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競うこと

「人生は競争だ」という台詞(せりふ)はよく聞きますね。そうではない,と否定する人もいますが,競争にさらされているのは事実です。
競うことで成長するということも確かにあるでしょう。

そのせいか,テレビでも,競い合いを見せる番組が大流行です。
プレバト!!」(これはプレッシャー・バトルの略?,精神的な圧迫の中で競争させる,意か),いろいろの競争対象がある中,「俳句の才能査定ランキング」というのが面白いんです。選者というか批評家というか,夏井いつき(1957-)という先生が,名前を伏せた人たちの作った俳句を査定してランキングするんですが,その辛口というか,毒舌というか,辛辣というか,なにしろその表現が半端ないんです。よくぞあれだけボロクソに言えるな,というくらい上手にケナスんです。まあ,それが売り物で,番組も好調で,著作本も売れ,「俳句の普及に貢献した」ということで表彰もされているそうです。

THEカラオケ☆バトル」というカラオケマシンで歌唱を採点する番組も人気です。この機械は第一興商(DAM)の製品ですが,音程正確率・表現力・リズムなど多項目で評価しているようです。
このマシンのだす評価がけっこう的確で,私個人の思う評価と近いので,採点結果に納得してしまうのです。 

人間が評価するとき,客観は無理で,主観的にならざるを得ません。つまり好き嫌いが必ず結果に反映されるということです。
コンクールなどで,審査員達の評価が併記されていたりしますが,個々で評価が全く違ったりしています。これでは採点される方はたまったものではありません。参加者の皆さんは納得されているんでしょうかね。
これがコンクールに対する基本的な不信感です。芸術に簡単に優劣がつけられるのか,という本質的な疑問です。

同じような番組ですが「関ジャニの仕分け∞」の中で,ピアノ演奏を競うものがあります。これは,ミスタッチの数を数えて少ない方が勝ち,という単純なものです。
しかし,これは明らかに邪道です。

もちろん,ミスタッチはないに越したことはありませんが,実際のピアノ演奏会では,奏者のミスタッチは必ずといっていいほど発生しますが,それだけで演奏の出来を評価できません。少々のミスがあっても,感動を与える良い演奏というものはあるわけで,それが生の魅力でもあるのです。
ミスのない演奏を聴きたいなら,CDを聴けばよいのです。

さらに,「芸能人格付けチェック」という,番組名からして変なのもあります。味覚・視覚・聴覚などの判断を求めるもので,結果によって,一流・二流・三流などと勝手に格付けされるというおかしな内容です。
面白くもない似たような番組が並ぶ正月に,よく放映されていて,しかたなく見ていましたが,この秋に,音楽に特化してやっていました。

楽器演奏をして,楽器の値段が高い方を当てる,というものがあり,市場価格18億円のストラディバリウスと20万円のバイオリンでは,さすがに音色に差がでました。

しかし,プロフェッショナルとアマチュアとの演奏比べには,大いに疑問が残りました。
ニューヨークの名門音楽大学などで学び,数々の賞を受賞している世界的なソプラノ歌手と称する人と,アマチュアの歌手がオペラのアリアを歌い比べました。
すると,全員(6人でしたか)がこれこそプロと判断した人が,実はアマチュア歌手の方だったのです。私も聴いていて,プロという人は,あきらかに音程がぶら下がり(その音に達してない,低い)聴きづらかったのです。
アマの人の方が上手いと全員が判断したので,その結果は正しいのです。
司会者は,みなさん全員,耳鼻科に行ってください,と笑ってごまかしましたが,これは明らかに制作側のミスです。その程度の歌手を,肩書だけで連れてきたのが失敗でした。

スポーツの世界で,時間や距離で結果を判定する競技には,誰もが納得して,勝者を称賛します。
しかし,技術点と芸術点で審判員が採点する競技は,いつも疑問が残ります。

フィギュアスケート,体操,シンクロナイズドスイミングなど,いやこれは最近アーティスティックスイミングと名称を変えました。これは芸術的な面を強調することで,余計に判定評価を難しくしたのではありませんかね。

フィギュアスケートの伊藤みどり(1969-)は1992年のアルベールビルオリンピックで,トリプルアクセル(3回軒半)を世界で初めて飛びましたが,銀メダルに終わりました。身長が145cmしかなく,脚もO脚ぎみという,典型的な昔ながらの日本人体型で,技術点が高くても芸術点が低いという,損な対応を受けました。

また,空手組手という種目があり,では審判が採点します。見ていると選手の気合に圧倒されますが,空手という実践的な武道が,点数化して評価することには違和感があります。

かつて,嘉納治五郎(1860-1938)が明治期に柔道を創設し,それまでの柔術が型を重視していたのを,実践的な乱捕りで練習することで競技力を高め,柔術を駆逐した経緯があります。

たとえば,美人コンテスト(beauty contest)などは,生まれつきの容姿だけで判定されるきらいがあるので,批判の対象となっていましたが,今は逆に,表面的な美醜をことさら言いたてる情けない世の中になってきているようです。

今回の歌は季節がら『故郷の空』にしましょう。

故郷の空
大和田建樹・作詞 スコットランド民謡(1888)明治唱歌(1)

夕空晴れて 秋風吹き
月影落ちて 鈴虫鳴く
思えば遠し 故郷の空
ああ わが父母 いかにおわす

澄みゆく水に 秋萩垂れ
玉なす露は ススキに満つ
思えば似たり 故郷の野辺
ああ わが弟妹 (はらから)  たれと遊ぶ

原曲はスコットランド民謡 ”Comin’ Thro’ the Rye” (ライ麦畑で出逢うとき)で,大和田建樹(1857-1910)が歌詞をつけました。ザ・ドリフターズで有名になった「誰かさんと誰かさんが麦ばたで…」の歌詞は,なかにし礼(1938-)の作詞で,むしろ原曲に近いとされています。

これからは秋本番。ということは冬に向かう寒い日と,「小春日和(こはるびより)」といわれるような暖かい日があったりしますから,気象予報には注意して,風邪など引かないように,元気にお過ごしください。

ささやかな気配り

世の中には,大したことではないけれど,ちょっとした気配りをすることで,みんなが快く過ごせることって,ありますよね。

前にも述べた私の通っているスポーツジムで,男子トイレに大便器1つしかない(小便器がない)箇所があります。もともとそのフロアになかった所に,後付けしたので,十分な面積が取れなかったのでしょう。
(これだけで,いかに高級でない施設か分るでしょう)

そこが,常時といっていいほど,ほとんどいつも,床が汚れているのです。
家庭では,汚れるので座ってするように,と同居人からきびしく指導されているお宅も少なくないでしょう。

粗相をしたら,(犬ではないんだから),自分で掃除して出ればよいのに,気づかないのか,いつも汚れたままになっています。

掃除係の人も,トイレ掃除だけに構っていられませんから,ほっておくと,いつまでも不潔な状態のままになります。
ですので,私が入った時には必ず掃除することにしています。
ひとつには,そのままにしておくと,私の直後に入った人が,私がやったと思われても癪だからです。

2010年,兵庫県川西市出身の植村花菜(1983-)が『トイレの神様』という曲を作って

トイレには
それはそれはキレイな女神様がいるんやで
だから毎日キレイにしたら
女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで

という歌詞が一世を風靡 (?) しました。
もちろん,毎日のように(週に6回はジムへ行くので),ほとんど入った回数分だけ,トイレ掃除をしている勘定ですが,いまのところまだその華々しい効果は出ていないようです。

また,
電車は一般的に横長の座席ですが,荷物を置いたり,余分な空間を空けたりして,詰めれば,もう一人二が掛けられるのに,と思うことがあります。
座り方にも,問題がありますよね。浅くかけて脚を前に伸ばしたり,脚を組んだりして,前に立っている人の邪魔になっているのが分らないのか,と思うことがよくあります。

日本の電車には,ほとんどシルバー・シート(優先座席)というものが設置されています。
しかし現状では,座るべき人が優先的に座っているとは,とても思われません。

これは人から聞いた話ですが,
優先座席に,茶髪の若い男性が,年配の人が乗って来たのに,譲らずに座っているのを見て,サラリーマン風の人が注意をして,若者は素直に従ったのですが,脚を引きずっていたといいます。

その若者が脚に障害を持っていたのか,怪我をしていたのかは分りませんが,外見からでは判断できないこともあるので,注意するのも難しいのです。

イスラム教の国に赴任していたことがありますが,そこではもちろん,優先座席などはありませんが,高齢(と思われる)者が乗ってくると,若者は黙って席を立ちます。
席を,これ見よがしに譲る,という感じではなく,出入口に老人風の姿が見えたとたんに,席を立ってどこかへ行きます。

40歳代の日本人男性が,電車で席を譲られて,そんなに自分は年寄りに見えるのか,とショックを受けていました。

しかしもともと,「初老」とは「40歳の異称」ですから,おかしいことではないのです。

今回はご当地ソングの特集です。

まずは,有名な民謡『秋田音頭』。

ヤートセー コラ 秋田音頭です 
ハイ キタカサッサ コイサッサ コイナー 
コラ いずれこれより御免こうむり 
音頭の無駄を言う アーソレソレ 
 お気に障りもあろうけれども サッサと出しかける 
ハイ キタカサッサ コイサッサ コイナー 

秋田名物 八森鰰々 (ハタハタ) 男鹿で男鹿ブリコ 
能代春慶 桧山納豆 大館曲わっぱ

ここで,曲わっぱ (まげわっぱ) とは,スギやヒノキなどの薄板を曲げて作られる円筒形の木製の箱のことで,本体とふたで一組にして,米びつや,弁当箱として使われることが多いです。

最古のラップで,リズミカルに,歌詞もいろいろ自由に作って歌いますが,最初の所だけは定番です。むかし,秋田美人に教わりました。

つぎは,県民なら誰もが知っているけれど,県外では余り知られていない長野県の歌です。

県歌『信濃の国』浅井冽 (きよし)・作詞 北村季晴・作曲

  一.信濃の国は十州に 境連ぬる国にして
    聳 (そび) ゆる山はいや高く 流るる川はいや通し
    松本・伊那・佐久・善光寺 四つの平は肥沃の地
    海こそなけれ物さわに 万 (よろ) ず足らわぬ事ぞなき

  二.四方 (よも)に聳ゆる山々は 御嶽・乗鞍・駒ヶ岳
    浅間は殊 (こと) に活火山 いずれも国の鎮めなり
    流れ淀まずゆく水は 北に犀川 (さいがわ) 千曲川
    南に木曽川・天竜川 これまた国の固めなり

  三.木曽の谷には真木茂り 諏訪の湖 (うみ) には魚多し
    民のかせぎも豊かにて 五穀の実らぬ里やある
    しかのみならず桑とりて 蚕飼いの業の打ちひらけ
    細きよすがも軽 (かろ) からぬ 国の命を繋ぐなり

ここで,信濃に境連ぬる十州とは,越後・越中・飛騨・美濃・三河・遠江・駿河・甲斐・武蔵・上野です。

ちなみに,大坂(摂河泉,摂津・河内・和泉)は,紀伊・大和・山城・丹波・播磨の五州ですから,ちょうど半分ですね。

頻繁にスキーに行っていたころ,この歌を知りました。長い歌(6番まであります)ですが,長野県人のお国自慢の歌ですね。山も川も人も,信濃の人たちの誇りなんでしょう。
ちょうど,大阪や神戸の人たちの『六甲おろし』のようなもの(?)でしょうか。

いまは新緑の季節,なにをするにも絶好のころです。紫外線だけには気をつけて,外に出かけましょうか。

冬季オリンピックの思い出

いま韓国の平昌(ピョンチャン)で第23回の冬のオリンピックが2/9~25まで開催されています。

第1回大会は1924年にシャモニー(フランス)で行われました。

日本の初参加は第2回(1928)サンモリッツ(スイス)大会で,ノルディック6選手に監督1人,計7人でした。

第5回(1940)札幌,第6回(1944)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)は第二次世界大戦のために中止されました。

夏季大会でも,第12回(1940)東京,13回(1944)ロンドンが同様に中止になりました。

戦争がなければ,札幌,東京でもっと早くにオリンピックが開催できたのに,残念なことでした。
冬季大会は中止しても開催回数として数えていますが,夏季は飛ばしてカウントしています。

第16回1992年アルベールビル(フランス)までは夏季と同年開催
第17回1994年リレハンメル(ノルウェー)からは夏季の中間年に開催されています。

冬季オリンピックはやはり特別で,まだ南半球では開催されていません。

何といっても,強烈な印象を残したのが,初めての日本人メダルが銀で,しかも人気のアルペンスキーであったのです。

それは,第7回(1956)コルチナ・ダンペッツォ(イタリア)のアルペンの回転種目で,猪谷千春(1931-)が銀メダルを取りました。

千春さんは3歳から,父・六合雄(くにお,1890-1986)から英才教育を受け,といってもお父さん自身24歳でスキーに出会い,指導するための知識や技術がなかったのに,なにしろ結果を残しました。

この時代の人はすごくて,80歳でエベレストに登った三浦雄一郎(1932-)の父・敬三(1904-2006)は山岳写真家でしたが,100歳を過ぎてもスキーを滑りました。

猪谷が銀メダルをとったとき,アルペンスキー三冠(回転・大回転・滑降)を独占したのが,トニー・ザイラー(オーストリア,1935-2009)でした。

さわやかなイケメン(美男子)で映画に出演し,その影響でアマチュア資格に抵触するとされ,次のスコ―バレー五輪(1960)には出場できなくなり,本格的に俳優に転身しました。

白銀は招くよ』(59)で主題歌も歌って大ヒットしました。
銀嶺の王者』(60)では鰐淵晴子(わにぶち,1945-)と共演しました。
白銀に踊る』(61)でイナ・バウアー(独)と共演しました。トリノ(2006)の荒川静香の演技で有名になりましたが,美人選手でしたが,それほどの結果は残していません。

じつは,私は1961年からスキーを始めましたが,当時のゲレンデでは,『黒い稲妻』(58)というザイラー映画の影響か,全身が黒ずくめのウエアの人ばかりでした。

つぎの印象は,第11回(1972)札幌で70m級ジャンプで笠谷幸生(金),金野昭次(銀),青地清二(銅)はメダルを独占し,「日の丸飛行隊」と呼ばれました。

第16回(1992)アルベールビル(フランス)で,ノルディック複合団体(荻原健司・河野孝典・三ヶ田礼二)で金メダルを取りました。

この大会,複合の個人で,世界選手権では優勝を重ね,金メダルを期待された荻原でしたが,ジャンプでの風の影響で,メダルは取れませんでした。
この当時,日本はジャンプで先行し,距離で逃げきるパターンでしたが,日本人のジャンプが他国を圧倒していたため,以後ジャンプの点数が低く押さえられるルール改正につながりました。

複合では,前半のジャンプで瞬発力,後半の距離で持久力を必要とされ,総合的な運動能力が必要な競技なので,この種目の勝者には,ヨーロッパでは King of Ski の称号が与えられるそうです。

この大会,フィギュアスケート女子で伊藤みどり(69-)が,はじめてトリプル・アクセル(3回転半)を飛んで,銀メダルを取りました。
彼女のジャンプは高くて,4回転でも飛べそうでした。

第17回(1994)リレハンメル(ノルウェー)ではノルディック複合の団体(荻原健司・河野孝典・安倍雅司)で連覇しました。
ここでも,荻原は個人でメダルを逃しました。

第18回(1998)長野では,金メダルをとったのは5種目:
スキージャンプ個人ラージヒル 船木和喜
スキージャンプ団体 安倍孝信,斎藤浩哉,原田雅彦,船木和喜
スピードスケート男子500m 清水宏保
ショートトラック男子500m 西谷岳文
フリースタイルスキー女子モーグル 里谷多英

地元開催ということで,日本人も頑張ったんですね。

ちなみに,長野はオリンピック開催地としては最も南に位置する都市(北緯36°39.6′)ですが,大陸からの季節風と日本海と列島中央の高い山脈の影響で,豪雪地帯となっています。
南にあっても,雪を楽しめる(雪に苦しめられる?)土地柄なんです。

今回はやはり懐かしいこの歌『白銀は招くよ』にしましょう。映画の原題は ”12 Mädchen und 1 Mann “(12人の娘と1人の男),歌の原題は ”Ich bin der glücklichste Mensch auf der Welt”  (僕は世界一の幸せ者)です。

トニーザイラーの歌です。

日本語の歌詞は2種類あって

処女雪光る光る 冬山呼ぶよ呼ぶよ

子供向けの

雪の山はともだち 招くよ若い夢を

前者は,最近あまり聴かれなくなりました。NHKの子供番組の影響でしょうか。

この歌を聴いていると,猛烈にスキーに行きたくなってきます。昔は長いスキーをはいていましたが,今はカービング・スキーといって,短くて幅広のスキー板が一般的になりました。
道具一式を揃え替えるとなると,これまた大層ですね。

この季節,二十四節気では,
2月19日は雨水(うすい),冬の氷水が陽気にとけ雨水となって降る,の意。
3月6日は啓蟄(けいちつ),地中で冬眠した虫類が,陽気で地上に這いだす頃,で
いずれにしても,今年は久しぶりに寒い冬でしたが,もう春はそこまで来ています。
気候の変動が大きいこの季節,寒暖の変化に気をつけて,健やかにお過ごしください。

吉本とは

現在,NHKの朝の連続テレビ小説(朝ドラ)『わろてんか』は言わずと知れた吉本興業(2007年からよしもとクリエイティブ・エージェンシーというハイカラな名前に変っていますが)の創業者・吉本せいの一代記です。ドラマですから実際と異なるのは当然ですが,どこが違うか,見てみましょうか。

創業は1912年(明治45年),吉本吉兵衛(本名:吉次郎,通称:泰三)・せい夫婦が大阪市天神橋の「第二文芸館」を買収し,寄席経営を始めました。
1915年(大正4年)には傘下の端席のほとんどを「花と咲くか,月と陰るか,全てを賭けて」との思いから『花月』 と改名しました。
夫・吉兵衛(1886-1924)は,山崎豊子の小説『花のれん』などでは経営を妻に任せっきりの道楽亭主のように扱われていますが,実際は実質的な経営の指揮をとっていたようです。しかし1924年に急性心筋梗塞により37歳で亡くなっています。

吉本せい(1889-1950)は明石の生まれ,1910年の20歳の時に,大阪市内本町の「箸吉(はしよし)」の息子吉本吉兵衛と結婚(実際には1907年の18歳のころから事実婚状態でした)。
2男6女をもうけますが,そのほとんどが早逝し,次男・泰典(後に改名し頴右)は歌手・笠置シヅ子と恋仲となりますが,猛反対を受け,1947年23歳で没後,実子・亀井エイ子が生まれています。

1917年,せいの実弟・林正之助(1899-1991)が入社し,亡くなるまで吉本を支えます。ドラマの従兄の風太ではなく,実弟の林正之助が大番頭でした。ちなみに吉本家の家業は荒物問屋であり,林家は米穀商です。吉本・林両家の確執が相当あったようです。

1932年,吉本興業合名会社が発足し,せいが社長,2人の弟,林正之助が大阪吉本,林弘高が東京吉本を率いる体制が確立します。
林弘高は欧州を視察し,その影響で,東京ではモダン・ハイカラ路線をとり,レビューやショウを上演して,演芸の大阪に対抗します。ドラマでは息子・隼也の役どころです。

演芸だけでなく,戦前は,巨人軍を他社と共同で設立して草創期のプロ野球界を支え,戦後は日本プロレス協会を立ち上げて力道山をスターにしました。
元々は全国で寄席・劇場・映画館経営を手がける興行会社であり,戦前は松竹・東宝・吉本で三大興行資本と称されました。

ドラマの伊能は小林一三(1973-1957),阪急電鉄,宝塚歌劇団,阪急百貨店,東宝の創業者で関西の大物ですが,残念ながら吉本せいとの恋愛的な接触はありません。しかし,吉本と東宝が提携し,それを松竹が不快に思って芸人を引き抜く,という事件がありましたから,仕事の話はしたははずです。

月の井団吾は明らかに爆笑王といわれた初代桂春団治(1878-1934),無断のラジオ出演で,謹慎処分を受けた事実があります。

ドラマのキースは横山エンタツ(1896-1971)らしいのですが,エンタツが吉本に入ったのは1930年,ですから既に吉兵衛は亡くなっており,花菱アチャコ(1897-1974)と組んで「しゃべくり漫才」をやり,「早慶戦」などで人気をはくしました。

ドラマのリリコはミスワカナ(1910-46),女義太夫師でも映画女優でもなく,根っからの漫才師です。
シローは玉松一郎(1906-63),舞台でアコーディオンを弾きましたが,それほどの腕ではありませんでした。

所属する芸人は,桂春団治,横山エンタツ・花菱アチャコをはじめ,兵隊落語の柳家金語楼,三味線漫談の柳家三亀松,「あきれたぼういず」の川田義雄,ミスワカナ・玉松一郎など東西に多数いました。

戦後の吉本は,1959年(昭和34年),うめだ花月を開場,花菱アチャコ主演の吉本ヴァラエティ「迷月赤城山」を,同時にテレビ放送を開始した毎日放送と提携し,同社に舞台中継させました。1962年に京都花月,1963年になんば花月を開場,吉本ヴァラエティは,1962年に吉本新喜劇と名前を変え,白木みのる,平三平,ルーキー新一,花紀京,岡八郎,原哲夫,桑原和男,財津一郎らを続々と生み出しました。

この時期,じつは私個人は,吉本よりも松竹新喜劇を見ていました。吉本のワンパターンのドタバタよりも,松竹の人情喜劇の方が面白かったのです。
松竹新喜劇の発足は,1948年の中座で,当初は曾我廼家十吾浪花千栄子も参加していましたが,私の見ていたころは,渋谷天外,曾我廼家明蝶,曾我廼家五郎八,酒井光子,藤山寛美,小島秀哉,小島慶四郎,四条栄美など,役者がそろっていました。1965年,天外が倒れてからは,寛美が一枚看板となり徐々に衰退していき,1990年の寛美死去によって急激に衰退しました。

しかし,吉本の花菱アチャコが松竹出の浪花千栄子と夫婦役で組んでラジオで大活躍するのは皮肉なものです。

もっと皮肉なのは,花菱アチャコが戦後も大活躍するのに,横山エンタツはほとんど活躍せずに消えてゆきます。

さて,冬の寒い夜は懐かしいこの歌にしましょうか。

冬の夜』作詞・作曲者不詳「尋常小学唱歌(三)」(1912)

燈火ちかく衣縫う母は
春の遊びの楽しさ語る
居並ぶ子どもは指を折りつつ
日数かぞえて喜び勇む
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

囲炉裏のはたに縄なう父は
過ぎしいくさの手柄を語る
居並ぶ子どもはねむさ忘れて
耳を傾けこぶしを握る
囲炉裏火はとろとろ外は吹雪

今年の冬は久しぶりに寒い冬となりました。
私個人としては,海外で冬に‐15℃を体験しているのですが,暖房が不十分なせいでしょうか,年齢のせいでしょうか,今年はとても寒く感じます。
あちこちで積雪による大変な事態も起きています。
寒さ対策は十分ですか?風邪などは引いていませんか?
この時期,体調を崩すと更に大変になりますので,十二分に気をつけましょう。
こんな時こそ,家にこもってないで,運動をするのが良いのです。胸を張って散歩も良し,スローランニングも良し,もう少しで間違いなく春がやってきますので,頑張りましょう!

役に立つ

役に立つ」とは,その事のために十分適している,用をなすに足る,という意味で使われています。「この機械は古いがまだ役に立つ」と物にも使われますが,「世の中の役に立つ」とか「人の役に立つ」などと人に対して使われることが多いです。

 現在放映中のTVドラマ『ごめん,愛してる』は,韓流ドラマの焼き直しらしいのですが,親に捨てられて孤児院で育てられ,韓国ヤクザの世界に身を置いた主人公が,余命3ヶ月の宣告を受け,最後に母に会いたいと,日本に戻ってきます。
子を捨てるぐらいだから,母は経済的に困っているはずと,大金を手に戻るのですが,弟がいて,アイドルピアニストとして売り出し中で,豊かな暮らしをしているのでした。
このあたりは,長谷川伸(1884-1963)の『瞼の母』に設定が似てますね。
主人公の思いは一つ,人の「役に立つ」ことでした。

人間たるもの,生れて来たからには,何かの役に立ちたい,せめて少しでも人の役に立ってから死にたいと思うのは自然です。
特に,先が見えてきたら,そういう思いが強くなるのはよく分ります。

人類が進化してきたのは,二足歩行して,手が自由になり高度な動作が可能となった反面,逆に起立したことによって骨盤に圧迫され産道が狭くなり,出産すら独りではできず,仲間の手助けを必要としました。この共同作業を必要とする生き方が人類を発展させた大きな要素だったのです。
そういう意味では,陸上競技の100m×4リレーで,日本選手が,個々の力では劣るのに,先の世界大会では銀メダル,ユニバーシアード大会ではアメリカを抑えて堂々の金メダルを獲得する快挙をなしとげたのは,まさにこの助け合いの精神が生かされたからでしょう。
共同作業や連帯が得意な日本人が,これからも活躍できる場面は多くありそうですね。

「役に立つ」の反対語は,「役立たず」でしょうか。
これは相当に強い言葉で,もし,こう言われたら,人間としての能力を,全否定されたようで,衝撃です。

以前,カナダで,厳しい語学教育をすることで有名なクィーンズ大学キングストン校で英語教育を受けたことがあります。
ディベート(debate,討論)の時間に,高齢者問題を取り上げたとき,メキシコから来た若い女子が「老人は役立たず(useless)」と発言し,「彼らの経験と知識は役に立つ」などと厳しく反論されておりました。こんなことを高齢社会の日本で発言したら,とんでもないことになりますね。
しかし,若い人の本音なんでしょうか。近い将来,自分もそうなるのにね。

今回の歌は『浜辺の歌』です。

 林古渓(こけい)作詞 成田為三・作曲(1916)

あした浜辺をさまよえば
昔のことぞ忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も かいの色も

ゆうべ浜辺をもとおれば
昔の人ぞ忍ばるる
寄する波よ かえす波よ
月の色も 星のかげも

林古渓(1875-1947)は林羅山に連なる学者の家系で,本名は竹次郎,東京・神田出身の歌人・作詞家・漢文学者。

成田為三(1893-1945)は秋田出身の作曲家。秋田師範を卒業後,1年間小学校で教鞭をとった後,東京音楽学校(現東京藝術大学)に入学,山田耕筰に師事,在学中に『はまべ(浜辺の歌)』を作曲,ドイツに4年間留学,多くの管弦楽曲,ピアノ曲を作曲しました。初期に作った童謡が代表作のように扱われて,本格的な作曲技法を見につけたご本人としては不本意だったと思いますが,日本人に広く親しまれていつまでも愛唱される『浜辺の歌』は名曲で,それは名誉なことでしょう。

秋は変化の季節,9月は台風もあり,気象変化には繊細に対応する必要があります。毎日の気温変化には気を付けて,ふさわしい衣服の選択をしましょう。秋雨前線が発達してきて,そこに台風が重なったりすると,大きな災害を引き起こす危険があります。9月は防災の月でもあります。大雨がふったら車や自転車は控え,不急の外出も控えた方が安全でしょう。

この季節は,おいしい食べ物が豊富な食欲の秋,秋空のもとスポーツの秋のシーズンです。
食事と運動は健康のみなもと,食べ過ぎには注意して,適度な運動をして,元気にお過ごしください。

判定するということ

カラオケで歌った結果を「今のは何点でした」と評定するようなアプリ(アプリケーション,OS上で動くソフトウエア)があるそうです。
テレビ番組でも,そのようなものがあって,演者が真剣に取り組んで競っている様子が放映されて,人気も高そうです。

人間の審査員が主観で判定するよりも,一見,公平そうに見えます。
しかし,音程やリズムの違いを指摘するのは,機械的に容易ですが,表現力まで評定する項目があるので,どういう基準で行なっているのか,の疑問はあります。なにしろ,小数点以下3桁までの数値で評価されるので,その違いはなんだ,と思ったりします。

先日も,オペラ歌手とミュージカル歌手が対戦していました。オペラではマイクは使わず,オーケストラの音量に負けないよう,広い会場の隅々にまで届くような発声法が求められるのに対して,マイクを使うのが普通のミュージカル歌手の方が有利な立場です。高音部での声の広がりなどはオペラ歌手が圧倒していましたが,結局,ミュージカル歌手の方に高い点数がでましたが,当然の結果と言えるでしょう。

また,同様の別の番組で,100点満点を連発し,3人が同点優勝というような,しまらないものもありました。
音程の正確率が96%程度だったので,本当の満点ではなかったようなんですが。
完全な歌唱というのは,ありえない気がしますし,たぶん評価基準が甘過ぎたのでは,と思われます。

ピアノでも,同じようなものがあって,おそらく電子ピアノを使っていると思われますが,この判定は単純で,ミス・タッチの数の少なさだけで競いました。ピアノ演奏でも表現力は大切と思いますが…。

このほか最近では,俳句・生け花など,さまざまな分野で,採点して評価するようなテレビ番組がはやりです。
本来,このような芸術を簡単に評価や判定するのは,とても難しいことなのですが。

昔から,音楽コンクールや展覧会など,芸術の世界では,所属する系列や団体によって,歴然とした主観による判定が横行して,問題となってきました。

だから「入賞したからなんなの」という立場をとる人たちも大勢います。

これに反して,スポーツの世界では,判定はつきものです。

しかし,1人の審判が判定するような競技では,誤審がつきもので(場合によっては意図的な判定も存在し),それによって試合の結果が左右されることがあって,大きな問題です。
サッカーのように点数の少ない競技では非常に問題が大きいです。審判の数を増やすとか,ビデオ判定を導入するとか,もっと明瞭な判定方法に変えないと,競技人口が多いだけに,常に批判にさらされます。

日本の伝統的なスポーツ,大相撲では,ビデオ導入が早く,1969年五月場所から導入されています。それまでも,結果をスローモーションで再生して,広い角度から,勝負の推移を見られるので,好評でした。大相撲では,まず行司が判定し,問題があれば,土俵下の勝負審判の誰かが「物言い」をつけ,5人の審判が協議し,ビデ室の意見も聞き,最終の判定をします。
非常に古い競技でありながら,最も不平が出ないような判定をしています。なにしろ,勝負判定が微妙で,勝負がつかないような取組では,「同体」と認め「取り直し」まであるのですから。

テニスの審判補助システムとしてホークアイ(鷹の目)が,4大大会では2006年の全米オープンから導入され,今やチャレンジ・システムとして定着しています。後に,全豪・全英オーブンでも導入されましたが,全コートに設置されているわけではなく,センターコートや1番コートなどに限られています。
これは,ビデオ再生ではなく,複数のカメラが捉えた映像からボールの最も妥当な軌道を再構築し,コンピューターグラフィックス(CG)で瞬時に再現するものです。このときいつも思うのは,地面のボール跡の形状です。ふくらみや長さなどが場合によって違い,本当に正確に再現されているか,という疑問です。
そのせいか,当初,フェデラーなどトップ選手は,導入に反対していました。

バドミントンではシャトル(コック)が堅いコルクで出来ているので,シャトル跡がライン幅に比べて小さく,点のように見えるので,テニスのような疑問は起りません。

しかし,近代スポーツであるはずの野球では,判定基準があいまいですね。
野球では動きがストップするので,アウト・セーフの判定や,ヒット・ファウルの判定に,ビデオの導入が容易だと思うのですが。
それにしても,ストライク・ボールの判定は基準が明確ではないですね。高さが打者によって異なるし,空間の四隅を人間の目で判定するのは,至難の業です。
野球は,世界大会とか,日本のドラフト制度など,ほかのスポーツと比べて,いろな意味で,遅れていると言わざるを得ません。

スポーツでも,フィギュアスケート,体操,シンクロナイズドスイミングなど,芸術性を評価して点数で表現するものは,先の芸術分野と同様の疑義が残ります。

ですから,時間距離などを競う古典的な陸上競技などでは,分りやすくていいですね。ですから,観ている人たちも,優勝者に真のチャンピオンとして,惜しみない称賛の拍手を送るのでしょう。

今回は,秋のこの歌にしましょう。
落葉松(からまつ)』野上彰・作詞 小林秀雄・作曲(1972)

さいきん,カバー(covers)とかいって,人の歌をほかの人が歌うのが,大いに流行っています。
以前の名曲を歌いたい,という歌手の気持ちは理解できますが,ほとんどの場合,原曲にかないません。
その理由の一つは,練習量が足りません。歌いこなされていません。
とくに,番組で若い歌手が昔の歌を歌うのは,聴くに堪えません。どうか,昔のビデオを流してください。その方が何倍も良いです。

秋本番です。この時期,日によって気温が大きく変動しますから,天気予報をこまめにチェックして,体調を壊さないよう,健やかにお過ごしください。

選手交代

選手交代といえば,まず思いつくのはプロ野球の投手でしょうか。

最近は,先発(starter),中継ぎ(setup man),抑え(closer)と分業化が進んでいます。
いつ,だれに交代させるのか,が監督にとって,采配の見せどころとなっています。

かつては,年間20勝がエースと呼ばれる条件,のようなものがあって,そのなかでも特筆されるのが,稲尾和久(1937-2007)西鉄ライオンズです。
18歳で入団し,新人の年から8年連続20勝以上,つまり

1956年  21勝   6 完投  262回
1957   35   20   373
1958   33   19   373
1959   30   23   402
1960   20   19   243
1961   42   25   404
1962   25   23   320
1963   28   24   386

なんとプロ入り7年で通算200勝を達成しています。
1959年は年間42勝ですよ。最近は20勝も挙げる投手なんていません。
昨年,藤浪(阪神)は14勝,7完投,登板199回,大谷(日ハム)は15勝,5完投,160回です。つまり,現在の一流と言われる投手の2倍以上の大活躍をし続けたのです。

1958年の日本シリーズでは,読売ジャイアンツを相手に,全7試合中6試合に登板,つまり出なかったのは第2戦のみ,第3戦から5連投,うち5試合に先発し,4完投。3連敗の後4連勝して,すべて稲尾の勝ち星で,「神さま,仏さま,稲尾さま」と崇められました。

現役のときに『鉄腕投手 稲尾物語』東宝(1959)という映画が作られ,父が志村喬,母が浪花千栄子,本人も出演し,評判になりました。
しかし,稲尾は鉄腕なだけではなく,映画のなかでも父・志村喬が「実るほど頭の下がる稲穂(稲尾)かな」と説いたように,謙虚な誰からも好かれる人柄の人でした。

最近,報道関係の番組のメーンキャスターの交代がめだってきています。

古館伊知郎(1954-)テレビ朝日『報道ステーション』(2004.4.5-2016.3.31)12年2,960回
東京都出身,立教大学経済学部卒,フリーアナウンサー。
プロレス中継で名前を上げました。紅白の司会も担当しました。
久米宏『ニュースステーション』を受け継いだ人気番組でしたが,「偏向報道」と何度もたたかれ,降板が決まりました。

国谷裕子(1957-)NHK『クローズアップ現代』(Today’s Close-up)(1993.4.5-2016.3.31)23年3,493回
大阪府出身,手塚山小学校,聖心インターナショナルスクール,ブラウン大学(国際関係学)卒,アナウンサー,同時通訳者。
政治・経済から芸術・芸能・スポーツまで硬軟取り混ぜて面白い番組でした。
才色兼備とは,この人のことをさす言葉,と思いました。
特に国際放送では,1日に6回,日本語と英語で放送し,英語版ももちろん国谷裕子さんの声でした。
さいきん番組で「やらせ疑惑」があり,降板が決まりました。
まったく,国谷さんの責任ではなく,損な役回りになってしまいました。

大越健介(1961-)NHK『ニュースウォッチ9』(2010.3.29-2015.3.27)5年
新潟県出身,東大文学部卒,NHK政治部記者。東大野球部では投手として通算50試合に登板し8勝27敗。
いわゆるNHKらしくなく,自分の意見を述べて,それが降板の原因になったらしいのです。

野球の投手交代は,監督が決めるので,その責任は明快です。

テレビ番組の場合,誰が交代を決定するのでしょうか。
ディレクターでしょうか,編成局長でしょうか,それとも社長なのでしょうか。
もし,時の政治勢力に遠慮して,自粛したとしたら,とんでもないことになります。

新聞やテレビなどのマスメディアは,時の権力に抗して,常に批判しチェックし続けなければ,世の中はおかしな方向へ行ってしまいます。

実際,国民の不安を無視し,原発は次々と再稼働に向かうし,集団的自衛権を容認する法案を強行採決するし,こんどは次の参議院選挙に自公が2/3以上の議席を確保してしまえば,いよいよ安倍首相悲願の憲法改正も射程圏内に入ったようにも見えます。

このような暴挙を黙って許しておいては将来の禍根となります。われわれの一人一人がしっかりと反対の意思表示をし,おかしな方向に行かないように言葉にし行動しなければなりません。

今回の曲は,この季節らしいこの歌にしましょう。

雪の降る街を』作詞:内村直也 作曲:中田喜直(1953)
歌:高英男ダーク・ダックス

雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが 通りすぎてゆく

雪の降る街を
遠い国から おちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん
あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが 追いかけてゆく
雪の降る街を
一人心に 満ちてくる
この哀しみを この哀しみを
いつの日か解(ホグ)さん
緑なす春の日の そよかぜ

雪の降る街を 雪の降る街を
息吹とともに こみあげてくる

雪の降る街を
だれも分らぬ わが心
この空(ムナ)しさを この空しさを
いつの日か祈らん
新しき光ふる 鐘の音

この歌は,雪の中を一歩一歩踏みしめて歩くようなリズムで歌うのが良い,とされています(♩=72)。

内村直也(1909-1989)
東京生まれ,慶應義塾大学経済学部卒,岸田國士に師事,劇作家。ラジオドラマ,創成期のテレビドラマをてがけました。
代表作は「えり子とともに」など。

中田喜直(1923-2000)
東京の出身,東京音楽学校ピアノ科卒で,20世紀を代表する日本の作曲家です。
父は「早春賦」を作曲した中田章,兄は作曲家・ファゴット奏者の中田一次
代表曲は「雪の降る街を」のほか
夏の思い出江間章子・詞(1950)
めだかの学校茶木滋・詩 安西愛子・歌(1951)
ちいさい秋みつけたサトウハチロー・詩 伴久美子・歌(1955)
心のまどに灯を横井弘・詩 ピーナッツ・歌(1959)
君よ八月に熱くなれ阿久悠・詩 高岡健二・歌(1977)
など多数。

今の季節は二十四節気のうち大寒で,一番寒い時期とされています。暖冬と言われていたのに,大寒波が襲来しました。奄美大島では100年以上ぶりに雪が降り,沖縄でも初めて霙(みぞれ)が観測されました。この寒さを乗り切れば立春で,間違いなく春が訪れます。それまで,健康には十分に気を付けて,元気にお過ごしください。

ことわざの世界

古くから人々に言い習わされきた,教訓や風刺を内容とする言葉があり,ことわざ(諺)と呼ばれています。

英語では “proverb” と言い,比較して覚えておくと何かと便利です。
よく使うものをいくつか列挙しますと,

  1. A bad carpenter quarrels with his tools.
    弘法は筆を選ばず
  2. A miss is as good as a mile.
    五十歩百歩
  3. After a storm comes a calm.
    雨降って地固まる
  4. Age and experience teach wisdom./Years bring wisdom.
    亀の甲より年の功
  5. Bread is better than the songs of birds.
    花より団子
  6. Even Homer sometimes nods.
    弘法も筆の誤り/猿も木から落ちる/河童の川流れ
  7. Everything is good in its season.
    鬼も十八番茶も出花
  8. First come, first served./Take the lead, and you will win.
    先んずれば人を制す
  9. He that falls today may rise tomorrow.
    七転び八起き
  10. History repeats itself.
    歴史は繰り返す
  11. It is no use crying over spilt milk.
    覆水盆にかえらず
  12. It is not necessary to teach a fish to swim.
    釈迦に説法
  13. Laugh and get fat.
    笑う門には福来たる
  14. Less is more.
    過ぎたるはなお及ばざるがごとし
  15. One good turn deserves another.
    情けは人のためならず
  16. Out of sight, out of mind.
    去る者は日々にうとし
  17. The early bird catches the worm.
    早起きは三文の得
  18. To see is to believe./ Seeing is believing.
    百聞は一見にしかず
  19. We never meet without a parting.
    逢うは別れの始め

ローマ三部作(自選)と言われるものがあります。

  1. All roads lead to Rome.
    すべての道はローマに通ず
  2. Do in Rome as the Romans do.
    郷に入っては郷に従え
  3. Rome was not built in a day.
    ローマは一日にしてならず

また,アシックスというスポーツ用品の会社がありますが,その由来は

Anima Sana in Corpore Sano.

というラテン語から来ており,その意味は

A sound mind in a sound body.
健全なる精神は健全なる身体に(宿る)

で,頭文字をつなげて ASICS としています。
良いネーミングですね。
開業(1949)当初はオニツカ(鬼塚)タイガーという創業者の名にちなんだ商標で,バスケットボール・シューズに特化した堅実な事業で,私も愛用したものでした。

ところで,毎日新聞(7/19朝刊)の世論調査で,安倍内閣の支持率は35%(ー9%),不支持率は51%(+8%),そして安保法案の強行採決に対して「問題だ」とする回答は68%になりました。

この歴史的な蛮行に対して,最も有効な対応策は,次の国政選挙である来年の参議院選挙で,自民党政権に対して「No!」という意志を突き付けることです。
しっかり,この気持ちを忘れずに,選挙には必ず投票に行きましょう。

ながながと書き連ねてきましたが,

Speech is silver, silence is gold.
雄弁は銀、沈黙は金

という格言もあることなので,このへんで・・・

ミュージカルは楽しい

このごろ世間に流行るお笑い芸人といえば,

● クマムシ「あったかいんだからぁ
● どぶろっく「もしかしてだけど」
● テツandトモ「なんでだろう

いずれも歌入りで,それぞれにキャッチフレーズがあり,それにそこそこ音楽性もあるというのが面白いところです。

昔の音曲芸人といえば,独自のテーマソングで始まりました。

横山ホットブラザーズ(アキラ・マコト・セツオ,1936-)
「明るく笑ってリズムショー 楽しく唄ってリズムショー 仲良く陽気に奏でるホットブラザーズ」(初期のもの)

かしまし娘(正司歌江・照江・花江,1948-)
「ウチら陽気なかしまし娘 誰が言ったか知らないが 女三人寄ったら かしましいとは愉快だね。ベリ-グッド ベリ-グッド お笑いお喋りミュージック 明るく歌ってナイトアンドディ ピーチクパーチクかしましい」

いずれも兄弟姉妹でトリオ,というのが面白いですね。
横山さんのところは,最初は父親の東六さんが創めて,紆余曲折を経て,現在の兄弟トリオになっています。

これらの原点はなんといってもオペラミュージカルでしょうね。
ところでオペラとミュージカルの違いはなんでしょうか?

オペラはヨーロッパで発生したクラシック音楽であり,ミュージカルはアメリカで発展したポピュラー音楽です。

オペラでは歌もオーケストラも生ですが,ミュージカルでは音楽は全てマイクを使いPA(Public Address System,拡声装置)を通してスピーカからの音を聴くことになります。

大きな違いは歌唱です。オペラでは歌・歌唱がもっとも重要な要素で,肉声を使うため,ベルカント(美しい歌唱の意)唱法という特別な発声法を訓練する必要があります。

ミュージカルでは舞踊(ダンス)も重要な要素で,歌手が歌いながら踊るのが基本ですが,オペラでは歌手は歌のみで,舞踊が必要な場合はバレエダンサーが踊ります。

ガーシュウィン(98-37)作曲『ポギーとベス』(1935)はアメリカのオペラに分類されていますが,ミュージカルの先駆的な作品でもあります。出演者全員が黒人というのも特別です。
劇中で歌われるヘイワード・詞「サマータイム」はポピュラーソングのスタンダードナンバーになっています。

ミュージカルの名作はそれこそたくさんありますが,独断で挙げる三大ミュージカルは,

●『マイ・フェア・レディ』(1956,映画化64)
●『ウエスト・サイド物語』(1957,映画化61)
●「サウンド・オブ・ミュージック」(1959,映画化65)

いずれも50年代にブロードウェイ公演から,60年代に映画化され,世界的な大ヒット作品となりました。
もちろん映画は全作見ましたし,前2作はアメリカ人公演の舞台を日本で見ましたし,楽譜も全作持っています。
映画を観る前に,楽譜を見て曲を覚えて,映画を観ながら歌を口ずさんだことを覚えています。

今回は『マイ・フェア・レディ(My Fair Lady)』を取り上げます。

原作は英国のジョージ・バーナード・ショー(1856-1950)戯曲『ピグマリオン(Pygmalion)』(1912)ですが,彼はミュージカルには否定的だったため,存命中は上演できませんでした。

しかし,ショーの「ピグマリオン」も,ギリシャ神話のキプロス島の王ピグマリオンが,理想の女性ガラテアを彫刻し,その女像に恋するようになり,女神アフロディテがそれに生命を与えて妻とさせた,という話が元になっています。

ミュージカル化は,作詞・脚本:アラン・ジェイ・ラーナー,作曲:フレデリック・ロウで,ブロードウェイ上演では56.3~62.9の6年6か月のロングランとなりました。
初演ではジュリ・ーアンドリュース(35-)がヒロインを務めました。

映画化(64)ではオードリー・ヘプバーン(29-93)が主演しましたが,歌唱はマーニ・ニクソン(30-)の吹替えです。
ジュリー・アンドリュースに主演させなかったのは残念だ,という人たちが大勢います。
じつは,1965年のアカデミー賞で,『メリー・ポピンズ』のジュリー・アンドリュースが主演女優賞を取り,『マイ・フェア・レディ』で取れなかったオードリー・ヘプバーンが大いに悔しがった,という逸話が残っています。

あらすじは,ロンドン下町の花売り娘イライザを,言語学者ヒギンズ教授とピカリング大佐の賭けで,粗野で下品な言葉をつかう娘を淑女(レディ)に仕立て上げる,という物語です。
もちろん,ヒギンズはキプロス王のように,自分で造り上げたはずの女性イライザのとりこになってしまうのです。

コックニー(Cockney)と呼ばれるロンドン訛りでは,エイ[eɪ]とすべき発音がアイ[aɪ]になり,たとえばデイ day をダイ[daɪ]と発音します。
それを矯正するために” The Rain in Spain “「スペインの雨」では,

The rain in Spain stays mainly in the plain
スペインの雨は主に平野に降ります

という陳腐なセリフを反復練習させ,正しいエイ[eɪ]の発音を覚えさせようとします。

オーストラリア方言でも同じような傾向があり,コックニーの人たちが移民していったのではないか,と想像しています。

また「My Fair Lady」のタイトルは「Mayfair Ladyメイフェア・レディ)」をコックニー訛りで発音して「マイフェア・レディ」とした,という裏話があります。
メイフェアは,昔は閑静な住宅地で,今は高級店舗が並ぶロンドンの地区の名前です。

『マイ・フェア・レディ』では名曲がいろいろあり,

●” Wouldn’t It Be Lovely “「素敵じゃない?
●” With a Little Bit of Luck “「運がよけりゃ」
●” I Could Have Danced All Night “「踊りあかそう
●” On the Street Where You Live”「君住む街角」
●” Get Me to the Church on Time“「時間通りに教会へ

今回は,マイ・フェア・レディの代表曲といっていい,この歌にしましょう。

I Could Have Danced All Night “『踊りあかそう
作詞・アラン・ジェイ・ラーナー(Alan Joy Lerner)
作曲・フレデリック・ロウ(Frederick Loewe)
歌唱・マーニ・ニクソン(Marni Nixon)

Bed! Bed! I couldn’t go to bed!
My head’s too light to try to set it down!
Sleep! Sleep! I couldn’t sleep tonight!
Not for all the jewels in the crown!

I could have danced all night
I could have danced all night
And still have begged for more
I could have spread my wings
And done a thousand things
I’ve never done before

I’ll never know what made it so exciting
Why all at once my heart took flight

I only know when he began to dance with me
I could have danced, danced, danced, All night!

ベッド!ベッド!ベッドになんて行けないわ!
頭が冴えすぎているわ
このまま落ち着けようなんて無理なの!
寝る!寝る!今夜は眠れないわ!
この冠の宝石たちのせいじゃないのよ!

一晩中だって踊れたわ
一晩中だって踊れたのよ
さらにそれ以上をお願いできるぐらいだったの
翼を広げることすらできたかもね
そして1000の事をやっていたかも
今までやったことのない事を

決して知りえないでしょうね
何がこれほど興奮させるのかなんて
どうして全てが突然に 私の心は飛び立ったの

分かることは,彼が私とダンスを始めた時だけ
踊れるわ 踊る,踊る 一晩中だってね!

前述の「スペインの雨」を真夜中3時までヘトヘトニなるまで練習して,やっと「エイ」が発音できるようになって,喜んだ3人(イライザ,ヒギンズ,ピカリング)が興奮して踊り出すシーンがあって後にこの歌になります。
一晩中でも踊っていたい,という高揚感は,聴いているこちらもウキウキしますね。

この作品の登場人物で,イライザの父で飲んだくれのドゥーリトルを舞台と映画の両方で演じたスタンリー・ホロウェイが,歌も踊りも演技も出色でした。「運がよけりゃ」や「時間通りに教会へ」など,観ていて聴いていて,こちらもつられて踊り出しそうになります。

時は新緑あふれる5月,何をするにも良い季節です。
7月に勝るとも劣らない強力な紫外線による日焼けには気を付けて,大いに楽しんでください。

年の瀬に楽しむ音楽

年末恒例のコンサートといえば,
ベートーヴェン交響曲第9番』(通常『第九』と略)ですね。

この発端は,
戦後の1940年代後半,オーケストラの収入が少なく,楽団員が年末年始の生活に困る状況を改善するため,演奏参加者が多くて,「必ず客が入る曲目」であった『第九』を日本交響楽団(現NHK交響楽団)が年末に演奏するようになり,それが定例となりました。
1956年に群馬交響楽団が行った群馬での成功が,全国に広まったきっかけとされています。

ズブの素人でも,けっこうみなさん合唱に参加されているようですが,そんなに簡単に歌えるような曲ではありません。
音域が広いし,周りの音は聞き取りにくいし,わたしが参加した公演では,隣の人は大きくハモル長音のところでは,なんど注意しても,いつも3度下を歌っておりました。

第4楽章で,すべての音が止まり,二拍おいて,バリトン歌手が ”O Freunde, nicht diese Töne!”「おお友よ,このような音ではない!」と歌い出しますが,学生時代,ボイストレーニングをお願いしていた先生は,「バリトンの名誉です」とおっしゃっていました。

1964年の東京オリンピックに東西ドイツが統一選手団を送ったときに,国家の代わりに『第九』が歌われました。

1998年の長野オリンピックの開会式では,世界5大陸・6カ国・7カ所で連携しての演奏が試みられました。
これは通信による遅れを調整するため,伴奏となる文化会館での演奏を各地に届けて合唱し,その映像が最終的にオリンピック・スタジアムで同期するように再送されました。

また,
通常のCDの録音時間が約74分であるのは,『第九』が1枚のCDに収まるように決められた,という説があります。
初演時の演奏時間は63分とされ,現代では70分前後が主流です。

ヨーロッパでは,
年末年始にオペレッタ(Operatte,喜歌劇)を楽しむ習慣があります。

オペレッタがオペラと違うところは,美男・美女が登場することでしょうか。
たとえば,ヴェルディ椿姫』の初演で歴史的な大失敗(蝶々夫人カルメンと共にオペラ3大失敗といわれる)をきっしますが,その原因の一つが,ヒロインのヴィオレッタが肺結核で死ぬことになっていますが,その歌手が肥満体だっため,「その体で肺結核はないやろ」と非難されたといいます。

年末には,シュトラウスⅡの『こうもり』が,年始にはレハールの『メリー・ウィドウ』が公演されるのが恒例となっています。

ヨハン・シュトラウスⅡ作曲『こうもり』(1874)の内容は,
金持ちの銀行家アイゼンシュタイン男爵は,役人を殴った罪で8日間の禁固刑になり,明朝6時には刑務所に投獄される前夜,友人のファルケ博士に誘われて「仮面舞踏会」に出かけ,そこでハンガリーの伯爵夫人に変装した妻ロザリンデに会い,妻とは気が付かず口説きだします。
ハンガリーの伯爵夫人であることを疑われれたロザリンデはハンガリー民族音楽「チャルダッシュ(csárdas)」を歌います。
刑務所長フランク,舞踏会の主宰者のロシア貴族オルロフスキー公爵,音楽教師でロザリンデの昔の恋人アルフレード,ロザリンデの小間使いアデーレなどが登場して,にぎやかに終わります。

わたしがこの作品に特別な思い入れがあるのは,
指揮の練習曲として「こうもり」序曲と「チャルダッシュ」を振った経験があるからです。

とくに「チャルダッシュ」では,全日本学生音楽コンクール2010年の声楽部門の大学・一般の部で1位になられた林佑子さんにこの歌を歌ってもらいました。
容姿端麗で美声のさんには将来さらに活躍されることを期待しています。

この「こうもり」序曲は,フィギュアスケートの鈴木明子選手がご自身も好きということで,ソチ・オリンピックのフリー・プログラムで使いましたが,途中でウィンナ・ワルツも挟まっていて,同調するのがとても難しい曲です。

そういえば,今年末突然引退を表明した男子フィギュアスケートの町田樹(たつき)選手は『第九』をフリーに使っていました。
これは「こうもり」以上に同調するのが至難の曲です。
そんなところが「氷上の哲学者」と言われる由縁でしょうか。

年始には,フランツ・レハール作曲『メリー・ウィドウ』原題 “Die lustige Witwe”「陽気な未亡人」(1905)ですが,
舞台はパリ,ポンテヴェドロ(仮想の小国)公使館では,公使のツェータ男爵が悩みを抱えていました。それは,老富豪と結婚後わずか8日で未亡人となったハンナが,パリに居住を移したことで,もしハンナがパリの男と結婚したら,莫大な遺産が母国ポンテヴェドロから失われることとなり,国の存亡に関わるのです。
公使館の書記官ダニロを彼女と結婚させて,遺産が他国に流出するのを食い止めようとします。
実はダニロは,ハンナと過去に愛し合っていた仲でしたが,身分の違いから,結婚できなかったという経緯がありました。彼は,大金持ちとなったハンナに,いまさら結婚したいと言い出せませんし,ハンナとしても意地があるわけで,素直になることはできません。
もちろん,いろいろな恋の駆け引きがあって,最後はめでたしめでたし,となるのですが,なにしろにぎやかで,途中にオッフェンバックの「天国と地獄」 が出てきたり,「ヴィリアの歌」とか「メリー・ウィドウ・ワルツ」の馴染みのある美しいメロディーで終わります。

さらに,大みそかには,
ジルベスター・コンサート」が開催されます。ジルベスターとはドイツ語で大晦日(Silvester,「聖ジルベスターの日」)の意味です。

日本でも生放送されていて,12月31日から演奏を開始して,1月1日の午前0時0分0秒ちょうどに演奏を完了するのを見世物にしています。

これは指揮者としての職人芸の腕を見せつける瞬間で,0時0分0秒ピッタリに曲を終了させて,同時に花火が打ちあがり,紙吹雪が舞って「新年,明けましておめでとうございます」となるのです。

2011-12年は,ラヴェルの「ボレロ」でした。
指揮者は大阪出身で女優と結婚歴(06-10)のある若手でしたが約5秒前に曲は終了してしまい,無音の恐怖の静寂状態がつづくなか,年マタギのときに,紙吹雪のみが虚しく舞いました。

2012,2013年は見事無事にすんで司会の女子アナは感涙にむせびました。
さて,今年は何が起こるのか,お楽しみにご覧ください。
曲目はシベリウスの『フィンランディア』です。

今年最後の曲は,『メリー・ウィドウ・ワルツ』にしましょうか。

(Danilo)
Lippen schweigen, ‘sflüstern Geigen: Hab’ mich lieb!
All’ die Schritte sagen bitte, hab’ mich lieb!
Jeder Druck der Hände deutlich mir’s beschrieb
Er sagt klar, ‘sist wahr, ‘sist wahr, du hast mich lieb!

(Hanna)
Bei jedem Walzerschritt Tanzt auch die Seele mit
Da hüpft das Herzchen klein es klopft und pocht:
Sei mein! Sei mein!
Und der Mund er spricht kein Wort,
doch tönt es fort und immerfort:
Ich hab dich ja so lieb, Ich hab dich lieb!

(Danilo, Hanna)
Jeder Druck der Hände deutlich mir’s beschrieb
Er sagt klar: ‘sist wahr, ‘sist wahr, du hast mich lieb!

(ダニロ)
唇はとざされて ヴァイオリンはささやく
「私を愛して」 と
ワルツのステップよ 言っておくれ
「私を愛して」 と
手を握りあうたび はっきりわかる
あなたの手は告げている
ほんとうに ほんとうに あなたは私を愛している

(ハンナ)
ステップを踏むたび 心も踊る
鼓動が高鳴る
「私のものになって 私のものになって」 と
唇は何も言わないけれど 耳には響く
「本当にあなたを愛している あなたを愛してる」

(ふたりで)
手を握りあうたび はっきりわかる
あなたの手は告げている
ほんとうに ほんとうに あなたは私を愛している

来年こそ良い年になりますように願っています。
お元気で良いお年をお迎えください。