空に
思い出すのは おまえのこと
おやすみやすらかに たどれ夢路
おやすみ楽しく こよいもまた

寂しい雪の夜は いろりはたで
思い出すのは おまえのこと
おやすみやすらかに たどれ夢路
おやすみ楽しく こよいもまた

これだけ聴くと,頭が冴えてきて,さらに寝つきが悪くなるかもしれませんね。